リドルは物に触れられる程度になってからというもの、わたしの前世の記憶が書かれた日記帳に興味を示していた。
表紙からして異なる言語で書いてあることは確定しており、なおかつわたしが肌身離さず持ち歩いて、絶対に誰にも見せようとはしないからだ。
日記ってそういうもんだろと言ったが、彼は何か秘密があると踏んだらしい。その通りだから困るんだけど。
でもそこまで心配はしていない。
なぜなら最近雑学特集にあった「秘密が漏れないよう情報保護呪文をかけよう!〜初級編〜」を読んでリズにやってもらったからだ。
この日記はわたし以外の人物が読もうとしたとき、パスワードを入力しなければ開けない仕様になっている。
初めに「パスワードは?」と文字が浮かび、何度か間違えると「ヒント:わたしの名前」とお誂え向けに表示される。
実際は『エドワード』と書いたところで何も起きない。
それは僕の名前であって、わたしの名前ではないから。
後はそれでも日記を読もうとする不埒者に罵倒と墨を浴びせて終わりだ。日本語が読めてもどうにもできないだろう。
怪しいと言っていたリドルが顔中墨まみれで現れたので、わたしは笑いを堪えるのが大変だった。
───
入学当日。わたしはキングスクロス駅で待ち合わせている友人たちの顔を思い浮かべながら学校へ行く準備をしていた。
母さんの体調が少し気がかりではあるものの、それ以外は全て順調だ。
あれから起きた出来事で特筆するべきことと言えば、字がそれなりに書けるようになってから日記帳を何度か書き直したことくらいだろうか。
とはいえ、前世の記憶データ_ 最新版(修正済)にしてからはもう触っていない。鏡を見て髪を整える。よし。バッチリ!
「留守番お願いね」
霊体でそわそわしていたリドルにそう伝えると信じられないと言わんばかりの顔をしていた。
大袈裟に身振り手振りで不満を訴えてきてちょっと面白い。
「呆れすぎて言葉も出なかったぞ。ホグワーツに連れて行け」
絶対そう言うと思ったよ。どうするべきか、困ったもんだ。学校に潜り込んでさえしまえば、わたし以外の人間をどうとでも利用することができるだろう。
ホグワーツに入学する前には本を捨てるつもりだった。そのつもりだったのに。
でも連れて行きたくはない。
良い言い訳を考えてうんうん唸る。
あ、閃いたかも。わたしはできるだけ重々しくなるよう口を開いた。
「彼が復活するまで待ってほしい」
「彼?」
「例のあの人だよ」
リドルは瞠目し、ニヤリとした笑みを浮かべる。
何度か首肯して「そういうことか」と満足気に呟いている。
勝手に自分の都合のいいように想像してるみたいだ。
わたしはその答えが覆される前にキングスクロス駅へ向かうことにした。
───
待ち合わせ場所の近くまで来てウィーズリー一家がいるのが見えてきた。わたしは嬉しくなって駆け足で向かい、思い切り双子に飛び付いた。
「フレッド!ジョージ!」
「ようエディ!熱烈な歓迎だな!」
それぞれがわたしを抱き上げるとそのままぐるぐると回転する。朝日に照らされて顔がよく見える。
彼らは頭髪だけでなく、よく見れば睫毛の色まで違っていた。彼らの睫毛は太陽の光を浴びれば透き通ってより一層明るい色になる。
わたしはそれを羨望の眼差しで見ていた。赤い頭髪といい、性格といい、太陽に愛されたような人だ。
わたしが喜ぶのを見てフレッドとジョージは楽しそうに笑う。
後方を見て何かに気付いたフレッドがわたしを降ろし「後ろの兄ちゃんが嫉妬してるぜ」と耳打ちした。振り返るとセドリックがいた。いつの間に。
わたしは満面の笑みで抱擁する。頭をぐりぐりと擦り付けてからふんぞり返るとセドリックも同じように笑顔を返してくれた。
双子よりも小さな赤毛の子どもたちがモリーさんの影からわたしを見ていた。目が合うか合わないかというくらいのタイミングで背後に隠れられる。わたしの視線に気付いてモリーさんが「ロンとジニーよ」と紹介してくれる。
「ロンは二年後、ジニーは三年後に入学するの。そのときはまたよろしくね」
わたしは軽く会釈をして双子とセドリックに促されるまま列車に向かった。
───
列車から流れ行く風景。川に、草原。窓を開ければ、太陽によって暖められた噎せ返るような熱気と共に、髪が靡くほど強く爽やかな風を感じられた。
わたしは景色を見ながら音楽を聞くのが好きだった。こういうときはクラシックに限る。イヤホンを探すときの癖で軽くポケットを叩き、ふと自分の小さな手のひらを見て、そんなものは今存在しないんだったと思い出した。
わたしが諦めて頬杖をついて再び窓の外を見ているとセドリックが話しかけてきた。
「忘れ物?」
「そんなところ」
わたしは曖昧に答えた。
「大丈夫かよ」
「うん。もう必要ないから」
わたしはそれを捨ててきたんだ。
───
汽車が進むにつれて声が弾む。話題はやっぱりホグワーツについてだった。組分けの話をされてわたしはまだ迷っていた。
「僕の家系はずっとスリザリンだから、僕もスリザリンに入ると思う」
ガタンと汽車が揺れてわたしたちの席も揺れ動く。窓が軋む音が耳障りだった。
「そうとは限らないよ」
「そうだぜ、あのブラック家のお坊ちゃんがグリフィンドールに入った事件なんて逸話もあるのに」
「そりゃ、そうだけどさ……」
そういう運命だったんだよ。彼は自分の意志で入って、神さまの言う通りにそうなったんだ。違う未来などあるわけがない。
全ては初めから決められていて、それこそわたしを安心させるものなんだから。覆ることなんてあってはならない……。
わたしは頬杖をついたまま窓の外の世界に思いを巡らせた。かつて彼らもこの景色を見て心を踊らせたのだろうか。
「なんだよ、迷ってるのか〜?」
「十一歳らしくないな」
「え!十一歳って何考えてるの?」
「次のいたずらのこと」
「それは君たちだけじゃん」
双子がニヤッと笑って鞄からお手製のロケット花火をチラ見せしてくれる。いらないサービスだ。
「僕はエディがどこの寮でも、エディらしいと思うよ」
十一歳とは思えない気遣いの塊だ。セドリックはいいやつだな。
わたしは「ありがとう」と言い、ホグワーツに着く前に着替えることにした。
新品の制服に袖を通して襟を整える。
フレッドとジョージが自分たちの靴下を片方だけ交換して履こうとしていて、セドリックは呆れたように笑っている。意味あるのかなそれ。
全ての事象は決められていて、世界に動かされて起きていると考えていたが、どうやら彼らは違うようだ。
自分の意志で生きていると言う。
そりゃ、この世界の住人ならそう思うか。
「決められた人生なんてつまんないだろ?」
その抵抗すらも初めから決められていたものなのでは?原作を、運命を変えることは不可能だろう。
だからって何もしないの?
