一ヶ月という時間は、あっという間に過ぎ去っていった。
久しぶりに腰を落ち着けたこの街で、サウザーはカイル、ルミア、ディアナと昔のように笑い合い、そして師であるザジとも穏やかで温かい時間を過ごした。
けれど、いつまでもここに留まるわけにはいかない。
己の答えを見つけた今、再び己の足で歩き出す時だった。
◇
街の外れへと続く大街道。
朝日が地平線を静かに茜色へと染め上げる中、四人の人影がサウザーを見送っていた。
「本当に……もう行くんだな」
朝日に金髪を眩しく輝かせながら、カイルが寂しそうに苦笑する。
大きなクランを率いる頭領となった今でも、こうして向かい合えば、あの頃の頼れる仲間そのものだった。
「引き留めても無駄なのは、三年前の別れで嫌というほど分かってるけどね」
ディアナが呆れたように肩をすくめてみせる。だが、その瞳には温かい信頼が宿っていた。
「体には気をつけてくださいね、サウザー。……あなたの旅に、祝福がありますように」
ルミアは静かに微笑み、旅の無事を祈る小さな加護の光をサウザーの胸元へ送った。
「ああ。みんなも元気で」
交わした言葉は短かった。だが、それで十分だった。
三年前の別れとは、まるで違う。
あの時の俺たちは、自分の才能に怯え、何者になれるのかも分からずに傷つき合っていた。
今は違う。
それぞれが泥を舐め、悩み抜き、自分の足で己の道を歩んでいるのだから。
サウザーは三人に背を向け――最後に、少し離れた街灯の影に立っている男へ視線を向けた。
くたびれた革鎧。
腰と両足に差した、使い古しの四本の手斧。
世界中から「伝説の目覚めた天才」と注目されるようになった今でも、本人だけは相変わらず冴えないおじさんのままだった。
「……やあ、サウザー君」
ザジがポリポリと頭を掻きながら歩み寄ってくる。
そして、少し照れくさそうに、けれど晴れやかな笑みを浮かべた。
「俺……冒険者を続けることにしたよ」
「……本当ですか!?」
「ああ」
ザジは胸を張った。
「薬草取りとしてね!」
「えぇっ……!?」
真っ先に悲鳴のような声を上げたのはディアナだった。
「や、薬草取り!? いやいやおかしいでしょ!? あんた今、世界中が喉から手が出るほど欲しがってる『最強の冒険者』なんでしょ!?」
「そう言われてもねぇ……」
ザジは困ったように頬を掻く。
「俺、草むしりが結構好きだったみたいなんだよ」
「……草むしりが、ですか?」
「ああ。静かな朝の野原でさ、鳥の声を聴きながら黙々と薬草を探してる時間が一番落ち着くんだ。三十年もやってたら、いつの間にか身体に染みついちゃったんだろうな」
カイルも思わず吹き出し、呆れたように笑った。
「でもザジさん、ギルド本部や国が黙っちゃいないでしょう。噂を聞きつけた大クランや貴族たちが、札束を積んで押しかけてきますよ?」
「まあ、そこは上手くやるよ」
「どうやって?」
質問されたザジは、ニヤリと悪戯っ子のように笑った。
「逃げる」
「……は?」
「どうしようもなくなったら、全力で逃げることにしたんだ」
そして、サウザーへ向かってビシッと親指を立ててみせる。
「知ってるだろ? 俺の本気の逃げ足には、この世の誰も追いつけないんだぜ?」
【瞬転陣(ゲート)】。
【神域】と噛み合ったことで、無限の加速すら可能にする世界の理から外れた絶対の力。
世界を震撼させるそんな不条理な神技を――。
「……面倒な連中から逃げるためだけに使うんですか?」
サウザーは思わず呟いた。
「どうだい? 完璧な使い道だろ?」
「……ハハッ! 最高です!」
サウザーの口から、お腹の底から笑いが込み上げてきた。
「はははっ……!」
強すぎる力を恐れ、己の三十年の歩みが偽物になることを嫌っていた男。
けれど、悩みに悩み抜いた末にザジが選んだのは、世界を支配することでも、巨万の富を得ることでもなかった。
ただ、自分が愛した小さな「草むしり」の日々を守ること。
そして、鬱陶しい連中が来たら神速で逃げる。ただそれだけ。
