転生先がサイヤ人だったので、好きに生きることにした 作:二次創作マン
あの日、目を開けた瞬間の不快感は今でも覚えている。
視界が曖昧で、喉がやたらと熱い。声をあげようとしたら、聞こえてきたのは情けない赤ん坊の泣き声だった。三十を超えた男の自意識を丸ごと抱えたまま、俺は小さな赤ん坊の身体に閉じ込められていた。
鼻を突くのは、機械油の匂いと、どこか鉄っぽい、生々しい血と汗の匂い。
それから、耳を刺すような粗野な笑い声と高圧的な足音だ。
「なんだ、戦闘力はたったのこれっぽっちか」
「下級戦士のガキなんざ、こんなもんだろ」
頭上から聞こえる雑な会話を聞きながら、俺は自分の手が異様に小さく、そして拳を握る力すら覚束ないことを知った。
ここがどこで、自分がどうなったのかを理解するのに、そう時間はかからなかった。窓の向こうに見える、赤茶けた空と荒々しい岩肌。重厚なバトルジャケットを羽織った無骨なサイヤ人たち。
ドラゴンボールの世界。
それも、あの惑星ベジータだ。
前世での俺は、ごく普通の三十代だった。仕事に追われつつも、漫画を読み、アニメを観て、休日は最新のゲームでドラゴンボールの世界を飛び回るのが好きな、どこにでもある人生を送っていた。ゼノバースや劇場版の裏設定まで頭に叩き込んでいたオタクの知識が、まさか自分の「生」そのものになるとは思いもしなかった。
だが、驚きや恐怖よりも先に俺の心を占めたのは、抑えきれないゾクゾクするような高揚感だった。
(……マジかよ。あの世界かよ)
知識として知っていることと、この皮膚で感じることの差は圧倒的だった。
サイヤ人の身体は、文字通り規格外だ。ハイハイを始める頃には、うっかり壁を叩くだけで部屋の金属板が凹んだ。胃袋は底なしで、出される荒々しい肉料理を大人の精神で苦笑しながらも、身体が勝手に貪り食う。
だが、最初から無双できたわけじゃない。
歩くのすら一苦労だった。サイヤ人の圧倒的な筋力と爆発力は、赤ん坊の未発達な神経系では御しきれないのだ。ちょっと跳ぼうと踏み込めば天井に頭を打ち付け、走ろうとすれば自分の足の力に振られて激しく転倒し、ひざを擦りむいて血を流した。
痛いし、ダサい。でも、楽しかった。
「……ふぅ、今日のは痛かったな」
誰もいない荒野で、小さな擦り傷だらけの手のひらを見つめながら笑う。
昨日までは踏み込みの力を殺しきれずに転んでいたのが、今日は綺麗に一歩を踏み出せた。そのひとつひとつの変化が、たまらなく愛おしかった。
◇
サイヤ人の子供たちは、幼い頃から「戦闘力」という数字だけで評価される。スカウターの数値がすべてだ。
だが、俺は前世の知識で知っていた。スカウターで測れるような気なんて、本当の強さのほんの一部分でしかないことを。
大切なのは、気のコントロールだ。
ただ膨大な力を垂れ流すのではなく、体内を巡る「気」の動きを皮膚の裏側で感じる。それを限界まで抑え込み、必要な瞬間、拳の先の一点だけに集めて爆発させる。
俺は幼少期、サイヤ人の訓練施設で他のガキどもががむしゃらに巨岩を叩き割っている脇で、一人静かに目を閉じ、自分の呼吸と心拍に意識を集中させていた。
「おいダイガ! なに気取ってんだ! そんなんじゃまともな星に侵略に行けねえぞ!」
同年代の粗暴なサイヤ人のガキが嘲笑ってくる。ベジータ王子の取り巻きのような、気位だけは高い連中だ。ベジータ王子本人の姿も遠目に見かけたことはある。ツンとすました子供だったが、俺は特に近づこうとは解さなかった。あいつにはあいつの、原作という名の過酷な運命と成長の物語がある。未来のツンデレ王子様だからといって、今から胡麻をすりに行く趣味もなかった。