───
「どこに行っても大丈夫だから」
母さんは微笑んでそう言った。父さんも同じ気持ちのようで静かに頷いている。
二人とも『エドワード』を愛しているのだろう。わたしは他人事のようにそう思った。
汽笛の音が駅内に響いている。
「ありがとうございます」
───
「ヴィクトリア、エドワード!」
名前を呼ばれて我に返った。慌てて立ち上がり椅子へと向かう。無遠慮な視線がわたしを貫いた。
帽子を被らされ、視界が暗くなる。
わたしの頭に収まった途端、帽子はまるで生きているかのように動き出した。
「おや、面白い。珍しいタイプだ……」
わたしは自分を偽ることなく「『エドワード・ヴィクトリア』ならどの寮に入りますか」と小声で尋ねた。
帽子は呻って低い声で「スリザリンだろう」と答える。わたしは安堵した。帽子がそう言うのならそこに行けばいい。
「スリザリンにしてください」と伝えようとしたその時、帽子が「だが」と断りを入れた。
「君の意志を尊重しよう」
君はどこに行きたいのか。わたしはなんだか椅子が窮屈に思えてきて身じろいだ。
わたしがどこに行きたいか。
この肉体の持ち主は、『エドワード・ヴィクトリア』だ。それ以上でもそれ以下でもない。
帽子はわたしの入りたい寮を知っている。そのことを意識しながら、ぎゅっと拳を握り目を開いた。
「スリザリンがいいです」
お願いします…わたしは声が上ずらないようにそう繰り返した。大丈夫。帽子なら、きっとわたしの気持ちを汲み取ってくれる。
帽子は将来のことを想ってか少し考え込んでいるようだった。
どうか、神様。
「お願いします」
わたしがもう一度強い口調で帽子に乞うと、帽子が宣言するために大きく息を吸い込んだのがわかった。
わたしは帽子の声が聞こえる前に立ち上がり、スリザリンのテーブルの方へ身体を向けた。
「スリザリン!」
先生によって素早く帽子が取り払われ、視界が鮮明になる。皆が拍手をしていて、緑のネクタイをした生徒たちがわたしを歓迎する。
本当によかったのだろうか。いや、自分で決めたことだ。
「幸運を祈ろう」
去り際に帽子の嗄れた声が耳に届いた。
校歌を歌って、同級生と談笑しながら食事を終えて、寮へ向かう途中後ろから小突かれる。笑って振り返ると案の定フレッドとジョージがいた。
寮は別々の道なので別れてしまったがそれは単なる組分けで、わたしたちの友情の亀裂につながることはないと確信していた。
───
翌朝、早起きをして人の少ない談話室を探検する。
わたしは真っ先に水槽のようにゆらゆらキラキラ輝く窓辺に引き寄せられた。それを見てたまたま近くにいた上級生が口を開く。
「綺麗だろう?スリザリンの談話室からは人魚が見られるって言われてるんだ。毎日のようにここに来ていたらいつか姿を現すかもな」
その噂まだ続いてるんだ。
何も知らない一年生をからかうのも程々にしとけよ。
わたしはその人に「へえー」と答えて窓に手を添えた。
薄暗くて濁ってて何も見えやしない。
それに人魚だって皆が想像してるのと違うって知ってんだからな。
わたしは気が削がれて早めの朝食を食べに行くことにした。
───
寮の点数がわかる砂時計を見ながら大広間に続く扉を開けて前へ進む。流石にこんな早朝じゃ人もまばらだ。
スリザリンの席に向かおうとして誰かがこっちに手を振っているのが目に入る。ハッフルパフ──セドリック!
わたしは彼に会えたのが嬉しくてたまらず駆け足になった。人が少ないから向かいに座れる。特等席だ!
