ペトリコール伝記   作:Lumina

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第8話

ハリーの知ってること。わたしの知らないこと。

ハリーの知らないこと。わたしの知ってること。

セドリックの笑ったときの目尻のしわ。ほくろと双子の見分け方。ユニコーンの居場所。

 

失いたくないもの。

 

───

 

リドルに来年死ぬ予定だと伝えたら、すこぶる機嫌が悪くなってしまった。死を偽装するだけだと言ったのに、何を言っても聞く耳を持たず、宥めることもままならない。

 

「二度と俺の前で死ぬなどと言うなよ」

 

そう言ってリドルはわたしを必要の部屋から追い出してしまった。

次に会ったとき、彼は私に向かって爆竹を投げつけてきた。不快な閃光がチカチカと散り、大きな音を立てて弾けるそれを踏み潰した。

煙の隙間からリドルの顔がうっすら見える。ゆらゆら、揺れて。わたしたちの間の溝を深めていく。

 

怒りを飲み込む代わりに、わたしがため息をついたとき、彼が僅かに身動いだことに気づく。

 

それでも彼はわたしを睨むのをやめなかった。

 

───

 

休暇が終わり、新学期が始まってもリドルは必要の部屋に篭っていた。わたしも話す気になれず会うことも避けていた。

 

わたしは話半分に三大魔法学校対抗試合が開催されることを聞いていた。ムーディーがなんだ。交流会がなんだ。どうだってよかった。

 

「エディ」

 

暗い渦の底から顔を上げる。面白くない。

声をかけてきたセドリックは、いつも通りキラキラした笑顔を浮かべていて、他意はないはずなのに、素直に受け取れなかった。逆光のせいだと思いたい。

 

「何かあった?」

「なんで?」

「授業に集中できてなさそうだったから」

「ちょっとやなことあっただけ」

 

心配そうな表情に気づきながらそっぽを向いたものの、またリドルの顔が浮かんできて頭を振る。なんでこんなに気になるんだか。考えを巡らせてから、光源へと向き直る。

 

「セドリックは嫌なことがあったらどうするの」

「え、僕?うーん……そうだな……」

 

セドリックは少し考え込む素振りを見せてから「美味しいもの食べるとか……」と呟いた。必死に熟考しているのか、わたしではなく宙を見ていて、なんだか変な感じ。少し気が紛れて、眉間のしわが消えたことを自覚する。

 

「僕でよければいつでも聞くからね」

 

一人で抱え込まないでね。そうは言われても、わたしにとって自分の気持ちを共有するのは、なぜだかハードルが高いことのように思えた。そう思った瞬間にリドルを思い出しそうになって立ち上がった。

 

「ちょっと厨房行ってくる!」

 

『先延ばしにしても意味はないぞ』

 

まただ!かつてのリドルの言葉がわたしを突き刺してくる。恋なんじゃと思うくらい頭の中を占めていてイライラしてくる。クソ!喧嘩なんてするんじゃなかった!

 

───

 

クレームブリュレのカラメル部分が好きだ。わたしは食べ終わったあともなお奥歯についたカラメルを舌で舐めていた。

 

ほろ苦いのに甘くて美味しい。しもべ妖精たちもわたしを歓迎してくれて、満たされた気分になる。

 

「落ち着いた?」

 

なんだかんだセドリックも付いてきて、彼もちゃっかりブリュレを食べていた。とりあえず「まあね」とだけ曖昧に答える。

 

「友達と喧嘩したの」

 

セドリックは驚きつつも「珍しいね」と返した。厨房の料理の匂いをかぎながら、リドルについてブツブツ愚痴をたれる。

 

「嫌な記憶を何回も思い出しちゃうんだ。その友達との出来事だけじゃなくて芋づる式で色々!」

「僕もそういうことあるよ」

「セドリックでもあるんだ」

 

今度は私が驚く番だった。悩みがないように見えるわけではないけれど、菩薩のような彼が、嫌なことを引きずって悩む夜もあるのだろうかと想像する。

セドリックがちらりとわたしを見て、唇をはんでから言った。

 

「でも……友達……といると、忘れる。そっちの時間のほうが大切だから」

 

エディのこと。

 

逆光じゃないはずなのにずっと眩しい男だ。わたしが大げさに手で顔を覆うフリをすると、セドリックは笑った。答えの出ないことを考え続けるのは、わたしの悪い癖だな。

 

「ありがと」

 

───

 

フレッドとジョージがゴブレットに弾かれたとぶーぶー言うのを聞きつつ、代表者の発表が近づいてくるのを感じる。フレッドが「エディは立候補しねえのかよー」と投げやりに尋ねた。

 

「しない。もう決まってるから」

「代表者が誰か決まってるだって?」

「そんなのわかりゃしないだろ」

「いーや決まってるね!セドリックだよ」

 

双子が一瞬黙って、お互いに確認するように目配せをするのが見えた。

 

「セドリックにお熱かよ、坊っちゃん」

「うわ!そうきたか」

「そうきたかも何も自分から言い出したんだろ?」

 

セドリックがふさわしいって!

 

そこまでは言ってないだろ。まずいな。ここで調子に乗らせたくない。だがここで無難な理由を上乗せしても、わたしが必死にセドリックを応援しているようにしか見えないだろう。詰みか。

 

「あっ」

「なんだよ?惚気なら結構」

「違うし」

「じゃあ何さ」

「ハリー」

「ハリー?」

「代表者はハリー!」

「いやいや俺らが年齢制限で弾かれたって言ったばかりだろ?」

「いくらハリーが英雄だからってこればっかりはどうしようもないさ」

 

双子が面白くなさそうに机に肘をついて、ダンブルドアの話をし始めた。

 

────

 

いよいよ代表者の発表が行われる。といっても結果は知ってるのであんまり興味はわかない。

セドリックの横顔をちらりと盗み見る。彼の視線はゴブレットに注がれていて、結果が出ることに少し緊張している様子だった。

 

わたしは立候補するセドリックを止めなかった。

止めたくなかった、というより死んでほしくないけど、立候補自体を諦めさせたくなかった。

 

この世界で生きる人間として、彼を止める理由は持っていない。仮に止められたとしても、運命がそれを捻じ曲げて史実の通りにしてしまったとしたら。

 

だから代わりに、セドリックの身代わりになる死の偽装を遂行することにした。

 

「セドリック・ディゴリー」

 

