復活した古の大妖魔、現代社会にカルチャーショックを受ける 作:ちわちわぱけぱけ
我が名は怒魏羅。
かつて数多の退魔師を返り討ちにし、数多くの村を支配した大妖魔である。
緑青の肌はあらゆる刃物を通さず、四本の腕は瞬時に10人以上の兵士を切り裂く。額から伸びる二本の角は霊験あらたかな神剣を弾き、金色の眼光は10里を見通す。まさに剛力無双、奇々怪々。その名は一時、人界に轟き数多の逸話を残したものである。
が、いささか有名になりすぎたせいで昼夜を問わず襲ってくる退魔師の相手が面倒になった我は、屈服させ下僕にした退魔師を用いて一計を案じた。
あえて退魔師に敗れた風を装い、わざと封印されたのである。
もちろん、その封印は内側から自力で敗れる程度のもの。我を封じる御堂も、しっかりしたものを用意させた。
あとは数百年ほど寝て過ごせば、ほとぼりも冷めて暮らしやすくなるだろう。何せ人間の寿命は短い。それだけ立てば、我の事を知る者も生き残っては居まい。
そうしてまんまと退魔師どもを出し抜いた我は、たっぷり思う存分惰眠を貪り、そろそろいいだろうと封印から抜け出した、の、だが……。
「……なんだこれは」
朽ちかけた御堂から出て、随分と成長した神木に昇った我の目に入った景色。
それはすっかり変わり果てた裾野の光景であった。
復活後の事を考え、我は山奥ではなく敢えて人里近くに封印の御堂を作らせた。山の麓には田園が広がり、泥まみれの哀れな農民たちが細々と暮らしていたはずである。
それが今はどうだ。
大地は黒い石に覆われ、灰色の石碑のような建物が軒を連ねている。光り輝く石がそこかしこで夜の闇を払い、鋼鉄の猪が目を爛々と輝かせて駆け抜けていく。
空を見上げれば地上の光によって星の光は薄れ、そればかりか夜の宙を大烏よりも遥かに巨大な何かが緑と赤に輝きながら、到底信じられぬ高さを悠々と飛び去っていく。遅れて響くのはそやつの遠吠えか。
たった数百年。
その僅かな時間で、世界はすっかり変わり果てていた。
「これは一体……わ、我は異世界に転生してしまったとでもいうのか……?」
我は大妖魔たる矜持も忘れて、ただ山から見える光景に呆然としたのであった。
翌日。
太陽の日が沈むのを待って、我は行動を起こした。
「これでいいのか? ううむ、今世の装束はよく分からぬ……」
四角い豆腐のような建物の裏で、我は自らの背格好を改める。今の我は、本来の姿ではなく人間のそれに姿を変えている。衣装についても、物陰から観察して今風の衣装に変えているのだが、あまりにも我の知る服と違いすぎて正直これであっているのか自信がない。
「ううむ……今の男は髪を結い上げぬのか。女のような髪をしおって……それになんだこの、やたらとひらひらした服は。落ち着かぬな……むぅ……」
上は青の裾の短い羽織、下は灰色のやたらと細い袴のような衣装に身を包み、私は首を傾げた。髪もそこらの若者をまねて短く切りそろえ、撫でつけてみたが……違和感はないだろうか?
「く……人変化は得意であったつもりだが……その思い上がりは返上せねばならぬかもしれんな。しかしたかが数百年でここまで変わるとは。そもそも、徳川の世からどれだけ立っているのだ? 前に200年ばかり寝た時は、せいぜい幕府が移っていたぐらいであったのに……」
もごもご言っていても仕方がない。
今世の事を知るにはやはり実際に町を歩いてみなければ分からぬ。
とにかく今の我には情報が必要だ。動かなければ何も始まらぬ。
「よし、人避けの術は聞きそうだ。いざ、参る……」
これほど緊張したのは果たしていつ振りか。我は冷や汗を拭う事も出来ず、大通りに歩き出した。
途端に押し寄せてくる、音と光の洪水。信じられぬほどの活気に圧倒され、我は思わずたじろいだ。
夜の闇を駆逐せんとばかりに灯される明かり。道々の店から鳴り響く音楽。人々は気力もなく列をなして歩き、手には光る石板を手にしてそれを眺めている。その向こうでは、鉄の獣が唸り声をあげてひっきりなしに行き交っている。
何度見てもこの世の光景とは思えぬ。地獄の一部が流れ出してきたかのような壮絶な光景だ。
「む、むぅ……」
タイミングを計って列に紛れ込み、流れに身を任せるがままに歩く。一瞬、隣の男が怪訝そうな視線をこちらに向けてきたが、人避けの術が効いているのだろう、すぐに興味を失ってそっぽを向いた。
我は一安心して、歩きながら店を眺める。
「しかし……一体何がどうしてこうなってるのだ……?」
店に並ぶのは、全く用途も想像もつかぬ品々の数々。
透明な包みにくるまれて、あるいは紙の箱に納まった商品が棚につるされている。あの透明な壁は、もしや硝子か? これほどの大きさの、均一な厚さの硝子がそこら中で石のように使われているのは全く信じられぬ。それにあの光る板はなんだ? 人々が手にする小さなものだけでなく、光って動く絵を写し出す大きな物もある。見れば人間が中に入っているものもあり……新手の陰陽術なのか? もしかして今の世では陰陽術が一般的に?