わたしはすかさず机の上に出されていた林檎を手にした。
「こんな早朝に会えるなんて!奇遇だね」
「会えて嬉しいよ」
わたしは微笑みかけてから林檎を齧った。蛇をシンボルにしてる寮に林檎なんてちょっと不吉だな。どうでもいいことを考える。
「エディは何の授業が楽しみ?」
セドリックは林檎を頬張るわたしを見つめて、自分もりんごを食べることにしたらしい。
わたしは口の中身を全部飲み込んでから「箒」と答えた。セドリックの目がキラリと光る。
「僕もだよ!」
そこからセドリックのクィディッチ熱が止まらず、あり得ないマシンガントークが始まってしまった。昔はこんなに話をしてくれなかったので嬉しい反面、興味のない話をされてタジタジだった。
クィディッチにわかなんだけど。シーカーが花形ってくらいしか知らないし、何人でやるかも覚えてない。
でも十一歳の子どもが一生懸命熱弁しているのはやっぱり。
「かわいい」
一瞬間が空き、照れて赤くなった顔でセドリックが「話聞いてた!?」と言った。
───
幸運なことに初日から飛行訓練の授業があった。しかもグリフィンドールと合同だ!だだっ広い中庭に集まる中、じゃれ合うフレッドとジョージに目配せする。彼らは堂々とわたしに手を振った。
マダム・フーチが点呼を取り、全員が箒を地面に置いて飛行訓練の準備をし始めた。晴天で雲一つなく、風も穏やか。絶好の飛行日和。
「力強く『上がれ!』と言うのです」
その時、なぜか心の奥底にあった記憶が浮かび上がってきた。ああ、エドワードは箒に乗りたがっていたんだっけ。リズの話を思い出して、飛行訓練を楽しみにしていたのはどちらの意思なのか少し気になった。
「上がれ!」
わたしが箒に向かってそう唱えると、それは意志を持ったかのようにわたしの手に飛び込んで──来なかった。現実はそう上手くいかないか。ハリーは一発だったのにな。
周囲を見ても一発で成功している生徒はまだいなかった。
ひと呼吸置いて、わたしがもう一度「上がれ!」と言うとようやく箒が手におさまった。
マダム・フーチの指示で皆が一斉に地面を蹴る。わたしは運良く浮かぶことができた。中にはまだ飛べずにぴょんぴょんジャンプをしている子がいた。かわいい。
エロールのようによろよろと箒を操縦して空をふらつく。行きたい方向に定められない。空中でバランスを取るのもなかなかに難しい。運動音痴にはキツいな。
わたしが必死に箒にしがみついていると、双子が隣を駆け抜けて行った。「遅いぜエディ!」「付いてこい!」突風が吹き、わたしの髪を靡かせて顔を弾く。知らず知らずわたしの口角は上がっていた。
マダム・フーチの「飛ばしすぎです!」と注意する声が地上から飛んでくる。双子は意に介さず片手運転でお互いに体当たりまでしている。子どもは習得が早いな。乱れた髪を抑えてわたしは双子の後を追おうとした。
が、しばらく経ってもわたしが鈍すぎて追いつけなかったので、フレッドとジョージが戻ってきた。
ありがたいことにわたしと一緒に飛びたいからとコツを教えてくれるようだ。
思い切って体重をかけてしまえばずっと楽に舵を切れるようになること。手元ではなく前方、進行方向を見ること。なんだか自転車みたいだな。
「フーチはスピードを出すなって言うけどそれじゃ練習にはならないぜ」
「見とけエディ!これがクィディッチで活躍する男の走りだ!」
双子はふわふわ浮いているだけじゃ物足りないのかビュンビュン飛んでいく。鳥みたいに、自由に飛べるなんて。素敵な話だ。
わたしは恐怖よりも興奮が勝って彼らと並走するために風を切った。
───
ホグワーツは広い。わたしがまだ子どもだというのもあるだろうけど、方向音痴のわたしはすぐ道に迷ってしまった。ぐるぐると同じところを周り埒が明かないと思って何となく部屋に入ってみることにした。
静かに戸を開き中を覗き込む。誰もいない。地図や地球儀、望遠鏡、カメラ、蓄音機にラジオ。トムとジェリーで見たやつだ。
わたしがマグル学の教室で物品を見るのに夢中になっているとき、後ろからゆっくりとした足音が聞こえた。
「迷子かい?」
彼はにこやかな表情をしていて、穏やかな声でわたしに話しかける。まだにんにく臭くない、至って普通のクィレル。
わたしは目の前にいる人物の、ずっと先のことを考えて、なんだか変な感じがした。
彼は教室に勝手に入っていたわたしが質問しても嫌な顔一つせず、むしろ興味を持ってくれて嬉しいと顔を綻ばせた。
先生は、帽子が好きだと言ってコレクションがあることを明かしてくれた。
「マグルを理解するのは魔法史を学ぶ上でも大事なことなんだ」
思っていたよりもずっと気さくで、優しくて。賢者の石で寮の勝敗にかき消されてしまった彼のことを思った。
このままこの人は誰にも追悼されないどころか、死んでしまったということすら知られずに忘れ去られてしまうのだろうか。
───
暗くてジメジメした地下牢でスネイプの授業を受ける。
ハリーがいないおかげか、まだそこまでトゲトゲしていなさそうで助かった。かなり無愛想だけど。
スリザリンに入っていてよかったな、と思うのはスネイプに減点されにくいことくらいだろうか。
スリザリンの子達はちょっとプライドが高くて自分をよく見せようとしがちだけど、一度身内判定するとあっという間に距離を詰めてくる。
頻繁にパーティーに参加していたおかげで貴族とは顔見知りだし、わたしとペアを組んだ子は手際のいいわたしに敬意を抱いてくれたようだ。
リドルから教えてもらったおかげで大抵の授業は周囲より少し余裕を持って受けられた。
時には加点され、褒められて、なんだかちょっと嬉しい。わたしはホグワーツに来てすぐこの場所が好きになった。
───
紅葉した木々が秋の訪れを知らせてくれている。雲が流れていく。雲の影から一歩出て、黒い湖を見つめる。ああ、ここが鴨川だったら。
ため息をついて座り込んだ。
ホグズミードはまだ行けないし、フェルドクロフト行ってみたいけど遠いしなあ。
「エディ」
顔を上げたらセドリックがいた。
一緒に水遊びでもしようかと思ったけどさすがに寒すぎるか。目が合って、セドリックは微かに笑う。
