窓を開けると風が吹き込んできた。目を閉じて外の空気を取り込む。それからわたしは自分の頬に触れて、まだ冷たくなっていないことを感じていた。
───
今年のダイアゴン横丁はなんだか騒がしい。書店に入った途端、人混みで通れなくなってしまった。
視界の端で何かを捉えてチラリと見上げたとき、ギルデロイ・ロックハートの写真が目に入った。
わたしはその場で跳ねるのを我慢して慌てて階段を上がった。柵から身を乗り出して覗き込む。
出た!ロックハートだ!
チャーミングスマイル賞を何度も受賞しただけあって笑顔はピカイチだ。
惜しむことなく周りに笑顔を振りまいている。
見るぶんには面白いけど、関わったらめんどくさい人なんだろうな。ああ、彼に指定された書物を買うか悩むところだ。
授業では加点に繋がるが、将来役に立つかといえば微妙。セドリックに貸してもらおうかな。
お調子者が「ハリー!」と言って壇上に無理やり上がらせていた。
まだ小さくて可愛らしい子どもが困ったようにカメラに囲まれている。かわいそうに。
めんどくさいやつに目をつけられちゃったね。
ハリーがいるってことはどこかにフレッドとジョージもいるんだろうな。外でおとなしくできるんだろうか。
「エディ?」
後ろから話しかけられて振り向くと、プラチナブロンドの親子がいた。
「ドラコ、ルシウスさん」
彼らとは何かと縁があって昔から懇意にしてもらっている。
こないだは家族で食べてくださいと、とても美味しいメロンを頂いて、美味しすぎてわたしが一人で全部平らげた。
プレゼントのやり取りはあれど会うのは久しぶりだ。
トム・リドルの日記のことあるからちょっと気まずい。わたしは二人と握手をした。
「お久しぶりです」
ルシウスさんは周囲を見渡してから屈んで、わたしにだけ聞こえるように「いつでも頼りなさい」と言った。
「ええ……お気遣い感謝いたします」
「エディ、見て」
わたしの袖を引っ張り、ヒソヒソ声でドラコが指差す。悪い顔だな。
「ああ、ロックハートさんとハリーだね」
ドラコはわたしの方を一瞥してちょっと誇らしげな顔をした。
どうしたんだ急に。
「ポッター!」
ドラコに腕を引かれて隣に立つ。
……ちょっと待って。これだとわたしがクラップとゴイルになるのか?
「ドラコ」
ハリーがドラコを睨むのを見て、わたしが優しく囁くと、ドラコはパッと顔を輝かせた。「エディも何とか言ってやれ!」と勧められる。
「ドラコは優しいこと言ってたほうがかっこいいよ」
ぱちぱち。瞬きをして眉を顰める。
ムスッとして押し黙ってしまった。
静かになったドラコの頭を撫でる。
ドラコが手を振り払おうとして中途半端に止まった。その間にハリーに手を振り避難を促す。
「子ども扱い……するな……」
ドラコが小さな声で反抗したが、手は跳ね除けなかった。わたしは自分から手を離す。
「ごめんね」
「別に……嫌だったわけじゃない」
「そっか……そっか〜」
わたしはドラコをぎゅっと抱きしめた。
一瞬身構えて、控えめに腕を回してくる。
「ドラコはいい子だね」
抱きしめる腕に力を込めてわたしはしみじみと呟く。
この子ができるだけ苦しみませんように。
どうか幸福でありますように。
「なんだと!」
怒号が耳に届き、驚いて顔を上げる。
このタイミングで怒鳴り声が聞こえたということはアーサーさんとルシウスさんが喧嘩し始めたな。
わたしはドラコが見ないように優しく頭を抑えた。
「なんだ?エディ、見えないよ」
「見ないほうがいいから」と言うと、ドラコは視線を漂わせながらもおとなしくなった。
一方わたしはこの場面を楽しませてもらうことにした。喧嘩なんてタダで見れる娯楽はなかなかない。
コロッセオが盛り上がっていた理由もわかるよ。
ハグリッドが止めることを知っているわたしは大の大人──しかも知り合い──が取っ組み合うのを被害の及ばない階段の上で眺めていた。
───
セドリックとハグを交わし、手をぶらぶら繋いで揺らす。列車に乗ってフレッドとジョージの姿を探す。小さな一年生を横目に進む。柔らかいカーペットがわたしたちの足音を包み込む。
ここにもいない。振り返ってセドリックに「いないね」と言いかけたときだった。
音もなく忍び寄ったフレッドがわたしの背中に突撃してきた。驚いて飛び上がったところを反対側のコンパートメントに隠れていたらしいジョージが耳元で大声を上げて驚かせてきた。
目の前でずっこけたわたしをセドリックが引き上げてくれた。酷い目にあった。二人して大笑いしているが、服が汚れていないだけまだマシだ。
「ウケるぜその反応」
わたしは双子をどつきながらコンパートメントの隅に追いやった。全くもう!
