Diary×Dialogue   作:RtA

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ヒウンシティ day1(1)


 

 

 

 窓の外。森の中に作られた車道を抜けて開けたものになった景色には、いつしかこれまで通ってきた道では目にすることのなかった色が生まれていて。そのことにふと気づいたわたしは深く腰掛けていた座席からゆっくりと身体を起こして、そちらへと顔を近づけます。

 立ち並ぶ木々の緑と入れ替わるように現れたのは空の色とは違う青色。目的地へは今も走っているこの車が、このまま真っ直ぐ通りを進んでいけばきっとすぐに到着するはず──窓の外に映るその光景からはそれがわかりました。昨日()()()()()()()()()()丸一日かけての旅路も、もうすぐ終点みたいです。

 

「……すごいです。やっぱり、テレビや写真で目にするのと、こうして実際に見るのとでは大違い」

 

 遠くから響いてきた汽笛の音に釣られるように視線を向ければ、そこには今まさにこの道の下を通っていこうとする船の姿が見えました。

 残す距離。わたしの視界にその果てが映っているこの道の──橋の長さは確か、そう。大体2キロ、2000メートルほど。ガイドブックに乗っていた情報だとそうなっていたはずですけれど、こうして実際に目にしてみるとやっぱりその姿はとても大きく立派で。硝子を一枚隔てた先にある世界はただ知っているというだけの知識から想像していた光景よりも、ずっと特別なものとして映ります。

 

 海へと続く運河の上を跨ぐように、森を抜けた先にある断崖からその向こう岸までを繋ぐこの橋は驚くことに人工の、人とポケモンの手で作られたもの。

 けれど、どうしてでしょう。わたしの記憶にある一番大きな建造物──財団の本部が置かれている人工島(メガフロート)。エーテルパラダイスのその巨大な造りと比べれば今目にしている鉄橋の外観は、それでも小さなものであるはずなのに。驚くような、こんなふうに息を呑むような感覚を抱いてしまうことが不思議で……だからこそ今わたしはこうして、窓の外に映るその景色をただぼうっと眺めているかもしれません。

 

「もうすぐ、なのですね。あともう少しで……」

 

 そうしてぽつりと呟いていた言葉。気づけばふと溢れていたどこか期待するような響きのある独り言を耳にして、その理由になんとなく思い当たります。

 きっとそれは、ここがわたしのまだ知らない場所で。初めて目にして、感じて。訪れることになる地方(新天地)のものだから。

 

 視線を車内へと戻して。するとハンドルを握る運転手さんが見据える窓の向こうに映っていたのは、この橋が続く先、わたしが乗るこのバスが向かう先に立ち並ぶビルの数々です。博士の家にお世話になっていた頃、リビングの、わたしが使っていたロフトがある側の窓から見ることのできたハウオリシティの街並みもとても立派に感じていたものですけど、白やベージュの明るい色を基調とした建物が多かったアローラとは反対に、ここから見える街の中にあるそれはほとんどが日差しを返すことなく吸い込むような鈍色のコンクリートで造られたものばかり。そうしてそのどれもが比べようもないくらい高い場所まで伸びている、そんな光景は、ともすればここまでバスが渡ってきた鉄橋の大きさ以上に驚きを覚えるものです。

 

 まさに摩天楼といった様子の建物が、決してそう広くはない海と運河に挟まれた大地の上に数多く築かれたその街こそ今日わたしが目指す場所。行く先にある景色はバスが橋の終点へ近づくにつれてさらに大きく、視界の中で成長と共に枝葉を伸ばす木々のようにどこまでも広がって。

 

 そう、それは例えるなら。高く高く、空の上へとその成長を続けていくみたいに。

 あの立ち並ぶ建物の天辺に立ったのなら、移り行く雲すら掴めてしまいそうなほど大きく立派に築かれていった街並み。

 

 ──ヒウンシティ。昨日遠い地方を発ってから飛行機、降り立った空港からはバスに揺られて、そうして辿り着いたのが今わたしの目の前にあるこの場所。ここイッシュ地方で一番の大都会。他のどの街よりも発展した都市の姿でした。

 

 

 ◇

 

 

 席を立って、バスの外へ向かいます。乗車口の開いた扉の向こうには先に降りていった方たちの姿と、細く長い歩道の脇に立つ区間と時刻表の書かれたこの停留所の標識が見えました。ここで乗り物を利用する人のために作られたスペースの上。けれど間に狭い通りを行き交う人の流れを挟んだその向こうには、また別の停留所の標識が立っているのが見えて。ステップを降りた先で視線を巡らせてみればそれは一つではなくもっとたくさん、かなりの数の乗り場がこの場所にはあるようです。

 それぞれの間はかなり広々と、相当な距離おいて置かれていますし、停留所の位置も行き先ごとに整理されて辺りにいくつか存在する似たような形の歩道の上に一つか、多くて二つずつ。よりわかりやすく、ここを利用する人が迷わないような配置になってはいるみたいでした。けれどそれ以上に乗り降りする人が多いのか、どこもぎっしり。まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()みたいに……ではなく、車道に挟まれた狭い通路の上に人が()()()()にされたような状態になってしまっています。

 

 ……この様子だと、ただ移動するだけでもとても窮屈な思いをすることになりそうです。てもちの子(ピッピちゃん)たちを空港でボールに戻しておいてよかったと──そうしたのは車内で他の方のご迷惑にならないよう思ってのことでしたけれど──今更ながら空港を出た時の自分の判断にほっとします。

 

「──わぁ……!」

 

 それから、揉まれて押されて流されて、そんな大変な思いをしながらどうにか人の間を抜け、階層構造になっているらしいターミナルを数フロア分下へ下へと降りていって。気がつくとわたしの目の前には、それまでとは違った様子の開けた空間がありました。