「退屈してそうだね」
「当たり」
「湖には何かいた?」
そう言いながらセドリックも隣に座った。マーピープルが見えたら面白いのにな。水面には城が映ってるだけだ。
「何にも。なんでここにいるってわかったの?」
「ビリーに聞いた」
「あね」
「あね?」
「ああ、なるほどねってこと」
「そっか」
「そこはあねでしょ」
くすくす笑う。本でも持ってくればよかったな。寝そべって、セドリックと一緒にできることを想像する。箒……って勝手に乗っていいんだっけ。自前の持ってないから借りないとな。
「フレッドとジョージは?」
「クィレル先生にいたずらしてくるってさ」
わたしは思わず顔をしかめて、すぐそれを隠すように顔を手で覆う。指の隙間から曇天の太陽を見つめた。なんだか湿っぽい空気だ。
わたしが「なんか面白いことない?」とセドリックのローブを引っ張ると彼は「え〜」と苦笑した。
返事がないので様子をうかがったら、一生懸命頭をひねっていた。子どもらしさの残るほっぺが動く。笑っちゃいけないときってどうしてニヤけちゃうんだろう。わたしは再び手で顔を隠した。
「エディ?」
「思い出し笑い」
「あね」
「ふふ」
頬に水滴が落ちた。一滴、それからまた。
雨粒が髪まで濡らす前に、わたしはセドリックの手を引いて逃げるようにホグワーツへ戻った。
───
冬季休暇で一時的に家へ帰ることになった。ぼんやりしながら汽車から降りると両親がわたしを迎えに来ていた。
母さんは体調を崩しがちだからあまり無理をしないでほしいな。わたしは彼らの子どもとして飛びついて抱擁をした。
自室に入って本を開く。「遅い」と文句を言いながらリドルが飛び出してきた。
「もうすぐクリスマスだ」
彼の真似をして窓の外を覗く。窓の近くはひんやりしていてやっぱり寒い。腕をこすって温めつつ遠くの方で雪だるまを作る子どもたちを見る。
「リドルは雪合戦できないの?」
「この俺様が?お前と?戯れる?」
そこまで言わなくなっていいだろ。嫌なら普通に断れよ。じとっとした目でリドルを見る。
「まぁその体じゃ無理か」
「できる」
言い切っちゃったよ。冗談のつもりだったのに「冬服を用意しろ」なんて無茶を言ってくる。霊体って寒さとか感じるのか?
家族にリドルのことは話していないからどちらにせよ庭で一緒に遊ぶのは不可能だ。実体を得たらなんだってできるんだろうけど、わたしや家族を殺すとか無茶苦茶しそうで怖い。
わたしとの付き合いで触れられる程度にはなったけれど、この数ヶ月ホグワーツにいて離れ離れになったことで前のように霊体に近い存在になっている気がする。
熟考しながらリドルをじっと見つめているのがバレて顔を顰められた。
「俺は負けない」
「もうわかったから」
───
翌朝、朝食を済ませてポストを覗いてみるといつの間にやら手紙がたまっているのに気付いた。取り出して机の上に乗せ、自分宛の手紙がないか探し始めた。
いちいち手作業で確認するのが面倒だ。虹色に光る確定演出みたいなのがあればいいのに。これも違う、これも違う、ぽいっと投げて手を止める。
エドワード宛の手紙だ。丁寧で繊細な字で書き綴られている。なになに……
───
乱雑に廊下への扉を開けると掃除用の箒を持ったリズがギョッとしているのが見えた。わたしはそっと箒を壁に立てかけてミュージカルのようにリズとダンスをする。
「エドワード様、どうかなさいましたか?」
振り回されるリズが困ったような表情をする。よくぞ聞いてくれました!わたしは彼女を掲げて叫ぶ。
「セドリックからクリスマスパーティーのお誘いが来た!」
───
「上機嫌だな」
リドルがつまらなさそうにわたしを見た。嘘ついてみようかな。
「屋敷しもべ妖精の人権向上活動に誘われた」
「死ぬほどつまらなさそうだ」
土産話もいらん。そう言うとあっさり興味をなくして本の中に帰ってしまった。ちょっとは聞けよ。ハーマイオニーが考えたやつだぞ。
死を恐れてるやつが死ぬほどなんて言葉を使うのはちょっと滑稽かも。わたしはなんとなく、本の隣に自分のお気に入りの詩集を置いた。
───
初めて煙突飛行粉を使ったときは煤まみれになったものだが、この世界に慣れたわたしは綺麗に移動できるようになった。
「エディ!」
暖炉から出る前にセドリックにハグをされて、わたしも荷物を置いて彼の背に腕を回した。それが嬉しかったのか彼は抱きしめる力を強めたのでわたしは体を揺らして笑い声を上げた。
「やぁ、君がエドワード君だね?」
エイモスさんに話しかけられ、わたしは急にハグをしているのが恥ずかしくなってセドリックから離れた。
畏まってエイモスさんに「いつもセドリック君にはお世話になってます!」と元気よく挨拶した。
「セドからよく聞いてるよ。学校で起きたことを尋ねると必ずエディがって話をするんだ」
おっと?これってセドリックの弱みじゃないか?不意打ちを食らっただろうセドリックにわたしがニヤニヤしながら「そうなの?」と聞けば彼は「うん」とわたしの目を見て穏やかに答えた。
全然照れないじゃん。つまんないの。
わたしの表情から何を考えてるのか察したらしくセドリックはくすくす笑った。
───
まだセドリックの武勇伝がないためにエイモスさんの口からは愛息の自慢はそれほど聞かなかった。
それほど、と言っても全く無かったわけじゃない。「セドは子どもの頃から物覚えが良くてね」「2歳の時から魔法が使えたんだ!」「箒にもあっさり乗ったから将来はプロになる!」
「父さん……」
「おっと、話しすぎたかな」
そう言いつつ話し続けるエイモスさんのお皿の食べ物は一向に減りそうにない。わたしはニコニコと相槌を打った。顔を覚えてもらうまでこの話を何回もされたらどうしよう。ギコギコとナイフでお肉を切り分ける。
「だがね、セドはやはり皆から好かれると思うんだ」
「そうですよね、セドリックはかっこいいですし」
君もそう思うかね!いやねえ、セドは生まれた瞬間からハンサムで──喜ぶエイモスさんの声を聞きながらわたしはステーキを頬張った。うまい!