「ハグ代わりだ」「愛情の裏返しだよ」だなんて、まだ無駄口を叩いている。両手を使って片方ずつ彼らの頬をつねった。
途端に四つの手が伸びてわたしの口元や鼻をつまむ。
「ニ対一なんて卑怯だ!セドリックも早く応戦して!」
喋りにくい状態のまま必死に声を張る。セドリックはその誘いに乗ることはなく、どうにかしてわたしたちを引き剥がそうとしていた。
わたしたちの小競り合いはお菓子のワゴンが到着したことでようやく終戦した。
「そういやロニー坊や見てないな」
「誰のこと?」
「俺達の弟だよ。見かけたらよろしく」
「ハリーと一緒っぽいけど」
「大丈夫かなぁあいつ」
大丈夫じゃないと思うな。
かぼちゃパイを口に運びながら考える。
もう列車は発車しちゃったから、アーサーさんの車で行ったれってなってるとこらへんかな。
トンデモ無免許運転……
「エディ、その袋なんなんだ?」
さっき父さんにプレゼントされてそのまま列車に乗ったからまだ中身を知らない。
注目が集まる中、開封すると箒につけてくれていたストラップと同じ、蛇が出てきた。
かわいらしいふわふわのぬいぐるみにわたしは破顔する。
「お守り!」
わたしは両親を誇りに思った。
───
「好きなタイプ〜?」
新学期の話をしていたはずだったのに、いつの間にかどういう人を好きになるのかという話にすり替わっていた。
わたしは恋をしたことがないのでよく分からない。が、これだけは言える。
「顔がいいやつ。男でも女でも。顔がよかったらどれだけ性格悪くても大好き。面食いだから」
わたしは百味ビーンズを口に放り込みながら答えた。んー青リンゴ味。セドリックが少し前のめりになって尋ねる。
「この学校の中で言うなら?」
「えー……そこまで他の人に興味ないかも。いたかなタイプ…………」
百味ビーンズの箱をカラカラ動かして当たりの味が残ってないか確認する。ないな。わたしはおとなしく先の質問に回答することにした。
「女性だったら気が強くて実力もある高身長、男性なら品のあるハンサムな顔立ちで、体鍛えてたら尚いいな…………はぁ……」
わたしは話しながら、かつての世で見た芸能人なんかを思い浮かべて感嘆の息を漏らした。こっちに来てからはそういうどタイプとは会ってない。
わたしが「楽器演奏してるとこ遭遇したら速攻落ちちゃう」とぼやいているとジョージが口を挟んだ。
「高身長ってどのくらいのこと言ってんの?」
「高ければ高いほどいい。180センチから2メートルとか」
「デカすぎない?」
「そこがええねん!」
「すごい訛ったな」
「そんな人がいたらねえ……やばいね〜」
久しぶりに素が出てしまった。「押しに弱いから迫られたらすぐよ、もうコロッと」とシラフなのに飲み会のようなテンションで話す。
だらしなく緩みきっていた表情筋を正し、頭の中の美しい人に思いを馳せてため息をついた。
「どっかから現れて攫ってほしいわ」
「お前が姫側!?」
───
入学式を見るのはそこまで面白いものではない。こう考えるとハリーたちは毎年新鮮で面白い体験をしていたんだな。わたしはミネストローネをスプーンで掬いながら先生たちの席をチラリと見た。
フィルチさんが嬉しそうにダンブルドアに耳打ちしている。ハリーとロンがド派手な到着を済ませたところだろうか。
わたしたちはハリーたちの起こした事件について知らされることもなく、普通に食事を済ませて例年通り校歌を歌って解散した。
寝室で日記帳を開く。今年もハロウィンが面倒な日らしい。ミセスノリスが石になるとか。
わたしはため息をついた。
本を閉じてぬいぐるみを抱きしめる。
リドルに悪いことしたな。母の死を受け入れられなくて、一方的に絶交して。怒ってるかな。
それとももうわたしのことなんか忘れちゃった?
リドルは悪で、滅ぶ運命だ。だけど、共に過ごした日々は確かに楽しかったんだ。
───
廊下でジニーを見かけたので追いかけてみる。リドルがいるのかいないのか。わたしを見たジニーは怪訝そうな顔をする。
「おはよう」
「……おは、よう……」
小さな声で挨拶を返された。そのまま隣を歩いて雑談する。物珍しそうな視線をたまに感じた。
「学校は楽しい?」
「……うん」
「僕、フレッドとジョージと仲いいんだ」
ジニーがピクリと反応する。知らないスリザリン生から兄弟の友達に昇格したっぽい。ピースをすると、くすくす笑って彼女もピースを返してくれた。
「ハリーのファンなんでしょ?かっこいいもんね」
「そうなの!」
パッと表情が明るくなった。ハリーと会ったときのことを思い出しているのか、「かっこいいだけじゃなくて優しいの」と照れている。
なんだ、普通じゃん。
授業もないので中庭のベンチに座ってダラダラ過ごす。ハリーみたいな雲があったら話題にできるのに。
ジニーがもじもじしながら「好きな人っていたりする……?」と聞いてきた。
「えーいないかも?なんでー?」
「緊張しすぎて上手く話せないの……」
間延びした返事をするとジニーは悩みを話しだした。リドルにもこんなことしてんのかな。
「相手と話すとき自分のこと考えてる?髪型変だったらどうしようとか」
「え!どうしてわかるの!?」
「僕がそうだから」
手をひらひらさせて笑う。「いつもそうなる」と言うと驚いたような表情になった。
「意外?」
「うん」
「秘訣はね……」
ヒソヒソ声で話すとジニーも身を縮こまらせてわたしの側に寄った。こんなちょろくて大丈夫なのかな。
「自分を偽ること」
嘘から出た実。離れていくジニーに「ふふ、内緒ね」と意味深に付け加えてみる。
「自分がスーパースターだと思って振る舞うの。ほら、ロックハート先生みたいに」
文字通りチャーミングなスマイルを浮かべてみる。冗談に気づいたジニーは笑って、それから「ありがとう」と言った。
───
今年度に入ってから、カメラのシャッター音が頻繁に聞こえるときがある。それが意味するのはハリーとその追っかけのカメラ小僧、コリン・クリービーがいるってことだ。
中庭のベンチに寝そべりつつ、ハリーがクィディッチの練習があるからと逃げ出したのをうっすら聞きながら本に目を向ける。
Tyger, Tyger, burning bright.
