ダンジョンにドミナントがいるのは間違っているだろうか 作:巡理愛
廃教会のベッドの上で、全身に包帯を巻かれたベル・クラネルは、キラーアント戦の疲労と昏倒の衝撃から泥のように眠っていた。
その静かな寝息を聞きながら、ヘスティアは傍らに立つクライヴに向き直り、少し責めるような、しかし寂しそうな声で問いかけた。
「……クライヴくん。どうして、ベルくんがこんなにボロボロになるまで、助けてあげなかったんだい? 君の強さなら、怪物の群れなんて一瞬で蹴散らせたはずだろう?」
クライヴは静かに窓の外、夜明けのオラリオの街を見つめながら、己の灰色のマントを少し握りしめた。その脳裏に、かつてフェニックスゲートでジョシュアを救えなかったあの日、そしてザンブレクの
「過保護にすべてを先回りして助けるのは、ベルの『飢え』を殺すことになる。……人は、自分の弱さに本気で絶望し、それでもなお抗おうとした時にしか、本当の殻を破ることはできない。ベルの目に宿る火は、本物だ。だからこそ、俺はあいつの意志を信じて、見守る側へ回ると決めた。冷酷に思えたなら、すまない」
クライヴの言葉に宿る、実の兄のような深く重い覚悟。
それを感じ取ったヘスティアは、そっとベルの小さな手を見つめ、小さく首を振った。
「ううん……ありがとう、クライヴくん。ボクも、あの子の神様だ。あの子の意志を、誰よりも信じてあげなきゃね」
日が昇った後、クライヴはベルの傷を少しでも早く癒やすための薬を買いに、街の北西にある貧乏派閥『ミアハ・ファミリア』の【青の薬舗】へと足を運んでいた。
そこで出迎えてくれた男神ミアハと犬人の少女ナァーザから手渡されたのは、かつてヴァリスゼアの旅で使い古してきた『ポーション』『ハイポーション』。
その名称と効能の奇妙な一致に、クライヴは世界の謎への深い考察を巡らせながらも、薬を手に廃教会へと急ぎ戻るのだった。
───
ポーションの効果でベルの傷が完全に癒え、クライヴとの過酷な特訓が始まって数日後。
ヘスティアはガネーシャ・ファミリアが主催する神々の
「ヘファイストスー!久しぶりー!!」
「あら?ヘスティアじゃない。元気にしてたかしら?」
「うん!おかげ様で。ボクは元気さ!!」
いつも通りの華やかな宴の最中、ヘスティアは神友である鍛冶神ヘファイストスとにこやかに談笑していた。そこから、本来の目的を思い出し、意を決してある話を彼女にしようとした時。
「ファイたーん!!」
手を振りながら、ワイン片手に黒のドレスで着飾り近付いてくる朱色の髪をした女神?がやってきた。
「あらロキ!元気にしてた?貴女の所の子供たちの活躍は聞いてるわよ」
にこやかに返事を返すヘファイストスにさらに話し込もうとした時に一段、二段と視線が下がった所に軽装な決してきらびやかとは言えない服装の小さな女神が露骨に嫌な態度で反応した。
「げっ、ロキ!」
「なんやドチビもおったんか」
どちらも一瞬で不機嫌となるヘスティアとロキ。
そこからヘスティアは案の定、犬猿の仲であるロキに捕まり、お互いのドレスの安っぽさを嘲笑い合うような、いつもの取っ組み合いのギャグまがいの喧嘩を繰り広げていた。
「ぎゃははは! 相変わらずちんちくりんなドレス着てからに! ほんまヘスティアはいつ見ても貧相やなぁ!」
「な、なにをーー!うるさーーい! ロキ、ボクをバカにするなーーっ!だいたい、君のドレスだっていくら着飾ろうがその貧相な身体じゃ、どんなドレスも泣いてるよ!!」
「このドチビーー!!」
「図星だろーー!!」
神々が呆れ顔で見守る中、一通り暴れて息を切らせたロキは、ふっとニヤけた顔を引き締め、細い目をさらに鋭く細めてヘスティアを見つめた。急激なシリアスへの転換に、ヘスティアが身構える。
「……なぁ、ヘスティア。真面目な話やけど、お前のところに新しく入った、灰色マントの“大剣使いの大男”……、お前とこの子供なんか?」
ヘスティアの心臓がドクリ、と跳ね上がった。
酒場『豊穣の女主人』でのベートの一件が、早くもロキの耳に入っていたのだ(なお、ロキもその場に居たには居たが既に酔いつぶれていた)
ヘスティアは胸を張って言い返す。
「そうだよ! クライヴくんはボクの自慢の新しい子供さ! ウチのベルくんをいじめた君のところの馬鹿犬を、指一本触れさせずに返り討ちにした頼もしい子だよ!」
「あー、やっぱりか。いや、責めるつもりは毛頭ないんや。フィンからも聞いたわ、うちのベートが酒に呑まれて不手際をやらかしたってな。主神として謝らせてや。……けどな」
