「ほら、咲斗君スーツを直して!子供達の前に出るんだから身だしなみはきちんとしないと」
「いや、別にいいだろ。ボタン全部留めたりネクタイ締めると息苦しいんだよ」
「シャツもズボンから出してたらだらしないってば」
「ちょっ、ズボンに手を入れようとすんな!」
ココナが咲斗の着崩れたスーツを無理矢理直そうとするも、咲斗は後ずさってそれを阻む。
「これはある種のファッションみたいなもんだよ。きっちりキメてるとクソ親父みたいで嫌だし」
「大人はかっこよく決まっているものなの!」
「あんな大人になりたくねー!」
「逃げちゃだめ!」
咲斗が山海経に移ってから、数日が経った。
これは今朝あった咲斗とココナの一コマ。
これから、咲斗の本格的な先生見習いとしての研修の日々がはじまる。
§
山海経高級中学校にある、子供達の養育機関である訓育支援部「梅花園」。
所謂幼稚園としての機能を持つそこでは、教官がやんちゃ盛りの子供達に悩まされながらも子供達の面倒を見ている。
だがこの日は特別な日のようで、教室に梅花園の全児童達が集められていた。
「はい、みなさん。今日はちょっとだけ特別な日です」
梅花園の教官を務める春原シュンが、手をパンパンと叩いて園児の注意を引きつつ、にこやかに微笑みながら言う。
その隣には咲斗が立っていた。
結局、そのスーツは着崩れたままだ。
咲斗はまだ11歳でココナとも身長が離れていないからか、すらりとした長身の黒髪女性のシュンから見れば頭一つ分程度背が低い。
「この梅花園に、新しい教官が来てくれることになりました。咲斗教官です」
シュンに紹介されて、シュンとココナの間に立つ咲斗が一歩前に出る。
「オレの名前は咲斗。仕事の一環でしばらくはここで教官として働くことになった。よろしくな!」
咲斗は園児達を見回しながらニカッと笑いかけて自己紹介する。
初々しいチャイルドスモッグを来た小さな園児達が咲斗をまじまじと見上げてくる。
「咲斗教官は私が当番をすることになった関係でここに来たんだよ?仲良くしてあげてね!」
ココナは少し胸を張りながら言った。
咲斗が園児達と仲良くできるか不安だったが、杞憂だったようだ。
先生への態度とのあまりの違いからちょっと怖いくらいだが。
「咲斗くん!」
「咲斗くんだー!」
「本物だー!」
すると、園児達は表情をぱあと明るくして、興味津々な様子で咲斗にぞろぞろと寄って来る。
「咲斗くんって先生の子供なんでしょ?咲斗くんっていくつなの?」
「咲斗くんは料理できるの?」
「ねぇ、咲斗くんはリーマンゼータ関数の零点が素数係数関数の振動を決定するかどうか分かる?」
「『咲斗くん』じゃなくて『咲斗教官』だろ!?それに最後の質問訳わかんねぇよ!?」
園児達から質問責めに遭い戸惑う咲斗。
「あれ……なんかこの光景見たことあるような……じゃなくて!ほらみんな!咲斗く……咲斗教官が困ってるでしょ!?」
「お前もオレを咲斗君っていいかけたな!?」
既視感を感じながら見かねたココナが園児達を止めに入るも、園児と同じ呼び方をしかけたココナは必死に取り繕う。
「れ、レディーにだって間違いはあるから!それに私は先輩だし……。そんなこと気にしてたら一人前の紳士になれないよ?」
「紳士ってなんだよ……」
「ココナちゃんはココナちゃんだよね?」
「ねー」
「ココナちゃんじゃなくてココナ教官!」
元気な園児達の楽しそうな声と、それに振り回される教官に咲斗が加わったことで梅花園の騒がしさは勢いを増す。
「はぁ……もう分かったよ。オレのことは咲斗くんと呼んでいいよ。でも、仲良くしてくれよな」
「いいの?やったー!咲斗くんココナちゃんよりおとなだー!」
「えっ……!?」
咲斗は根負けして、園児の頭を撫でながら園児達に合わせる。
その横で思わぬ流れ弾にココナはショックを受けていた。
「わ、私は咲斗教官より先輩だし何より当番だから!咲斗君よりお姉ちゃんなんだよ」
「ココナちゃんが咲斗くんのお姉ちゃん?」
「咲斗くんよりちっちゃいのに?」
「小さくないもん!たとえ小さくても経験の差でお姉ちゃんなの!だから咲斗君は咲斗君だけど私のことはココナ教官ね!」
どうにか威厳を取り戻そうと滅茶苦茶な論理で園児達にココナは言う。