不思議と口ずさみたくなる詩だな。
きっとその身を、魂を燃やして光り続けている。太陽のように。わたしは神聖な虎を想像した。
一度本から目を離してセドリックを盗み見てみる。
わたしが目を細めるのを見て、彼は太陽の光を遮るように自分の手の平を掲げた。
影に留まりながら、陽の中にいる彼を見つめる。強い太陽の光に照らされて、自分の影が一層濃くなるように。
思考に沈みかける前に、ハリーの言葉を聞いたのかセドリックまでクィディッチの話をし始めて視線を本に戻した。
うんうんうんうんうんそうだねわかんないけど多分全部ハリーが勝つよ。セドリックも一回勝つけど。
わたしにとってクィディッチはロックハートと同じくらいの価値がある。中の下。いや、下の中。
セドリックに「聞いてる?」と尋ねられて、わたしは本から目を離さずに「うん」と返す。
「ほんとに?」
「うん」
「今度のクィディッチどっちが勝つと思う?」
「うん」
「……僕のこと好き?」
「うん……?」
「俺達の課題も代わりにやってくれるか?」
「やだよっ!」
途中でフレッドとジョージが割り込んできて有耶無耶にしてくれた。
わたしが困ったときに隣に居てほしい人物No.1かもしれない。
「新しいいたずら発明のお披露目に来たのさ」
前言撤回。
わたしは本片手に自分の寮の方へと逃げた。
───
占い学を真剣に学ぶのはちょっと違う気がして、でも少し興味はあるからトレローニー先生にたまに質問をしたりする。
「先生、恋のことも予知できるんですか」
トレローニーはわたしの発言に眼鏡をかけ直した。反射で完全にはわからないけど、ちょっと表情が乙女チックになった気がする。曇りなき眼がわたしを見つめた。
「あらまあ!あなた、色恋に興味がおありなのね」
「いやいやいや僕じゃなくて友人の恋愛事情が気になるんです」
予知について聞くと前のめりになるのはいつものことなのに、なんだか否定気味になってしまった。
「茶葉を用意しましょ」
応用するのよ。トレローニー先生はそう言ってティーカップをわたしに押し付けるように渡した。なんだかワクワクしてない?去っていく背中を見つめる。少しして、湯気で眼鏡を曇らせた先生が現れた。
指示通りに紅茶を注ぎ、茶葉が残るように飲んで左に三回カップを回し、逆さにして水気を切る。魔法チックなことは何もしてないが、実際にハリーはこの方法で自分の未来を垣間見たんだ。
わたしが何の形をしているかもわからない茶葉とにらめっこをしていると、先生が「まあ!!」と叫び声を上げた。
「なんですか先生」
急に大声を上げられるのは双子のおかげで慣れてる。先生は「これは……!」などとワナワナ震えながら一人で騒いでいる。
「先生〜早く教えてください〜」と促すとようやくトレローニー先生はカッと目を見開いた。重々しいものの、普段通りの声色のまま彼女は呟いた。
「バレンタインデー……」
「バレンタインデー?」
先生の言葉をオウム返しする。トレローニー先生は神妙な顔をして頷き、「進展があるわ……!」と囁いた。情報が少なすぎる。
「進展って?誰と誰が具体的にどうなるんです?」
「坊や!あたくしの言葉をよくお聞きなさい」
「聞いてます先生」
「心優しき穴熊が美しい小鳥から贈り物を貰うでしょう」
「それで?」
「言わずもがな!二人は急接近ですわ!」
抽象的でわかりにくい予言に首を捻りつつ次の言葉を待つ。先生は深呼吸をすると、わたしからぶんどって興奮気味に持ち上げていたティーカップを静かに机に置いた。以上らしい。そんなことある?
わたしが選択科目で占い学を取らなかったことに小言をくらいつつも、のらりくらりと躱してお礼を述べる。
「それにしても、自分の未来を見ないなんて」
「それもまた人生でしょう、先生」
床の木材がわたしの重みでギシリと音を鳴らした。
お元気で!わたしは大声で挨拶をしながら梯子を降りて教室を後にした。
───
ドラコに呼び出されてコートに向かう。「箒を持ってこい」ってことは一緒に飛んでくれるのかな。
「シルバーアローだ!」
わたしの箒を見たスリザリンの生徒たちが目を輝かせた。嬉しいけど、わたしからしたら親からの贈り物なんだけどな。
皆が感激している間、手持ち無沙汰で座り込んで空を見上げる。「おい見ろ!」という声に前を向くと、赤いユニフォームを着た軍団が見えた。ドラコがまたわたしを隣に立たせて堂々としている。
フレッドとジョージがいるのが見えて軽く手を振るとドラコに止められた。
ウッドがわたしの箒を見て「シルバーアローだ……!」と囁き、それが伝播していく。ドラコが満足気に頷いてから、もう一度シルバーアローを見て「そんなふうに地面に着けるな!」と慌ててわたしから取り上げた。
「え?何?」
「もっと丁重に扱え!」
「僕のなんだけど」
「見たかポッター!」
話を聞いているんだかいないんだか、ドラコはわたしのシルバーアローをグリフィンドールに見せびらかしている。ニンバス自慢だけじゃ足りなかったのかな。
「えー自慢するために呼んだの?」
「そうだ!」
ドラコが言い切ったのを境に、その場にいた全員がシルバーアローではなくわたしの反応を伺っていた。
クラッブがわたしの様子に気づいて、ドラコではなくゴイルを小突いた。ゴイルも何かを察したのかクラッブを小突き返す。
埒が明かないと見かねたセオドールがドラコの肩をつついた。
「なんだ?……あっ」
「最初から箒目的だったんだ……」
わたしが大げさに泣く演技をするとドラコが焦り始めた。グリフィンドールのほうから「箒目当てだなんて!」「サイテーッ!」と裏声の野次が飛ぶ。
「もうお嫁に行けない……」
「なっ!なんでそうなる!?」
「どうしたらいい!?」とドラコが言うのを聞いてひらめいた。
着地点は食べ物にしよう。あれまた食べたいし。
「美味しいメロンがあったら泣き止むかも……」
「父上が前に贈ったやつか!?」
「そう!」
誰かが「現金なやつだ」と言ったので舌を出す。「バレたか」と顔を覆っていた手を自分から放した。
「エディ?大丈夫なのか?」
「平気。でも詫びメロンはほしいな〜」
「わかった!伝えておくから!」
冗談なのに本気で受け取っている気がする。ドラコはグリフィンドールがいることを忘れているのか、必死に背伸びをしてわたしに話しかけている。
「じゃそういうことで!またね〜」
皆に挨拶をして空中へ逃げる。揉め事に巻き込まれたくないし。ドラコがその後どんなことになるのかちょっと気になるけど。
───
休日に魔法動物のお世話の手伝いをしに出かけたところ、ドラコと鉢合わせた。ユニフォームに身を包み、手にはピカピカの箒。これはクィディッチかな。
「箒持ってるってことは練習でもしてたの?」
「もうすぐ試合があるんだぞ!まさか知らないのか!?」