エイモスさんのマシンガントークはわたしが食事を終えてしまってもなお続けられていた。いいこと閃いたかも。
「セドリックの子供の頃の写真見たいな」
「えっ」
「おお、セドに興味を持ってくれて嬉しいよ!」
「ちょっと待ってよ父さん」
セドリックが慌てているのを見てほくそ笑む。自分の小さい頃の写真って誰かに見せるには恥ずかしいよね。
セドリックが止めてもエイモスさんは止まらない。何十冊もあるアルバムのうちから一つを杖で棚から取り出した。セドリックがわたしを止めようとする前にバッと覗き込む。
「かわいい!」
「そうだろう、そうだろう。これはセドが初めて箒に乗ったときのだ」
セドリックオタクの解説付きだ。なかなかこんな体験できないな。セドリックはというと「もういいでしょ!」と耳まで赤くなって写真を手で隠したりアルバムを必死に閉じようとしている。
「エディ!そろそろ眠くない?」
ようやくエイモスさんからアルバムを取り上げたセドリックがお開きにしようとしてきた。
「うーん?」
「眠いよね!?」
流石にここまで言われては引き下がるしかないか。
わたしは仕方なく「わかったよう」と頷いた。
───
セドリックが来客用の寝室へと案内してくれる。
明かりは彼の持っている蝋燭の光だけでほんのり暗い。扉の前まで来てセドリックに「おやすみ」と言おうとして、彼が何か言いたげな表情をしていることに気付く。
セドリックがそわそわしていて、なんだかわたしまで落ち着かなくなる。蝋燭の光でセドリックが唇を噛み締めたのがわかった。
ドアノブにかけたわたしの手にセドリックが自分の手を重ね「エディ」と呼び止める。
彼がいつになく真剣な顔をしていて、わたしはわざと「んー?」と軽く返事をした。
「エディは……僕のことかっこいいと思ってくれてるの……?」
「……」
何その……かわいい質問。
どうやら夕食時にわたしがセドリックを評価したことをまだ覚えていて確認したかったらしい。
なんてかわいくていじらしいんだろう。
「かわいい!」
「か、かわいい……、……そう……」
微妙な反応をするセドリックに普段はしないおやすみのキスを頬にして彼が何か言う前に鍵を閉めた。
───
翌朝セドリックから何か言われるかと思ったが特に変な様子を見せなかった。「メリークリスマス」と挨拶をされて笑顔で返した。
リビングまでの道を一緒に歩く。肌寒いけれど窓から差し込む朝日は暖かい。外の雪が眩しいほどに輝いているのがわかる。木からしだれた雪が、重みで音もなく落ちていく。
「今度ピクニックにでも行かない?」
歩いている途中で立ち止まり、セドリックは突然そう言った。
友達とお出かけ!なんて楽しい響きなんだろう。
わたしは手を繋いで「約束ね!」と破顔した。
───
身支度を済ませて暖炉へ入る。「もうちょっと長居してもいいのに」セドリックは微笑んだ。
これ以上いたらクリスマスの思い出がエイモスさんの話で上書きされてしまうだろう。
「また学校でね!」
「エディ」
昨日と同じように呼ばれて目を合わせる。セドリックはわたしと話すとき、なんだか優しい目をしている。セドリックの唇が僅かに弧を描く。
「忘れ物」
セドリックの動きがスローモーションに見える。肩に置かれた手がやけに熱く感じる。顔がだんだんと近付いてきて頬に手を添えられ──頬に仄かな体温を移された。
「お返し」
囁き声が聞こえ、グレーの瞳がいたずらっぽく細められたのを最後に、緑の炎に囲まれてわたしが言い返す前にはもうすでに自宅に着いていた。
まだ頬に彼の唇の感覚が残っているような気がして手を当てる。
『忘れ物』
「お返しって……」
わたしはこの出来事を消化するためにドタドタと階段を上がり、リドルのもとへと向かった。
───
「リドルはさァ、可愛がってた子がプレイボーイになってたらどうする?」
「ハァ?」
何の話だとぼやきつつも「放っておけ。直に丸くなる」と言う。リドルは少し思考を巡らせて「まぁ、そいつの気持ちはわからんでもないがな」とほくそ笑んでいた。
モテアピールか?何もないやつほど昔の栄光にすがりつくよな。わたしは肩をすくめてリドルの自慢話に乗ってやることにした。
「そっか……リドルは食い散らかしてきた側なんだね……」
「おい!言い方を変えろ!」
自分で言い出したことなのに憤慨する。からかい甲斐があるよな。
「オープンスケベなんだね」
「違う!!!」
「むっつりスケベ」
「だから違うと言っているだろう!!」
「ノットスケベ」
「スケベから離れろ!」
これ以上からかうのはやめておこう。歯ぎしりしすぎて割れそうだ。ボロボロの歯で話すトム・リドルは見たくない。
「軽口を叩けるのも今のうちだ!」
霊体だからこそ冗談を言えるわけで、実体化したらわたしはリドルどころかこの世とおさらばすることになるだろう。
わたしが黙るとリドルも何も言わなくなってしまった。
───
クリスマス休暇が終わり、わたしはホグワーツの中庭でフレッドとジョージと世間話をしていた。
クリスマスはどんなふうに過ごしたのかと聞くと、母から手編みのイニシャルの入ったセーターを貰ったと言っていた。ローブの下を見れば派手派手な色のセーターに「F」と「J」と書かれている。
これ着てたら見分けつくね。そう言うと「残念!俺はジョージのセーターを着たフレッドだ」と言われた。
授業を終えたらしいスネイプが廊下をのっそり歩いている。土気色をした横顔が通り過ぎる前にジョージが何か思い出したのか「そういえば」と口を開く。
「クィレルが一年休暇とるらしいって噂だぜ」
スネイプにいたずらを仕掛けるために走り去る双子の背中を放心して見つめていた。