もはや、ココナ自身も咲斗君呼びが定着していた。
「でも、これだけは守ってくれ。クソおや……先生のことをオレの前で話すのは禁止な」
やいのやいの言っているココナを尻目に、咲斗は園児達に約束をさせようとする。
「えー、なんでー?先生も時々来てくれて遊んでくれるのに」
「実はな……オレは重い病気で先生のことを聞くと全身から血が噴き出て死んでしまうんだ!」
「えっ!?そうなの!?」
「ああ、そうなんだ。だからオレの前で先生の話をすると二度とオレとは遊べなくなるんだ。そんなの嫌だろ?」
「いやー!咲斗くんと遊びたい!」
「ちょ、ちょっと咲斗君……!」
咲斗、ココナと園児達の一連の騒がしい様子を微笑ましく見ていたシュンだったが、流石にこれには手招きして咲斗を呼び寄せる。
「あまり子供達にでたらめを吹き込むのはやめていただかないと……」
「シュンさん。これくらい許してくれよ」
シュンは咲斗を優しくたしなめるが、咲斗はムスッとした様子でぽつぽつと答える。
「不意にクソ親父の話をされてあいつらを怖がらせたくないんだ。……多分、言葉にしなくても顔には出ちゃうと思うから」
「……そんなに先生の話をされるのが嫌なのですか?」
シュンの言葉に、咲斗は無言で頷く。
そこから何も会話を続けぬまま、振り返って園児達の元へと歩いていく。
「よしみんな、今から何をして遊ぶ?ムシクイーンでもやるか?」
「ムシクイーン?咲斗くんやってるの?」
「おう、ちゃんとデッキも組んでるんだぜ!」
「そうなの!?じゃあココナちゃんとバトルしてよ!」
ムシクイーンは、キヴォトス全域で流行しているカードゲームで、咲斗も勿論それにハマっている。
園児達の期待の眼差しを一気に受けるココナは面食らいながらも慌てて否定する。
「わ、私はやってない……」
「なんだよ、面白いのに。デッキ貸そうか?」
「そんなちっちゃい子みたいなことしないから!」
「なんだよそれ……仕方ねぇ、じゃあ別ので行こっか。思いつくやつ!」
咲斗は園児達と一緒にココナに落胆しながらも代わりの遊びを募る。
「えっとね、それじゃあゲリラ戦術ごっこ!咲斗くん、ココナちゃんと一緒に悪者を退治したんでしょ?それやりたい!」
「だからココナ教官だってば!」
「いいぞー。誰がオレとココナの役をする?」
咲斗は園児達の輪の中で、うまく打ち解けていた。先生の話をさせないのも、自分ではなく園児達を考えてのことだろう。
シュンとしては、そんな咲斗を黙認せざるを得なかった。
そして、今朝シャーレの執務室で先生に会った時のことを思い出していた。
§
「シュン、今日はありがとう。仕事を手伝ってくれて」
「いえ、先生の手助けをできたのであれば何よりです」
咲斗の様子を報告しにシャーレのオフィスに行った時のことだった。
山海経の茶を差し入れて、朝の一時を過ごした後、仕事が立て込んでいることを思い出した先生の書類仕事の手伝いをした。
「そういえば、今日は咲斗が梅花園の教官になる日だったっけ。咲斗はどうかな。そっちに迷惑はかけてない?」
「順調ですよ。梅花園の仕事の飲み込みも早いですし、山海経の人達の輪に入るのも早くて……確かに一部の保守的な生徒にはいい目で見られていないようですけど」
山海経の生徒は玄龍門を中心に、元来より伝統を重んじる気風がある。
それゆえに、よりにもよって梅花園の教官に外部の人間を招くことは、当然ながら頑固な生徒からすれば面白くない話だ。
「便宜を図ってくれたキサキには感謝しないとね。ココナとは仲良くやれてるかな?」
「確かにココナちゃんとはよく口論になりますが……実のところ、お互いのことは大切に思っているようですし、そこは心配ないと思います」
「よかった。この間は出会い頭に喧嘩しちゃったから」
「あれを聞いた時は私も驚きましたよ。まさか取っ組み合いにまで発展するだなんて」
「息子を置いてきてしまっていたのは事実だから、絶やさず連絡は入れてたんだけれどね……。あそこまで嫌われているとは」
先生とシュンはお互い苦笑いしながら当時のことを思い返す。
そこで、シュンは「ですが」と付け加えた。