わたしの薄い反応に信じられないと言わんばかりにドラコは整えた髪をかきあげて頭を振る。箒を見ても何も言わないなんて!と不満そうに頬を膨らませた。箒は箒じゃん。わたしには全部同じに見える。
ドラコ曰く、箒はただ速度の出る道具ではなく、ロマンそのものらしい。バイクかよ。ドラコは自分が手にしている最新の箒を芸術品だと言った。
「父上が新品の箒をチーム全員に与えたんだ」
そうして話しているうちに、ふと何かを思い出したのか、わたしの様子を伺うような素振りを見せた。
彼は一瞬迷うように唇を食んでから、にやりと悪い顔をする。
「エディ、僕は言ってやったんだ」
「ふふ、急にどうしたの」
何かいいことがあったのだろうと微笑んだ。胸を張って、誇らしそうに、精一杯背伸びして。
「あの生意気なグレンジャーに言ってやったんだ!穢れた血だってね!」
わたしはただそこに立っていて、小さな子どもを見ていた。親が全てで、自分の世界を持つ一人の子ども。わたしは自分がどんな顔をしているのかもわからなかった。
無言で佇むわたしを見てドラコが箒を握りしめた。
「ドラコ」
わたしはまだ背の低い彼と視線を合わせるために少し屈んだ。
「ドラコは僕がマグル生まれだったら友達になってくれなかった?」
「そ、れは……」
肩に置いていた手を離して立ち上がる。ドラコがその手を目で追って、わたしの顔に焦点を合わせた。
「でも、それは例えの話で……エディは純血だ!」
「純血だから友達なの?」
ドラコが顔を歪める。狼狽えてわたしを見上げるドラコのために、もう屈むことはしなかった。
───
あれから少し経って廊下を歩いていると中庭にドラコがいるのを見かけた。パチリと目が合ってドラコに手を振るが、彼はわたしの姿を目に収めた瞬間ふいっと顔を逸してしまった。
「エディ!」
後ろから誰かに呼びかけられて振り返る。ジニーじゃん。走ってきたのか息を切らしてる。急に手を引かれて人気のない時計塔の下に連れて来られた。
壁際に座って「どうしたの?」と聞いた。振り子がゆっくり揺れている。ジニーも同じようにそれを見て、すぐに俯いた。
「あのね、エディは……トムのこと知ってるの?」
「リドル?」
「……うん」
中庭への通路から光が差し込んでいる。その中をまた振り子の影が行き来していた。わたしは居心地が悪くて座り直した。
「知ってるけど……喧嘩したからなー」
「トムが、言いたいことがあるからって」
「うん」
「だからお前を人気のない場所へ誘い出した」
わたしは目を見開いて彼女を見た。ジニーがゆっくり振り向く。彼女は目を蛇のように細めていた。
「久しいな、エドワード」
わたしは次にリドルが話すまで、杖を向けたら失礼かな、とかよくわからないことを考えていた。
リドルが立ち上がって赤いローブが靡いた。
「俺を捨てたな」
「……否定できないな」
杖を突き付けられて、わたしはため息をついた。「殺したいなら勝手にどうぞ」と諦め半分に言ってみる。
リドルは杖を向けたまま「俺様の質問に答えろ」と言った。
「何故俺を捨てた」
「傷口を抉られたくなかったからだよ」
「お前には必要なことだっただろう」
「あのねえ、正論と理屈だけでこの世は動いてないの」
リドルに許してほしいのか、自分でもよくわからなかった。母さんのことがきっかけで、結果的にお互い傷ついたことしか……。
「君はどうしたいのさ」
「……」
リドルは黙って杖をしまった。降参していた手を下げる。立ち上がっていたリドルもわたしの隣に座り直した。
「俺の仲間になれ」
「仲間ぁ?え?ちょっと」
意味がわからなくて顔を見たらジニーが目を閉じていた。呼びかけても反応がない。
「えー……困ったな……」
ジニーを支えながら顔を上げた。先程よりも振り子の動きが滑らかに見えた。
───
ハロウィンの日。
多分、ミセスノリスが石化して大騒ぎになってる。
「エディ、これ置いとくからな」
「ありがとう」
「ん」
一人でりんごをかじっていたら、宴会に行かなかったわたしのためにビリーが糖蜜パイを置いてくれた。すっかり成長して気遣いの鬼になったな。
リドルは何考えてるんだろう。あれから接触ないし事件起こすしやってることめちゃくちゃだ。外で何が起きていても糖蜜パイは相変わらず美味しい。
食べ終わってから外の様子を確認する。ミセスノリスの話題が飛び交ってるな。ふと、たくさんの緑の中に赤いローブが見えて───反射的に身を隠してしまった。だってあんな不気味に立ってると思わないじゃん!
もう一度わたしが顔を覗かせたときには、もうそこには彼女はいなかった。
───
「あ、ジニー?」
次にジニーをはっきりと見かけたのは、大広間で昼食を取ろうとしていたときだった。人前でリドルになるわけないのについ疑問形になってしまった。
「こんにちは」
挨拶をするとジニーの表情が強張った。「……最近眠れてる?」と聞くと周囲を気にしながら、ふるふると首を横に振る。かわいそうになってきた。
わたしの肩に手をかけるようにしたので屈む。ジニーが耳元に口を寄せて声を潜ませて言った。
「校内で話しかけるな」
それだけ言うと、ジニーは食べ途中だった昼食もそのままに無表情で立ち去っていった。
いつから入れ替わってたんだろう。わたしは彼女が座っていた席を見つめた。
───
友達と遊んだり授業をこなしていたらいつの間にか決闘クラブの日だったらしい。
「ハリーが蛇と話してたって本当なのかな」
セドリックが噂話を聞いて少し不安そうにしている。そりゃ結末知らずにヴォルデモート卿との共通点出てきたら怖いか。
「ハリーのこと知らないからなー」
「決闘クラブ行かなかったの?」
「だってロックハート先生じゃん」
ロックハート先生がチャーミングスマイル賞を獲ったときの笑顔のモノマネとかいうニッチなフリをしてもセドリックは笑ってくれた。
「何をしている」
スネイプ先生が地を這うような声で現れて、セドリックが姿勢を正しているのが見えた。
「えっと、チャーミングスマイル賞のロックハート先生の真似をしていました」
「エディ」
セドリックに小声で裾を引っ張られて対応を間違えたことを悟る。「いや!何でもありません!」と取り繕ってみたけど全て言い終わったあとだ。
スネイプ先生はわたしの顔を凝視したあと「スリザリン二点減点」と評価して去っていった。なんだったんだ?減点するくらい似てたってことかな?
セドリックにそのまま聞いてみたが、面白かったと前置きした上で「どうかな……」と微妙な反応をされた。でもまあ、そういうことにしておこう。自信はあったから。
───
「こいつはポッターの話ばかりする」
「ファンらしいよ」
リドルがジニーの顔で忌々しそうに「知っている」と返事をした。幽霊たちが使っていた蓄音機の針をちょいちょいいじっている。壊さないといいけど。
リドルが手を止めて音楽が再び流れ始めた。
「この体と馴れ馴れしくするな」
「えーなんでー?」
開口一番がそれ?