ロキは腕を組み、顎をさすりながら声を潜めた。
「あの子供……ベートの拳を無駄のない身体能力だけで受け流したらしいやん。アイズもアイズで、あの男の剣は普通やないって、ずっと上の空で考え込んどる。……ヘスティア。お前、あいつをどこで拾ってきた? ほんまに、ただのレベル1なんか?」
ロキの主神としての鋭い評価。
ヘスティアがどうはぐらかそうかと冷や汗を流した、まさにその瞬間だった。
───
「――あら、そんなところで何のお話かしら?」
鈴の音を転がすような、あまりにも美しく、そして底知れない圧迫感を持った声。
ロキとヘスティアが振り返ると、そこには下界で最も美しいとされる絶対の女神――フレイヤが、意味深な笑みを浮かべて佇んでいた。
突然の美神の登場に会場の神々はざわつき、特に男神たちは顔をデレデレとさせている。
一方で話しかけられたロキは「ちっ、フレイヤか……なんでもあらへん!」と舌打ちし、空気を読んだようにその場を離れていく。
残されたヘスティアに対し、フレイヤは静かに歩み寄り、その翡翠の瞳でヘスティアをじっと見つめた。
「ヘスティア。あなた、とても『異質』なものをその腕に抱え込んだのね」
「な、なんだいフレイヤ。クライヴくんのことを言っているなら、あの子はボクの大事な――」
「ええ、分かっているわ。……けれど、忠告よ」
フレイヤの声音から、いつもの余裕が消え、冷徹な響きが混ざる。シルとしての『眼』で視た、あのアルテマの形をかたどった歪な魂を、彼女は今もなお邪神の残滓として深く警戒していた。
「あの男の魂は、混沌と神への怨嗟に歪んでいる。いつか、この下界の理すべてを壊し、あなたたち神々をも巻き込んで、世界の終わりを呼び寄せる邪悪な『刺客』かもしれない。……手遅れになる前に、手放した方が身のためよ?」
「……っ!」
ヘスティアの顔が、怒りで真っ赤に染まった。世界を救うために数多の涙を流し、ジルの元へ帰るために泥臭く抗い、そして今やベルを実の弟のように見守ってくれているクライヴ。その彼の気高さを何も知らないフレイヤに『邪神の刺客』などと侮辱されたことが、ヘスティアの逆鱗に触れたのだ。
「フンッ! 綺麗なお顔をして、ウチの子を悪く言うのはやめてもらうよ、フレイヤ! クライヴくんが邪神の配下だろうが何だろうが、ボクの手を握ってくれたウチの可愛い家族だ! ボクは絶対に、あの子を見捨てたりしないからね!」
ヘスティアはフレイヤを激しく睨みつけると、ドレスの裾を翻してその場を立ち去った。そして、最後にー。
「そう、そこまで想ってるならいいわ。けど忠告はしたわよ」
このフレイヤの侮辱と、ベルの「強くなりたい」という切実な願いの二つが神の胸に火をつけ、彼女は改めて友人であるヘファイストスにお願いする。
「ヘファイストス…実は今日は君に会いたくてこのパーティに出てきたんだ…」
「そうだったのね?先ほどのロキとフレイヤが言っていた貴女の子どもの話、という感じでもなさそうね。一応、話ぐらいは聞いてあげるわ。ただし、お金を貸してほしいっていうことならお断りよ」
「そんなんじゃないよ。でも、お願いがある…」
「分かったわ。工房の方で詳しく聞きましょう」
2人はパーティ会場を後にしてヘファイストスファミリアのヘファイストスの執務室兼工房に向かった。
そこから何度もヘスティアは断られながらの数日間に及ぶ土下座と命懸けの『短剣』発注へと突き進むことになる。
一方、ヘスティアが姿を消した数日間、廃教会ではクライヴによるベルへの苛烈な剣の特訓が行われていた。
「ステップの無駄を省け」「相手の目ではなく、重心の移動を視ろ」
ヴァリスゼアの修羅場を生き抜いたクライヴの教えを、ベルは『
そして、オラリオ中が活気に沸く『
───
「わあ……! クライヴさん、神様、凄い賑わいですね!」
街中に施された華やかな装飾、行き交う人々や神々の笑顔。数日ぶりに戻ってきたヘスティアを真ん中に挟み、クライヴとベルは気分転換を兼ねて、魔物祭で賑わう大通りを歩いていた。
ヘスティアは背中に隠した包み――ヘファイストスに打たせた最高傑作の『ショートソード』をいつ渡そうかと、ずっとそわそわしている。
そんな二人の様子を見て、一歩後ろを歩いていたクライヴは、ふっと口元を緩めた。
(ヘスティアはベルに渡したいものがあるようだな。それに……さっきから、妙な視線がこの界隈に付きまとっている)
