その夜。
リベルタの街で最も活気のある酒場の二階席で、俺たちは数年ぶりの酒杯を交わしていた。
「――でさ! 打ち合わせもなしに急にサウザーが『土壁』を作るから、あたし焦っちゃって!」
「ふふ。でも、あの時のディアナの追撃魔法は見事でしたよ」
「そ、そりゃあ……サウザーが完璧なタイミングで敵の視覚を潰してくれたからだけどさ……」
テーブルの上には、泡立つエールの入った木製ジョッキと湯気を立てる肉料理が所狭しと並んでいた。
失敗した依頼の苦い思い出。
ギリギリで成功した大仕事。
くだらない喧嘩。
あの頃は笑えなかった失敗談すら、今となっては最高の酒の肴だった。
三年。
長い月日だったはずなのに、こうして酒を交わすと一瞬で昔の距離感に戻ってしまう。
別々の道を歩んできたはずの俺たちは、紛れもなく「仲間」だった。
「それにしても、サウザー」
カイルがジョッキをコトンと置いた。
「お前が昼間言っていた『手札を繋いで相手を詰ませる戦い方』……いったいどこでそんな戦術を思いついたんだ?」
「……」
「ただの独学じゃないだろ。発想が泥臭く、それでいてあまりに理にかなっている」
カイルは興味深そうに俺を見つめる。
「何か、師匠でもいたのか?」
「ああ」
俺はジョッキの泡を見つめ、懐かしい顔を思い浮かべた。
「パーティを離れてすぐ、路頭に迷ってた時に出会った人がいたんだ」
「冒険者か?」
「名前はザジさん」
その名前を口にするだけで、自然と胸の奥が温かくなる。
「万年Fランクで、三十年近く草むしりとゴブリン退治しかしてないおじさんだった」
「……は?」
ディアナの手が止まった。
「三十年……?」
「ああ」
「低ランクのまま?」
「そう」
「……そんな人に弟子入りしたの?」
「弟子入りってほど大げさなものじゃないよ」
俺は苦笑した。
「でも、俺にとっては間違いなく唯一の師匠だ」
「どうしてそこまで……?」
ルミアが不思議そうに首をかしげる。
「その人も、才能がなかったんだよ。上級技なんて何ひとつ使えない。だからこそ『弱い自分はどう生き残ればいいのか』を、ずっと愚直に考え続けてた」
「……」
「毎日草むしりをして、毎日ゴブリンを倒して。同じことを、三十年」
脳裏に、あの森で出会った泥臭い男の背中が浮かぶ。
「そのうちに、ゴブリンの呼吸も、逃げ道も、筋肉の動きも……全部身体が勝手に覚えていったらしい」
「身体が……勝手に?」
「ああ。俺には予知能力みたいに見えた。でも本人は『ただの勘だ』って笑ってたよ」
ディアナが呆れたように息を吐く。
「……三十年か。気の遠くなるような話ね」
「教わった技術自体は、ほんの少しだ。俺が一緒にいたのも数日だけだったしな」
「じゃあ、サウザーはその人から何を教わったんだ?」
カイルの問いに、俺は少しだけ考えてから答えた。
「……『諦めずに考え続けること』かな」
「考え続ける?」
「自分が弱いなら、どうすればいいのか。強い技が使えないなら、どう補うのか。才能がないなら、どう足掻くのか。負けたなら、なぜ負けたのか」
一つひとつ、言葉を紡ぐ。
「それを、投投げ出さずに考え続ける。ザジさんはそれを三十年間、一人でやり続けてたんだ」
カイルが深く深く頷いた。
「なるほどな……。世の中には、ギルドのランクや数字じゃ到底測れない人間がいるんだな」
「そういうこと」
俺が誇らしく頷いた、その時だった。
「……あ」
ルミアが何かを思い出したように、ポンと小さく手を打った。
「カイル」
「ん? どうした、ルミア」
「最近、うちのクランの情報網で噂になっている『あの方』の話ですが……」
「あ……」
カイルの表情がハッと引き締まった。
ディアナも何かを察したらしく、目を丸くする。
「どうしたんだ、三人とも?」
俺が尋ねると、カイルは少し言いづらそうに口を開いた。
「サウザー」
「うん」
「お前のその師匠って……腰に手斧を四本下げているおじさんか?」
「…………」
俺は固まった。
「……な、なんでそれを知ってるんだ?」
三人が顔を見合わせる。
そして、揃って何とも言えない微妙な表情を浮かべた。
「……ビンゴね」
ディアナが大きな溜め息をつく。
「な、何なんだよ、一体!?」
「あんたの師匠……今、冒険者ギルドの上層部でとんでもない大騒ぎになってるのよ」
「……え?」
カイルが周囲を気にしながら声を潜めた。先ほどまでの酔いは完全に消えている。
「数ヶ月前の話だ。それまで完全に無名だった低ランク冒険者が――突然、Sランク級の巨大魔獣を単独で討伐した」
「…………」
「それも一匹じゃない。複数だ」
俺は言葉を失った。
「しかも、本人はかすり傷ひとつ負っていなかったらしい」
「……ザジさんが……!?」
信じられなかった。
あの人が?