殺害失敗した八つ当たりかなあ。
「ハリーの話するのが嫌なの?」
「こいつと親しくするなと言っている」
「答えになってないんだけど……」
わたしは床に寝転がった。ローブを着ていても硬い石畳の感触が伝わってくる。ソファーがほしい。でもリドルと話せる場所なんて限られている。
僕がグリフィンドールだったら楽だったのかな。太った婦人の真似をしたら「イカれてるのか」と言われた。ツレないやつ。
「ハリーが継承者じゃないかって騒ぎになってるよ」
「そのようだな」
「どう思ってるの?」
「それを聞くか?」
リドルの声が幾分か和らいだのを感じる。ハリーが継承者って言われてるのそんな面白いのかな。
「猫石にしたの許してないからね」
「あれは事故だ」
「どうだか」
演出のために吊り下げてたくせに。「ジャスティンとやらのためには怒らないのか?」と尋ねられて「うーん……」と誤魔化す。
「被害者は人間だぞ」
「猫のほうがかわいい」
リドルはため息をついた。それから靴の音が聞こえて、リドルが視界に入ってきた。目を細めたリドルが「だったらお前の大切な友人ならどうだ」と訊く。
「意地悪な質問」
「答えろ」
「いやー……そうなる未来が見えないね」
「仮の話だ」
「そもそも狙わないでしょ」
リドルの声が低くなって「なぜ言い切れる」と睨まれる。寝相を変えながら「純血だし」と答えるとリドルは黙った。何のための尋問だよ。
───
ドラコに挨拶を無視されて何度目かの日。人気の少ない場所に呼び出された。
正確に言うとゴイルからの伝言でドラコに呼び出された、だな。
『展望台に来い。遅れるなってドラコが言ってた』
ゴイルの端的な言葉を反芻しながら階段をゆっくり登る。
最後の方を一段とばしで登り終えて、展望台に辿り着いた。
ドラコはわたしが来たことに気がつくと、目も合わせることもなく、無言でわたしの胸元に頭を押し付けた。そのままずいずいと押されてわたしは壁に追いやられる。
「どうしたの、ドラコ」
わたしはそっと彼の頭を撫でた。ドラコが何か言っているが、服に吸い込まれてよく聞き取れない。泣き声混じりの主張に耳を澄ませる。
「……もう…………仲直りできないんじゃないかって……っ……おもっ、おもって…………」
ぐずぐず鼻をすすりながらドラコはそう言った。わたしは一度優しく「うん」と相槌を打つ。
「大丈夫だよ」
その言葉でドラコは声を上げて泣き出した。わたしは彼が落ち着くまでその小さくて温かい背を撫で続けた。
「ハーマイオニーに謝れる?」そう囁くと、ドラコは身動きを全く取らなくなってしまった。うんともすんとも言わない。
まだ無理か。
「ごめんね、意地悪なことして」
ドラコは嗚咽混じりに何か呟きながらぶんぶんと頭を振った。十二歳にはもう十分だろう。わたしは彼を優しく包み込んだ。
「ドラコと一緒にいられて嬉しいよ」
今度は一度だけ、でもしっかりと彼は頷いた。
───
クリスマスの歌を歌いながら、セドリックと雪合戦をしてじゃれ合う。魔法って便利だ。手を雪につけなくても雪玉が作れるんだから。
「つめたーい!」
スノーエンジェルをやろうとしたのに下手すぎて服の隙間に雪が入った。慌ててセドリックと暖炉へ向かう。走っているうちに体が温まってきたけど、なんか手繋いでるし……まあいいや。
スリザリンの談話室から話し声が聞こえてきた。誰かいる、というかこの時期は多分。
扉を開けたらドラコたちが集まっていた。
「エディ!……と誰だそいつは」
ドラコに睨みつけられて───談話室の視線が集まり、セドリックが慌てて手を離した。あらら。
「セドリックだよ。友達」
「こんにちは……」
セドリックが控えめに挨拶をした。ゴイルがドラコに「話の続きを……」と促している。
ゴイルに生返事をしたドラコがわたしに座るように言った。「席がないよ」と言ったらクラッブとゴイルをどかせようとした。すごいなこいつ。
「大丈夫。こっちに座るよ」
セドリックの手を掴んで暖炉の前にあぐらをかくと、ドラコはムスッとしたままわたしを見た。
「秘密の部屋の話を……」
「さっきからしつこいぞ!」
「何の話してたの?」
わたしが尋ねるとドラコが「秘密の部屋についてだ!」と続きを話し始めた。頷きつつ聞き流す。ハリーとロンも必要な情報は聞けたかな。
焚き火が揺れて、ぱちりと音を立てた。
「秘密の部屋が前に開かれたとき……──マグル生まれが死んだ……グレンジャーは……まぁ、そうだな……」
ドラコのセリフってこんな感じだったっけ。いや、違った気がするな。
慌てて部屋から出ていったハリーとロンの足音を聞きながら、わたしは暖炉に手を近づけた。
───
冬対策の完全防具を双子にからかわれる。
冬はまだ長い。
「セドリックの恋のキューピッド役をお願いしようかと思って」
「お安い御用さ!」
「俺達に任せろ!」
不安しかない。
「で、お相手はどうなんだよ」
ジョージがニヨニヨしながら聞いてくる。
「チョウ・チャンとセドリックを恋仲にしたいんだ」
わたしは両の手の人差し指を近付けてぴとりとくっつけた。それを見て双子が固まった。
……なんだよ。
セドリックとチョウが付き合うのってそんなに変なことだろうか。
わたしに背を向けてヒソヒソ内緒話をし始めた。
時々わたしを振り返って見てくる。
程なくして向き直り、フレッドが「エディ、それマジで言ってんのか?」と尋ねる。
わたしは即答した。
「もちろん」
「大マジか?」
「大マジよ」
フレッドとジョージはお互いにしか通じない言語でも使っているかのように顔の表情筋を使いながら口をパクパクさせた。
その後わたしの顔を凝視し「作戦会議!」と叫んでドタバタ去っていった。
───
朝食の席に向かうために扉を開けると、セドリックが珍しく慌てふためいて双子を追いかけ回しているのが見えた。
わたしを見てフレッドが「噂をすればだ」と楽しそうに呟いた。
「プリンス、お気に入りがお出ましだぜ」
「ジョーーージ!」
ジョージが完全に言い終わった後に口を塞ごうとしたセドリックの手が伸びた。間に合ってない。双子がセドリックの肩を叩き、ウインクをして去っていく。
「ふーん?」
「エディ、これは……」
「僕って君のお気に入り?」
「え!あ!えっと、そうだけどそうじゃなくって……!」
慌てている姿が可愛くて愛おしくて、緩む頬を抑えることができない。わたしがくすくす笑って「可愛い!」と言ったことで、セドリックは額に手を当ててしまった。
とことん甘やかそうとパンをちぎって与えようとしたが、彼はなかなか口を開こうとはしなかった。