クィレル先生は力を手に入れるために取った長期休暇中に、ヴォルデモートと会うんだ。わたしはマグル学の教室へと向かった。
───
特徴的な帽子を視界の端で捉え、すぐに消える。
曲がり角の先にいるであろう彼のあとを追って廊下を走る。息を切らして顔を上げる。
見つけた。けれど先生はもうずっと遠いところにいる。歩を進めて近づいてもどうしてか、ちっとも追いつけそうだとは思えなかった。影が伸びていく。
わたしが悴む手を押さえつけているというのに、先生はどんどん先へ行く。
「先生!先生は今のままで十分なんですよ!」
先をゆく彼はその一言で歩みを止めた。不自然な間が空いて「そうだね」と静かに言った。
わたしにはそれが──わたしの知る限り彼はまだ罪人ではないが──彼が自らの罪を認めているように思えた。
───
教室の外へ出てセドリックと合同授業でわからなかったところをお互いに話す。スネイプは話しかけるにはちょっと怖いよね。くすくす笑った。
フレッドとジョージの笑い声が聞こえてくる。あの子達、また何かしてるんだな。セドリックと顔を見合わせて笑う。角を曲がるとだんだん姿が見えてきた。
あ、誰かがいたずらにかかっている。誰だろうと思って目を向けて、煙の中に帽子姿の先生を見つける。
先生。クィレル先生だ。
辺りに火薬の匂いが漂う。
煙と火花から手で頭を守るようにして屈んで。
額から小さな汗が落ちていく。
それを見ていたずらが成功したと無邪気に笑う双子。
帽子に焦げた跡がつく──周囲の音が聞こえなくなった気がした。
「やめて!」
わたしは思わず止めに入ってしまった。生まれて初めて声を荒げたかもしれない。
怒鳴り声ではなく悲痛な声が喉から絞り出される。
バサバサとわたしの手から教材が落ちて地面に叩きつけられて、フレッドとジョージ、セドリック、クィレル先生までも驚いてわたしの方を見た。
先生の悲しそうな目がわたしに向いている。肩で息をする。まだ心臓がバクバクと鳴っている。こんなことしても、未来はきっと変わらないのに。
わたしは顔を覆った。体が勝手に震えて止まらない。セドリックがわたしの背を撫でているのがわかる。
何をやっているんだ、わたしは。
「なんでクィレルにだけそんなに肩入れするんだ?」
ロケット花火を手に持ったままフレッドが不思議そうにそう尋ねる。なんでって、そんなの……
可哀想だから?
どうして優しくするのか、だって?そりゃあ罪悪感さ。
それ以外の何物でもない。
わたしはその場の生きた人間から注がれる視線に耐え切れず逃げるように立ち去った。
───
エドワードとして生きるのに、誰かを助けたいなんて強欲すぎやしないか。
廊下は走っちゃだめですよ!
きゃあきゃあ笑ってその忠告を聞き流す。
今度はどこへ行く?こんな楽しいの初めてだ!
ふと、ガラスに『エドワード』の姿が反射していて、わたしは目を見開いた。
「他人の身体で生きるのは楽しいか?」
───
夕方時、うとうととしているうちに眠りに落ちて夢を見ていた。どういうものを見ていたのか覚えてはいないけれど、なんだか目覚めが悪い。
わたしはため息をついて汗をハンカチで拭った。
クィレルが死ぬなんて、フレッドとジョージがイタズラ好きなことなんて、わかりきっていたことなのに。
「無理だ……」
できない。受け入れられない。お世話になっている人、可愛がってきた子どもたち。生きている人間。
彼らを見殺しにするなんてこと、わたしにはとてもできない。モヤモヤする。
「エディー!グリフィンドールの双子が来たぞ」
布団でおとなしく寝そべっていると同室のビリーから声をかけられる。その子に感謝を述べ、顔だけ上げて入り口に立つフレッドとジョージを見る。
手にはわたしが落としてしまった教材があった。届けに来てくれた割には罰の悪そうな顔をしている。
スン、と鼻を鳴らす。
わたしがいたずらを止めたことを気にして謝りに来たらしい。わざわざ自分たちの嫌っている寮の部屋まで来たということは、それなりにわたしのことを大切な友人だと思っているんだろう。
おずおずと近付いてきたのでわたしはベッドから起き上がった。
「別に、いい。僕がおかしいだけ。何も……君たちは大丈夫だから」
自分でもよくわからないことを口走ってしまった。
自分の気持ちがわからない。不安そうにわたしを見る双子にわたしは唇を噛んで二人を抱きしめた。
「大丈夫。ごめんね、大好きだよ」
───
誰もいない廊下の先で、クィレル先生に手招きをされて、導かれるようにマグル学の教室へと向かった。先生の影が光を横切っていく。
教室の中は前よりも暗くて埃っぽい匂いがした。先生が教卓の埃を払ってレコードプレイヤーを置いた。
レコードに針をゆっくり落とすと、スピーカーから音が流れ始める。ドビュッシーの月の光。はしゃぐ生徒の声が遠ざかる。
わたしが恐る恐る顔を上げると、先生の視線はレコードに注がれていた。彼は穏やかな表情に見えた。少しして、先生の喉が動いた。
「私にはやらなければいけないことがある」
睫毛が日に透けた。青白い肌が陽を浴びて、彼の頬に柔い産毛があるのが見えた。わたしは先生のかぶっている帽子を目に焼き付けていた。
───
イースターで少しの間休暇が入る。
フレッドとジョージが卵型のクソ爆弾を発明したと聞いて、わたしは被害に遭わないよう念の為に部屋に閉じこもっていた。
たとえどれだけイタズラ好きでもスリザリンの寮まで来ることはないだろう。「ウィーズリー兄弟だ!」寝室の外から叫び声が聞こえて考えを改める。
わたしはだんだんと原作のキャラクターたちと交流しているうちに、ストーリーを変えられないだろうかと思うようになってしまった。