ダンブルドアが、ゴブレットに選ばれた名前を読み上げた。神さまの言うとおりだ。そう思ったのもつかの間、体に衝撃を受けて拍手をしていた手を止めた。

 

セドリックがぎゅっとハグをして、すぐに離れていった。あんぐり口を開けた間抜けな顔のままセドリックと目が合う。

 

おかしそうに双眼が細められていく。そのまま視線が先に周囲へと向けられ、周りにいた友人たちに小突かれていた。

 

奥の方でフレッドとジョージがニヤニヤしているのが視界に入ってきてじとりと睨みつける。

 

「ハリー・ポッター」

 

その名前が呼ばれたとき、フレッドとジョージだけはわたしのことを見ているのがわかった。

 

代表者に選ばれるのはハリーだと言ったけど、このときのことは何も考えていなかった。

 

周囲に気づかれないように、片手でピースをしてみる。

双子が顔を見合わせる。握り拳でグーを作り返してきた。じゃんけんのつもりらしい。ガキかよ。

 

わたしはほっとしてハリーを見つめた。

青年になったハリーがダンブルドアに何か言われている。子どもらしい丸い頬が懐かしい。

 

また騒々しい一年になる予感がしながらわたしは寮へと戻った。

 

───

 

水晶玉を持ったリドルが、隠れることなく必要の部屋の中央で、口を一文字にして待ち構えていた。

 

ここへ来るのもお見通しだったってわけか。

若干の気まずさを抱えつつリドルと対峙する。当時よりは頭も冷えていた。

 

「なぜ助けようとする」

 

わたしが自分の計画を打ち明けたときと同じように、彼はわたしに問うた。

 

「だって、助けなきゃ……!」

「なんでそんな奴らを優先するんだ!」

 

わたしは驚いて顔を上げた。怒りに燃えた目を見続ける勇気がなくて、床へと視線を落とす。

 

「……わたしは……彼らを……助けられなければ、今まで生きてきた意味がない!死んでもいい!そうじゃなかったら、っ」

 

続きを言う前に襲いかかられて倒れ込んだ。

 

「俺を見ろ」

 

顎を掴まれて強制的に目を合わせる羽目になった。眉間に皺を寄せて、わたしを睨みつける目がギラギラ輝いている。彼の手の震えが伝わってきて、目を瞬かせた。

 

「君には分かんないよ……」

 

力なく目を逸らすとわたしの上体は浮かんだ。胸ぐらを掴まれて、迫る拳を驚いて見つめることしかできなかった。

 

顔を狙ってきやがった。うめき声を上げながら、殴られてズキズキと痛む頬を手で覆う。生暖かい感覚から鼻血が出ていることを確信する。

 

わたしは気がつけばリドルを力いっぱい殴り返していた。

 

元からわたしたちは対等な立場ではないと思っていた。強者と弱者だとか権力の話ではなく。いや、それも少しはあるけど。

 

わたしはリドルを未熟で保護しなければならない者としてしか見ていなかった。それは彼への敬意であり、侮辱でもあった。

 

助けることがわたしを救うことにつながっていた。

リドルはそれを止めた。彼の意思で。わたしと違って。

わたしたちは互いに腕を掴んで離さなかった。

 

「僕は君を巻き込んだ」

「だからなんだ」

 

リドルは何でもないように「俺がそう決めたのは、お前の意志じゃない。俺の選択だ」ときっぱり言い切った。わたしの手の力が緩んで、リドルが立ち上がる。

 

「でも……」

「もしウィーズリー共のテストの点数が悪かったとして、勉強を教えなかったからだとか、授業を真面目に受けるように勧めなかった自分のせいだなんて思うのか?」

 

なぜ今比較対象に優先度の低いことをあげたのかわからず、わたしは「思わない……けどそれは話が違うでしょ……」と弱々しく返した。

 

「同じだ。俺が選んだ。お前が自分のせいでこうなったと思いこむのは勝手だが、それは俺を尊重していないのと同じだ」

 

床に大の字で寝ているわたしに「相手の言動にまで責任を持つな。自分と他人の境界線ははっきりさせておけ。じゃないと食われるからな」とリドルはわざわざ顔を覗き込んで言い放つ。

 

「世の中ってそんな殺伐としてるかなあ」

「実際お前はディゴリーに食われかけただろ」

「あのねえ!」

 

慌てて上半身だけ起こすと「図星か?ハハハ」とリドルは愉快そうに笑った。

 

「もしかして元気づけてくれたの?」

 

言わなくていいことなのに、言わずにはいられなかった。だって、だって。君は。

 

「リドルは……リドルはそんなことしないでしょ……?」

 

「そうだろうな。トム・リドルはこんなことしない。だが俺はした。それだけだ」

 

まだうずくまるわたしに、リドルが手を差し伸べた。わたしはリドルを見つめ返して、その手を取った。

 

───

 

「は?火傷に効く薬?……お前そのためにここに来たんじゃないだろうな……」

「ちゃうわ!」

 

手当をしたリドルが、恨めしそうに言うのですぐさま訂正する。未来を知っているのに見守ることしかできないなんて。使うかどうかもわからない魔法薬を作りながらリドルに話しかける。

 

「リドルは僕が未来知ってること、なんとも思わないわけ?」

「俺は証拠のあるものしか信じない」

 

魔法使いのくせに何言ってんだか。

わたしに不利な状況を作らないと約束するならこの記憶を利用しても良かったのに、そういうことはしないらしい。

ヴォルデモートは、ハリーの誕生を知って真っ先に始末しようとしたのに。

 

新聞をめくる音が止まり、リドルが「ポッターが記事に載っている」と口を開いた。

 

「え?」

「ハリー・ポッターは夜になると涙を流す、精神的に不安定な危険人物。著者:リータ・スキーター」

「あ、そういやなんかそんなやついたな」

「こいつも知ってるのか」

 

本筋に関係してないのですっかり忘れていた。虫に変身して盗聴してるんだっけ。気をつけないとな。防虫スプレーって意味あるのかな。

 

「なんか虫弱らせる魔法薬ってない!?」

「虫?殺せばいいだろ」

「殺しちゃだめなんだってば〜」

 

オオハナノコギリソウを乾燥させた物で自衛することになった。虫除けに原始的な方法すぎる。

スキーターはハリーにまとわりついていそうだが、後々セドリックのことも記事になりそうでわたしはヒヤヒヤしていた。

 