わたしに弟や子どもはいないが、いたとすれば今のセドリックのような感じなんだろうか。
笑いながらパンを彼の口元に押し付けていると、セドリックはわたしを見つめた。
薄い唇が緩く開いてわたしのパンを一口含む。
セドリックは顔の熱が冷めた頃に「髪の結び方調べてきたんだ」と言い出した。
髪を掬った指先がうなじに少し触れて、セドリックが動きを止めた。
視線を感じて怪訝に思いつつ「何?」と聞いたが、セドリックはわたしの頭を撫でつつ「なんでもない……」と答えるだけだった。
セドリックが手を進めていく。本で読んで美容院のマネキンで練習もしたらしい。セドリックはやると決めたらとことんやる男なんだな。
一定の速度で自分の髪が揺れ動くのを感じる。
手持ち無沙汰で周りを見渡すと、遠くの方で話したことのない人たちがわたしたちを見ていることに気づいた。軽く手を降ってみたものの、彼らのうちの一人が目を丸くして引き下がってしまった。
「エディ、退屈してない?」
セドリックが軽く覗き込むようにしてわたしに声をかけた瞬間、彼らが再びヒソヒソと話し始めた。噂話してるな?しかもきっと、めんどくさいやつ。
暫くしてセドリックがわたしの髪を放した。器用らしく綺麗に編まれた三つ編みを触って楽しむ。
セドリックはわたしを自分の方に向かせると、微笑んで抱きしめた。
「ありがとう」と言って席を立つと、意外にもセドリックは「その姿で授業に出るの?」とわたしに尋ねた。
「そんなに変?」と聞くと「違う!似合ってるんだ、とっても……」と言って黙ってしまった。
「すごく似合ってるから、僕は……君が誰かに取られるんじゃないかって心配で……」
目を逸らして尻すぼみに言う彼の様子に、いたずらごころを擽られた。
「大丈夫だよ」
わたしはニヤニヤしながら言葉を続ける。
「だって僕はセドリックのものだもん」
ね?セドリックに勢い良くハグをして見上げる。彼は下唇を喰んでわたしを見ていた。彼の頬が赤く染まっていくのを見て、わたしは笑みを深めた。
「かわいい」
「……っ、かわいいって……可愛くないよ……」
「そういうところが可愛いのー」
セドリックはわたしの顔を一瞬見て、やっぱり逸してますます顔を赤らめた。
ふとセドリックの表情が変わって、拳を握りしめた。
思春期真っ盛りの子どもにとっては恥ずかしいだろうと、わたしはセドリックから離れようとした──なのに、セドリックはあろうことかわたしを強く抱きしめ返したのだ。
驚いて体が固まる。
「セドリック?」
恐る恐る名前を呼んでみるものの、彼はますますわたしの首元に顔を埋めてしまった。
「見られてるよ」
わたしの言葉に反応して、ゆっくり腕が離れていく。彼の顔は先程よりも紅潮している気がした。
何も言わないし、わたしを見ようともしないし、なんだかカチコチに強張っていて思わず笑いそうになる。
「じゃあまた!!」
まあまあな声量でわたしに挨拶をするとセドリックは逃げるようにして去っていった。
───
今年のバレンタインデーの開幕は分かりやすかった。ピンクに装飾された大広間を見上げる。ブラック校長が見たら気絶しそうだ、なんて。
ロックハート先生が手紙の枚数を数え、金の羽をつけられた小人が前を通り過ぎる。あまりに酷だ。賃金発生してるんだろうか。
「セドリックは何か貰ったの?」
「え、僕?」
「そうだけど」
「何も……」
なんだ。予言って当てにならないのかな。トレローニー先生の顔を頭に思い浮かべた。
「嘘つくなよセドリックの坊っちゃん!」
セドリックが隠していた彼宛の手紙らしき物をフレッドがかっさらって小人の代わりに読み上げようとしている。相性最悪じゃん。
「新しい手紙だ!」
フレッドが読む前に大量のラブレターが届いてセドリックに降り掛かった。そのうちの一枚をジョージが連れてきた小人が拾い上げ、ハープを演奏しながら歌い出す。
「Oh〜そのグレーの瞳が輝く〜」
「やめて!」
セドリックが顔を真っ赤にして止めようと必死になっている。モテる男って大変だな。
遠くの方でハリーが似たような目にあっているのが見えた。あっちはあっちで大変そうだ。ドラコにからかわれて、ジニーがいて……もっとやばいね。
「わ、なに」
セドリックがわたしの耳を塞いできた。え?意味あるのかそれ。逆に聞きたくなってきた。暴れる前に耳を澄ましてみる。
「あなたを見る度に私はドキドキ〜」
まだ歌ってるな。わたしが笑いを堪えていたら、今度はセドリックが目隠ししてきた。
───
ロックハート先生の大変徳のある授業が長々と続く。自分の本を買わせてくるくせに授業では使わないなんてとんでもない奴だ。ただ、出席するだけで単位がもらえるのはありがたいかもしれない。
ビリーに見せてもらった教科書には、ロックハート先生の笑顔の写真に、髭と海賊の帽子を付けられて左手をフックにされた跡があった。
それを眺めながらニヤニヤ薄ら笑いを浮かべていると、後頭部にコツンと軽い衝撃を受ける。紙くずだ。いじめか?後ろを振り向き、双子の満面の笑みを見て察する。
いたずらするとき──特に新作のお披露目では、たまに事前に教えてくれることがある。
すぐに机の下に潜り込んで耳を塞ぐ。視界が僅かに暗くなり、恐る恐る目を開くと、教室から煙が吹き出していた。
扉を開ける音が聞こえ、甲高い悲鳴に混じって野太い叫び声まで耳に飛び込んでくる。
「見たかエディ!俺達の新発明を!」
「よく見えるよ」
逆にもうそれしか見えない。わたしはゴホゴホ咳き込みながら煙を振り払うようにパタパタと手を動かした。
もともとロックハート先生の授業なんてあってないようなものだから……まあいいか。
「発売前に実験用の'おもちゃ'をプレゼントだ」
煙の中からにょきっと手が伸びてきた。
わたしにおもちゃを握らせ、フレッドかジョージかがわたしの手をぽんぽんと優しく叩いた。
───
ジニーもといリドルが再びわたしの前に現れた。深夜ニ時に。わたしはしぱしぱする目を擦りながらリドルの後を追った。
「今何時だと思ってるのさ……」
「明日休みなんだから別にいいだろ」
「寮の合言葉知ってるんだね」
「昔と変わらん」
リドルは「"部屋"に案内してやる」とだけ呟いて寮から出ると階段を登っていく。
「ちょっと……女子トイレ入るの抵抗あるよ」
「いいから早くしろ」
誰かに見られたらどうする。そう言われてジニーの姿とはいえリドルも気にしてるのかな、なんてどうでもいいことを考える。