「ここ数日間、咲斗君のことを見ていましたけど……やんちゃで行儀が悪いところも目立ちますが、とてもいい子だと思いますよ。その言動や行動の裏では誰かを思いやることを忘れない……先生によく似た優しい子です」
「……ああ。自慢の息子だよ」
「ただ、先生の話を聞いた途端急に機嫌が悪くなって暴言も吐いてしまうのは直してほしいですね」
「ごめん、それは私の責任だ……」
申し訳なさそうに先生は首を垂れる。
「……一つ、聞いてもよろしいでしょうか?」
「何かな?」
ふと、シュンは兼ねてより気になっていたことを先生に聞いた。
「なぜ、咲斗君の研修先を山海経に指定したのでしょうか?自分で言うのも何ですが……もっと有名な学園を指定した方が先生も安心できるのでは?」
山海経自体、積み重ねてきた伝統こそキヴォトス三大学園に引けを取らないものの、そこまでメジャーな学園ではない。
奔放な生徒が集い治安が終わっているゲヘナはともかくとして、規律を重んじるトリニティや技術的に進歩しているミレニアムの方が相応しいのでは、という考えは誰もが思い浮かべるものだ。
「それについては前にも話した通り、咲斗には歳の近い友達を作ってあげたいからだよ。付け加えるなら、山海経を信頼しているから、かな」
「と、言いますと?」
「梅花園の子達やココナのことは、シュンを含めてみんなが大切に思ってるよね?」
「ええ、それは勿論。子供は未来であり宝、ですから」
梅花園は、教育を山海経の中でも特に神聖視されている場所だ。梅花園の園児達を悪事や抗争に巻き込む事は最後、玄武商会と玄龍門を含めた山海経全体を同時に敵に回すことになるのは多くの生徒が知るところだ。
「勿論、咲斗のことも?」
「当然です。弟のようにかわいがってあげたいと思っていますよ」
ふふっと笑いながらシュンは言う。
実際、咲斗には少しウブなところが見え隠れしているのもあって、庇護欲がそそられているのは事実だ。
「なら安心だ。シュンもルミもキサキも、そして咲斗を快く思っていない生徒達も――きっといざという時は咲斗を守るよう動いてくれると信じているよ」
「それは先生もですよね?」
シュンは先生をじっと見つめながら聞く。
「ああ。どんなに嫌われても、私は父親だからね」
「でしたらこちらも安心です♪」
先生の答えを聞けたシュンは上機嫌になった。
咲斗のいる梅花園に手を出そうものなら、山海経全体どころかシャーレすら敵に回すことになる。
だからこそ梅花園を先生は選んだのだろう。
§
梅花園の教官に就任して早速、咲斗は園児達の授業を担当することになった。
初めてということで、ココナが隣について必要に応じて手助けする、ということになっている。
さながら教育実習のようなものだ。
「迷ったらなんでも聞いてね!私をお姉ちゃんだと思って」
「分かったけど、別にお姉ちゃんじゃないだろ」
「頼りたい時は頼ってって意味!ほら、私を先生だと思えば」
「……もっと頼りたくなくなってきた」
「なんで!?」
「ほら二人とも、そろそろ時間ですよ。私は別件があるので留守にしますのでお願いしますね?」
「「……はーい」」
お互いに言いたいこともあったが、シュンに促されて咲斗とココナは渋々教室に入る。
(きっと大変だと思うけど、頑張ってね咲斗君!大人になる一歩だよ!)
ココナは教室の隅から、内心張り切りながら生徒達に教えて回る咲斗を見守る。
梅花園の園児達は良くも悪くもやんちゃな子ばかりだ。少しでも油断すればすぐに授業どころではなくなってしまう。
(頼りたくないなんて言ってたけど、ちゃんと助けてあげるからね。教官の手本というものを咲斗君やこの子達に見せてあげなくちゃ!)
咲斗の後方で腕を組みながら、得意げに耳をぴこぴこと動かしていた。
ココナは教官と園児を交互に見渡しながら、助けを求められるのを今か今かと待っていた。
――待っていた、のだが。
「ねぇ咲斗くん、ここ教えてー?」
「いいぞ、どれどれ……」
「咲斗くん、おなかすいたー。おやつまだー?」
「もうちょっと我慢しろー。我慢できた子にはシュンさんに内緒でおやつをちょっと増やしちゃうかもな」
「ほんと!?わーい!」
「すぴー、すぴー……」
「……わっ!」
「ひぅっ!?」
「眠かったか?もうちょっとしたら自由時間だからな」
(……あれー?)
