ダンジョンにドミナントがいるのは間違っているだろうか 作:巡理愛
良かったら読んでやってください。
「――ふぅ。これくらいでいいか」
パチパチと爆ぜる古びた竈の火を見つめながら、クライヴ・ロズフィールドは息を吐いた。
かつて数多の仲間たちが集う「隠れ家」の長として、限られた物資をやりくりし、大勢の生活を支えてきた彼にとって、家事や料理は身に染みついた日常の一部だ。
埃っぽかった地下室は綺麗に掃き清められ、散らかっていた雑器も整然と並んでいる。
竈の上で煮え立っているのは、昨日ベルがわずかに残していた干し肉と、そこらの市場で安く売られていた端切れの野菜を煮込んだスープだ。ヴァリスゼアの食材とは勝手が違ったが、長年の経験が絶妙な味付けを導き出していた。
「う、う~ん……。なんだか、凄く良い匂いがする……?」
パタパタと足音を響かせ、最初に起きてきたのは主神のヘスティアだった。
寝癖のついた黒髪を揺らしながら部屋を見回した彼女は、見違えるほど清潔になった地下室と、大柄な身体に不釣り合いなほど手際よく木匙を動かすクライヴの姿を見て、パチパチと目を瞬かせた。
「おはよう、神。勝手に竈を借りた」
「お、おはようクライヴくん……! って、これ君が作ったのかい!? 掃除まで……。うわあ、スープめちゃくちゃ美味そう! ベルくん、起きておくれ! 凄いよ、ウチに万能の旦那様がやってきたよ!」
ヘスティアの騒がしい声に、目をこすりながら起きてきたベル・クラネルも、目の前の光景に呆然とした。
「ク、クライヴさん……? おはようございます。……わあ、本当に美味しそうです……!」
「口に合えば良いがな。しっかり食べておけ、少年。これからギルドとやらに行くのだろう? 身体が資本だ」
マントを脱ぎ、穏やかに微笑むクライヴの姿は、昨日の圧倒的な剣士のそれとはまるで違う、頼れる『大人の男』の包容力に満ちていた。
ベルとヘスティアは、二人同時に一言。
「…美味しい!!」
早くもその胃袋と心を完全に掴まれ、貧乏だったファミリアに暖かな風が吹き込んだことを実感していた。
「クライヴくん出発前にひとつだけ言わせおくれ。ボクの名前はヘスティアさ。神という呼び方は辞めてほしい。それからベルくんもベルくんだからね!ボクたちは
「分かった。ヘスティア、ベル。これでいいか?」
ヘスティアの指摘を受け入れ、名前を呼ぶクライヴに満足そうに頷くヘスティアと喜ぶベル。微笑ましい空気が流れた。
───
「――あなたが、クライヴ・ロズフィールドさん、ですね」
冒険者ギルドの本部。広々とした大理石のカウンターの向こうで、ベルの専属アドバイザーであるエイナ・チュールは、目の前の男を鋭い眼差しで見つめていた。
整った容姿、仕立ての良さそうな灰色の衣服、そして何より、その背中に背負われた長大な大剣――『インヴィクタス』。
その佇まいからは、数多の修羅場をくぐり抜けてきた本物の「戦士」の覇気が隠しきれずに漏れ出ていた。
エイナは手元の資料とクライヴを交互に見比べ、身を乗り出す。
「昨日、ダンジョン5階層でミノタウロス3体が『謎の炎の剣技』で一瞬にして蹂躙されたという噂が流れています。……ロキ・ファミリアの討ち漏らしとはいえ、上層では未曾有の事態です。クライヴさん、本当にあなたは、昨日ファルナを刻まれたばかりのレベル1なんですか?」
鋭い追及。
ベルが隣で「あわわ……」と冷や汗を流す中、クライヴは微塵も動じず、大人の余裕を持って静かに微笑んだ。
「ああ、昨日ヘスティアから恩恵を授かったばかりだ。嘘だと思うなら、彼女に確認してくれても構わない。昨日起きたことについては……ただの偶然と、私の故郷に伝わる独自の剣技が、たまたまあの怪物の弱点に噛み合っただけに過ぎない」