───

 

ゴブレットの件からスリザリン生をはじめとした生徒たちに、ピカピカ光るバッジが配られていた。変なところで仕事が早いというか。

 

『汚いぞ、ポッター!』

 

見知らぬ同級生に手渡されそうになってから、いらないと突き返す。元凶のガキンチョはどこにいるんだか。

途中で合流したセドリックが困惑した様子で「なんか変なバッジ配られてない?」と話しかけてくる。

 

「ドラコが配ってる」

「またあの人?」

 

そーだよー!またあの子だよ。大抵あの子。階段を登って移動していると、闇の魔術に対する防衛術教室から悲鳴が聞こえて足を止める。ちょうどあの有名なシーンに差し掛かったみたいだ。

イタチに変身させられたドラコが回転から逃げ出して、教室の外にいたわたしの元へと一直線に走ってくる。

 

セドリックがわたしを守るように立ちふさがったが、直後に元の姿に戻ったドラコが泣いているのを見て、何が起きたのかわからず戸惑っていた。

 

「あいつがいじめてきたんだ!」

「お灸据えられたんだね」

 

喚くドラコを宥めながらムーディーを見る。彼はマクゴナガル先生の方を向いているはずなのに、義眼だけがギョロリとわたしたちを見つめていた。

 

思わずセドリックの袖を引っ張って、自分の後ろに立たせる。わたしのほうが背が低いから、あまり意味はないかもしれないけど。

ついでに屈んでもらってセドリックに耳打ちする。

 

「僕、あの人あんまり好きじゃないの。だから後ろにいて」

「……守ってくれたの?」

「まあね」

 

セドリックが何かを言う前に下から「エディ!」と引っ張られる。ドラコがまだポッターがどうの、ムーディーがどうの、慰めろと言わんばかりに揺さぶってきた。クラウチジュニアどころじゃなくなってしまった。

見かねたセドリックが「エディが困ってるよ」とフォローする。

 

「お前はエディの何なんだ!」

 

鼻水垂らしてるとこ悪いが、あんまり聞きたくない質問だった。今まで曖昧にしてきた何かが、セドリックが口に出した瞬間、それが正解になってしまう。

ドラコだって答えが欲しくて聞いたわけでもないだろうに。セドリックの顔は見えない。

 

「エディは、僕の大事な人だよ」

 

そう言ってセドリックはわたしを立ち上がらせて、手を引いていく。朝日が照らしている。サァサァ、木の葉の揺れる音がする。繋いだ手から体温が伝わってくる。景色が踊ってる。血の巡りみたいに。

 

───

 

第一の課題が始まる日、わたしは朝食の席を共にしていたセドリックに火傷特効薬を渡そうとしていた。

気休めだとわかっていても入念にハーブの匂いを散布させて、注意深く周りを見渡したあと、セドリックにハグをする。

 

「エディ?」

 

そのまま動かずにいたら、控えめに頭へと手が置かれた。

 

「だって怪我したらやだよ」

「君にこんなに心配されるなんて、代表選手になったかいがあったかも……なんて」

 

めっちゃ脳天気じゃん。

これから顔を火傷するのに。ドラゴンが試験内容だって知ってるはずなのに。わたしはため息をついて、セドリックの胸元に顔を埋めた。

 

「これ、試験終わったら飲んで」

「嬉しい。ありがとう」

 

中身も聞かずに魔法薬をポケットにしまって、セドリックは再びわたしを抱きしめた。

胸が上下しているのを感じる。生きている人間。冷たくない。

君が死ぬなんて、奪われるなんて絶対に嫌だ。

 

───

 

「死の呪文を使えないなんて哀れだな」

「いやそれが普通だから」

 

ポリジュース薬で変身したリドルが、ポップコーンを口に放り込む。映画気分かよ。

不安だからってリドルを誘ったら二つ返事で来てくれたけど、宥めてくれるわけでもないからますます緊張する。

 

一番手のセドリックが入場する。

 

最初ってのはいつも損な役回りだ。長女に長男に名簿順での自己紹介。

 

開始早々、セドリックが岩を犬に変身させた。ラブラドールがセドリックから離れて走り回る。

ドラゴンの気を引いているうちにセドリックが卵のもとへと走り出した。

 

全てがスローモーションに見える。

現実であるはずなのに、史実の通りでもあって。吠えたてる犬を、追いかけていたはずのドラゴンが卵に近づくセドリックの方を向いて、大きな口を開けて───

 

「見届けろ!奴の勇姿だぞ!」

 

リドルがわたしの顔から手を引き剥がそうとしてくる。こんなことになるなら連れてくるんじゃなかった。

 

「見たくない!見たくない!」

「髪まで燃えてる!」

「言わなくていい!!!」

 

歓声が上がったのを境にわたしは恐る恐る目を開いた。わかっていたはずのこと。あるべき未来。現実。セドリックが言われた通りに、渡した薬を飲み干していた。

 

金の卵を抱えたまま、セドリックが周囲を見渡す。治療室へ運ばれる前にわたしを見つけて破顔した。

 

「やったな」

 

フレッドとジョージがわたしとリドルの肩を叩いた。夢を見ている気分だった。ドラゴンも。セドリックも。火傷のない、誇らしげな顔。

 

───

 

ゆっくりとセドリックの額に触れ、こめかみ、頬、と手を滑らせていく。

親指が薄っすらと目尻のしわに触れる。

その手がセドリックによって重ねられた。

 

「エディ、僕は大丈夫だよ」

 

その声を聞いて思わず涙が込み上げる。号泣なんかじゃなく、ちょっと瞳が潤んだだけ。

 

ずーっと、ずーっと、考え続けてきた。

君と出会ってから。

 

出場なんてしないで、僕と一緒に観客席でハリーを見て、「すごいね」って話して、それで終わりでよかったのに。

 

君は出場した。ゴブレットに選ばれた。運命の通りに。火傷をして、治療を受けた。

違うのは、わたしが特効薬を渡したこと。

 

わたしは試合前と同じように、セドリックを抱擁した。多分、痛いくらい。それでも伝わらない気がして頭を押し付ける。

 

「エディ?……!?泣いてるの?」

「うぅ〜〜〜」

 

情けない。泣くのって苦手だ。恥ずかしいし、自分を晒してる気分になる。なのに勝手に涙は出てきて、ムカつく。ムカつく。無事でよかった。

顔を覗きこまれそうになって、意地でも見せないために服を鷲掴みにする。

 