薬草を探して、ゴブリンを倒して、「今日は運が良かったなぁ」なんて呑気に笑いながら草むしりをしていたあの人が?
「それだけじゃない」
カイルが続ける。
「その後も、指名依頼で異常な戦果を出し続けている。まるで眠っていた才能が爆発したみたいにな」
「周囲から見れば『突然覚醒した天才』に見えるだろうな」
カイルは静かに首を横に振った。
「だが、サウザー。お前の話を聞いた後なら分かる。……そうじゃないんだろ?」
俺は黙って胸のノートに手を当てた。
三十年間。
毎日、泥にまみれて。
誰にも評価されず、ただひたすらに積み重ねてきた思考と経験。
それが数ヶ月前、ついに極限まで高まり――すべてのピースが一つに繋がったのだ。
「……積み重ねが、形になったんだ」
俺の呟きに、カイルが頷く。
「ああ。だがギルドの連中は勝手に『目覚めた遅咲きの天才』なんて二つ名で呼び始めてる」
「ぶっ……!?」
危うくエールを吹き出しそうになった。
「な、何それ!? 目覚めた天才って……それ、ザジさんが一番嫌がりそうな二つ名じゃん!」
「本人の反応は?」
俺が尋ねると、カイルは苦笑した。
「それが妙なんだよ。普通、Sランク級を倒せば名声も富も思いのままだろう? なのにその人は、周囲から持ち上げられるたびに……ものすごく死にそうな顔をするらしい」
「……想像できる」
「『いや、俺なんかただのおっさんで……ほんと勘弁してください』って言いながら、隙を見て全力で逃走するそうだ」
「「「…………」」」
俺は耐えきれず、大声で吹き出した。
「あはははははッ!! ザジさんだ! 絶対ザジさんだそれ!」
「あんた、笑ってる場合!?」
ディアナが呆れ顔で突っ込む。
「だって……想像できすぎるんだよ!笑」
大勢のエリート冒険者に囲まれて、「すごい!」「天才だ!」とちやほやされ、死んだ魚のような目をして「勘弁して……」と逃げ回るおじさんの姿が、鮮明に脳裏に浮かんだ。
「……素敵な方ですね」
ルミアが柔らかく微笑む。
「その方は、名誉や富のために強くなったわけではないのでしょうね。三十年間、ただ『どう生き残るか』を考え続けた結果が花開いた。だから、ご本人には『天才になった』という自覚すらないのかもしれません」
「……そうだな」
俺はジョッキを傾け、冷えた酒をぐっと飲み干した。
胸の奥が、熱く焼けるように燃えていた。
三年前。
俺は自分の才能の限界に絶望し、「器用貧乏」と蔑まれて仲間と別れた。
そんな俺に、強さとは何かを教えてくれた人。
才能がなくても、諦めずに積み重ね続ければ、いつかすべてが繋がるのだと証明してくれた人。
「……会いたいな」
ぽつりと、言葉が漏れた。
「サウザー?」
「ザジさんに会いたい。俺のこの三年間の答えを見てもらいたいんだ」
カイルが嬉しそうに目を細めた。
「そうか。行けよ、サウザー」
「私も会ってみたいわね」
ディアナがニヤリと笑う。
「三十年間の草むしりでSランクを倒すようになった怪物おじさんの顔をさ」
「怪物って言うなよ!」
「ふふ、でも本当にお会いしてみたいですね」
四人で顔を見合わせ、また賑やかに笑い合った。
三年前、一人で旅立った。
そして今、自分だけの足で立ち、同じように自分の道を切り拓いた師の噂を聞いた。
「……待っててくれよ、ザジさん」
窓の外、港町の夜景に揺れる明かりを見つめながら、俺は心の中で呟いた。
三年ぶりに、俺はあの泥臭く無敵な師匠に会いに行く。