 外へと続く吹き抜けとなった、扉のない構造のエントランス。耳に届くのは建物のすぐ側を通る道を行き交う車が響かせるエンジンとクラクションの音です。そうして、そこに混じる人混みの雑踏にふと視線を向ければ、建物の敷地を越えた先にはより厚く、密度の濃くなった人の流れが見えます。たぶん、おそらくはわたしが乗っていたバスが上階へと登っていく際、その直前に通っていた大通り。そこに見える人の姿も混雑の度合いも、当然屋内の比じゃありません。

 

「うぅ……ですが、このままここでじっとしているわけにも……!」

 

 せーの、と。心の中で口にしたそんな掛け声とともに一歩を踏み出して、わたしは思い切ってその人混みの中に身を踊らせていきました。靴の裏に触れる地面の感触が変わり、ターミナルの敷地から外に出たことを理解します。

 

 夜明け前にイッシュに着いて、その後空港から直接バスでこの街まで来たので──たぶんきっと、これが一番最初。初めて足を踏み入れたこの地方の大地です。とはいっても、コンクリートとレンガで固められた歩道からはその硬い感触しか帰ってはきませんでしたけれど。通りを行き交う人の熱気で温められた空気はやっぱり、今までわたしが訪れてきた場所との違いを肌で感じさせてくれます。

 

「きゃっ……! 申し訳ありません、こんな場所で立ち止まってしまって──」

 

 そんなふうに胸にこみあげてきていた感慨に、少しぼうっとしていたからでしょうか。通りを行く通行人の方の一人とぶつかってしまいました。謝ろうと口にした言葉とともにそちらに顔を向けて、けれどその時にはもうそこにそれらしい方の姿はありません。しいて言うなら視界の中、少し離れた場所で誰かが一瞬こちらに視線を向けるような仕草を見せていただけ。とは言っても、わたしがそれを目にしたのはその人がこちらに向けていた顔を前に戻した瞬間だったので……それさえもしかしたらそうだったのかも、という想像なのですけれど。

 

 ……なんて言えばいいのでしょう。すごく圧倒されるというか、息が詰まってしまいそうになる光景でした。邪魔にならない場所に移動しようにも、通りを行く人の壁に阻まれてもうどっちが道の端かわからないくらいですし、出てきた建物の方に引き返すことすら難しそうです。それくらい通行人の数が多い、というのもありますが、何よりどの人にもどこか先を急ぐような気配があるような気がして。気後れ、というほどではなくとも、この中を無理にかき分けて移動するのを躊躇ってしまいます。

 たとえそれが気の所為で、そういうわけではなかったのだとしてのも、そんなふうに感じてしまうほどに雑踏の中から見える周りの景色は、この空間は、ここを忙しなく行き交う人の靴音で溢れていて。

 

 さすがは都会、ということなのでしょうか。けれどこのまま人混みにずっと流され続けているというわけにもいきませんから、今はせめてまた誰かとぶつかってしまわないよう気をつけながら先へ進んでいくしかしかなさそうです。

 ただでさえ土地感のない今日初めて訪れた場所を、この人混みの中で。……途中で迷ってしまわないか不安はありますけどれ、ひとまずは前もって調べて地図と一緒にある程度場所がわかってる建物、そこを目指して。今日泊まらせてもらう部屋を借りる予定の、ポケモンセンターへと向かうことにします。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ──その後。やっぱり少し迷いはしたものの、海の見える港近くというわかりやすい目印が側にあることもあって、スマホロトムの助けも借りつつどうにか街の外周に沿って進んで目的の場所まで辿り着けたのがついさっきこと。

 

 とはいっても結局全部予定通りにとはいきませんでした。少し調べたくらいじゃわからないことというのはやっぱりとても多いもので。こちら(イッシュ)のリーグの意向、というよりはこの街のジムリーダーの方の都合なのだそうですけれど、今日は特にジムチャレンジのために人が集まっているらしく……なのでポケモンセンターでは部屋を借りられず、代わりにジョーイさんが紹介してくれた近くにあるホテルで部屋を取ることになってしまいました。

 けれどそのおかげで荷物を預かってもらえましたし、身軽になったぶん余裕もあります。少しの贅沢と引き換えに街へ繰り出す元気を得られたと思えば、そう悪いことではなかったのかもしれません。

 

「大変でしたけど、貴重な経験にはなりましたし……。それに、これでやっと色々と見て回れそうです。──ふふっ」

 

 お洋服も着替えて、これからの準備も万端です。アローラにいた頃にマリエシティで買った、旅の間いつも身につけているものから、かあさまから昔いただいたワンピースに。気分を変えるためにお化粧も少し直してきたので、都会の華やかな街並みに負けないようお洒落ができているといいのですけれど。

 

 こうして着替えて身軽になったのには理由《わけ》があります。それは今日この街に来た目的が、いつものような冒険とは少し違うものだから。

 観光。そう、着いて早々にこうして街へ出てきたわたしの目的は、観光です。それは昨日空港から飛行機で発つよりも前。この地方を訪れることを決めた時から、ずっとそうしようと思っていたことで。

 

 ここにどれだけ滞在するのかまだ決めてはいないのですが、とりあえずは数日ほど。たぶん3日か、もうちょっと。さすがに週が明ける頃には発っていると思いますけれど。

 ともかくこれだけ広い街ですから、どうしたって一日ではまわりきれません。事前にガイドブックなどに目を通して行こうと決めていた場所だってたくさんありますし、それだってたった数日で全部巡れるかは怪しいくらいで。だからこそ時間を無駄にしないよう、ホテルで休んだりはせずそのまま荷物を置いてすぐに出てきたのです。

 

 けれど、そうすると。やっぱり直面することになるのが……この人混み、なのですが。

 

「うぅ……なるべく早く慣れるように頑張らないと、ですね」

 