「鼻、っ鼻水……!鼻水垂れてるからっ!見られたくないの!!!」

 

嗚咽を我慢しながら言い終えた。セドリックの体が揺れて、声を出さないように笑っているのがわかる。めちゃくちゃ恥ずかしい。

乾燥呪文や防水呪文って人には多分効かないよな……。

セドリックが屈んで、ハンカチを差し出した。

汚すのは申し訳ないけど、なりふり構っていられない。素早く顔を隠して「洗って返すから!」と篭った声で返す。

 

「心配してくれてありがとう」

 

───

 

朝食を一緒に食べる際、借りていたハンカチを返した。

余計なことを思い出さないように、世間話をしながら君はダンスパーティーはどうするんだと聞いた。セドリックがその質問に口を開いて答えようとして、少し不自然な間が空いた。

 

「……踊れないんだ」

「え?代表者ってダンスができないと話にならないんじゃないの?」

「うん、だから君がよければ教えてもらいたいな」

 

わたしは承諾した。セドリックがエスコートもできなければ、後で女性からダンスに誘われても恥をかくから断るしかないなんて、なんだかかわいそうだったから。

 

ゴーストたちのお手本を前に、音楽に合わせてステップを踏む。最近踊る機会はなかったものの、生まれが生まれなだけに作法は習っていた。

 

体を抱き寄せられて密着する。表情は固いが、基本はできている。初心者の動きじゃない。

 

「……なんか……慣れてない?本当に踊れないの?」

「ごめん。実は……君と長く一緒にいたくて嘘ついた」

 

面食らって彷徨った手を顎に当てて思考を巡らせる。口説くのが上手いと素直に感心した。

 

そういうのは好きな子にすればいいのに。……。………………。

 

「エディ?」

「確認したいんだけど」

 

不意に黙ったわたしを呼ぶ声。わたしはそれを無視し、いつになく真剣な顔をして問いただした。セドリックもわたしの態度を見て背筋を伸ばした。

 

「何だい」

「君はチョウのこと好きなんだよね?」

 

返事がないので顔を上げて、傷ついたような表情のセドリックと目が合う。

 

「どうしてチョウ・チャンの話をするの?」

「それは……」

 

死んでほしくないのに、チョウ以外の誰かに、僕に、恋をしてほしくない。

だって、そんなの。

 

───

 

セドリックを待つことなく一人で皿をつつく。

傷ついた顔を思い出して自己嫌悪に陥る。

 

もし僕のことが好きなら、それは────

 

「あの子かわいい」

 

隣の席の人たちが小さな声で話す。周りに人はいない。どんな顔をすればいいのかわからなくて、食事ができなくなる。

 

動いた瞬間に、やっぱりそんなことなかったって思われるんじゃないかとか、余計なことを考えてしまう。

 

だって「かわいい」という評価を声に出すくらいなら、「醜い」だって、彼らにとって同じくらいの言葉なんじゃないの?

 

「ここ、空いてる?」

 

返事をする前に、セドリックが彼らとの間に割り込むように座ってきた。セドリックの顔を見たとき、彼らが様子を窺うように首を伸ばすのが見えたが、少ししたら諦めたようだった。

物理的に視線が遮られて深く息をついた。

 

「おはよう、エディ」

 

「おはよう……」と彼に控えめに返す。

わたしは君に酷いことを言ったのに、どうしてそこまでしてくれるんだろう。

 

「あの……ありがとう」

「ふふ、今日は隣に座りたかっただけ」

 

わたしは俯いた。

わたしを好きだから優しいんじゃなくて、きっと彼は誰にでもそうしたはずだ。だけど実際に動いてくれたのも確かで。

 

「セドリックは優しいね」

 

自分のことが嫌になりながらも、セドリックに感謝を伝える。すぐに「ありがとう」って言ってくれると思ったのに、しばし間が空いたので彼の顔色を伺う。

 

「優しいだけじゃないよ」

 

セドリックは笑っていなかった。怒っているわけじゃなさそうだけど、「しまった」と言わんばかりの表情に困惑する。優しいだけじゃない、ってなんだ?優しいのに。

 

「意地悪ってこと?なんで?」

 

セドリックが困ったような顔をした。

わたしが無意識にじっと見つめていると、セドリックは息を漏らして微笑んだ。

 

それから何を言うわけでもなく、セドリックは自分のお皿に食事を盛り付け始めてしまった。

 

「ゆで卵……」

「ん?」

 

わたしがバゲットの残りを口に放り込んだところで、セドリックが何かに気づいたように呟く。卵。金の卵。まだ水中を試してなかったのか。

 

「またあとで!」

 

忘れないうちに行かなきゃ、とセドリックの背中が遠ざかっていく。朝食を食べ終わったわたしも足早に席を後にした。

 

───

 

セドリックの課題の進捗は、本人に聞かずとも嘆きのマートルでわかる。

というか本人に聞けないことをマートルで確認するというか。マートルにすら聞いていいのかもわからないことなんだけど。

 

「マートル」

「あら、今度は誰?私をいじめに来たの?」

「違うよ。君が浴室覗いたんじゃないかって思ったの」

 

マートルは大げさな身振り手振りでからかうように「もしかしてあのハンサム君のこと?」と言った。

 

「恥ずかしがっててかわいかったわよ」

「やっぱ見たんだ!えっち!すけべ!変態!」

「見たかったの?あなたも来ればよかったじゃない」

「ちが!は!?違うし!?」

 

捕まってないだけの覗き魔じゃん!最低!