ココナの想像とは真反対に、咲斗は驚くほどあっさりと順応して園児達の授業をこなしてみせた。
質問してくる子には真摯に答え、我儘を言う子には頭ごなしに押さえつけずにユーモアを入れ優しく諭す。
まるで先生への態度からは想像できない兄貴分な教官の姿がそこにあり、ココナが助けに入る余地はなかった。
「咲斗くん!」
「咲斗くーん!」
「はいはい、順番だからちょっと待って――」
「もう仕方ないなー咲斗君はー!ここは一人前の教官たる私の出番ですね!」
咲斗が少し忙しそうになった時を見逃さず、ココナはすかさずずいっと前に出て割り入ってきた。
「ココナちゃん?でも、今日は咲斗くんが教えてくれるって……」
「ココナ教官ね!咲斗君は今日ははじめてで慣れてないから、私が手伝うことになってるの!だからここは私がお手本を見せてあげようと思って!」
「いや、呼んでないし頼んでもねぇよ」
困惑する園児をよそに授業に割って入ったココナに、背後から冷静に咲斗が突っ込む。
忙しいと言ってもそもそも園児に順番を守らせればよかっただけで、半ば強引な登場だった。
「む、無理しなくてもいいんだよ!お姉ちゃんに頼ってくれればいつでも助けてあげるのに~……」
「だからお姉ちゃんじゃないし、別に無理もしてねえよ。あとちょっとで授業も終わるし、みんないい子にできたよな?」
咲斗が園児達に振ると、彼女らはこぞって首を縦に振った。
「咲斗君はまだ半人前なんだから、頼ってって言ったじゃない!」
「勝手に決めつけんな!頼る必要もなかったんだよ!」
「ちゃんと先人の教えに従えって教科書の偉い人の言葉にも載ってるよね!?だから一人前には頼らないといけないの!」
「なんだよその滅茶苦茶な言い方!そういう法律あんのかよ!はじめての割にうまく行ってたからいいだろ!」
「じゃあなんでそんなにうまくできるの!?」
「ここに来る前に勉強してたんだよ!」
「先生だと思ってって言ったのに!」
「なんでお前をクソ親父みたいに思わないといけないんだよ!」
「親をそんな汚い呼び方しちゃだめ!」
「関係ねぇだろその話!」
再び、咲斗とココナの言い合いが始まる。
実際、咲斗はキヴォトスに来る前には嫌っている父に負けないように勉学や体力づくりに明け暮れていた。
こうして滞りなく授業を行えるのも、ヘルメット団員を制圧できるのもその鍛錬の賜物だったりするのだ。
しかし、咲斗とココナが喧嘩した場所がいけなかった。
「ぐすっ……ふぇぇん……」
「怖いよぉ……」
「いい子にするから喧嘩しないでぇ……」
教室を中心に授業を受けていた園児達が、皆こぞって泣きだした。
原因は勿論、二人の喧嘩だ。
「あー……」
「……」
やってしまったという顔をしながら咲斗とココナは互いを見合う。
その後、園児達を泣き止ますのに授業の残り時間を使い切るのだった。
§
授業が終わると、おやつを挟んで散歩兼おつかいの時間になった。
山海経の敷地内を、先頭に咲斗、末尾にココナを置き、園児達が列を組んで歩いている。
すれ違う山海経の生徒や住人達は、園児達の列に癒されながら通り過ぎていく。
「咲斗くんって男の子なんでしょ?力持ちなの?」
「そうだぞ。特にオレは筋トレしてるから仮面ドライバー並みにムッキムキだ!」
腕をまくって力こぶを作り腕っぷしをアピールする咲斗。
「すごーい!それなら咲斗くん、おんぶして!」
「私は抱っこー」
「おっととと……」
「ずるい!私も!」
「はいはい、順番な!」
先頭付近を歩いていた園児達は咲斗の方に群がってくる。
前に後ろにと園児達を背負いながら咲斗は歩を進める。
そこに列の後ろからココナが慌てて駆けてきた。
「ちょっと、咲斗くん危ないよ!みんなも、咲斗くんを困らせたらめっですよ!」
「えー」
ココナが軽く叱ると、園児達からはブーイングが上がる。
「えーじゃないの!怪我したらどうするの!」
「いいじゃん別に。怪我してもココナは治すの得意だろ?」
「そういう問題じゃないよ。私はただ咲斗くんやこの子達が心配で」
「どうせなら楽しい方がいいだろ」
「咲斗君は甘やかしすぎです!」
ピシッと指を振りながらココナは咲斗に言う。
しかし、咲斗は聞くつもりもなかった。
「優しすぎるくらいがちょうどいいんだよ。ほらみんな、遅れるなよー」