 そうして街へ繰り出したわたしのすぐ目の前。視界いっぱい広がるのは、今朝この街に到着してからポケモンセンターに向かう際に通ってきた道とも違う……確か、モードストリートと呼ばれる通りを、まるで川のような人の流れが埋め尽くす様子でした。これだけのたくさんの人が一つの通りを行き交う光景は、手持ちの子たちにも見せてあげたいくらい壮観で物珍しい、今までテレビの中以外ではあまり目にすることなかったものです。けれど先程のターミナル前の大通りほどじゃないとはいっても、これだけ人が多い場所ですからはぐれたりしたら大変ですし、何より通行のご迷惑になってしまいます。見れば、周りには手持ちのポケモンをボールの外に出している人はほとんどいないみたいで。いてもカフェの敷地内や建物の中。これだけ多くの人が生活する都会の中だと、自然とそういったルールも出来てくるのかもしれません。

 わたしもなるべく気をつけるようにしないと──そう思って、きっとまだ全然把握しきれてない都会のマナーに想像を巡らせます。

 

 感じる緊張の他に、胸には期待と不安が半分ずつ。それはきっと、いつも冒険の前に感じているのと同じもの。……けれど、そのいつもよりは不安の割合が少しだけ多いような、そんな気持ちの中で。わたしがこの街で過ごす最初の一日は始まりました。

 

 

 

 ◇

 

 

 

(ええっと……まずはどこに行きましょう?)

 

 morning 天候:晴れ

 

──select──

 

>セントラルエリア 商業ビル

 モードストリート ブティック

 スカイアローブリッジ前 サムピア

 

───────

 

 

 

 ◇

 

 

 

 そうして道が繋がる先。今日何度目かの人混みを抜けて辿り着いたのは、さっきわたしがいたモードストリートの他にも多くの道が続いているこの街の中心。セントラルエリアと呼ばれる区画です。

 公園としての役割もあるのでしょうか。いくつか並んだベンチと、一番に目につく大きな噴水。その間を埋めるように置かれた、人の手で丁寧に整えられた街路樹の緑は、今日まわってきた他の場所では見られなかったものです。丸く開けたその空間を見下ろすように立ち並ぶビルの中。探していた建物を見つけたので、さっそくわたしはそこに足を踏み入れてみることにして。

 

 最初にブティックに行くことももちろん考えました。けれど結局ここを選んだのは、この広い街の中にきっといくつもあるお洋服を取り扱っている店を一つ一つ見て回っていくよりも、こういった幅広く品物を扱っている場所に来たほうがいいのではないかと思ってのことです。3日という決して長くはない滞在の間、こうしてショッピングに使える時間も限られていますし、何よりはっきりと向かう場所を定めないまま歩き回って、この広い街の中で迷わない自信もありませんでしたから。

 そうして、結果的にですけれど。それは正解だったみたいで。

 

「さすがに中も広いですね……。品揃えもとても充実していそうで、どこから回るか迷ってしまいます……!」

 

 見渡す限りの視界の中、そこあるのはとても華やかな、目を引かれるようなたくさんの彩りで溢れた店内の、フロアの様子でした。それぞれの店の外の通路からよく見えるよう並べられたお洋服に陳列用のマネキンの頭にかけられた帽子。アウターや水着などの季節ごとのファッションアイテム。他にもコスメに……フロアマップを見た限りだと、奥にはランジェリーを取り扱うお店もあるみたいです。

 高く、ずっと上の階層まで吹き抜けとなった建物内のエスカレーターを上がって、一番に訪れた場所。ファッション関係のお店が集まるこのフロアには、今見えている範囲だけでも数多くの店舗の名前が並んでいます。ビルの建物の中という理由からでしょうか。一つ一つのスペースは限られているようですが、けれどそれでもかあさまのお部屋のクローゼットを()()()()()()()()()()()()()その空間は、そこに収まっているお洋服の数も種類も比べようもないほど多く、多彩で。気づけばわたしは誘われるように立ち入った店内で、さっそく品物を手にショッピングを始めていました。

 

「定番のラグジュアリーアパレルに、最近発足したばかりのブランドの評判の高かった新作……。あ、これ……! 企業とタイアップした女優さんが、この前出演された映画の中で使っていたものなのですね。確かに見覚えがあるかも……」

 

 そうして手に取ったのは、たまたま近い場所に陳列されていたもの。わたしも名前だけは知っている、カロス地方のブランドの品です。

 棚には細く流れるような字体で書かれたロゴと、それと似た雰囲気のフォントでキャッチコピーとなる文章が添えられたポップとポスターがあり、大きく印字された文字の向こうには、商品とタイアップした女優の方の姿が映っているようでした。……そういえば、つい最近この方が出演されたその映画がこちらでもようやく公開され始めたという話を、昨日ここに来る前に読んだ雑誌の記事か何かで目にしたような気がします。

 

 話題になった品をいち早く、より多く、ということでしょうか。置ける品の数が限られているのですから、より訪れた方の目につくやすいような品物だけが店内に残っていくのかもしれません。けれど品数は少なくても、売り場に並ぶ商品はそのどれもが陳列の仕方もあって、思わず手にとってしまいたくなるような魅力がありました。

 

「どれもすごく素敵で、つい欲しくなってしまいますけれど……うぅん……」

 

 迷います、すごく。けれど今日ここで買うつもりなのは普段使いする予定のものですし、あまり派手なものはやめておいた方がいいかもしれません。それにこういった有名なところが出している品物なら、ここでなくても買えるものになってしまいますから。

 

 そのまま、他の何か。もっと魅力的な、今日この場所でしか見られないような特別なものを探すつもりで視線を辺りに彷徨わせて。そうしてふと、なんとはなしに目についたそれを手に取ってみます。