蛇口に向かって蛇語を話すリドルを見て、前世の記憶──盲目の彼を思い出してひっそりと頬を綻ばせた。
きっと、彼自身は望んでいなかった能力だが、わたしは生涯これを聞くたびに会ったこともない友のことを懐うだろう。
目の前に現れた地下へと続く[[rb:暗くて不吉な > dark ominous]]トンネルに、妹思いな彼に倣って"my favorite"と静かに呟いた。
───
先を行くリドルを頼りに薄暗い回廊を進む。どうするつもりなんだろう。このまま彼は破滅の道に向かうんだろうか。
明かりのない地下の道は冷たい。
リドルが立ち止まってわたしを振り返った。
「お前はこいつに死んでほしくないんだろう」
「まあ、そうだね」
「何故曖昧に答える」
「君の未来を知っているから」
わたしは何でもないように呟いた。雨だれが地面に落ちてぴちゃりと嫌な音を立てる。
「僕、君に死んでほしくないな」
もう一滴が落ちて、音もなくリドルが近づいてきた。
「ならば協力しろ」
わたしを利用しようとしていると思った。でも、それでもよかった。今だけは。
───
「それで……君はこのままだと消えちゃうわけだけども」
「俺のことをどこまで知っている」
「うーん……全部は知らないけど……経歴くらいなら……」
「過去も?未来も?」
「そうだね」
リドルは二回ほど頷いてから「だったら何故俺を殺さなかった」とわたしを見た。
「理屈と正論だけじゃないから」
木もなければ窓もない。仕方無しにサラザール・スリザリンの顔に目を向けた。
「僕は君を知ってる」
「ヴォルデモートだということをか」
「そっちじゃなくてさ」
わたしは「うちの庭の木を見て梨を思い浮かべる人」と苦笑した。
リドルは「正体を知りながら情が移ったか。間抜けなやつ」と笑った。このままだと死ぬのに何笑ってんだか。
「君が生き残るには外の人間を犠牲にするしかないと思うんだ」
リドルが一瞬目を瞬かせ、再び笑い出した。さっきの笑顔とは違うみたいに見える。リドルは弧を描いた唇で「言うようになったな」と言った。
「そうかな」
「俺のために人を殺すか」
そう言われると結構な話に聞こえるな。現実離れした状況に、ずっと先のようなことに感じている。わたしは自分の手のひらを見た。
わたしは善人じゃない。
「リドルが生きてくれるなら」
───
雪はすっかり溶けて春が訪れようとしていた。
手紙を受け取って、深夜に禁じられた森付近で待ち合わせると、やけに輪郭のくっきりしたリドルが木陰から現れた。これじゃまるで。
───生きている人間みたいだ。
彼に触ってみる。温かい。触れていた手の感触からリドルが笑みを深めたのがわかった。
わたしは動揺してリドルに「もう殺したの?」と尋ねた。
「ああ。死体が見たいか?」
「え、いや……」
「自分の手で殺めたかったか」
「違うけど……」
リドルを見上げると彼はまた意地の悪そうな笑みを浮かべた。
ドサリと音がして振り返る。
小汚い中年の男性が倒れていて、全く動かない彼の顔色を見てすべてを理解した。
「死体を見ただけで嘔吐するか。本当に誰かを殺す気だったのか?」
リドルに返事をすることもできない。母さんの顔が頭に浮かんできて消えない。気持ち悪い。重ねたくない。死が上書きされてしまう。
こんなのおかしい。
わたしが過呼吸になるとリドルは背中をさすった。その手すら払い除けたくなって自分が嫌になった。わたしは確かにリドルがいることを望んだはずだ。
目の前にある死体を見やる。
生活感の欠片もないような男で、歯も服もボロボロだった。悪人、なのだろうか。縋るように見ていると、リドルが口を開いた。
「こいつは妻と子どもを捨てた」
リドルが吐き捨てるように言って死体の顔を踏んだ。木々が靡いてわたしの髪を揺らした。風までも生きている気がして恐ろしくなる。
「死んで当然のやつだ」
言い聞かされているような気分になった。殺すという選択と、目前にある死体と、生きているリドル。わたしの中で何が起きているのかわからない。
「お前が選んだことだ」
リドルはわたしの反応を見ながらゆっくり目を細めた。
「これで隠れずに済むわけだ」
生を実感しているのか、リドルは深呼吸をしていた。「まさに'至福'だな」なんて言葉をなぞっていて、わたしは死体をもう一度見た。
今度は目を逸らさないように。しゃがんで、死体の開いている口と目を閉じさせた。それから腕を動かして胸の前で手を重ねさせる。
「何をしている」
「何も」
リドルは首を傾げていた。
しばらくしてわたしが「シャベルがほしい……」と呟くと、彼はわたしの杖を取って木の枝をシャベルへと変えた。礼を述べて死体の隣に穴を掘る。
土の感触がシャベルを通して伝わってくる。
「なぜそんなことをする」
「弔いたくて」
わたしの言葉を聞いて、一人で穴を掘るわたしを見てから彼も自分のシャベルを手に取った。
───
病室の心電図が鳴っていて、痩せこけた母さんが横たわっている。目は閉じられていて安らかに眠っているように見えた。
母さんの手に触れると、握り返してくれた。まだ、生きている。
緑の閃光が網膜を貫いた。
───
トイレに戻した吐瀉物を流す。
母さんの死を乗り越えたのに、見知らぬ人の死まで引き受けなければならないのだろうか。だって、わたしじゃない。母さん、違うよ。
倒れたわたしを運んだリドルがトイレを覗いた。板で塞がれた窓の隙間から月の光が差し込む。叫びの屋敷には誰も来ない。ずっと二人きり。
「いつまで考えている」
「無理だよ」
「殺したのは俺だ」
涙と汗が混じって床に落ちた。指先が冷たい。
顔についていた体液を腕で乱暴に拭った。リドルがもう一度口を開いた。
「埋めて償っただろう」
「償うためじゃないよ」
もしも、あの人が母さんだったら。
わたしはリドルを見上げた。
彼もまたわたしを見つめていたが、目を背けようとしていた。
───
曇天のもと、時計塔の下で振り子をぼーっと見つめる。人気は少ないし中庭は見えるし結構いいところだな。
「あの!」
こっち見てヒソヒソ話しているなと思いながら口の中のマンドレイクの葉をつついていたら、ハリーたち三人が目の前までやってきた。変な顔してたかな。
「どうしたの?」
「その……マルフォイと仲がいいんですか」
「うん。そうだよー」
「あの子が何かしたの?」と訊くと、ハーマイオニーが意を決したように「秘密の部屋について何か知ってませんか」と尋ねてきた。
ド直球だなあ。わたしが犯人だったらどうするんだか。そこまで間違ってはないのか?