「あ、ちょっと!」
咲斗はココナをよそに園児達を引き連れて行く。
その背中を見てココナはぷくっと頬を膨らませながら園児達の列の後ろに戻る。
「そうだ!途中で玩具や寄ってこうぜ!ムシクイーンの新しいパック発売されたんだよな~」
「本当!行くー!」
「絶対ダメだからねっ!?」
再びココナは前に出て、咲斗を止めに入った。
やがて、咲斗とココナ率いる園児達の行進は玄武商会にまで届いた。
「玄武商会のみなさん、こんにちは――――っ!!」
元気いっぱいの園児達の声が木霊する。
「はい、こんにちは。みんな元気なようでよかったよ!」
出迎えるのは、エプロンを腰に巻いたチャイナドレス風の制服を着た長身の生徒。玄武商会会長である朱城ルミだ。
料理の研究の最中であったのか汗を拭いながら咲斗ら子供達を見渡す。
「ココナちゃんに咲斗くんもご苦労様。食材ならそこにあるから全部持ってっていいよ」
ルミの指した方向には美味しそうな食材の山がどっしりと盛られていた。
これが散歩兼おつかいの「おつかい」の方の目的だ。
梅花園に備蓄している食材が心許なくなっていたため、ルミの調達した食材を取ってくるようシュンに言われていたのだ。
ルミに頭を撫でられた咲斗は満更でもなさそうに、彼女の前でもじもじと落ち着かない様子だった。
「ところで咲斗君はもう梅花園には慣れたの?」
「は、はい!どうにかこの子達の授業もできて……」
ルミに声をかけられた咲斗は、緊張しているのか少し声を上擦らせながら言う。
「おっ、ココナちゃんも結構苦労してたのに偉いね。こりゃ将来有望だ!」
「ココナ教官です、ルミ会長!」
「いや~、それほどでも……えへへ」
「……」
骨抜きにされたように頬を赤らめ、笑いながら頭を掻く咲斗を、じっとりしとした目でココナは見つめる。
明らかに自分と話す時や父親と話す時とは違う、また別の咲斗だ。
「ははっ、その調子ならやっていけそうだね。近いうちに先生見習いさんには玄武商会会長として依頼出しちゃおうかな?」
「ルミさんの依頼ならすぐに請けますよ!いつでも依頼してください!」
少しでもルミにいいところを見せようとしていた咲斗だったが、突如として背後から襟首が引っ張られる。
「ぐえっ!?ココナっ、てめっ、何すんだよ!?」
「それでは会長!食材はいただいたので失礼します!ほら、みんなも行くよ!」
「いででっ、引っ張るなよ!」
「ココナちゃんしっとだー」
「ルミお姉さんにしっとしてるー」
「嫉妬じゃなぁぁい!これは咲斗君に対する教育!」
「あはは……」
ココナに引きずられながら玄武商会を後にする咲斗を、ルミは苦笑いを浮かべながら見送った。
「いやー、まいったね」
「会長……明らかに照れてましたよね、咲斗君」
玄武商会のメンバーがルミの背後から声をかけてくる。
明らかにニヤニヤとした笑みを浮かべていることがルミには分かった。
「だろうね」
「意外と脈あるんじゃないですか?」
「いや、そうでもないよ。先生は先生、咲斗君は咲斗君だ」
「え、いいんですか!?結構お似合いだと思ったんだけどなー」
「ココナちゃんや園児達が山海経の未来であるのと同時に、咲斗君は先生の未来だから。あまりこっちの負担を負わせたくないんだよ」
ルミは一息ついて吹っ切ると、玄武商会の厨房へと戻っていった。
§
「咲斗君ったらだらしないよ!ルミ会長の前であんなに鼻の下伸ばしちゃって……」
「う、うるせぇな!別に鼻の下伸ばしてねぇし!」
「ううん、あれは絶対下心あったよ!」
「なかった!」
「あった!」
玄武商会から梅花園に帰った後は、夕食の時間だ。
梅花園のキッチンで今日の献立の準備をしながら、ココナはルミにデレデレだった咲斗を叱っていた。
「みんなの前であんなに照れちゃって……立派な紳士ならそんなことしないよ」
「だから紳士ってなんだよ!じゃあお前クソ親父の前ではどうなんだよ」
「ふふん、私は咲斗君みたいに子供じゃないもん。先生の前では立派なレディーとして振る舞ってるから」
ここぞとばかりに勝ち誇った笑みを咲斗に向けて浮かべるココナ。
「それならクソ親父の前でもにんじんは残さず食べるんだな?」
「そ、それは……」
が、痛いところを突かれたか、ギクッとしてすぐにそれは瓦解する。