ヴァリスゼアの歴史や交渉術、数々な依頼をこなしてきたクライヴにとって、この程度の追及をはぐらかすのは造作もないことだった。
毅然として、しかし紳士的な態度。
エイナはクライヴの誠実で嘘のない(ただし、都合の悪い部分は綺麗に伏せられた)瞳を見つめ、やがてハァ、と深い溜め息をついた。
「もう……ベル君が変な事件に巻き込まれなかったのは良かったですが。急にこんな規格外の人が入ってくるなんて。……いいですか、クライヴさん。ベル君はまだ何も知らない子供なんです。あなたが面倒を見てくれるのは心強いですが、無茶は絶対にさせないでくださいね?」
「ああ、約束しよう、エイナ殿」
「エイナ殿」と生真面目に呼ばれ、エイナは少し頬を染めながらも、この苦労人の大人の男に確かな信頼を寄せるのだった。
「改めまして、オラリオにようこそ!ギルドは貴方を歓迎いたします!!」
エイナの受付嬢としての締め括りと共にクライヴはオラリオの冒険者として正式に登録された。
───
「キシャアァァッ!」
ダンジョン3階層。
鋭い爪を突き立てて飛びかかってくるゴブリンに対し、ベルは短刀を構えて必死に応戦していた。
「はあ、はあ……っ!」レベル1になったばかりのベルの動きは、まだ泥臭く、危なっかしい。
だが、その少し後ろから、クライヴは静かに歩を進めながら、周囲の怪物の気配を完全に掌握していた。基本ステイタスはまだ『I(0)』。
しかし、その身に馴染んだ『
「ベル、左だ」
「えっ――!?」
ベルの死角から飛びかかろうとしたコボルトの前に、クライヴの身体が揺らめいた。
――『フェニックスシフト』。
火の粉を散らしながら、空間を無視したかのような速度で怪物の懐へ一瞬で肉薄する。ファルナの常識を置き去りにした高速移動に、怪物だけでなくベルすらも目を見張った。
「――ハッ!」
一閃。
大剣『インヴィクタス』が鈍色の軌跡を描き、コボルトの巨体を一刀両断にする。
それだけに留まらず、迫り来る別の怪物の群れに向け、クライヴは左手を突き出した。
――『ライジングフレイム』。
詠唱などない。ただ魂に刻まれた原初の火が、腕から紅蓮の炎となって噴き出し、迫るゴブリンたちを爆炎と共に打ち上げ、一瞬にして灰へと変えていく。
「す、凄い……。魔法の詠唱もなしに、あんな炎を……それに、あの動き……!」
ベルの瞳に、猛烈な輝きが灯る。アイズ・ヴァレンシュタインに抱いた『恋焦がれる想い』が心のガソリンなら、目の前で圧倒的な強さを見せるクライヴの黒き背中は、少年が明確に目指すべき『強さへの憧憬』そのものだった。
少年の背中で、まだ見ぬスキル『
「ベル、見惚れるな。敵の動きをよく見ろ。お前のステップは悪くないが、踏み込みが僅かに浅い。相手の出方を見るな、お前の意志で間合いを支配しろ」
「はい……はい、クライヴさん!」
かつて弟ジョシュアを、そして隠れ家の若い戦士たちを導いてきたクライヴの的確な指導が、ベルの才能を急速に開花させていく。
───
廃教会の地下室。昼間の探索を終え、ヘスティアによる初めての共同ステイタス更新が行われていた。まずはベルがうつ伏せになり、ヘスティアがその背中に神の血を垂らす。
神聖文字を紙に写し取った瞬間、ヘスティアは叫び声を上げた。
「な、ななな……何なんだいこれはぁーーっ!?」
「えっ!? か、神様、どうしたんですか?」
「どうしたんですか、じゃないよベルくん! 力も敏捷も、たった一日の探索で100以上ハネ上がってる! 普通の冒険者の数ヶ月分……いや、それ以上のペースだよ! すでにDやCクラスに届きそうな勢いだ。クライヴくんへの憧れが、この子の成長を異常なまでに加速させている……!」