 その商品があったのは、ちょうど今の今まで意識が向いていた、話題の映画に関係する品がまとめられたコーナーのすぐ隣のスペース。こちらは置かれている品数は少なく、売り場も小さなものですが。見れば、並んでいる化粧品の種類自体は変わらないようです。ブランドも同じカロスのもの。けれどこの商品はタイアップされた女優さんが|ここ()()()()の出身の方らしく、そちらにデザインやコンセプトを合わせているのだとか。

 薄いピンクの、どこか温かみのある色のルージュ。側にあるサンプルの蓋を開けて出てきた口紅の先端は、けれどその透明感からか光量の強い店内の照明の光を反射して、よりつやつやと瑞瑞しく映ります。着ている服によらず、肌にも馴染ませやすそうなナチュラルなシアーカラー。初めてお化粧をするような方からでも安心して使うことができそうな色合いは、グロスやチークコスメなんかの他の化粧品と合わせた時にもきっとよく映えてくれそうでした。

 こういった種類のものは、わたしもよく使うのでつい気になってしまいます。だから手の中にあるそれを、しばらくの間じいっと見つめて。

 

「……優しい色。容器もスライド式で、使いやすそうです」

 

 演劇ならライモンシティのミュージカル、映画ならポケウッドと、そういったお仕事をする方たちにとっての本場と言っていいイッシュだからこその品揃え。そしてこれは、まさに今そこにいるからこそ手に取ることができた品物……ということになるのかもしれません。多分きっと、おそらくは。他の地方のお店では、まだあまり置かれていないものなのでしょうし。

 

 少し迷いましたけど、買うかどうか、それはすぐに決まりました。

 傍に積まれていたショッピングキャリッジ。その中の一つを手にしてそれを入れて、わたしはお店の入口近くに作られた特設コーナーを後にします。

 

 ……けれど精算をするためにレジに向かうのは、もう少し先になってしまうような気がしました。

 店内にはまだ足を踏み入れたばかり。お店の中には他にもたくさん、魅力的なものがいっぱいありますから。

 好きなものが溢れるそんな光景を前に心はそわそわと沸き立って。だからあちこち目移りしていってしまうような、この気持ちが落ち着くまではひとまず、ここでのお買い物は続くことになりそうです。

 

 

 

 ◇

 

 

 

(……ふぅ、疲れました。荷物になるようなものも、かなり増えてしまいましたし)

 

 腰から下、ワンピースの生地越しに感じる金属のひんやりとした感触がずっと歩き通しで火照った身体には心地よくて。ほうと、小さく息が漏れました。

 お買い物を一旦終えて、今は吹き抜けとなった建物の中で上階のフロアとフロアを橋のように結ぶ通路の上。そこに置かれていたベンチに腰を掛けて休んでいる最中です。

 手を伸ばせばそこには、いつもの鞄の代わりにさっきお店で買ったものが入っている袋があって。結局、あの後もしばらくの間。化粧品だけでなくお洋服に小物、それから他のフロアで旅の間に使えそうな日用品やトレーナー向けの道具(アイテム)まで見ていたら、気がつくと結構な時間が経ってしまっていて。時計を見ればもうお昼前。あと少し、視界の端の方に映っている文字盤のあの針が傾けば、時刻は正午です。

 

 ……今朝はともかく、明日の朝食と今日の夕食はホテルの方で出してもらえるそうなのですが、街についてからもう既にそれなりの距離を歩き回ったからでしょうか。思えば昨日空港を飛行機で発ってからはフライトの途中で機内食を一度口にしただけでしたし、身体は少しずつお腹が空いていることを自覚し始めてきていて。だからそろそろどこか食べに行きたいような、そんな気分になってはいるのですけれど。

 けれどそのために今すぐビルの外に出るのはやめておきます。そうするのはもう少し後。ここでしばらく時間を潰してからにした方がよさそうです。

 

 (たぶん、そろそろ。あともう少し時間が経てば、あの人混みも落ち着いてくるはずですから)

 

 そうです。それはついさっき思い出した……というか、思い至ったことで。よく考えてみれば今日わたしがここに到着した時間帯。それはこの街で通りを行く人の数が最も多くなる、まさにラッシュのピークと言っていいタイミングらしく。そんな時に折り悪く訪れてしまっていたのが、今朝あんなにも苦労することになった原因、なのだと思います。

 実際、こうして買い物をする間は特に不便はありませんでしたし。ヒウンはイッシュ地方においてはよく知られる大都市ですが、観光地というよりはどちらかというとビジネス街としての役割が大きいみたいで。思い返してみれば今朝通りで姿を見かけたのはほとんどがスーツや仕事用の服を着た、いわゆるビジネスマンの方々。だから街中の道が混み合うのは、早朝から朝の遅い時間までと、夕方の日が落ちる少し前から夜が訪れるまでの時間帯。確か、事前に読んでいた本にもそんなふうなことが書かれていたはずでした。それと、あとはお昼時、正午頃でしょうか。

 早めに昼食を……というのは、もう難しそうなので、お店を探すためにまた街中に出るのはもう少しここで時間を潰してからしようと。そう考えて、今は休憩している最中で。

 

「これ以上ご飯を待たせてしまうのは、ちょっと悪い気もしますけれど……」

 

 それまで、あと少しの間。時間にすればもう1時間もない間のことですが、けれど気になるのはボールの中の、わたしの手持ちの子たちのこと。プライベートなものというわけではない飛行機の機内では当然外に出してあげることはできず、この子たちの食事は昨日早めに夕ご飯を取ってもらってからは今朝空港の待合所を借りて手持ちのポケモンフーズを与えたのが最後になります。普段とはだいぶ違う食事のリズムはだいぶ負担をかけてしまっているでしょうし。もしかしたら、もう既にお腹を空かせてしまっているかもしれません。……それに、特にピッピちゃんは、ここでの食事をずっと楽しみにしていたみたいですから。