「そ、それよりも!咲斗君、最初に梅花園に来た時はシュン姉さんにもそんな感じだったよね?」
「シュンさんは……何日かここに通ううちに慣れたっていうか」
逸らすように話を振ったココナに咲斗はぽつぽつと語る。
ココナにも聞こえないような微かな声で「すっごく綺麗な人だけど母さんみたいにいつもの調子で振る舞えるっていうか……」とも漏らした。
「私のことで何か?」
「しゅ、シュンさん!?」
すると、背後からシュンの声がして思わず飛び退く。
つい先ほど、シュンは梅花園に戻ってきていたのだった。
「ただいま戻りました」
「お、お帰り、シュンさん……」
「シュン姉さん、お帰りなさい。夕ご飯の食材の準備、しておいたよ」
「まあ、ありがとうございます。後は私が作りますから咲斗君とココナちゃんはしばらく休んでいていいですよ」
キッチンの上に乗る夕食の材料を見渡して、シュンは微笑みかける。
そのまま園児達の夕食の調理をしようとするが、そこに咲斗が声を上げる。
「えっ、ここからはシュンさんだけで作るのか?」
「そうですね。食事は毎回私が担当しています。ココナちゃんが担当することもあるけど、みんなからは不評なようで……」
「できない訳じゃないからね!」
シュンの言葉にココナが必死に付け加える。
咲斗は食材を改めて見て少しだけ考えた後に言う。
「なら今日の夕食、オレが作ろうか?」
「「え……?」」
ココナのみならず、シュンの目まで点になる。
「咲斗くん……料理できるのですか?」
「うん。キヴォトスに来る前は自分でご飯作ってたし」
あまりにも意外過ぎてシュンも驚きを隠せなかった。
ココナは固まり、未だに現実を受け入れられてない様子だった。
「そういうことなら……任せてしまいましょうか」
こうして、今日の料理の当番が決まった。
「いっただっきまーす!!」
今日の梅花園の夕飯はカレーだった。
程よく熱した甘口のルーが白米に注がれて園児達の食卓を彩る。
その付近にはほぼ同じ大きさで園児達が食べやすいサイズに切られたサラダに、飲み物のミルク、そしてデザートのヨーグルトまで置かれている。
園児達は食卓に並べられていく夕飯に目を輝かせ、いただきますをすると一斉にカレーを口に運び込み、舌鼓を打った。
「みなさん、今日のご飯はなんと咲斗くんが作ったんですよ。しっかりと食べてくださいね」
「えー!」
「シュンおねえちゃんじゃないの!?」
タイミングを見てシュンが園児達に今日の料理当番を伝えると、驚きの声が上がる。
「これ、すっごくおいしい!」
「シュンおねえちゃんと同じくらい!」
「ねー!」
と同時に、咲斗の料理を大絶賛していた。
「小さいのにすごいですね、咲斗君。こんなにおいしいご飯を作れるのなら、たまに料理を担当してもらおうかしら」
「シュンさんさえいいならそれでいいよ。オレも生徒の役に立てるんなら嬉しいし」
シュンも咲斗の作ったカレーを口に含んだ後、惜しみない賛辞を贈る。
褒められて嬉しさを隠せないのか、にししと笑う咲斗の顔がかわいらしい。
「何より、クソ親父のできないことで生徒のためになることをしてる感覚が気持ちいいんだ!あいつ、料理できないだろ?」
「先生ですか?確かに毎日コンビニ弁当で済ませているとは聞きましたが……」
カレーを頬張りながら、咲斗は得意げに語る。
「だろ?結局あいつは母さんがいなければ仕事以外何もできねぇんだよ」
「……そういえば、先生には奥さんが既にいらしたんでしたね」
遠くを見ながら、シュンは咲斗の話に耳を傾け続ける。
「ああ。料理もできてオレのこともクソ親父のこともちゃんと見てくれる優しい母さんだった……。それに美人で、ルミさんやシュンさんにちょっと雰囲気が似てたかな」
「わ、私にですか!?」
「うん」
不意打ちのように出た言葉に、シュンは思わず舞い上がって声が上擦る。
「オレの料理の腕も母さんから教えてもらったんだ。その後、独学で身に付けた」
「咲斗君……」
思い出を語るような口調になる咲斗を見て一気に引き戻されたシュンは、何かを悟っていた。
「もしかしてあなたのお母さんは……」
「へ?あ、あー……いいよ、気を遣わなくったって。変に生徒に心配かけるのも先生としてよくないだろうし……!」
咲斗は慌てて誤魔化しながら必死に取り繕う。