わたしが罵倒しても覗きのマートルは面白がるだけだった。

 

「あの子のこと気になるの〜?可愛い〜」

「バカにしないで!」

「あ〜ら?いいの?面白い話が聞けるかもしれないのに?」

 

セドリックか卵の面白い話ってなんだ!?捏造だろうか?わたしが黙ったのをいいことにマートルは「あなた、エディって名前でしょ」と言う。

 

「え、名前教えたっけ……」

「彼が『エディ』って言うの、聞いちゃったの」

「どういう脈絡で?」

「エディには話さないでって」

「何を?」

「私が『見た』ってこと」

 

そりゃ気まずいから話すなとはなるんじゃないか?わたしが首を傾げると、マートルに呆れられてしまったようだ。

 

「なんであのハンサム君が?って思ってたけど、今のでわかった気がするわ」

「なんかまたバカにされてるな」

 

ハンサム君じゃなくてセドリックだよ。

マートルは答える代わりに、宙を見上げながら自分の髪をいじった。再びわたしを見て、「そのセドリックはあなたにとって何なわけ?」と尋ねた。

 

『エディは、僕の大事な人だよ』

 

「大事な……人……」

「ふーーん」

 

それだけ聞くと、マートルはトイレの中に閉じこもってしまった。

 

「チョウ・チャンはセドリックのこと気にしてるみたいね」

 

マートルの声がトイレに響いた。

だから何だってんだ。マートルはよくわからないことを言う。事実を伝えることで何をなそうとしたのだろうか。

わたしはセドリックに手を引かれたことを思い返していた。

 

───

 

「面白いものがある」と連れてこられたのは、布のかけられた鏡だった。リドルが見つけたのはあの有名なみぞの鏡らしい。

 

一緒に、鏡を覗く前に自分たちの望みを想像した。きっとわたしは友人たちや悪役とされていた人々と手を取り合っているだろう。

 

リドルはこの世を支配し終わった姿を見ると予想したらしい。わたしと共に生きているのが映るのではないかと茶化すとど突かれた。

 

わたしは鏡の、その光景を前にして目を見開いた。

 

わたしがいる。

前の世のわたしが、映っている。

 

友人と家族に囲まれて、幸せそうに笑っている。前世の自分の姿形も覚えていないのに、すぐにそれがわたしだと思った。

平凡な顔立ち、特別低くもなく高くもない身長、平均的な体型。そこら辺にいそうな人なのに、今のわたしには手に入らない。

 

わたしはしばらく鏡の前に呆然と突っ立っていた。

 

わたしは『エドワード』としてこの世で生きる気がこれっぽっちもないのだろうか。

 

『嘘だ』

『こんなの嘘っぱちだ』

 

わたしは思わず母国語で呟いた。

鏡に布をかけ直したリドルに、「もう見たくないかも」と彼に合わせた言語で曖昧に笑った。

 

───

 

「チョウ・チャンってかわいいよね?だって──」

「エディ」

 

わたしが彼女のプレゼンをする前にセドリックが話を遮った。

 

「最近君変だよ」

「口を開けばチョウ、チョウ、チョウ!」

「エドワード坊っちゃんにもついに春の訪れか?」

「……僕はそんなことしないよ。誰のことも好きにならない。恋なんてしない」

 

揶揄ってきたフレッドとジョージまで怪訝そうにして「そんなにコイツの好きなやつがチョウじゃないと変か?」と尋ねてきた。

 

「うん」

「なんで?」

「そうでなきゃいけない」

 

「……そうじゃなかったら……僕は……」

 

わたしが言いづらそうなのを見てセドリックがわたしの手に自分の手を重ねた。それに対して大げさなほど反応してしまう。振り払いたくても彼のことを思うとそんなことはできなかった。

 

わたしの様子を見ていたフレッドが「まあエディには早い話だったか」と話を切り上げようとした。

 

「僕、には……婚約者がいる……」

 

嘘だった。わたしの口から発せられた言葉に、フレッドとジョージが口を噤んでしまった。セドリックの表情を見ることはできない。

 

「……そっか……」

 

セドリックの体温が離れていく。彼は大きな音を立てて椅子を引いた。

 

「さっきの話だけど」

 

セドリックがいつもと違う声をしている。わたしは顔を上げられず、一人ぼっちになった手を見ていた。

 

「君の理想を押し付けないで」

 

生きてる人間みたいなこと言わないでよ。

わたしは黙って俯いた。

セドリック・ディゴリーはそんなこと言わない。言ってない。

紙面であればどんなことがあっても大丈夫だったのに。生身の人間じゃ話が違う。

今、この世に生きていないのはわたしの方だ。

 

「こういうとき双子ってのは便利だ」

 

ジョージがわたしの肩を軽くたたいた。目を向けた先で、セドリックを追うフレッドの背中が遠ざかっていく。

 

「婚約者がいるってのはマジなのか?」

「ううん……」

「だったら、エディだって言いたくて言ったわけじゃないだろ?」

「うん、……なんだか兄弟でもできた気分だよ」

「だてに兄貴やってないからな」

 

ジョージは大きな手のひらで、わたしの頭をわしゃわしゃとかき撫でた。わたしはなんとなくそれを直すのが惜しくてそのままにした。

 

「大丈夫だよ。アイツもわかってる。今必要なのは時間だけさ」

 

わたしが素直に頷くと、ジョージは「ここでお前の元気が出なかったら俺達お手製の新作・元気爆発キャンディーを渡すところだったのに」と言った。

 

───

 

「俺の次はディゴリーと仲違いか。忙しいやつだな」

「ねーうるさいんだけど」

「愛されるのが怖いならそう伝えればいいだろう」

「僕の心境を勝手に想像しないでよ」

 

『考えさせてください』

 

スネイプ先生から二次試験の相手役にわたしが選ばれたと伝えられた。セドリックの大切な人。チョウだったはずなのに。

 

「また何か考えているな?女々しい奴」

「予言を聞いてたのにその通りにならなかったら意味分かんないじゃん」

「お前のは予言じゃないだろう」

 

屁理屈やめろや!

「体を温める薬を作っているくせに」とあくびをする帝王様を睨みつけた。

寒中水泳なんてまっぴらゴメンだ。

 

「体を温めるなんて酒でいいだろう」

「未成年に何言ってんの」

「つまらん奴だ」

 

───

 

リドルが杖を振ると、レンガが瞬く間に形を変えて精巧な偽物の死体が現れた。とてもじゃないがわたしが一生かけてもできない芸当だ。

わたしと死体とを見たリドルがソファーに座った。

 

「世の中ってのは不条理だ」

 

失うこと。死。恐怖。

 

「僕らを見てボガートは何に変身するかな」

「俺は自分の死体だろうな。お前のは知らん」

「僕は……君の怖いもの、意外と君の死じゃなくて僕の死だと思うんだよね」

「馬鹿げたことを」

 

「俺の恐怖は変わらん」だってさ。

リドルはため息をついて新聞を読み始めた。

 

物音がして振り返るとそこには戸棚があった。ガタガタと時折震えて何かがいることを示していた。

 

「お前がやったのか」

 