 

「その分、とびきりおいしいものを探して、許してもらえるようにしましょうか」

 

 都会だけあってこの街には食べ物を取り扱うお店が、もちろんとても数多くあります。レストランやカフェなど。そうしてその中には人が食べるような食事だけでなく、ポケモンさんたち用の料理を提供しているお店も。トレーナーと一緒に食べられるようにと味付けを変えて同じメニューを出してくれる場所も多いそうです。

 カップケーキにサンドイッチに、シンオウのコンテストでブリーダーの方たちが作っていたものが発祥のお菓子であるポフィン。最近、大手の企業が他の地方にも広く流通させたことで一気に有名な商品となったアイスも、元々はこの街の名物なのだとか。先日わたしがガイドブックを開いて読んでいた時、そこに乗る写真を見たピッピちゃんがとてもはしゃいでたのは記憶に新しい出来事でした。

 

 そして、あともう一箇所くらいなら。道の混雑が落ち着くのを待つ間に、この辺りのお店を見ていくこともできるでしょう。今日の内に行えるショッピングの最後。お買い物……いつでもできるようで、けれど旅の間は荷物になるものが増えてしまうので、こうして気になったお店をじっくりと見て回るような機会はあまりなかったりしますから。

 

 それにどこかこの近くでガイドブックには乗っていない、けれど知っている人であれば知っているようなおいしいお店の情報が得られるかもしれませんし。上のフロアにはレストラン街だってあるそうです。だからこのままただここでじっとしているよりはきっと、もう少し散策を続けてみたっていいはず──と、そう思い直して。わたしは限られた時間をもっともっと有意義に使うために、腰掛けていたベンチから立ち上がるのでした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

(それじゃあ、どこに向いましょうか?)

 

 

late morning 天候:晴れ

 

──select──

 

>商業ビル内 ブックカフェ

 セントラルエリア セレクトショップ

 

───────

 

 

 ◇

 

 

 見渡す限り、視界いっぱいに。少しずつ間を開けて立ち並ぶ大きな棚。店内に数多く存在するその棚の中に収められているのは当然、ここの売り物である本です。

 お店のスペースとなっている場所に足を踏み入れると、まず紙の……というよりは、棚に置かれた本の包装に使われているビニールと、店内の清掃に用いられている薬剤の匂いがほのかに鼻について。けれど他にもいくつか感じられる香りの中には、食欲くすぐるような香ばしいものもあることに気がつきます。それは甘やかなものから鼻にツンとくる刺激を感じるものまで。色々と漂ってくるその香りは全部、パンやスープなどの軽食のもののようでした。

 カフェがすぐ傍に併設された書店のスペースは、お店とお店の間を区切る仕切りもない開放的なもので。このフロアはカフェとして使われている場所以外はほとんどが売り場になっているみたいですから、ここに置かれれている本の数だってきっととても膨大なものになるはずです。

 

「時間があるなら、もっとちゃんと見ていきたかったですけれど」

 

 そういうわけにもいきませんから、明日かまた明後日。日を改めてまたここに来ることにしましょう。

 今はひとまず、お昼を食べに行くまでの短い時間を潰すという目的を忘れないようにしませんと。

 

「えぇと、それじゃあ──」

 

 けれど、買い物以外でそれをするとなると途端に困ってしまいます。ちゃんと見て回るには時間が足りませんし、かといって特に何か欲しいジャンルの本があってここに足を運んだわけでもありませんから。

 

「うーん……欲しい本、気になる本、ですか……」

 

 少し悩んでみましたが、結局急にそんな何かを思いつくはずもなく、なんとはなしに店内を歩きながらどこか気になった場所があれば見ていくことに決めました。

 これだけ多くの本が並ぶお店です。ただ中を見て回るでも楽しそうですし、それだけでも結構な時間が潰せてしまいそうなくらいには広々とした空間がここにはありましたから。とはいっても書店となっている部分のスペースはともかく、置いている本の数はマリエシティにあるようなちゃんとした図書館や財団の資料室の方が多いのでしょうけど、それ以上に広い売り場を自由に使えるからでしょうか。何か賞を受賞したものであるとか、著名な小説家の方の新刊や同じ方が出した過去の作品など。棚の中やその前に置かれた平台の上、それぞれの商品の紹介をするポップと共に、特定のコンセプトを持つ本で固められたコーナーはかなり目を引くようなものになっていました。

 

「──え? あら、これって……」

 

 ふと、その中の一つ。ちょうど今通り過ぎようとしていた棚の前で足を止めます。

 それはそこに置かれた本の表紙や、他の場所にあるものとは大分違うそのジャンルが気になったということもそうですが、それ以上に側にあるポップに書かれたその名前が、わたしの知っている方のものだったからです。

 

「話題のアーティストのコーナー。気鋭の若手画家マツリカの、コンクールや公募展未出品のものを中心に収録した、今年数度目となる作品集……」

 

 口にして、読み上げたその内容は、まさにその目の前のポップに書かれていた文章です。立ち止まった棚の近くにあるのは文字で情報を伝えるために書かれた本というよりは、別の意図で作られるもの。そこに収められた作品を眺めるため書籍、つまりはアート本で。今わたしが気になって視線を向けているそれは、とあるアーティストの方が描かれた作品が収められている画集でした。

 

「マツリカさんの画集……いくつか持ってはいますけれど、これはまた新しく出たものなのですね」

 

 この場所にだけは破損や立ち読みを防止するためのビニールで包装されたものの他にも、サンプルとしてここでページを開いて読めようになったものが置かれています。こういった商品の試供は、画集という何度も見返すことになるジャンルだからこそなのでしょうけれど。せっかくなのでわたしはそれも手に取って、中に目を通してみることにしました。