クライヴの鋭敏な知覚は、祭の活気に隠された、自分たちへ向けられる執拗な『敵意の気配(フレイヤ・ファミリアの監視)』を敏感に察知していた。
「――ベル、ヘスティア」
「え? はい、なんですかクライヴさん?」
「俺は少し、気になる武器屋を見つけたのでな。別行動をとらせてもらう。ベル、ヘスティアのことを頼む。ヘスティア、あまりベルから離れるなよ」
「あ、うん! 分かったよクライヴくん! ゆっくり見ておいで!ありがとう!!」
ヘスティアは、クライヴが自分たちのために気を利かせて二人きりにしてくれたのだと察し、嬉しそうに胸を張った。
「行ってらっしゃい、クライヴさん! 掘り出し物があるといいですね!」
ベルに見送られながら、クライヴは静かに人混みの中へと紛れていった。その灰色のマントが消えた瞬間、彼の瞳は、祭の裏に潜む不穏な気配の追跡へと切り替わっていた。
───
同じ頃、大通りを見下ろすことが出来る落ち着いた雰囲気のカフェでは、オラリオを代表する二大主神が机を挟んで向かい合っていた。
ロキとフレイヤ。そしてそのロキのすぐ後ろには、護衛として第一級冒険者『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインが静かに佇んでいる。
「ほんま、またどこぞの子どもに目をつけたんや、フレイヤ。お前のその移り気な悪癖、相変わらず飽きひんなぁ」
ロキは呆れたように紅茶を煽りながら、フレイヤに水を向けた。フレイヤは優雅に紅茶のカップを傾け、意味深な笑みを浮かべる。
「あら、移り気だなんて心外だわ。私はただ、下界で見つけた本物の『輝き』を愛でているだけ。……その子はね、まだ弱くて小さくて、今にも壊れてしまいそうなほど、透き通った純潔な光を放っているのよ」
名前こそ口にしないが、それがベル・クラネルのことであるのは明白だった。
ロキは「へっ、そら大層なこっちゃ」と鼻で笑うが、不意にその細い目をさらに鋭くさせ、フレイヤを正面から見据えた。
「……で、あの“灰色マントの大男”……クライヴとかいう奴については、どない思っとるん?先日ドチビにも忠告しとったやろ」
カフェの空気が一瞬で緊迫した。
シルとして酒場での一部始終を見ていたフレイヤ、そしてベートの一件をフィンから聞いていたロキ。お互いが、あの異世界の英雄をどう評価しているかを探るための心理戦。
「そうね……。ロキ、あなたから見て、あの男はどう映るのかしら?」
フレイヤは逆に問いを返した。
ロキは腕を組み、わざと呑気な口調を装って言う。
「ん~? まぁ、強い子やなぁとは思うで。酔うとったとはいえベートの拳をいなすなんてよっぽど過酷な修羅場を何度も潜り抜けて来たんやろなぁ。……ただのレベル1とは到底思えんわ」
ロキは内心、クライヴの戦闘技術を『オラリオのどの第一級冒険者とも違う、殺しの完成形』として非常にシリアスに見ていたが、あえて煙に巻くように言った。
フレイヤは、ロキのその簡素な評価に素っ気ない視線を返した。
ロキが「意中の子ってのは、もしかしてあっちのデカブツの方なんか?」とからかうように聞くと、フレイヤは冷徹な目でそれを完全否定した。
「冗談はやめて。あの男は……輝きとは真逆の存在。混沌と、神への怨嗟に満ちた、いつかすべてを焼き尽くす邪悪な『理』の塊よ」
そのフレイヤの言葉を黙って背後で聞いていたアイズの胸に、小さなざわめきが起きた。
(混沌……? 違う。あの人の剣は、冷たいけれど……どこか、とても温かくて、悲しい匂いがした。本当は、あのミノタウロスを倒したのはあの人なのに……。私は、まだ謝れていない……)
アイズがモノローグの海に沈んでいた、その時。フレイヤの翡翠の瞳が、カフェの下の大通りを歩く、手を繋いだヘスティアとベル、そしてその後ろを影のように追うクライヴの姿を捉えた。
「――ごめんなさい、ロキ。急用が出来たわ」
フレイヤは原作通り、椅子の背に手をかけて立ち上がった。去り際、未だに上の空で考え込んでいるアイズに視線を向け、一言だけ告げる。
「相変わらずね、【剣姫】」
その冷たい言葉を最後に、美の女神はカフェを去っていった。
「ちょっ、あんのあばずれ。呼び出しといて費用こっち持ちかいな」
ボヤくロキと大通りに視線を巡らすアイズだけがカフェに残された。
そしてフレイヤは動く。オラリオ最強の男オッタルを動かし、あの「混沌の魂」を足止めし、少年を試すための、残酷な観劇の幕を上げるために――。