「はいはい、俺は俺のペースでやるんだよ」
軽口を叩いてあしらう。
彼らがスカウターの数値アップだけに固執する一方で、俺は「気の抑制」と「集中」のトレーニングを重ねた。
さらに、俺にはもうひとつ、サイヤ人として重大な「知識」があった。
――S細胞だ。
超サイヤ人に変身するために必要な、穏やかな心と環境によって増える特殊な細胞。
サイヤ人社会は常に殺伐としており、戦闘と破壊に明け暮れている。だからこそ、歴史の中で超サイヤ人は伝説と化していたのだ。荒んだ環境ではS細胞が増えるはずもない。
俺は自分の生活環境を意識的に整えた。
家族や数少ない友人との時間を大切にし、腹いっぱい美味いものを食べ、十分に眠る。荒野の穏やかな風を感じ、時に綺麗な夕焼けを眺めて心を落ち着かせる。
「ダイガ、お前は本当にサイヤ人なのか? おっとりしすぎだ」
母親が呆れ顔でスープの器を置いてくれる。
「いいだろ、母さん。美味いもん食って寝るのが一番強くなる近道なんだよ」
「変わった奴だねぇ……まあ、怪我して帰ってこないだけマシだけどさ」
家庭の温もりや、穏やかな日常。サイヤ人の文化からは程遠いそれらを噛みしめるたび、身体の奥深くで何かが優しく澄んでいく感覚があった。S細胞が満ちていく――そんな実感があった。
◇
少年期に入った頃、俺は人目を忍んで荒野の奥深くへ向かうようになった。
そろそろ、次のステップに挑むためだ。
前世の『ドラゴンボール超』で語られていた、変身のショートカット。
「背中のゾワゾワ」。
「肩甲骨の間……このあたりに気を集めて……一気に……」
目を閉じ、体内の気を背中の中心点へと集めていく。
だが――
「っ……あぐっ!?」
ぐにゃりと気が捻れ、背中に強烈な激痛が走った。そのままバランスを崩して地べたに倒れ込む。口の中に土の味が広がった。
「ぐっ……はは、甘くないなぁ……!」
知識として「知っている」ことと、この生身の身体で「再現できる」ことは全く別物だ。
背中が熱病にかかったように変な感じになるだけのこともあれば、気が暴走して周囲の岩山を吹き飛ばしてしまい、慌てて気を消して隠れたこともあった。変身の扉がチラリと見えては、バタンと閉ざされる。そんな失敗を何十回、何百回と繰り返した。
だが、嫌になることなんて一度もなかった。
失敗するたびに、「じゃあ次は気の密度を少し下げてみよう」「背中じゃなくて腰からの気の流れを滑らかにしよう」と試行錯誤する過程が、心の底から面白かったのだ。
そして、その日は訪れた。
心地よい風が吹く黄昏時。
しっかりとした食事を取り、日々の修行で身体を満たし、穏やかな心で静かに立ち上がる。
背中に気を集める。
ゾワゾワとした感覚が、今度は不快な痺れではなく、明確な「道」として繋がった。
(あ、これ……行けるわ)
自分の内に溜め込んできた膨大なS細胞と、研ぎ澄ました気のコントロール。そして、「もっと先へ行きたい」というサイヤ人としての純粋な欲求。すべてが完璧な歯車となって噛み合った。
「――はぁぁぁぁぁぁっ!!!」
ドォン! と音が弾けた。
空気が一瞬で乾燥し、足元の砂利がふわふわと重力を無視して浮き上がる。
視界が金色に染まり、逆立った髪から溢れ出る圧倒的な熱量と、どこまでも澄み切ったエネルギーが全身を駆け巡る。
「これが……超サイヤ人……」
自分の手を見つめる。黄金のオーラが、柔らかく、そして苛烈に身体を包み込んでいた。
荒々しい怒りに任せた変身ではない。コントロールされた、美しくも圧倒的な力。