ベルの爆速の成長。
隣でそれを見ていたクライヴは「よく頑張ったな」とベルの頭を優しく撫でた。
ベルは嬉しそうに頬を緩める。
「よし、次はクライヴくんだね。これだけダンジョンで無双したんだ、さぞ凄い数値が出――」
ヘスティアの言葉が、ピタリと止まった。写し取られた紙を見つめたまま、ヘスティアの顔が引き攣っていく。ベルも不安そうに覗き込んだ。
【力】:I(9)
【耐久】:I(8)
【器用】:I(15)
【敏捷】:I(10)
【魔力】:I(5)
紙には
「……あれ? おかしいね。一般の、それこそ才能のない子供でも、もう少し伸びるはずだよ? クライヴくん、あんなにバケモノみたいに強かったのに、ステイタスが両手で数えられるくらいしか伸びていない……。しわい、しわすぎるよ……!」
「えっ……? あ、あの、僕が足を引っ張っちゃったからでしょうか……!?」
オロオロと責任を感じて頭を下げるベル。だが、クライヴは衣服を正し、静かに己の大きな手を見つめながら、冷静に首を振った。
「気にするな、ヘスティア、ベル。昨日伝えた通り俺は別の世界から来た存在だ。俺の肉体と魂は、すでに元の世界で完成している……器の『中身』は最初から満ちているんだ。ただ、この世界のファルナという理が、俺の本来の力を出力するための『蛇口』を限界まで絞っているに過ぎない」
「蛇口、かい?」
「ああ。この蛇口を大きく開くには、小手先の経験値では足りないのだろう。俺の魂のルーツ――この世界のどこかにもあるかもしれない『石塔』に触れるしか、本来の力を取り戻す道はないかもしれない。……焦る必要はないさ」
クライヴの毅然とした言葉に、ヘスティアは「そういうものなのかな……」と納得しつつ、この男の底知れなさに改めて畏怖を覚えるのだった。
───
夜深くに静まり返った廃教会。
ベルとヘスティアが寝静まった後、クライヴは一人、礼拝堂の祭壇の片隅で大剣の柄に手を置いて佇んでいた。ふと、胸の奥が、熱く脈打った。背中に刻まれたスキル【
「――うっ……!?」
激しい頭痛がクライヴを襲った。視界が激しく歪む。
「これは…あの時と同じ…!?」
元の世界でも時より起こった頭痛と目眩。
目の前にある廃教会の崩れた壁の裏に、別の「幻影」が重なり合うように見えた。それは、禍々しい
(間違いない……イフリート、お前なのか……?)
魂の半身が、そこで自分を待っている。
そして、クライヴの意識は、オラリオにやってきた初日の夜――二人に自身の真実を打ち明けた、あの時の記憶へと引き戻されていった。
◇
――それは、ヘスティアに初めてファルナを刻まれ、その異常なステイタスに地下室が騒然となった直後のことだった。
「クライヴくん、君のこの力は……一体、何者なんだい……?」
怯えと戸惑いの混ざった目で背中を見つめるヘスティアと、ゴクリと唾を呑むベル。二人の純朴な信頼を裏切りたくない、そして行くあてのない自分を受け入れてくれた恩義に報いるため、クライヴは衣服を正し、静かに口を開いた。
「驚かせてすまない。……隠すつもりはなかったが、信じてもらえるかは分からない。俺はこの世界の人間ではないんだ」
「え……?」ベルが丸い目をさらに丸くする。クライヴは自らの大きな掌を見つめながら、遠い故郷の空を想うように言葉を紡いだ。
「俺の故郷は、ヴァリスゼアという世界だ。そこでは人間が神の理に縛られ、クリスタルという魔法の源に心身を蝕まれていた。俺は……その理を壊し、神を屠り、人が人として生きられる世界を創り上げた。だが、すべての魔法を消滅させ、力尽きたはずの俺は、なぜかこのオラリオの迷宮にいた」
