ダンジョンにドミナントがいるのは間違っているだろうか 作:巡理愛
「――目が覚めたか、ベル」
ロキ・ファミリアの野営地のテント。
柔らかいベッドの上で、ベル・クラネルが意識を取り戻した瞬間、聞き馴染みのある、世界で最も頼れる大人の声が耳に届いた。
ベルが視線を向けると、そこにはポイズンウェルミスの毒から完全に回復(自力で解毒)し、静かに椅子に座って愛剣『インヴィクタス』を厳かに磨いているクライヴ・ロズフィールドの姿があった。
「クライヴさん……っ! よかった、無事だったんだね……!」
ベルは涙目で安堵の息を漏らし、中層13階層からなる『岩窟の迷宮』の奈落で遭難しながらも、リリとヴェルフと共に生き延び、新しい短刀『灼牛』を打ってもらったこと、そしてヘルハウンドの群れを全滅させたことを誇らしげに報告した。
「ああ、リリルカから聞いたぞ。……よく生き残ったな、ベル。お前はもう、立派な戦士だ」
クライヴは穏やかに微笑み、少年の成長を心から称えた。テントの片隅では、衣服のポケットから飛び出したリズンが、すっかりリリやヴェルフ、そしてレフィーヤ(ベルのことは未だ憎たらしく思っている)たちの膝の上をチョロチョロと動き回り、ファミリアの新しいマスコットとして温かく馴染んでいた。
18階層の美しい緑広がる楽園の地で、ヘスティア・ファミリアとロキ・ファミリアの面々は、激闘の疲れを癒やすひと時の休息を噛み締めるのだった。
途中、途中噂の兎にまつわるハプニングなどはあったようだが、アンダーリゾートでの一時は平和と安らぎであった。
───
アンダーリゾートには地上のように昼と夜が存在する。
これは地上の時間に合わせたものではなく、あくまでダンジョンギミックとしてのものであった。
その夜、ロキファミリア主導でベルたちへの敬意としてささやかであるが祝杯がなされた。
そこではティオナとティオネによる質問攻めに合う、ベルはタジタジであった。アイズもまた、何とかベルの急激な成長の秘訣、秘密を知ろうと耳を傾けていた。
クライヴは年齢的にはフィンたちに近いため、ダンジョン産のお酒に似たフルーツと言えば良いだろうか?
そちらを飲みながら、穏やかに過ごしていた。リズンは彼の周りでウロウロしながら、主にロキファミリアの女性陣から
食べ物を貰って器用に手で持って食べたりしていた。
動きは翼を持った兎といった感じで可愛がられていた。
しばらく過ごしていると17階層へと続く連絡路から、聞き覚えのある声が聞こえるのだった。
「──うぎゃあ!!」
何とも威厳のない女神の声であった。
その声に反応してのか、いの一番に声の方に走っていくベルにクライヴもまた出迎えに行く。リズンも背中に登ってきて同じように出迎えた気のようだ。
「――ベルくん! ベルくん、無事だったんだねぇぇ!」
彼らの遭難を知って地上から決死の強行軍でダンジョンを下ってきたヘスティア・ファミリアの救出隊が、ついに到着した。
泣きながらベルにしがみつく主神ヘスティアを筆頭に、ヘルメス、アスフィ、そしてヤマト・命、カシマ・桜花、ヒタチ・千草といったタケミカヅチ・ファミリアの面々、そして助っ人として同行したリュー・リオンの姿があった。
「神様…………! 心配をかけて、本当にすみません!」
無事な再会を喜び合う中、クライヴはマントの奥でリズンを「きゅぅ」と鳴かせながら、静かにその様子を見守っていた。
ロキファミリアの面々は突然の珍客と言えるヘスティアとヘルメスという本来この場所に居てはならない神のニ柱に驚きながらも受け入れてくれるのであった。
フィンはきっとヘルメスは何らかの目的があって接触してきたのだろうと思いつつも笑顔で出迎えた。
救出隊の中で、深緑の色をしたフードと顔半分を覆った人物はベルたちの生存を確かめたあと早々に森の方へと行ってしまった。