(すげえ……本当に、なれちゃったよ)
少年期の身体には少々重いエネルギーだが、身体が叫んでいた。楽しい、と。
だが、俺はすぐに変身を解いた。
シュン、と金色の光が消え、いつもの黒髪に戻る。肩で息をつきながら、俺はニヤリと笑った。
この力をベジータ王に見せつければ、一気に上級戦士として持て囃されるだろう。ベジータ王子すら見下せるかもしれない。
だが、そんなことに興味はなかった。
俺には原作の知識がある。
この惑星ベジータが、近いうちにフリーザの手によって滅ぼされるという未来を。
そして、孫悟空――カカロットが地球へ送られ、そこで成長し、数々の死闘を経て伝説の超サイヤ人へと覚醒していくという、あの最高の物語を知っている。
俺がここで目立ちすぎて歴史を変え、カカロットの覚醒や成長の機会を奪うわけにはいかない。
あいつの成長はあいつのものだ。原作のあの大切な流れを、俺のエゴでぶち壊すつもりは毛頭なかった。
「俺は俺で、陰で楽しませてもらうさ」
力を隠すことは、悲屈になることじゃない。
大好きな原作のストーリーを守りつつ、自分自身の「強さへの探求」を裏で思う存分楽しむための、最高に贅沢なプレイスタイルなのだ。
◇
その後も、俺は表向きは「ちょっと気の利く下級戦士の子供」として過ごした。
時に、原作には登場しないような劇場版やゲームオリジナルのような気配――遠く離れた未知の星からの侵略者や、原作のメイン筋に一切関係のない狂暴な宇宙怪獣みたいな敵と遭遇することもあった。
そういう時は、周りに誰もいないことを確認してから、最高にニヤニヤしながら全力を出す。
「お前みたいな原作に関係ない奴なら、遠慮はいらないよな?」
超サイヤ人に変身し、圧倒的な力で敵を粉砕する。
知識の中だけにいた強敵たちと実際に拳を交え、汗をかき、圧倒する感覚。それは何物にも代えがたい快楽だった。知識と現実は違う。だからこそ、実際に戦う敵の圧力や熱気は、いつだって新鮮で俺を熱くさせた。
そして、運命の時が近づいてくる。
空に、見覚えのある巨大な宇宙船が浮かび始めた。フリーザの船だ。
街の空気はどこか余計に荒立ち、サイヤ人たちは相変わらず酒を飲み、暴れていた。
俺は自分の小さな宇宙ポッドの点検を終え、静かに星の空を見上げた。
カカロットは、もう地球へと発射されたはずだ。
そして間もなく、バーダックが一人でフリーザに挑み、この星は跡形もなく消え去る。
悲しいか? と問われれば、幾分かは胸が痛む。過ごした街、気さくに声をかけてくれたメシ屋のおっちゃん、家族。だが、これがこの世界の、サイヤ人という種族の運命だ。下手に俺が暴れてフリーザを倒してしまえば、未来のストーリーは原型を留めなくなる。
「さて……そろそろ潮時かな」
俺はポッドに乗り込み、行き先の設定画面を操作した。
向かう先は、もちろん――地球。
あおあおとした海と、豊かな緑が広がる、あの平和な星。
これから始まる数々のドラゴンボールのドラマを、一番特等席で、そして時には陰で自分も暴れながら見届けるために。
ポッドのハッチが閉まり、激しいGとともに惑星ベジータの赤い空が遠ざかっていく。
ガラス窓の向こうで、黄金色の巨大なエネルギー弾が星へ向かって落ちていくのが見えた。
「じゃあな、惑星ベジータ。なかなか面白い子供時代だったよ」
俺はポッドのシートに深く腰掛け、目を閉じた。
胸の奥で、サイヤ人の血と、三十代のオタクの心が、同時にワクワクと跳ねていた。
待ってろよ、地球。俺の本当の「遊び」は、これからだ。