死については考えたくもない。ただ、役に立ちそうな物があるのならできるだけ集めて準備をしておきたい。
わたしは自分の日記帳を開いた。わたしにとってこれは「覚えておかなければならないもの」でも「忘れてはいけないもの」でもなく。「忘れたくないもの」だった。
───
わたしは下調べも兼ねて禁じられた森の奥地へと向かうことにして──「おいお前さん!」──呼び止められた。
「僕のことですか……?」
「お前さんしかおらんだろう!禁じられた森に入ろうなんて考えとらんだろうな?ん?」
「実は……禁じられた森に入りたくて来たんですけど今日はやめときます」
「イッチ年生だな?禁じられた森は恐ろしいところだ!二度と入ろうだなんて思わないように──」
「お家にお邪魔してもいいですか」
追い返そうとしている相手が何故か家に遊びにきたがっている意味不明な状況にハグリッドは混乱しているようだった。
黙ってわたしの顔を凝視し「家に通したら二度と禁じられた森に入らんと誓うか?」と約束するように申し出た。
「はい!」
今度からバレないようにしよう。わたしはそう思いながら大きな声で返事をした。
───
「何も、俺の家に面白いものはないが……」
わたしが部屋を見渡しながら「ロックケーキ作りましょうよ」と言うと、ハグリッドはつぶらな瞳を瞬かせ「お前さん、ロックケーキが好きなのか?」と聞いてきた。
「そりゃあ硬ければ硬いほど。紅茶に浸して食べましょう」
ハグリッドはあのロックケーキを食べてくれるのだろうと招かれざる客人であるわたしに期待をし始めたように見える。
表情に出すまいと努めているようだけど喜色が滲み出ている。
ハグリッドはエヘンと大きな咳払いをして「うんにゃ、今度来るときにゃご馳走してやろう」と言ってくれた。
───
六月。学期末テストが行われる時期だ。
正直これには自信があった。なんてったってあのヴォルデモート卿から教えてもらったんだから。意気込んで臨んだテストの結果を見て驚愕する。座学は高い。そこそこの評価を貰えている。そっちはいい。問題は実技だ。
僕の成績がヤバイって悪すぎるって意味だよな?
わたしは実技で信じられないくらい低い点数を叩き出し、なろう系逆チートみたいになっていた。
「エディ、どうだった?」
「ヤバイ!」
ひっくり返った裏声が出てセドリックに笑われる。「そんなに酷かったの?」「俺達と違って真面目に受けてるのにか?」
双子まで顔を出してきた。わたしが「ヴィクトリア家の恥だ」と落ち込んでいると「偶然だって!」「また頑張ればいいさ」と鼓舞してくれた。
「僕も勉強に付き合うから」
ね?セドリックは優しく囁く。全然、先生に聞くつもりだったんだけど。友達と仲良くなるのはいいことだ。
わたしは「ありがとう!」と答えた。
───
長く過ごした我が家はやはり居心地がいい。
試験が終わり、家に帰ったわたしは自室で深呼吸をする。机の上の本が早くしろと言わんばかりに暴れたのでそっと本を開いた。
リドルはわたしの様子からホグワーツで何かあったのだろうと勘付いているようだった。
しかし特にそれに言及することはなく、今だけは友人のような振る舞いをする彼に心の中で感謝した。
───
リドルがにやりと笑いながら「誕生日が近いようだな?」と言った。
「リズか……」
わたしは項垂れた。あれだけ「僕の部屋に変なやつがいても何も喋っちゃダメだよ」って口すっぱく言ったのに。屋敷しもべ妖精って約束破れないはずだよね?変なやつだと思わなかったとか?いやこんな変なやついないだろ。
「カレンダーに書いてあった」
「リズ……」
「彼女は君を心配してる。心優しき君の友人は僕に色々教えてくれたよ」
リドルが猫なで声をやめて一度わたしの表情を確認した。
「好きな食べ物がいちごで苦手な食べ物は野菜全般とか」
「……そんだけ?」
「あとは……。学校での成績が悪い……と聞いたよ」
彼はわざとらしく今思い出したかのようにたっぷりためて言った。
彼が優秀なことを知って頼んだのだろうか。そんなことしなくていいのに。
でもわたしの核心を突くような秘密ではない。わたしは少し安堵し「実技がすこぶる悪いよ」と正直に答えた。
「なんだ、隠さないのか」
彼がつまらなさそうな顔をした。「教えてやろうか」と言うのでわたしはすぐさま「遠慮しとく」と拒否した。
しつこく交渉でもするかと思いきや、わたしが断れば彼は「そうか、残念だ……」と声を落としてあっさり手を引いた。
窓へ目を向けていた彼は妖しい微笑を浮かべ、蛇が音もなく忍び寄るかのように緩慢な動きでわたしに近付き、耳許で囁いた。
冷たい声と生きた人間の息遣いがわたしを刺激する。
「どれだけ集中しても使えないんだろう?上手い下手のレベルじゃない」
わたしは瞠目した。彼の前で魔法を使ったことなどないのに、なぜ分かる?わたしが慌てて振り返ると彼は片方の口の端を上げた。
「心と身体が……一致していない──」
彼の言葉が蛇毒の如くゆっくりとわたしを蝕む。
ひんやりとした鱗に覆われた皮膚でわたしの全身を締め上げ、鎌首をもたげた蛇が今にも喰い殺さんと大口を開いている気さえした。
わたしは彼に見えないよう、震える指を押さえつけるために机の下で拳を握りしめた。
「どういうこと……?どうしてそんなことが言える?」
彼はわたしの質問に答える代わりにニヤニヤ悪い顔をし始めた。
なんだよ!ここまで来て教える気ないのかよ。間抜けにもまあまあ図々しい考えがわたしの頭を過ぎった。
わたしは既のところで我に返り、纏わりついていた彼の影を振り払って深く息をついた。恐怖から解放され、緊張で強張っていた体が一気にほぐれる。