あの眼差しは何処かで見たことがあるとクライヴは思いつつもあまり深くは詮索しないでおこうと思い声をかけなかった。
そんな中で和装をした、極東出身の者たちからなるタケミカヅチファミリアという者たちとその後、鍛冶師のヴェルフとリリルカがひと悶着あったのをクライヴは後で知ることになる。
ちなみに、ヴェルフは自派閥の団長である椿・コルブランドに絡まれて心底嫌そうにしていた。
───
遠征で出た消耗品の補充なども兼ねてベルたちはリヴェラの街の散策に出かけるとのことであったがそこから一歩離れ、クライヴは一人、18階層の北西にある物静かな場所へと足を向けていた。
――5年前に命を落とした、アストレア・ファミリアの団員たちの墓地。
深層59階層における、デミスピリットとの死闘。あの戦いで放った半顕現の偉業により、クライヴの背中の【
ファミリアの墓標から少し先の大木の影に隠れるようにしてあった石塔の前に立った瞬間、大気がじりと赤黒く焦げ付き、かつてないほどの激しいエーテルの濁流が吹き荒れた。隠されていた『クロノスの石塔』が、世界の理を書き換えるほどの鮮烈な真紅の光――イフリートの呼気を放ち、ついに完全起動を果たす。
(……待たせたな。今度こそ、その呪縛を焼き切ってやる)
クライヴが光り輝く石塔の表面へと右手を触れた瞬間、彼の意識は眩い光の奔流と共に、燃え盛る精神世界へと引き込まれていった。
視界を埋め尽くすのは、轟々と音を立てて荒れ狂う紅蓮の火床。
その地獄の炎の向こう側に、かつてフェニックスゲートでジョシュアを奪い、己を十三年間の絶望へと突き落とした、禍々しく燃え盛るもう一人の己――『イフリートの炎影』が立ちはだかっていた。
元の世界の最初の戦いの時は、自分がイフリートである現実を受け入れられず、拒絶と絶望の泥仕合だった。そこから何とか受け入れ、ずっと戦い続け、数々のドミナントと対峙して、ジョシュアとも再会。そして、アルテマを打ち倒し、すべてを受け入れた今のクライヴの瞳に、戦うことへの迷いは一切なかった。
「――俺は結局、再会したジョシュアを守れなかった。俺を信じて付いてきた者たちの多くを失った。ドミナントたちの運命も結局は変わったと言えないのかも知れない。ジルとの約束も果たせず、俺はここにいる」
己の心を映し出すように、あの時もいろんな出来事が今のように空間に浮かんでいた。
クライヴはインヴィクタスを両手で強く握り締め、己の過去の後悔を、静かに、しかし激しく吐き出した。
「アルテマを倒し世界そのものを変えることに迷いがあったのかもしれない。だから、この世界に流れ着いたのか? 俺にはまだ分からない……もう戻ることも叶わないのかも知れない。ずっと後悔はある。それでも――この世界で出会えた者たちも居て、だから、もう一度、もう一度!
その言葉を合図に己との戦いが始まった。
炎影が凶悪な咆哮を上げ、巨大な灼熱の爪を振り下ろしてくる。
クライヴはそれを一歩も引かずに真正面から迎え撃った。無詠唱の『ファイア』を近距離で連射し、炎影の視界を爆炎で削り、オッタル戦でも見せたタイタンの受け流しの超技術だけで、地熱爆発の衝撃を冷徹にパリィしていく。
お互いが同じタイミングでの『フェニックスシフト』と『ライジングフレイム』を繰り出す。
斬り合い、殴り合い、お互いの人間の意志の炎が、精神世界を凄まじい速度で焦土へと変えていく一進一退の極限の死闘。決着は着かない。互角の戦い──。
あの時もこうだったと自嘲気味に笑うクライヴに炎影は変わらぬ表情。それでもあれは俺自身なんだ。だから、聞いてくれる──。
「たとえ残酷な“現実”が待っていようと、俺はもう一度足掻き続ける。そのために、自分を受け入れて再び前へ進む!」
あの時の決意をもう一度口に出して、想い馳せる。
(だから、もう一度だ。もう一度己の炎と向き合い、世界と向き合わさせてくれ!!)