新聞から目を離してわたしに訊いた。多分、そうなのだと思う。リドルの恐ろしいもの。自分の恐ろしいもの。

 

棚の扉を開けようと手を伸ばす。

母さん。みぞの鏡で見た光景。誰かの死。ほんとのわたし。

手の震えが全身に伝わり、自分の心臓の音が耳に響いている。

戸棚が一度、大きく揺れた。

 

リドルがわたしの手に触れた瞬間、ボガートが戸棚ごと姿を消した。肩の荷が下りる。

 

「無理に自分の恐怖を見つめる意味などなくていい」

 

わたしの手を完全に下ろしたあと、リドルは自分のお気に入りのソファーにどっかり座り込んだ。

誰に指図されたわけでもなく、わたしはその隣に腰を下ろす。ゆったりとした空間のはずなのに自分の体に合わずに窮屈な気さえした。

わたしは「みぞの鏡」と呟いた。

 

「本当のわたしがいた」

 

リドルが何も言わないから、話を聞いてくれているのかどうかもわからない。でも、組んでいた足を床に着けた音が聞こえて、わたしは言葉を続けた。

 

「わたし、エドワードとして生きてると思ってた。だから、鏡にも『僕』としての人生の望みが映ると思ってた」

「お前の事情は知らんが、お前が自分の望みを否定するのか?」

「だって、今の人生も楽しいはずなのに、そうじゃなかったって……」

「あれは自分の望みを映すだけだ」

 

人間を惑わし、囚えるための鏡。

そんなふうに割り切れたら良かったのに。

 

「望みは悪ではない。望むこともまた同じだ。お前が否定してもな」

「……リドルは何が見えたの」

「家族」

 

わたしは自分のことを忘れて、思わずリドルの顔を見た。リドルは傷ついていないのだろうか。本当にそれを認められるの?

自分の望みだって、信じられるの?

口に出そうとしても、出てこなかった。はくはくとわたしの唇は震えるだけだった。

 

───

 

セドリックが何事もなかったように「ダンスのことなんだけど」と話を切り出した。

 

食事を口へ運んでいた手が止まり、ドキドキしながらセドリックを見る。彼の視線が皿の上を巡回したあと、わたしの目を見てはっきり「君と踊りたいんだ」と言った。

 

第二の課題だけじゃなく、ダンスパーティーにも選ばれた。セドリックの意志だ。望み。現実。わたしは自分の口を動かした。

 

「あ……僕、僕……ダンスなら任せてよ!小さい頃からずっとしてるし!」

「……エディ」

「それに!僕、顔はいいほうだから、さ……はは……」

 

うまく笑顔が作れない。空気に耐えられない。正解がわからない。

セドリックがちっとも笑わないことに気づいて、手が震えるのが嫌で拳を握る。

 

セドリックに、嫌われたくない。

 

セドリックがわたしの手を取って、緊張した手を解してくれる。彼が開いた手に自分の手を重ねて、ゆっくり絡めとる。

優しく「エディ」と囁かれた。

 

「……なに……」

「僕の言葉を思い出して」

 

『エディは僕に愛されるために生まれてきたんだよ』

 

勝手に脳が、セドリックの言葉を再生する。顔が熱くなるのを感じる。すぐにでも手を解きたくなった。

 

「思い出してくれた?」

 

わたしはすぐに答えることができずに、俯きながらただ頷いた。顔を見るのも見られるのも恥ずかしくて何も言えなかった。

セドリックが一度深呼吸をする。

 

「僕と踊ってくれませんか」

 

わかりきってるくせに!

顔から火が噴き出そうなくらい恥ずかしい。

断られたと思われたくなくて頷いたものの、口をもにょもにょさせていたら、セドリックがくすくす笑い出してしまった。

何してるんだ、わたしは。

 

───

 

「セドリックの相手誰なんだろうね」

「チョウじゃない?」

 

噂話の渦を進む。会場ってこんなに遠かったっけ。鏡であれほどチェックしたのに髪の毛がはねていたら、鼻毛が出てたらどうしようとか、馬鹿な想像ばかりして勝手に不安になる。セドリックに恥をかかせたくない。わたしは俯きながら階段の踊り場に足をおろした。

 

「エディ」

 

先にいたセドリックに呼ばれて、彼とわたしに周囲の視線が集まる。手すりを持ってるから転けるなんてことはないけれど。それでも。

早足でセドリックのところまで来て「待たせてごめん」と小声で言った。

 

おもむろにセドリックが跪く。呆気に取られていると、彼がわたしの手を優しく引き寄せて手の甲にキスをした。

 

「踊っていただけますか」

 

わたしはその言葉に頷くだけで精一杯だった。周囲の人の反応とか、わたしの顔とか、セドリックの気持ちとか。全部が渦巻いて目を閉じた。

 

───

 

煌びやかな会場でセドリックの手を取って踊る。自分の呼吸と、動かす足に集中する。セドリックの肩越しにマクゴナガル先生とダンブルドア校長が見えた。それもすぐに通り過ぎて──スネイプ先生が渋い顔をしていた。なんだか笑えてきた。

 

「皆が君のことを見てる」

 

セドリックにそう言われてつい足元を見てしまった。体が熱い。さっきのスネイプ先生でも見ようと思ったのに、わたしたちはいつの間にか人混みの中心に移動していた。

 

「ごめん。嬉しくて」

 

認めたくないのに、顔を見なくとも彼の声色と握っている手から全てが伝わってくる。

わたしはようやく顔を上げて意地の悪い笑みを浮かべようとした。

 

「僕が誰かに取られたら困るんじゃなかったの?」

 

わたしの手を引いていたセドリックの指が僅かに動いた。次の瞬間、セドリックの腕が背中に回る。

待て、ディップか!?誰もやってないのに!──彼の動きに合わせて体を傾けた。天井が見え、周囲の視線を感じながら姿勢を戻そうとする。

 

セドリックがわたしの視界を占めた。

 

「君は僕のものだから」

 

セドリックが何事もなかったかのようにわたしをリードする。わたしたちを見ながらシャンパンを手に取った生徒が、グラスの中身を溢している。

ムカつく。

わたしはセドリックの胸に軽く頭突きをした。それからもう一度。何か言われる前に元の体勢にもどって強引に腕を引いてみる。

視界の端にある、セドリックの口元が緩んでいた。

 

───

 

