港町リベルタの冒険者ギルド前には、胃が痛むような重苦しい緊張感が漂っていた。
「……Bランク魔獣『甲殻猿(ガント・エイプ)』の群れだ」
大型の作戦テーブルに地図を広げ、カイルが集まったクランのメンバーたちに告げる。
その背後には、かつてのパーティーメンバーであるディアナとルミア、そして――背中に統一感のない武器を幾つも背負ったサウザーの姿があった。
「本来なら一匹でもBランク冒険者の小隊が慎重に挑む相手だ。それが数十体……群れを成して人里に向かっている。俺たち『銀翼の獅子』が前線で食い止める」
クランの若手冒険者たちが緊張に表情を硬くする中、一人の剣士がサウザーに疑問の視線を向けた。
「カイルさん……その、あの方は? 装備も質素ですし、ソロの冒険者とお見受けしますが……」
「サウザーだ。元・俺たちの仲間で、今はBランクのソロだ。今回の防衛戦、特別に背中を預ける」
「Bランク……? ソロで?」
若手たちがざわつく。
サウザーの腰に下がった片手剣、短槍、小弓、無数のポーチや筒――その「器用貧乏」を体現したような統一感のない装備を見て、不安と疑問の交じった視線が注がれた。
(無理もないか)
サウザーは苦笑しながら、腰の小弓の弦を指先で軽く弾いた。
静かに思考の海へと没入し、三年のソロ生活で得た戦術データを高速で回想・整理する。
(ソロの三年で嫌というほど叩き込まれた。単体のB級なら、初級魔法と罠で一点突破のハメ殺しができる。だが、数で押してくる群れと正面からぶつかった時、ソロの初級手札だけじゃ手数が足りずジリ貧になる。……なら、どうする?)
サウザーの手札は、全属性の初級・中級魔法、そして無数の小道具。
(自分の隙を晒さず、相手の数と配置、味方の射線をリアルタイムで『盤面』として把握する。味方が作った壁を利用し、状況に合わせて手札を高速で切り替え続けろ――ザジさんの教えはこれだ)
上級スキルを持たない万能者。だが今のサウザーには、泥を舐めながら構築してきた至高の「戦略(デッキ)」があった。
「いくぞ! 陣形を展開せよ!」
カイルの鋭い号令とともに、防衛戦の幕が切って落とされた。
◇
街道沿いの森林地帯。
地鳴りのような足音とともに、岩のような黒甲殻を纏った巨大な猿の群れ――『甲殻猿』が雪崩を打って押し寄せてきた。
「ひっ……! 数が多すぎる……!」
前衛の若手騎士が圧迫感に腰を引かしかけた、その瞬間――。
「怯むな! 盾を連ねろ!」
カイルの怒号が響き渡った。
カイルの全身から、眩い金色の上級気脈が溢れ出す。かつての「優秀な若手剣士」の面影はない。今のカイルは、周囲の味方の士気と防御力を強制的に跳ね上げる大騎士(グラディエーター)の圧倒的な威圧感を纏っていた。
「第一陣、踏みとどまれ! ディアナ、ルミア、射程に入ったぞ!」
「任せなさい!」
ディアナが長杖を構える。三年前なら大雑把な爆炎魔法を叩き込むだけだった彼女だが、今は違った。
集弾率を極限まで高めた圧縮火炎槍が、甲殻猿の硬い甲殻の「関節(隙間)」だけを寸分の狂いもなく正確に撃ち抜いていく。
(すげえ……火力が上がっただけじゃない。急所を的確に削ってる……!)
サウザーはディアナの劇的な進化に目を見張った。
さらに、ルミアが前線の一歩手前へ出る。
「『聖域領域(サンクチュアリ)』――神聖なる光よ、退魔の刃となれ! 『聖輝槍(ホーリージャベリン)』!」
透明な光の結界がクラン全体を包み込み、物理・魔法双方のダメージを大幅に軽減する。それと同時に、空中から降り注いだ光の槍が甲殻猿の群れを貫いた。
(ルミアが……神聖攻撃魔法まで!? ヒールだけじゃなく、全体のバフと攻撃まで一人でこなしてる……!)
カイルの鉄壁の指揮、ディアナの精度を極めた火力、ルミアの完璧な全領域支援。
これが、三人が三年で辿り着いた「クラン(組織)」という答えだった。
だが――相手はBランク魔獣が数十体。
圧倒的な「数の暴力」が、次第にクランの防衛線を押し潰し始める。
「くっ! 左翼が突破される!」
前衛の盾役が甲殻猿の巨腕に弾き飛ばされ、陣形に致命的な「穴」が空いた。
その隙を逃さず、三匹の甲殻猿がカイルの死角めがけて跳びかかる。
「カイルっ――!」
ディアナの叫び。カイルは正面の敵を押さえており、死角からの奇襲には防御が間に合わない。
(届かせる――手札を繋げ!)