想いが届き、繋がったクライヴのロゴスの魂が限界を超えて咆哮した。
「――来い! イフリートォォォオオオオオッッ!!!」
───
その叫びに答えてくれたのか、今まで絞られる感覚があった蛇口が開きクライヴの内なる炎は爆ぜて、召喚獣『イフリート』が完全顕現した。
そこからは以前の闘いを再現するように炎影のイフリートと殴り合い、地獄の業火を撃ち合った。
長く続く闘いではなかった。そこからまた人間態に戻り、斬り合い、殴り合い、互いの技を、魔法をぶつけ合う。
リミットブレイクによる燃え盛る斬撃の嵐。お互いが譲ることなどない。お互いが鏡写しであり、これが
それでも人としての意志を持って挑み続ける。元より傷を、傷痕を刻み続けるのはとっくに覚悟は出来てる。
だから、前を向き、己とぶつかり続けた。数え切れないほどのぶつかり合いの果てに、闘いの決着の時が訪れる。
クライヴの放った渾身のインヴィクタスの一閃が、炎影の胸を真っ直ぐに貫いた。かつては拒絶すべき狂暴な呪縛だった炎影は、主であるクライヴの強き人間の意志を認めるように――最後は、満足そうな、どこか穏やかな笑みを浮かべて、光の火の粉となって静かに霧散し、消滅していった。
アルテマの残滓を逆手に利用して、わざと自分に居場所を気づかせるために合流を呼びかけていた、魂の半身の真意。
「お前は……もうずっと、俺の背中を押してくれていたんだな……」
その炎を完全に自身の肉体へと取り込んだ瞬間、クライヴの全身をかつてない『イフリートの真の魔力』が駆け巡り、下界のファルナの理を内側から焼き変える【イフリート完全顕現・リミットブレイクの恒常解放】を果たすのだった。
意識は遠退いて行き、試練が終わることを告げていた。
(ありがとうイフリート。この世界でも俺はお前と歩み続けるよ──)
ハッと意識が現実世界の墓地へと戻ってきたクライヴ。
その場に佇む彼の前に、ちょうど大切な家族の墓参りにやってきていた元『疾風』のリュー・リオン、そして彼女から案内されていたベルの二人が、偶然にも通りかかった。
「あ……クライヴさん!? こんなところで、何を……」
ベルが驚きに目を丸くする。
クライヴから漂う、先ほどまでとは明らかに異なる『圧倒的な炎の気配』に、リューもまたエルフとしての鋭敏な知覚で何事かを察知し、深く畏怖の眼差しを向ける。
「……いや、少し、古い友人と語り合っていただけだ。……ベルの方こそこんな所に来てどうした?隣の者はあの酒場のエルフの店員か?」
クライヴは穏やかに微笑み、少年とエルフに問いかけた。
「僕は、その…」
「やはり気付かれていましたか。ロズフィールドさん」
リューさんの事情を先ほど知り始めたのとここに来るきっかけが
「何となくだがな。その強い眼差しに覚えがあった」
「そうでしたか…。先ほど古い友人と仰っていましたが、この墓標の誰かと知り合いで?」
リューは少しだけ戸惑いと純粋な興味で問い返した。
「いや、この墓標に眠る者たちのことでは…」
「そうでしたか。実はこの墓標に眠る者たちはかつて私が所属していたファミリアの者たちが眠っています。とは言え亡骸はないのですが…」
「凄惨な戦いがあったのだな」
「…リューさん」
少し憂い帯びた表情と声にどんな最期にしろ亡骸を持ち帰ることは不可能だったのだろうと思うクライヴとリューの言葉に心配そうに見つめるベル。
「少し、そうですね。クラネルさんにも話し始めていた所ですが、良ければロズフィールドさんも聞いてくれませんか?」
「俺で良ければ聞かせてくれ」
「僕も続きを聞いてみたいです」
「ありがとうございます。では…私の所属したファミリアの名前は『アストレア・ファミリア』…正義を掲げ、当時の悪の象徴であった『
そこから対話の中で、リューがかつて失った大切な仲間たち、アストレア・ファミリアの悲劇の記憶をぽつり、ぽつりと口にしていく。
イヴィルスの悪逆さ。その中で失った知己の者たちや友人。散っていった他派閥の先達たち。やはりというほどの凄惨な人間同士の戦いがかつてつい5年ほど前まで行われていた事実にベルは戦慄し、クライヴはこの世界でも人間同士の争いはあるのだなと想い馳せていた。
話されるアストレア・ファミリアの
詳しくは少し震えているようにも見えるリューは話さなかった。そして自身の最後は愚かにも復讐者に堕ちたという、クライヴにも共感と相づちを打たせるものであった。
これで話しはお終いとリューが少々長く話し過ぎたと言おうとしたまさにその瞬間だった。
「ぐっ……、あ……っ!?」
クライヴは突然、頭を割られるような凄まじい『
「クライヴさん!?」
「ロズフィールドさん、大丈夫ですか……っ!?」
ベルとリューが慌てて駆け寄る。
しかし、クライヴの歪む視界の裏側では、オラリオの歴史の因果が完全にバグを起こしたかのように、本来聴こえるはずのない『幻聴』が、あまりにも鮮明に脳裏へと流れ込んていた。
『――ねぇ、しっかりしなさい! 諦めるのはアストレア・ファミリアの名が泣くわ!』
『――ふん、相変わらず騒々しい。……だが、あの灰色マントの男の剣、見惚れるほどに美しいのは確かだな』
『――にひひ! よーし、…ドの旦那とベ…………の姐さんも巻き込んで、一発大逆転といこうじゃん!』
『──正義の剣と翼に誓ってね!!行きましょ!みんな!!!』
天真爛漫に笑う、亜麻色の髪の乙女の主神を慕っていた少女、アリーゼ・ローヴェル。
冷徹ながらも気高き、極東の誇りを宿した黒髪の魔法剣士、ゴジョウノ・輝夜。
小賢しくも愛らしい、爆弾を弄ぶ小人族の少女、ライラ。
5年前に確実に全滅し、目の前に墓標が並んでいるはずの、アストレア・ファミリアの亡き少女たちの声。
それが、見知らぬ異世界の――……や……………の名を呼びながら、まるで『今もどこかで生きている』かのような、不自然な記憶の
(何だ……このノイズは……。アルテマの残滓の干滓が、俺が力を取り戻したことで、この階層の時空そのものを歪めているというのか……!?)