 

「わぁ……」

 

 本を開いて。そうして、そこに描かれた光景。使われている画材の色と線で表現された世界にわたしは息を呑んで。すぐにその内容に夢中になっていきます。

 外の壁が白く塗られた木造りの家屋が特徴的な町並み。きっとそれと同じ町の、どこか市場の光景。山吹色の花弁が舞う花畑に、植物が鬱蒼と生い茂る暗い森の様子。バコウの実をつける背の高い木々が立ち並ぶこの景色は、ポニ島の海岸でしょうか。ページをめくるたび、本の中に表れるのはわたしが知るアローラの光景。けれどそれはわたしの知らない色で、どこか遠く感じる雰囲気を持って描かれていて。確かに見知った場所であるはずなのに、風景画としてそこに収められている景色はまるで別の世界のようでもありました。

 

 それはきっと、今は他人というフィルター越しに見ているものだから。

 マツリカさんがその目で見て、そう感じた景色だからこそきっと、わたしにはそんなふうに映るのだと思います。

 

「色も筆使いも、温かくて、優しくて……けれど、それだけじゃないんですよね」

 

 風景画が描かれていた最初の数ページ。それが終わると、今度はだんだんと、少しずつ絵の中にはポケモンの姿が見られるようになります。

 

 アローラのナッシーやタマタマ。今開いているこのページではそこを地元とする方にとっては馴染み深いポケモンたちが水辺で戯れるその様子が温かな雰囲気で描かれていますが、更にページをめくった先にある作品は、また別の感想を抱くものでした。

 ポニの島の大峡谷、その峻険な谷間を前に立つ、こちらに背を向けたジャラコの姿。この絵はそれまでのものとは違いやや太め線で、原色系の色を大胆に使ってアローラの雄大な自然が表現されていて。力強さのある描き方は峡谷の切り立った大地の険しさとそこで生きるポケモンの逞しさを。はっきり前を見据えて、どこか挑むような雰囲気をまとって立つその小さな背中は抱いた気持ちを、まだ進化前の幼いポケモンが胸に宿した決意や勇気を伝えてくるようです。

 そして、マツリカさんのパートナーのグランブル。きっと何か、お祝いごとの際の出来事なのでしょうか。パーティの席の一瞬を切り取ったようなその一枚。大きなケーキが乗ったお皿を手に、嬉しそうにそこにかぶりつく様子が描かれたそれはどこかコミカルに、けれどずっと一緒にいるパートナーといっていう相手だからこその親しみを持って表されていることが絵の中に満ちる色彩やその柔らかな筆使いからは読み取れます。

 

 やっぱり、素敵な作品です。マツリカさん──お知り合いになって、その人のことをほんの少し理解できたような、そんなつもりでいましたけれど。画家としてこんなにも素晴らしい世界を描く彼女は改めてすごい方なのだと思いました。

 それはポニ島でキャプテンを務めている実力者だということももちろんそうなのですが。そうしてキャプテンに選ばれた理由。もしかしたらそれは守り神()()()()()()さんが彼女のそういった部分に魅力を感じたからなのかも──なんて、もちろんそれはわたしの勝手な想像です。けれどそんな考えがふと頭には浮かんできていて。

 

(あ……こっちにも売り場は続いているみたいです)

 

 当たり前、といえばそうですが。隣やそのまた隣にも、アート系の本の売り場となっている棚にはまだたくさんの本が並んでいます。

 時代ごと、地方ごとの彫刻や絵画を紹介する雑誌やカロスの写真家の方が出している写真集。変わったものだと個人で作られたボール評論する本、なんていうのもあるみたいです。

 けれどその中で一番大きく、他よりもはっきりと目立つ形でスペースが取られているコーナーがあることに気がついて。つい興味を惹かれてしまったわたしは、そこに置かれている本も手に取って読んでみることにしました。

 

「これは……ええっと」

 

 そうしてページを開く、よりも前に。その表紙にまず目を奪われて。思わず、といったふうに出てきたのはそんな声、そんな感想です。

 それは手に取ったものが与えてくるインパクトに。もっと言うのなら、こちらもまた画集となっているらしいその本の表紙に大きく写る、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に対して抱いた思いでした。ぐんにょりと、きっとあえて歪んだ形で描かれている背景の存在もあって、そこにある絵はとても不思議で、上手く言い表せないほど奇妙なものとしてわたしの目には映っていましたから。

 

(こんなに特徴的な描き方をされる方もいるんですね。それにこの絵、なんだか──)

 

 イーゼルに乗せるようなキャンパスと比べるとやっぱり小さなその本の中に収められた作品たちは、表現しているものの違いはあっても表紙と同じくほとんどが独創的……というか、そんな独特な色遣いで描かれているみたいでした。

 赤に緑に青、光沢のある金に銀。余白の部分の白やきっとおそらくは陰影を際立たせるために使われている黒。その絵の中にあるのは多彩と言うにしてもあまりにも多くの、数え切れない種類の色で表現された世界です。赤やルビーレッド、マゼンタや緋色などの同じ系統のものまで含めたら、それは一体いくつ絵の具が使われているのかわからないほどで。けれど驚くことに、目に見える色全て。その絵を形作る全部が本の中の1ページというキャンパスの中、一つの作品として確かにまとまっていました。

 たとえば、今開いているページに載るこの作品。まだ生まれたばかりなのでしょうか、ぶかぶかの、大きな葉っぱのフードに包まれて横になるクルミルが描かれたその絵には背景もなく、卵から出てきたその子にお包みを作って着せてあげたはずのハハコモリの姿もありません。本当にただ小さな虫ポケモンが一匹、横になって穏やかな寝顔を見せているだけのシンプルな構図。なのに見ていると温かく、それ以上に切なく悲しい気持ちに叫びたくなるような、そんな不思議な思いが胸には満ちていきます。