サウザーの思考が超加速する。
サウザーは腰の小弓を引き絞った。放つ矢は一本。
(『闇属性・鈍熱(スロウ)』+『風属性・追撃(エアロ)』+『マジックアロー』!)
矢の軌道に風を乗せて超高速化させ、カイルの首すじスレスレをすり抜けさせて甲殻猿の眼球へ命中させる。破裂した矢から闇の靄が広がり、敵三匹の動きが極限まで遅延した。
「なっ……!?」
「カイル、そのまま左へ一歩!」
サウザーの声に、カイルは思考を介さず左へ跳んだ。
すれ違いざま、動きの鈍った甲殻猿の足首をサウザーの投げナイフが引き裂き、体勢を完全に崩しさせる。
「助かった、サウザー!」
「礼なら後だ! カイル、そのまま前衛の盾になれ! 数秒稼いでくれ!」
「了解だ!」
カイルが強固な壁となって正面の攻撃をすべて受け止める。
ソロでの戦闘中、サウザーは詠唱に数秒を要する「中級魔法」を封印していた。無防備な隙を晒せば即死に直結するからだ。
――だが、今の俺の前には、命を預けられる最強の「壁(組織)」がある!
(いくぞ……!)
サウザーは片手剣を地面に突き立て、魔力を一気に練り上げた。
「『岩漿散裂(マグマ・バースト)』――叩き込め!」
サウザーの手元から解き放たれたのは、土と火を融合させた中級範囲攻撃魔法。
突破されかけた左翼の地面が激しく爆ぜ、高熱の泥と砕石が甲殻猿の群れの足をまとめて吹き飛ばした。
「な……!? 中級の範囲攻撃魔法……!?」
「あの人、さっきまで弓とナイフを使ってただろ!? なんで中級魔法までノータイムで扱えるんだ!?」
若手冒険者たちが目を見開く。
サウザーは器用貧乏――裏を返せば「全属性の中級までなら完璧に使いこなせる万能者」なのだ。
集団戦という安全な中衛の立ち位置を得たことで、これまで封印していた「中級の手札」が完璧な火線となって盤面を支配していく。
「まだだ! 右奥、若手が孤立した!」
別方向で、クランの若い冒険者が群れの奥へと引きずり込まれようとしていた。
甲殻猿の鋭い爪が、その首元へ振り下ろされる。
間一髪、自分の足では絶対に届かない――!
そう誰もが絶望した瞬間。
(ザジさんから教わった……仕込みの手だ!)
サウザーは胸元のポーチから「事前に高濃度の回復魔法を充填しておいた特殊な薬瓶」を取り出し、投げナイフの柄に括り付けて投擲した。
シュッ!
爪が若手の胸を切り裂くコンマ一秒前、薬瓶が敵の腕に衝突して弾けた。
飛散した高濃度の薬液の霧が若手の全身を包み込み、超高速の「事前回復(ハイ・ヒール)」が発動する!
ガリィンッ!
「あ……が……っ!?」
爪は肉を裂いたが、傷がついた瞬間に細胞が超再生し、致死傷を完全に相殺した!
「え……!? 傷が……その場で塞がってる!?」
若手が目を白黒させる。
「ボサッとするな! 立つんだ!」
サウザーが滑り込み、目くらましの弱体粉末を甲殻猿の顔面に吹きかけると、若手の襟首を掴んで強引に陣形の内側へと引き戻した。
「……すごすぎる……」
クランの若手たちが息を飲んだ。
サウザーに一撃必殺の上級魔法はない。
だが、事前準備に基づいた「初級・中級魔法」と「小道具」の超高速スイッチング、そして「ポーション投擲による着弾回復」で、絶対に救えないはずの命を救ってみせた。
何より――サウザーは、完成されたクランの陣形に生まれる「わずかな隙間(死角)」を、たった一人で完璧に埋め尽くしていたのだ。
「ディアナ! 次の3匹、左膝の関節を狙え! 俺が風で矢の弾道を補正する!」
「了解!」
「ルミア! カイルの足元に聖域を集中! 敵の属性攻撃が来るぞ!」
「はいっ!」
サウザーの「絶対的な観察眼と構築力」が、カイルたちの「圧倒的な組織力」と噛み合っていく。
ソロでは倒しきれない数十体のBランク魔獣。
だが、強固な組織と、その隙間を縫うように立ち回る「つぎはぎの万能者」が合わさった時、防衛隊は圧倒的な破竹の勢いを見せ始めた――!