先生と咲斗の事情の一端を知ってしまった気がして、それ以降言葉をかけられなかった。
「むー……私の方がお姉ちゃんなのに……先輩なのに……むー……私より料理上手なんて……むー……美味しい……」
一方ココナは、一人拗ねながらぱくぱくとカレーを口に運んでいた。
§
夕食後は、教官が園児達をお風呂に入れる時間になる。
梅花園では、教官は園児達をお風呂に入れながら自分の身体も一緒に清めるらしい。
梅花園の風呂はちょっとした銭湯をイメージさせる大浴場になっており、そこで園児達は一斉に風呂に入る。
その前には当然脱衣所が備え付けられており、園児達と教官の人数分着替えを入れる籠がある。
「よーしみんな、お風呂に入るからばんざいしような。脱げる子は自分で服を脱いでってくれ」
「はーい!!」
咲斗もまた、シュンに頼まれてひまわり組の園児達を風呂に入れることになった。
ばんさいをしている園児の上着を一人一人脱がせて行く。
「咲斗くん!一人で脱げたよ!」
「おっ、えらいなー。なら一人で身体洗えるか?」
「それはだめー。シャンプーが目に入るからこわい!」
「はいはい。洗ってやるから入ろうな」
一人、また一人と服を脱いでいき、やがて全員がすっぽんぽんになった。
咲斗も服を全て脱ぎ、腰にタオルを巻こうとすると園児達が丸裸になった咲斗の身体の一部分をまじまじと見つめていることに気づく。
「……すごーい」
「いいなー。咲斗くん、おまたにぞうさんついてるんだ」
「ッ!!」
見られているモノに気づいた咲斗は爆速であそこをタオルで覆い隠した。
「そ、そこは見ていいもんじゃないから!」
「えーなんでー!?もっと見たいのにー」
「なんで私には咲斗くんと同じのがついてないのー?ねぇなんでなんでー?」
「そ、それはお前らが女の子だからで……」
ぞろぞろと園児達が咲斗を囲い込み、咲斗に身体が触れるのを厭わずに質問攻めにしてくる。
話題はもちろん咲斗のあそこについていたアレだ。
「ココナちゃんのにはついてなかったよね?」
「シュンおねえちゃんはここに毛がもっさり生えてた!」
「……!!」
ついには、同じ教官の話にまで発展する。
これまで発想すら湧かなかったよからぬ妄想が頭の中に嫌でも浮かんでしまい、勢いよくぶんぶんと頭を振る。
「だーもう!素っ裸のままでここにいると風邪引くから!早く入るぞ!」
半ば強引に園児達の背中を押しながら、咲斗は大浴場へと入った。
「わーい!泳ごう!」
「おーい、いきなり入ったらすごく熱いからまずはかけ湯しような」
大浴場は浴槽の温度が少し高めなのか、湯気が霧のように充満していて少し離れるとよく見えなくなる。
咲斗は先行して湯船に突撃しようとする園児を見逃さぬよう、どうにか手を引いたり抱えたりしてかき集めて、その場に並ばせてから桶にかけ湯を取る。
「あったかーい!」
「あつーい!」
「はぁ……」
園児達一人一人と対面して、その小さな身体にぬるめのお湯をかけながら、深いため息をつく。
少しでもこの大浴場でココナのような生徒がどんな姿でいるかを想像してしまった自分を深く恥じ入っていた。
先生にそういう想像をされて気持ちがいい生徒なんていないだろう。……いや、余程変態的な性癖を持つ生徒であればいるかもしれないが。
「ねぇ咲斗くん!入っていい?早く泳ぎた―い!」
「その前に身体洗ってからなー」
「はーい!!」
咲斗は園児達を風呂椅子にそれぞれ座らせて、自身も空いている場所に座る。
そしてすぐに他の園児達の面倒を見れるよう、園児に比べて早めに身体を石鹸で清めていく。
自分を洗い終わったら、うまく身体を洗えない園児達の世話をしてやる。
シャンプーがうまくできない園児にはシャンプーハットを被せて代わりに髪を洗う。
ボディソープを思うように扱えない園児には、優しく丁寧にその汚れを落としてやる。
「よし、みんな洗い終わったなー?」
「洗い終わったー!!」
「それなら湯船に浸かっていいぞ。泳いでもいいけどゆっくりめにな!」
「わーい!!」
泳ぐ許可を貰えた園児達は、無邪気さ全開で湯船に走り寄り、飛び込んでいく。
そんな園児達に続いて、咲斗も湯船に浸かろうと歩み出した時だった。
「こら!飛び込んだら危ないからゆっくり入ろうね!」
(……ん?)