「……いや、何でもない。ただの、昔の傷が疼いただけだ。すまない話の腰を折ってしまったリオン殿」
「いえ、謝る必要はありません。ちょうどこれで話しは終わりでしたから」
クライヴは荒い息を吐きながら強引にそのノイズをねじ伏せ、心配そうに見つめる二人に話し返した
「そろそろ俺は戻ろうと思うが二人はどうする?」
「私はもう少しこちらに居ます。なのでクラネルさんをお願い出来ますか?道に迷っていた次いでにこちらに来たので」
「そういうことか。ありがとうリオン殿。ならば、行こうベル」
「はい!リューさんありがとうございました!探索気を付けて下さいね!」
クライヴは会釈し、ベルは手を振りながらリューと別れアストレアファミリアの墓地を後にした。
───
ベルは戻って早々にいろんな女性たちに頭を下げに行ったようだった。あとで知ったことであるが、神ヘルメスに唆されて、女性たちの水浴びを覗きに行ったそうだ。
その勇者?とも言える蛮勇を神ヘルメス対して止めようとした不慮の事故により、今に至る。
彼もまた思春期の少年ということなのだろう。
そこからヘスティアの元でベルとクライヴはステイタス更新をすることになった。
「……な、何だいこれは……っ!? ベルくん、君、レベル2になってまだ数日のはずなのに、もうこんな数値を……!」
あの地獄の13階層から始まったサバイバル。
3つの重量級の武装(ショートソード、灼牛、フレイム・オックス)を神速のスピードで目まぐるしく切り替えて戦ったことで、【器用:C(697)】。さらにヘルハウンドの凶悪な火炎を新スキル『英雄昇火』の加護で耐え抜き、中層の怪物たちに幾度もボコボコにされながらも泥臭く生還したことで、【耐久:D(505)】という、レベル2の初期としてはあり得ない爆速の成長率が刻まれていたのだ。
「次は、クライヴくんだね……って、ええぇぇぇーーーっっ!?」
続いてクライヴの背中に血を垂らしたヘスティアが、椅子からひっくり返らんばかりに絶叫した。
「カンスト……! 能力値が全部、上限の【S(999)】で完全に止まっているよ……! 下界の限界の壁をすべて埋め尽くしている!」
それだけではなかった。クライヴが18階層の墓地で『クロノスの石塔』に触れ、かつてない精神世界の試練を突破したことで、彼の中に眠っていた『元の世界の神殺しの器(経験値)』が、下界のファルナのロックを強引に解除していた。
神の意志や月日の経過、下界の理すら関係なく、ただ『試練突破』の事実を以て、ファルナのシステムが『ランクアップ可能状態』であることを示していたのだ。
ヘスティアは驚きに手を震わせながら、神としての権能を以て、クライヴのレベル2への『ランクアップ』の手続きを執り行った。
ファルナ特有の光と鈍い鈍色の光が包み込み、クライヴの基本アビリティは全て【0】へとリセットされ、再び『しわい成長』の器へと戻る。
しかし、新しく刻まれた文字を見たヘスティアの顔が、今度は恐怖に引きつった。
空欄だった発展アビリティの欄に刻まれたのは、【
そして新しい風の無詠唱魔法『エアロ』。さらに、ヘスティアのファミリアとしての解読知識を完全に超越した、異次元のスキル欄が発現していた。
【スキル】:『
• 獄炎の召喚獣『イフリート』の完全顕現、および一時的な半顕現(リミットブレイク:※通常スタイル)の使用を可能とする。
【スキル】:『
• 効果:『メモリーストーン』の試練突破時、ランクアップを可能とする。
「ボクのファルナの知識じゃ、この二つ目のスキルの後半の文字は『メモリーストーン』としか読めないよ……。クライヴくん、君は一体何の力を取り戻してきたんだい……!?」
この世界の基準でレベル10、あるいは100にも匹敵するかもしれない神殺しの王の力。
その封印の第一段階を、神の手を介して正式に解除したクライヴは、衣服を正しながら静かに拳を握りしめた。
「――俺の、本当の炎だ。ヘスティア、更新を感謝する」
多くを語らないクライヴの背中を見つめながら、ヘスティアは、自身の二人目の眷族の行く末を憂いた。彼が語ってくれた元の世界での偉業。世界の救世主という名の『英雄』であり、世界の変革者という名の『罪人』とも言えるその背中を天幕を開いて出ていき見えなくまで見つめ続けた。