月明かりがわたしたちを優しく包み込む。

夜の廊下には誰もいない。パーティーからも離れて静かな時を過ごせそうだ。

 

満月の夜とその服装に、わたしが「吸血鬼みたいだね」と呟いて笑うと、セドリックは少しいたずらっぽい顔をした。しかしそれはすぐにいつもの穏やかな笑みに変わった。

 

「エディ」

 

セドリックが、低く抑えた声で囁く。顔を上げたわたしは、おもむろに近付く彼から一歩引こうとした。

わたしたちを見守るのは白い満月だけ。なのに、誰かに見られているのではないかと妙に冷静な考えが過る。

 

「動かないで」

 

その声で簡単にわたしは動けなくなる。

セドリックの手がわたしの肩に添えられて、端正な顔がわたしの首元まで来たのが息遣いでわかった。

 

首に柔らかい感触を覚え、次に尖った歯が跡がつかないくらいに突き立てられる──吸血鬼の真似事をしている。ぶわりと体温が上昇する。わたしのあげた香水のかおり。

セドリックはパッとイタズラをやめて楽しそうにしていた。温かくて優しい声が降ってくる。

 

「びっくりした?」

 

わたしは口付けられた場所に手を置きながら、顔を伏せたまま動けなくなっていた。魔法にかけられたみたいに、ずっと変な感じだ。変だ。なんだこれ。

わたしが何も言えずにいたら、セドリックに「エディ?」と不思議そうに尋ねられた。

 

わたしは声につられて顔を上げてしまった。きゅっと唇を引き締めて、セドリックを見ないように彷徨う視線を壁に留めた。

 

「……ドキドキした?」

 

ぼうっとしていたら、耳元でそっと囁かれた。さっきより少し笑みを深めたセドリックが視界に飛び込んでくる。

慌てて顔を逸して「わっ、かんない!」と妙に距離が近いセドリックを押し戻そうとする。

 

「エディ、ドキドキしたの?」

「いや、わかんない!違う!わかんないよ!」

 

慌てふためく自分が馬鹿みたいで恥ずかしくて消えてしまいたかった。でも不思議と不快ではなくて、わからない。

セドリックはきっとわたしを揶揄おうとしてる。だってずっと笑顔だ。ずるい。そんなのずるい。

 

顔を見られたくなくて、わたしは咄嗟にセドリックにしがみついた。動けないように背中に手を回してハグをする。

セドリックがわたしの背をゆっくりと撫でた。心臓の音を聞いているうちに、だんだん呼吸が落ち着いてくる。

 

「まだ、わからない?」

「……からかわないで……」

「うん。ごめんね」

 

わたしにはちっとも哀しそうな声に聞こえなかった。先程よりも少し力を込めて、確かめるように抱きしめられる。

 

「エディ……」

 

わたしの首元に鼻を擦りつけ、セドリックが名前を呼ぶ。温かい。なんだか、ドキドキする。どうして、嫌だ、恥ずかしい。視界の隅でわたしたちの影は一つになっていた。

 

「……もう少しだけこうしててもいい?」

 

セドリックがそうやって囁いてわたしの顔色を窺おうと体を動かす。わたしは慌てて顔をセドリックの胸に押し付け、俯いたまま「わかった!わかったから待って!」と思わず叫んだ。

 

『どこにも行かないで』

 

あのときと同じように、わたしは彼の顔を見ることができなかった。不思議とあのときほどの拒絶感はなかった。

何よりも恥ずかしさが勝っていた。

 

セドリックが少しだけ離れて、でも普段より近いくらいの距離に立つ。わたしたちは手を繋いでいた。そんなこといつものことなのに、どうってことないはずなのに。わたしは視線を漂わせる。

 

「エディ」

 

体を強張らせる。揶揄われるんじゃないかとか、そんな嫌な想像をして次の言葉を待つのが怖かった。

 

「……キスしてもいい?」

 

心臓が爆発するんじゃないかと思うくらい音を立てて鳴っている。顔に熱が集まり、少し汗ばんだ手で自分の顔を隠そうとして、セドリックに動きを止められた。

弁明しようとしてわたしの喉から頼りない声が絞り出される。

 

「……嫌とかじゃ、なくてっ……その……」

「かわいい」

 

君が好き。

 

わたしは驚いて彼の顔を見上げた。彼はずっとわたしのことを見ていた。ゆっくりと目が細められて、繋いでいた手をぐいっと勢い良く引っ張られる。

 

セドリックは強引気味にわたしたちの間にあった距離を消した。彼がここまで大胆な行動をしてくるなんて、夢にも思っていなかった。

クリスマスのお返し、涙を拭ってくれたときの慈愛、洞窟でわたしを癒やしてくれた、優しい君。

 

今目の前にいる君も、同じはずなのにどうしてこんなにドキドキさせてくるんだ。

ずるい、でもセドリックは優しい。

わからない。わからないけれど、ただ、それに浸っているうちに、そのままでもいい気がして。

 

───

 

冬期の水はどの生き物にも厳しい。ダンブルドアの手伝いをしてからはよくよく理解していた。事前に飲んだ魔法薬が寒さを和らげてくれる。

課題が始まる直前に眠らされて、意識が浮上したときにはすでに水中にいた。自由に動けるわけじゃないけど、凍えながらいつ来るかもわからない救助を待つよりは良かった。

 

まだ頭がぼんやりする。暗い湖の底で、マーピープルと思わしき者たちが周囲を泳いでいるのが見える。間もなく彼らの動きが変化して、誰かが来たことがわかった。

 

セドリックだ。マーピープルに邪魔されながらも、わたしを拘束する水草を切って救出しようとしてくれている。

彼がわたしを抱いて、明るい水面が近づいてくる。

 

湖から脱出して息を吸って咳き込む。目は開くのに、体がまともに動かない。陸に引き上げられた頃にようやく歓声が上がっていたことに気づく。

 

わたしを助けてくれたセドリックは寒さからか震えていた。その手でわたしの濡れた髪を耳にかけてくれる。

 

タオルで包まれてほっと息をつく。セドリックの一番大切な人に選ばれて、それを引き受けたという選択が、この世界にとって間違いだったとしても、わたしにとっては正しいものだったと信じたい。

 

わたしを抱きしめたセドリックを見た。彼の唇に視線を向けようとして、わたしはゆっくり逸した。

 

「君を失うなんて考えたくもない」

「……うん、僕もだよ」

 