咲斗の耳に、どこか聞きなれた声が湯気の向こうからした。
「あれ……でもおかしいね。みんなもう上がったはずなのに……。あとは遅れて入ってきたこの子だけなんだけど」
そう言って、ざばあと湯船から2つの影が立ち上がる。
その影はゆっくりと歩きながら、咲斗の前に姿を現した。
「ココナちゃん、もう上がるの?」
「あまり長く入ってたら次の子達が来ちゃうでしょ。多分もう時間は過ぎてるから次の子が……」
それは、先ほどまで湯船に浸かっていたココナと、ココナに手を引かれている園児だった。
「来、て、しま……う……」
「……」
大浴場で咲斗とココナが相対する。
咲斗の姿を目にしたココナは途端に固まる。
大浴場にいるということは風呂に入っていること。
風呂に入っているということは全部脱いでいるというわけで。
咲斗の目には、春原ココナの生まれたままの姿が湯気に紛れて映し出されていた。
運が悪いことに、ココナは湯船から上がったばかりで小さなタオルを片手に持っているのみで、身を隠すものは何もなかった。
ココナの制服の下に隠されていた、微かながらもなだらかな凹凸を伴う汚れのない、神秘的な光景が、咲斗の目に飛び込んできた。
「ココナちゃん?どうしたの?」
不思議そうに園児が見上げるも、ココナは固まったままだ。
ココナの視線は、咲斗のただ一点の集中していた。
そこは、タオルを巻いている咲斗の腰の一部分が、彼の意識の外で盛り上がっていたのだ。
「咲斗、君」
「ココ、ナ」
「あ、咲斗くんだー。ココナちゃんと一緒に入り来たの?」
あまりの事態に硬直していた思考が、ようやく動き出す。
そして、互いに見た、見られたことを認識した瞬間のことだった。
「きゃあああああああああああっ!!!!」
「うわあああああああああああっ!!!!」
咲斗とココナの悲鳴が梅花園の外にまで響いたという。
§
翌朝。
「あ……咲斗君」
「ココナ……」
梅花園に来た二人は互いを見つめ合うと、しばしの間固まった。
「ッ!!」
「ッ!!」
そして、耳まで赤くして碌に話すこともなくすれ違った。
胸の二つの丘と腰の一つの丘。自分のモノとは形状の違ったあそこ。
昨日見た光景が、未だに頭から離れなかった。
しばらくの間、まともに会話すらできなかったという。
そんな様子を、シュンは申し訳なさそうに見守っていた。
「想定外でした……まさか咲斗君とココナちゃんがお風呂でばったり会ってしまうなんて……」
このようなことは咲斗が来る前からたまに起こっていた。
その時はシュンがお風呂の担当を兼ねていたため、同性のココナと出くわしても問題はなかったのだが、咲斗とココナはそもそも異性だ。
その配慮に欠けていたことを深く反省する。
咲斗がココナともぶつかり合いつつも打ち解けていた矢先のことだから尚更だ。
「咲斗君……きっと難しい家庭環境でしょうしその穴をココナちゃんが埋めてくれるといいのですけど……」
咲斗の過去には思うことがある。
先生の言っていた「歳の近い友達」の意味を、今なら理解できた気がする。
(それにしても異性、ですか。もしかしたらこのまま咲斗君とココナちゃんがくっついちゃったり、なんて――)
思わず、これからの未来で起こりそうなことを妄想してしまうシュン。
(あれ……?ちょっと待ってください……)
そして、あろうことかその妄想が変なベクトルの方に急発進し始める。
(もし咲斗君とココナちゃんが契りを結んだら……)
もし仮に。仮にそうなった場合を想像してみよう。
シュンは先生の義理の親族ということになり、咲斗が義弟になる。
そして、先生は咲斗の父であるがゆえに、シュンは先生の義理の娘ということにもなる。
(えっえっえっ……ということは……!!)
咲斗を姉として可愛がることもできれば、先生に義娘として思う存分甘えられる。
咲斗とココナがそうなるだけで、おおよそシュンが理想とする世界がそこに出来上がるのだ。
(もしかして……私――)
「千載一遇のチャンスに巡り合っているのでは……!?!?」
これ以降、シュンは梅花園の咲斗の業務をやたらとココナと一緒にさせるようになったとか。