 それはまるで、そこにある色の数だけ違った感想を抱かせるように。ページの中に描かれたその情景は心に多くの、言葉にできないほどの何かを訴えてきていて。

 

「けど……前衛的、というのとも違うのでしょうか」

 

 確かに、色使いこそそうかもしれません。それでもこの本に掲載された作品は全部ちゃんとした──ううん、()()()()()プロの方が描かれた絵なのだと、そう思わせるだけの説得力があるものです。これだけ独特な、もしかするとかなり見る人を選ぶかもしれない作品だというのにこんなにも圧倒されるような感覚を抱いてしまうのは、きっとこの絵の下地となっている技術や理論がしっかりとしたものだから。素人意見ではありますけれど、そんなふうに感じられました。

 そうして、気がつくとコツンと。ページをめくる指先は本の裏側、厚みのある硬い背表紙に触れていて。残すページはもうあと僅か。夢中になって目を通している内に、いつの間にかほとんど読み終えてしまっていたようです。

 とはいえ、さすがにこのまま最後までというのは気が引けたので、ページを閉じてわたしは手元の本を元あった場所に戻そうとして。けれどそこでふと目についたのは売り場のポップに書かれていた文言。そうして今更ながらに湧いてきた疑問にもう一度だけそれを開いて、表紙からは見つけられなかったその情報を探してみることにします。

 

「あ、そうです。これを描いた方の名前は……え? この方って……」

 

 書かれていたのは本の一番最後。表紙のレイアウトを崩したくなかったからなのでしょうか。その内側の、いわゆる袖の部分にだけそれは小さく載っていました。

 出身地と簡単な経歴を紹介する文章の後に、続くように書かれていた作者の方の名前は、アーティ。確か、それはこの街でジムリーダーを務めている方の名前です。画家にしてアーティスト。芸術の世界ではとても有名な方だというのは知ってはいたのですけれど、こうしてその作品を見るのは初めてだったので、つい驚くような反応が出てしまいます。

 

「なるほど……だからなのでしょうか」

 

 口にして、そう一人納得します。もちろん、売り場にこうして特別大きなスペースを用意されている理由はきっとそれだけではないのでしょうけど。こんなにも目を引いて見た人に驚きや感動を与える作品です。その作者がこの街に住む方たちにとって特別で身近な存在なのだということ以上に、一度でも読者として、受け手として。その方が表現する世界に触れたのなら、誰か他の人に紹介したり、勧めたいと思うのは当たり前のことかもしれません。

 

 ジムリーダー。それはアローラにおいては馴染み深いのない職業で、役割ですが。けれど他の地方、多くの街にとってはとても身近で、必要とされているものなのだそうです。

 大抵の場合はポケモン協会やリーグ委員会など、よく名前の知られた大きな団体から任命されて。そうしてジムリーダーとしての地位に就くことになるその方々には優秀なポケモントレーナーとしての顔だけではなく、スクールの講師や俳優などの別のお仕事も持っていて、兼業しているその職業においても有名であることが多いそうで。最近だとストリーマーやラッパーの方。あるいは、ごく普通の会社員の方なんかも。けれど年齢も職業も幅広く、得意としているポケモンのタイプだってバラバラなトレーナーの中から選ばれて、それでもそんなジムリーダーの方たちに共通しているのは──周りから、その街に住む人々から信頼されているということ。

 

 普段の、きっと一番よく知られているジムリーダーのお仕事。それはやっぱりポケモンバトルをすることなのでしょうけれど。その他にも、実は色々と。場合によっては都市の開発や街と街を繋ぐ道路の整備まで。近隣の野生のポケモンが起こす問題への対処や、密猟を行うポケモンハンターと呼ばれる人たちの相手をするようなことさえあるのだと聞きます。けれどそれは、そういったお仕事を任されるだけの何かを周囲から認められている、ということでもあって。

 もちろん一番大事な、ジム戦という形で訪れたチャレンジャーの、後進となるポケモントレーナーたちのお相手をすることだってそうです。ジムリーダー本来のお仕事。それはきっと、何よりも向けられる信頼があって初めて成り立つもののはずですから。

 その場所に住む人とポケモンに模範となるようなものを示して。後に続く他の誰かに対してもまた、試して、教えて、導く……それはある意味、アローラにおけるキャプテンや、しまキングにしまクイーン。もしかするとわたしもよく知る方々と同じなのかもしれません。

 遠く離れた土地で、文化もそこに住む人の考えも何もかもが違っているのに、それでもよく似た何かがあるというのはとても面白いことだと思います。旅をしていて楽しいと思える発見。それがまた一つ、です。

 

(そういえば、もうそろそろ……。──うん、ちょうど時間みたいです)

 

 ふと、近くの壁にかかっていた時計を見てそう呟きます。

 最初にそうしようと決めていた通り、ちょうど一時間……より、少し短いくらい。画集を開いている間は夢中になって目を通してしまっていたので、時計の短針が指し示す数字を一つ変えるまでのその時間は本当にあっという間のこと。もう少しここで本を見ていきたい気持ちもありましたけど、それでも今日はここまでです。ひとまず棚から離れて、わたしは品物を手にレジへ向かうことにしました。

 そうしてわたしが両手に抱えて持っていくのは当然、さきほど開いていたその本。マツリカさんと、アーティさんの画集です。

 

「いらっしゃいませ。お会計ですか? どうぞこちらへ」

 

 フロアの中の、お店のスペースが始まる辺り。階層を移動するエスカレーターへと続く通路との境目の側で長く横に広がるカウンターの上にはいくつかのレジが存在するようでしたけれど、今は他に精算を待つ人もいないみたいで、特に並ぶこともなくスムーズにそこへ辿り着くことができました。