「じゃあ、ザジさん。お元気で」
「ああ、サウザー君」
「また会いましょう」
「うん。次に会った時は、美味い薬草の見分け方と、秘伝の逃げ足のコツを教えてあげるよ」
「それは楽しみにしてます」
サウザーは深く微笑み、背負った剣と腰の魔法具の感触を確かめた。
そして、かけがえのない仲間たちに向き直り、深く一礼した。
「それじゃあ――みんな、またな!」
背中で温かい歓声を浴びながら、サウザーは歩き出した。
朝日に照らされたどこまでも続く街道を、一歩、また一歩と。
◇
これでも昔は、本を読むのが大好きな少年だった。
剣と魔法が躍動する鮮やかな冒険譚。
お姫様を魔王の手から救い出す、輝かしい勇者たちの物語。
……いつからだろう。
それらの物語を読むのが、苦痛でたまらなくなったのは。
何をやっても、一番にはなれなかった。
剣術も、魔法も、身体能力も。
教われば人並み以上に何でも覚えられる。だが、何一つとして「極める」ことができない。
神に選ばれた本物の天才たちが放つ眩しい輝きを前にして、自分だけが取り残され、世界から置き去りにされているような恐怖があった。
だから――。
昔の俺は、死に物狂いで「最強」になりたかった。
そして……今もその想いは、何一つ変わっていない。
ただ、一つだけ分かったことがある。
「最強」に至る道は、最初から一つじゃなかったのだ。
たった一つの地道な技を三十年愚直に磨き続け、神の領域に達したザジさん。
仲間たちと背中を預け合い、組織という巨大な力として強くなったカイルたち。
そして――。
剣も魔法も、何もかもが中途半端だった俺。
上級の必殺技は使えない。
伝説の魔術も紡げない。
天から与えられた特別な才能なんて、何一つ持ち合わせていない。
だからこそ――見て、考えて、予測して、泥臭く手に入れた初級の手札を組み合わせる。
一枚一枚のカードは弱く、誰もが見向きもしないものかもしれない。
だが、それを十枚、二十枚、百枚と重なる思考の鎖として紡ぎ上げればいい。
相手が次に何をするのか。
その次に何を狙ってくるのか。
そのさらに先にある未来へ、どうやって自分の刃を叩き込むのか。
考えて、泥を舐めて、試行錯誤して、また考えて。
自分だけの「解」を探し続ける。
(……悪くない)
俺はふと足を止め、どこまでも透き通る青空を見上げた。
完璧な天才が振るう一閃の閃光でもない。
英雄が掲げる伝説の神剣でもない。
神から与えられた都合のいい奇跡でもない。
泥を舐め、何度も敗北し、涙を流して。
悩み、考え、足掻く中で、ひとつひとつ地面から拾い集めてきた知識と経験。
剣。
槍。
魔法。
体術。
道具。
観察眼。
その弱小な手札の全てを強固に継ぎ合わせ、何度も何度も研ぎ直す。
不格好で。
歪で。
誰も「完成品」とは呼んでくれないかもしれない。
それでも――。
これは、世界で俺にしか扱えない。
背負った剣の柄に、そっと手を添える。
「俺は――」
静かな風の中、サウザーは力強く呟いた。
「この『つぎはぎだらけの一本槍』を……これからも愚直に磨き続ける」
最強とは、誰かに与えられる都合のいい称号じゃない。
最強になるための答えなんて、最初から決まってなどいなかった。
ザジさんには、ザジさんの道がある。
カイルたちには、カイルたちの道がある。
そして俺には――俺だけの泥臭い生き様がある。
その答えを追い求め続けることこそが、俺にとっての「旅」なのだから。
サウザーは力強く地面を踏みしめ、再び歩き出した。
まだ見ぬ遠い街へ。
まだ見ぬ強大な敵へ。
そして――まだ見ぬ、自分自身の「至高の最強」へ。
地平線の彼方、眩しい朝日の中へと伸びる街道を、ひとりの冒険者が進んでいく。
その背中に背負っているのは、数え切れないほどの「つぎはぎだらけの手札」。
けれどそれは、もう二度と――
「器用貧乏」という名の敗北の証ではなかった。
それは。
誰にも真似できない。
誰にも奪うことのできない。
自分だけの――
誇り高き一本だった。