「だ、だがしかし術力の類は感じぬぞ……? 一体どういう仕組みで動いているのだ?」
列から抜け出し、間近で観察してみるが全く理解できぬ。ただ、相当に高度な絡繰りであるという事は理解できた。理屈はまったく分からぬが、かっちりとした作りにはある種の合理性を感じたのだ。
ううむ。我は新しい物が好きな方だと思っていたが、あまりにも理解を越えすぎると困惑しか出てこぬ。
「……む?」
と、そこで今度はかぐわしい香りを感じ取り、我は誘われるようにそちらに進み出た。
「これは……飯屋、か?」
そこにあったのは、光る黄色の看板にでかでかと『好み屋』と書かれた小さな店だった。赤煉瓦の建物の中では、無数の人間達が机に並び、何やら食事をしている。
見ていると、店員らしき男が食事を運んできた。白い陶器の器に盛られた、あれは……米か! そしてその上に乗せられた茶色いものは……まさか、あれはもしや肉か!?
そうか、ここは肉飯を提供している店なのか!
いやしかし、肉といえば我の世では猪、アナグマ、鳥といったものだった。いずれもうまいが、硬くクセがあって、よほどの調理上手でなければ人を選ぶものであったが……いや、しかし、器に盛られた肉のなんと柔らかそうな事よ。何かの汁と一緒に、柔らかく煮込んでいるのか。それを米にかけて、丼を抱えてかっこむ……おおぉ……どうして我はこの食べ方を思いつかなかったのだ!?
「じゅるり」
気が付けば垂れていた涎を拭い、我はイヤイヤ、と首を振った。
「大妖魔たるものがはしたない……。そ、それに……今は持ち合わせがない……」
懐をまさぐっても、出てくるのは我が眠る当時の古銭ばかり。勿論、今世の人間どもが扱っている金とは似ても似つかない。というか、あれは金か? 異様なレベルで彫刻が掘られていたし、あのうすい紙はなんだ? 全く分からん。
とにかくいえるのは、数百年もたてば金などすっかり刷新されているというものだ。貨幣とは権力の源泉であり、故に統治者が変われば入れ替わるのが必然。過去に眠って目覚めた時も、世の中はさして変わらなくとも金は変わっていたものだ。
当然、無銭飲食などという下らぬ事をする気はない。大妖魔はたとえ相手が下賤な人間であっても踏み倒したりなどしないのだ。
「しかし、どうしたものかな……」
常であれば、猟師にでも扮して山の獣を狩れば日銭を稼ぐ事が出来た。しかし、世がここまで変わり果てていてはいつもの手はずは通じそうにない。
面白そうな物がこれだけ並んでいるにも関わらず、それに触れる事ができないというのは結構な不満ではあった。
「いや、それより今の世を知るほうが大事か。いやしかし、一体どこからどう手をつければいいのか……」
ほとほと困り果ててた我は、歩きながら夜の通りを見渡した。
何か。
これだけ人間が居れば、何かもめごとの一つや二つはあるだろうて。それをうまく使えれば……お?
夜の落とす影の中、数人の男女が建物の影に姿を隠すのが見て取れた。両者の間は穏便とはいいがたい空気が流れていて、男が半ば無理やり女を引っ張っていくような様子である。
どうやら、我好みの展開が巡ってきたようである。
「ふふ。……まあ、人間がやる事は何百年たっても変わらぬという事か」
我はニヤリと笑みを浮かべて、そっと自らもまた町の闇に紛れた。