 声をかけていただいた店員さんにバーコードを通してもらっている間、わたしは鞄からお財布を取り出して精算の準備をします。けれどそこで、ふと何かに気付いたような呟きが耳に届いて。

 

「あら、この本」

 

 その声がしたのは目の前から。それはカウンターの向こうに立つ店員さんが口にしたものでした。一瞬、さっきよりもほんの少しだけ見開かれていたように思えるその瞳は、手元の、ちょうど今レジを通したばかりの品物へと向けられているみたいで。

 

「あ、いえ。やっぱり、ここを訪れるトレーナーの方の中にもファンは多いんだなと思いまして」

 

「……ファン、ですか? えぇっと、それって──」

 

 言われて、その言葉の意味が気になったわたしはそれを訪ねてみます。

 それはですね、と続くように返ってきた答え。そうして前に差し出された手のひらの動きに釣られるようにわたしも視線を動かしていって。

 

「ちょうど明日、また個展を開かれるそうなんですよ。モードストリートのアトリエヒウン。いつも通りそこが会場で。場所は、アーティさんのジムのお向かいになるんですけど」

 

 示された場所はレジのすぐ側。卓上用の小さなボードや中にチラシの入ったクリアケースと共に、貼り紙を使っての広告や告知ができるようになっている場所です。そこにいくつかあるチラシと同じように束になって置かれていたパンフレットには、ちょうど今聞いた通りの内容が書かれているようで。

 なるほど、と口にした相槌はわたしのもの。その作品を見れば誰かに紹介したり、勧めたくなる──それはさっきなんとはなしに思ったことではありますけれど、もしかするとそんな感想は意外と的を射ていたのでしょうか。ここを地元とする人なら余計にその思いは強いのかも、なんてそう一人納得して。

 

「もしよければ行ってみてください。ジムが再開されるまでの間にでも、ぜひぜひ!」

 

 商品の精算も終わり、このお店のロゴが入った紙のカバーで包まれたそれを受け取る際にかけられた言葉です。たぶん、ジムに挑戦するトレーナーだと思われていたのかもしれません。なんとなく店員さんの口ぶりからはそんなふうに感じられて。

 けれどそれはともかく。また一つ今朝から抱いていた疑問が解けました。ポケモンセンターが混雑していた理由。きっとジムがその準備のために休業になっているせいで、ジムチャレンジのためにそこを訪れたトレーナーの方たちの滞在が長引いてしまっているから、なのでしょう。

 

(せっかくの機会です。明日、その個展に行ってみるのもいいかもしれませんね。パンフレットまで頂いてしまいましたし)

 

 明るい店員さんでした。今はレジの前に他に人がいないからというのもあったのかもしれませんけれど、こうしてにこやかに、熱心に何かを勧めてもらう──思えばそれは、今日訪れた他のお店ではなかったことです。

 そんな対応が、少し嬉しかったりもして。お店で店員さんに声をかけていただくのはそう珍しいことではなくても。そうやって交わした言葉から抱いたのは、ずっと忙しなく人が動き続けているこの街の、ともすれば冷たく感じるような印象とは真逆なものでしたから。

 けれど、もしかしたら。わたしが見つけられなかっただけで他にもたくさん、今日歩いてきた街の中にはそういったものがあったのかもしれません。時間をかけて知っていかないと気付かないような、街やそこに住む人が持つ隠れた一面、素敵な部分。それはきっと、どんな場所にだってあるものですが。そんな魅力を一つ知ることができたのなら、この時間はここで得た発見と同じように、とても素敵なものになっていたのだと思います。それこそ、いつもつけている日記《レポート》に今夜も記したくなるような出来事に。

 とはいっても、ひとまずお買い物の時間はここで一旦終わりです。あとは上ってきた分階層を下りて、ビルの外へと向かうだけ。けれどそこでふと思い出したことがあって、踏み出しかけていた足を止めました。

 

(あ、そうでした。下へ降りる前に、少しだけ……)

 

 食事といえば、です。入口近くにあったブックカフェ。注文できる料理はやっぱり軽食が主なのでしょうけど、お店の外までいい香りが漂ってきていたこと。それを思い出します。

 今まで雑誌などで目にすることはあっても、実際に足を運ぶ機会はなかったような場所でもありましたから、少し気になってはいて。なので最後に、そのカフェの方を見ていくことにしたのですが──

 

「うぅん……そういう形になっているんですね。なら、ここでお昼にするのは難しいかも……」

 

 ボールの外に出せるポケモンのタイプや大きさなど。店先に置かれていたメニューの側。そこに同じように添えられていた注意書きを見る限り、一緒にお店の中に入れるポケモンに関してはどうやらいろいろと制限があるみたいで。そちらの二つの条件はともかく、一人一匹までという部分を考えると、今回ここを利用するのは難しいかもしれません。見れば、今店内で食事を取っている方のほとんどは手持ちのポケモンをボールから出してすらいないようで。どちらかというとこのブックカフェは純粋に本を読むことに集中したい方や、ポケモンを間に挟まずにトレーナー同士でだけ交流を行いたい方のためのお店みたいでした。

 ……やっぱり、テイクアウトか何か、お店の外に持ち出せるものを買って、どこか広い場所で食事を取る、というのが一番無難かもしれません。街中にはベンチが置かれている場所もそれなりにあるようでしたから。少し風は冷たそうですけれど、今の時間ならあの橋(スカイアローブリッジ)が見える海沿いの通りなど、景色がとてもよさそうですし。

 

「ちょっと残念ですけれど、こういったお店に入るのはまたの機会にしましょうか」

 

 初めて訪れる街での、初めての体験。それはやっぱりこの子たちも一緒にじゃないと。きっと旅の間の、どんなことだってそうです。側で一緒にその"初めて"を経験する相手はいた方が、絶対にいいと思いますから。

 

 

 

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