掠れた声で呟く。仮の話じゃない。あの運命がすぐそばまで来て扉を叩いている。わたしはセドリックを力いっぱい抱きしめた。

 

───

 

炎のゴブレットでセドリックが注目され始めたからか、彼もリータスキーターの餌食になったらしい。

セドリックの噂話をしている人がいる。内容を確認しなければ傷つかない。けど、知りたい。何が書かれているのか。怖いのに気になる。

 

わたしはわざわざ図書館に赴いて、週刊魔女をチラリと覗きこんだ。セドリック……というよりハリーがメインの写真が動いているのが見える。どうやらこの記事ではハリーを大々的に扱っているみたいだ。

 

『恋の三角関係!?ハリー・ポッターの恋の行方』

英雄として有名なハリー・ポッターには想い人がいるようだ。その相手の名前はチョウ・チャン!しかし彼女には別に気になる人がいて───

 

「エディ?」

 

最後まで読む前に話しかけられた。ハリーだ。この記事をもう読んだのかは知らないが、慌てて隠す。

ハリーはわたしの仕草を見て「それ、読まないほうがいいよ。デタラメばっかりなんだ!」と嫌そうな顔をした。

 

「面白おかしく書いてて、記事に載った人を傷つけてる。……どうしてそれが気になったの?」

「……セドリックのことで……ちょっと……」

 

ハリーは合点がいった様子で「……鵜呑みにしなくていいよ」と言ってから、少し間をおいて「これは読んじゃだめ」とスキーターの記事を回収してしまった。

その瞬間にハリーの手元の表紙が見えた。湖から帰還したばかりのセドリックの写真が載っていた。多分、隣にはわたしがいる。

ハリーがわたしの顔を控えめに確認したのを見て、わたしは微笑んだ。

 

「ありがとう」

 

ハリーの表情が和らいだ。

わたしが手を振ると、ハリーも振り返す。そのまま遠ざかっていく。英雄じゃない、普通の青年。

 

───

 

第三の課題の日。セドリックが死ぬ日。わたしの作戦決行日。

わたしが失敗したらきっとわたしが死ぬ。でも、それはセドリックが死ぬよりずっといい。

 

不安や恐怖で頭が一杯で、話しかけられても上の空だった。

セドリックに何かあったのかと聞かれて、気丈に振る舞うことができない自分に腹が立った。

 

「ひとりじゃないからね」

 

第三の課題がその日のうちに始まるのに、セドリックは優しかった。君を死なせるなんてしないよ。わたしが君を救うんだ。

 

人気のない場所に呼び出して、セドリックに抱擁をする。「いきなりどうしたの」と嬉しそうに笑っていて、わたしはゆっくりセドリックから離れた。

 

「ごめんね」

 

赤い閃光がわたしの背後から伸びてセドリックに直撃する。驚きで見開かれてたセドリックの瞼が、ゆっくりと閉じられていく。

倒れゆく体を支えて、床にそっと寝かせる。完全に気を失ったのを確認してから髪の毛を取り、ポリジュース薬を完成させた。

 

「報われん奴よな」

 

リドルがそう言いながらセドリックを見ていた。

 

わたしが代わりに墓場まで行けばいい。

 

死体を見せたらきっと、たまたまくっついてきたお邪魔虫が息をしてるかどうかなんて、誰も気にしないと思った。

 

ハリーはすごく混乱するだろうな。セドリックだと思ってたらエドワードで、エドワードだとわかった途端に目の前で殺されちゃってさ。

 

でも、エドワードがセドリックに変身した理由なんて誰にもわからない。だって死人に口無しだから、ね。

 

「緊張する……」

「お前がそうなることを選んだんだろ」

 

リドルの正論を他所に保険のフェリックス・フェリシスをポケットに詰める。

みんな、置いていくことを許してください。必ず帰ってくるから。

 

───

 

酔い止め飲んどいてよかった。

ポートキーから放り出されたわたしたちは、トム・リドル・シニアの墓の前にいた。

これでもうセドリックは死なない。わたしはハリーをゆっくり立ち上がらせた。

 

ハリーが多分、お墓かポートキーのことで何か言ってるけど頭に入ってこない。

 

「エディ……!?」

 

彼の声で、変身が解けてたことにようやく気づく。服も靴もブカブカだ。戸惑うハリーを抱き寄せて最後の抱擁をした。

ハリーが苦しみ始めて、わたしは彼の傷跡に触れた。

 

「余計なやつを殺せ」

 

冷たい声が聞こえた瞬間、わたしは持っていた瓶を放り投げた。

 

───

 

眩い魔法の光が収まり、何人もの姿くらましの音がして、ようやく人の気配が消えた。

もともと墓場なんて静かな場所ではあるけれど、誰もいないことを痛感して、時間の経過がわからなくなる。

 

「おい」

 

どのくらい経ったか、足音がして誰かがわたしが被っていた布を引っぺがした。やってることが雑だ。偽物の死体はハリーが持って帰っちゃったから、残った布切れにアニメーガスで姿を隠していた。

変身を解き、ようやく体を動かせるとリドルの方を向くと、予測していない人物がそこにいた。

 

「父さん!?」

 

わたしが目を瞠ると、リドルが「バラした」とつっけんどんに言う。

 

「なんで言ったんだ!?父さんを危険に晒したくなかったのに!」

 

それ以上の文句を言うことは物理的にできなかった。父さんが抱きしめてきたからだ。

かつてわたしがセドリックにしたように、父さんはわたしの顔に触れた。優しくて壊れ物を扱うように、失っていないことを確かめるみたいに。

 

「エディが生きてくれていて嬉しいよ」

 

わたしは黙った。わたしの選択をリドルも父さんも責めなかったように、わたしもリドルの選択を、もう責めることはできなかった。

 

「エドワード様」

「リズ!」

 

リズが小さな体で抱きついてきて、わたしの無事を確認する。それから安心したようにゆっくり地面に降りた。

 

「ご無理はなさらぬよう」

 

『御二人は貴方に自分らしく生きてほしいのではないかと、リズは思うのです』

 

リズの声を聞いてなんとなく、昔のことを思い出した。でも今更口にする気もなくて見つめ返す。

 

「無理なんか……いたっ!ちょっと!」

 

言い切る前にリドルが頬をつねったので抗議する。リドルは謝りもせず、後ろを向いて「帰るぞ」とだけ言った。

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