「知りたいの?」
「!」
あからさまに三人の顔がひきつった。「事情なら知ってるけど」と言うと「教えてください」とハリーが答えた。
教えるって何をだろう。
「話せることは何もないよ」
「……!そんな……!」
「ただ、」と注意を惹かせて「僕の友人が止めてくれると思う」と続ける。ハリーは眉をしかめて「どうして言い切れるんですか」と言った。
「信じてるから」
「納得できません……!」
「そうだね」
「どうしてそんなに冷静なんですか!」
「君の隣を見て」
三人は言葉通りにお互いの顔を見合わせた。素直だな。ロンがまだキョロキョロしてる。ハーマイオニーがロンの顔を自分たちに向けさせた。わたしは苦笑した。
「僕にとって彼がそうなんだ。だから、信じるしかないというかね」
「エディ!」
ジニーが抱きついてきた。彼女の目から大粒の涙が溢れる。彼女は名前を伏せて「彼がいなくなっちゃったの!」と泣き叫んだ。
ジニーを宥めながら、わたしは四人全員に伝わるよう優しく言い聞かせた。
「日記に宿った魔法が悪さをしてたんだ。でもリドルが何とかしようとしてくれてる。だからきっと、被害者ももう大丈夫」
ハリーたちは「被害者がもう出ないこと」を話し合っていて、ジニーはリドルがいなくなったことに「寂しいよ」と言った。
「犠牲になったわけじゃないよ。彼は僕に後始末を頼んだんだ」
わたしは日記帳を懐から取り出した。なんでわたしがこんな尻拭いしなきゃいけないんだか。
───
結局リドルの言った通りになったな。
三階のトイレに到着する。すでに洗面台が動かされていて、大きな暗い穴が待ち受けていた。
部屋を開けっ放しにするなんてどうかしてる。ロンが恐る恐る覗き込んで下がろうとした。
「そこを降りるんだよ」
「冗談じゃない!」
「大丈夫。滑り台みたいなものだから」
降下してから入り口に向かって「平気だよ!」と呼びかけた。一人ずつゆっくり滑り落ちてくる。ハリーが体勢を崩したハーマイオニーに手を貸して、その横でロンがずっこけているのをジニーが笑っていた。
「足場に気をつけて」と声をかけると、ロンを立ち上がらせたハリーがわたしを見上げた。
「あなたはトムについて何を知ってるの?」
「色々と」
「どうして話してくれなかったんですか」
「信じるのが難しそうな話だから」
歩いたときに靴に当たった小石が転がった。ハリーは無言になった。暗闇にわたしの影が馴染む。リドルを思い出すと自分の体が大きく揺れている気がした。
「あ、見えてきた」
わたしがそう言うと、誰かが安心したように息をついた。薄暗い通路から部屋の真ん中に、僅かな光。そこにぼんやり人影が見えた。
「トム!」
ハリーとジニーが同時に声を上げて、リドルが応えるように作り笑いを浮かべた。
ハーマイオニーはハリーとジニーを見つめていて、ロンはサラザール・スリザリンの石像を見てた。趣味悪いよな。
「驚かせてごめんね」
リドルがジニーを抱きとめて、身の毛のよだつような柔らかい声で喋り始めた。仕方なくリドルを見つめる。彼は「やあ、エディ」と馴れ馴れしく挨拶をしてきた。
ハリーはわたしとリドルが話すのを見ていたようだった。時折ハーマイオニーやロンに話しかけながら何か考えている。
「ハリー」
「トム、襲撃を止められるって本当なの?」
「うん、本当のことだよ」
「何が起きていたの?」
「誰かが僕の日記に強い呪いをかけたんだ」
皆に見えるようにリドルは日記を見せびらかした。ハリーの瞳がそれを追うのを見て、リドルは「だから、これは危ないから封じるよ」と優しく微笑んだ。
「信じていいの?」
「もちろん」
リドルがハリーに蛇語で何かを耳打ちする。最後に肩を叩くと彼にウインクをした。
───
皆が帰ったあとリドルはため息をついて日記帳をぶらぶらさせた。わたしが殺人を犯したことについて尋ねることはなかったが、リドルは気にしていそうだった。
リドルがわたしをちらりと見てから「これは破壊してダンブルドアに送る」と言った。
わたしたちの間には距離があった。
リドルが蛇語で何かを呟くと石像の口が開いた。思わず顔を手で覆ったが、リドルにどかされる。
「見ていろ」
リドルが目を閉じたバジリスクの口元に日記帳を差し出した。蛇語を再び口にすると牙がゆっくり日記帳を貫いた。インクが噴き出して床を汚していく。
わたしはリドルにもう一度触れた。わたしを見てから、つまらなさそうな顔をして日記の残骸に目を移す。リドルは「祝杯が必要だな」と笑った。
───
雷雨の夜が来た。
談話室の窓を見つめて、マーピープルを想う。
海は答えを返してはくれない。
叫びの屋敷でリドルと顔を合わせる。ハリーやダンブルドア校長に顔が割れているので、アニメーガスでしか校内を歩き回れないとわかっての選択だ。
「赤くなったか」
「うん」
それぞれ小瓶を持って向かい合う。雷鳴でリドルの顔が照らされている。呪文を唱えて目を開くと、リドルと視線が重なった。
わたしたちの間に隔たりはなかった。
「じゃ、乾杯?」
「闇の帝王の復活にな」
「リドルの復活でいいでしょ」
カチンと鳴らして薬を飲む。口に含んだ時点で苦味が広がった。当たり前に美味しくない。流し込むように喉を動かした。
「え?」
リドルの姿が変わっていくのを呆然と見ていた。何しろその形態がダックスフントだったので、わたしは何も言うことができなかった。
「は?」
鏡を見て元の姿に戻ったリドルがもう一度アニメーガスになった。笑わせに来てる?
「お前がダックスフント顔などと言うから……!」
「ただドヤ顔からかってただけじゃん!」
そもそも自分では決められないのだからリドルもわかっているはずなのに。
わたしは白い文鳥だった。リドルの肩にとまって毛づくろいをしてみせる。可愛さアピールも忘れずに首を傾げた。
「お前は鳥なのか」
「ダックスフントもかわいいからいいでしょ」
「アニメーガスの優劣は見た目ではない」
マジレスされて彼の顔を見つめる。目が合って、ふっと笑みが溢れる。雷が聞こえて目を閉じた。
ダックスフント顔を思い浮かべながら、原作のトム・リドルなら何に変身していただろうかと考えていた。