やがて心臓の鼓動が落ち着いた頃、わたしは拍子抜けして呆れた声で「それやめてよ」と言った。彼がしらばっくれて「どれのことだ」などと抜かすのでわたしは意趣返しをすることにした。
「ダックスフント顔」
「何?」
「自分のこと賢いと思ってる人がする得意げな顔だよ」
いわゆるドヤ顔だ。エアクオートで"賢い"を強調して説明すると彼は「俺を犬畜生に例えるな」と憤慨した。
「あんなにかわいいのに」
ダックスフント飼おうかな。
「褒めてないだろ」
リドルは不服そうに顔を顰めた。
仕切り直すためか咳払いをした後にお手本のような取り繕った笑顔を浮かべた。まだ続けるのか。
「誕生日のプレゼント代わりに教えてあげようかと思ってさ」
「あそう」
リドルは一向に食いついてこないわたしに「自慢じゃないが学生時代の僕は頭一つ抜けてた」「教えるのは得意だ」「一対一で学べるんだぞ」「学校じゃ習わないような呪文もだ!」とかつらつらメリットを挙げている。
「何が条件?」
ようやく前向きな反応を見せたわたしに対し、彼は気をよくしたのか「まさか!」と言わんばかりの表情で優美に頭を振った。とことん胡散臭い男だ。
「友人同士に条件なんて要らないよ」
はん!よく言う。でも自分から条件はないと断言してくれるなんて好都合だ。
───
「魔法を操るには強い感情が必要だ」
わたしは『エドワード』として生きているというよりかは、『エドワード』の体を頑張って操作しているような感覚に近かった。心のどこかで乖離を感じている。『エドワード』が動くのを上から、他人の視点から見ているような。
自分と本音で話し合う必要がある。
何か蓋をしているのなら、その原因と向き合わなければならない。
リドルにそう言われて、心当たりがあるわたしは押し黙った。これから先、普通に生きるためにも必要なこと。
「それが難しいというのなら、強引にやる手もある」
「……開心術?」
「どちらにせよ、お前には必要になってくると思うが」
わたしはげんなりした顔をして「今は嫌だ」と断った。
「先延ばしにしても意味はないぞ」
わたしはそれを聞こえなかったことにして本を閉じた。
───
七月と八月は長期休暇でホグワーツの生徒は思い思いに過ごす。友達と遊んだり、新学期の準備をしたり。
原作が始まるまであと一年と少し。
わたしは父さんとダイアゴン横丁に出かけた際に花屋で綺麗に咲き誇る鮮やかなラベンダーを見かけ、母さんのことを思い出す。花言葉は「幸せ」らしい。
その名を付けた人もきっと優しい人だったんだろうな。母さんに、花束を送ったら喜んでくれるだろうか。
わたしは母さんの笑顔を思い浮かべた。父さんの袖を引っ張って花屋を指差す。
「父さん。僕、母さんに花を送りたいな」
───
家に帰るなり寝室へ向かい、花束を背に隠してふんぞり返って母さんの前に立つ。
母さんは微笑んでくれたけど、何かを隠しているのはバレバレだったと思う。
「エディ、今度はどうしたの?」
くすくす笑われて、意を決してドキドキしながら綺麗な花束を見せた。
「じゃん!サプライズ!」
「エディが選んでくれたんだ」
父さんがそう言って、わたしは臥せた母さんに花束を渡した。
母さんは少しの間それを見つめていた。
暗がりで顔はよく見えない。わたしと父さんが見守る中、母さんは震える手でそれを受け取る。顔色を伺おうとしてわたしは息を呑んだ。
泣いている。あの優しい母さんが。涙を流している。
わたしが困惑していると母さんは「ありがとう」と小さな声で囁いた。
父さんが母さんのそばに寄るのを見て、そっとしておこうと扉を静かに閉めて廊下を歩く。
足元は少し冷えていて、わたしの歩みにあわせてギシリと床が軋む。母さんの泣き声が、耳にこびりついている。
───
それから少しして母さんは入院を勧められた。
あまり体調が優れないようだ。以前よりも痩せてしまったように見える。
が、性格は相変わらずのほほんとしていて、家族の前では決して弱ったところを見せようとはしなかった。
ある日、父さんとの外出から帰るとリドルの声が聞こえた。
わたしの母さんの談笑する声も聞こえる。
まさか、まさかとは思うが──家族には部屋に入らないようお願いしているけど。
わたしは一段飛ばしで階段を慌てて駆けのぼった。
話し声が近づいてくる。わたしの部屋からだ!
「母さん!勝手に部屋に入らないでって言ったじゃん!!」
紅茶を用意していたリズが姿くらましで消えていく。驚いたような表情で二人はわたしを見つめた。
話を聞く前に危険な男から母さんを離そうとするが、「あらエディ!友達できたら早く言ってちょうだいよ!トムくんって言うのね〜優しい子じゃないの!」なんて呑気に微笑んでいる。
トム・リドルをドラえもんかなんかだと思ってるのか?
なぜか好意的に家族として迎えられていて、それを表面上受け入れているリドルにわたしは心休まらないのだった。
母さんを体調が悪くなるといけないからと寝室へ帰し、部屋に戻るなりリドルが「良い母親だ」と言った。
窓の外を見ている。露に濡れた緑の木の葉が、夏の陽にキラキラと照らされている。突然強い風が吹いて、枝から葉を攫っていった。
「もうじき死ぬだろうな」
何でもないことのように、呟かれたその言葉に咄嗟に反応できなかった。
わたしがどれだけ逃げたとしてもリドルは、一番考えたくない事実を淡々と突き付けてくる。
「なんでそんなこと言うの」
「事実だろう」
声が上ずったわたしに対してリドルは冷静に返す。リドルがふっと息をつくのを見て、わたしは狼狽えた。
エドワードの母、わたしの母。優しくて、強くて、わたしに愛情を注いでくれた人。
その人を失うなんて考えたくもないことだった。