天界から下界に降りてきた神であるヘスティアは、その言葉のスケールの大きさに息を呑んだ。
世界の外側から来た異邦人。それだけならまだしも、人間の身でありながら『神を屠った』という絶対の事実。
クライヴの背中に刻まれた【
「神を、屠った人間……。天界のあいつらでもそんなの聞いたことがないよ。クライヴくん、君は……」
ヘスティアの身体が微かに震える。神特有の下界の子どもたちの嘘を見抜く能力がより本当の事だと証明させた。
しかし、クライヴの瞳に邪悪な野心などひとかけらもなく、ただ世界を救うために数多の涙を流してきた者の、深く、静かな気高さだけが宿っているのを見て、ヘスティアは震えを止めた。
「……そっか。まぁ、ウチにやってきたからには、どんな過去があろうとボクの可愛い眷族だ! 邪神の配下でもなさそうだしね。それに、君のその目を見れば、悪い奴じゃないことくらい神様にはお見通しさ!」
ヘスティアの胸のすくような言葉に、クライヴはふっと表情を緩めた。
そして、隣にいたベルを見る。少年は恐怖するどころか、その身体をカタカタと興奮で震わせていた。
「世界を……救った、本物の、英雄……。クライヴさんは、お伽噺に出てくるような、本物の英雄なんですね……!」
アイズへの恋心がガソリンなら、目の前にいる『神すら倒した本物の英雄』の存在は、ベルの魂に計り知れない衝撃を与えていた。
少年の背中で、まだ見ぬ『
「英雄などという大層なものではないさ、ベル。俺はただ、抗い続けただけに過ぎない。……それに、俺には絶対に成し遂げなければならない約束がある」
クライヴの目が、切実な色を帯びる。
「元の世界には、俺の帰りを涙を流して待ち続けている大切な女性がいる。いつも隣にいてくれた相棒や、隠れ家の仲間たちがいる。だから俺は、いつか必ず元の世界に帰る方法を見つけなければならない。……それまでは、この街で君たちの力を借りたい」
その願いを聞いたベルは、真っ直ぐにクライヴの目を見つめ、力強く頷いた。
「はい! クライヴさんが元の世界に帰る方法、僕も一緒に探します! それまでは、僕の、僕たちの家族として、よろしくお願いします!」
「ああ、ボクたちヘスティア・ファミリアは家族を絶対に見捨てないからね! 盛大に頼らせてもらうよ、クライヴくん!」
◇
「――はっ、……!」
ハッと我に返ったクライヴは、額に浮き出た冷たい汗を拭った。
視界の歪みは収まり、目の前には静まり返った廃教会の煤けた壁が佇んでいる。胸の奥の不気味な鼓動は、まだ静かに残響を響かせている。だが、不思議と恐怖はなかった。異世界人としての自分を受け入れ、元の世界への帰還を『家族』として応援してくれているヘスティアとベル。
二人の温かい温もりが、クライヴの心を確かに支えていた。大剣『インヴィクタス』の柄を握り直す。
世界の歪み、アルテマの残滓の気配をその奥に感じながら、クライヴは歪む視界の中で拳を固く握りしめた。
「待っていろ、ジル……俺は必ず、お前の元へ帰る。この世界の理が、俺たちを拒もうと……」
頭痛が引き、静寂が戻る。クライヴは静かに、しかし決意に満ちた目で夜の闇を見つめていた。
【名前】:ベル・クラネル
【レベル】:1
【所属】:ヘスティア・ファミリア
【基本ステイタス】
力: D 512
耐久: F 335
器用: D 520
敏捷: C 640
魔力: I 0
【魔法】なし
【スキル】『
・想いが続く限り、懸想の丈に応じて成長する。懸想(アイズへの恋心)の丈に応じて、基本アビリティの成長を促進。
さらに、隣立する黒き背中(クライヴへの憧憬)の丈に応じて、基本アビリティの成長を重ねて乗算・加速させる。