「……まだ来るぞ! 総員、構えろ!」
カイルの腹の底からの怒号が、森林全体を揺らした。
数十体の『甲殻猿(ガント・エイプ)』の群れ。その最奥から、周囲の巨木を圧し折りながら、一際絶望的な巨躯が姿を現す。
通常種の二倍はあろうかという体長四メートル超の巨体。
全身を覆う甲殻は底知れぬ黒光りを放ち、不気味な赤紫色の紋様が浮かび上がっている。
――群れの主、討伐難易度B上位・『巨腕の主(アームド・ロード)』。
「みんな、下がりなさい!」
ディアナが放った高圧縮の火炎槍が主の胸板を直撃した。
しかし、雑魚とは次元の違う硬度を誇る甲殻は微動だにせず、爆炎をただの煙のように弾き飛ばした。
「効かない……っ!?」
「硬すぎる……! あんなの前衛の剣じゃ歯が立たないぞ!」
若手冒険者たちの顔に絶望の色が広がる。
主が巨大な両腕を頭上へ振り上げ、クランの陣形ごと圧殺せんと地面叩きつけた。
ズゴゴゴゴッ――!!
強烈な衝撃波が走り、前衛の盾列が大きく吹き飛ばされる。
(……一撃の破壊力が違いすぎる。正面からの殴り合いは不可能だ)
サウザーの瞳が、冴え冴えとした光を宿す。
脳内の思考ギアを限界まで跳ね上げる。
(だが――どれほど強固な肉体だろうと、動く以上は必ず運動の起点と『綻び』が存在する。……殴りつける直前、右肩の重心が沈む。そして大腕を振り抜いた直後、コンマ一秒だけ、脇腹の甲殻の継ぎ目が浮き上がる!)
サウザーの脳内で、一瞬にして主の解体手順(デッキの組み立て)が完了した。
かつて指示を受けるだけだった少年が、今や迷いなく仲間たちへ指令を飛ばす。
「カイル! 正面で奴の意識を惹きつけろ! 右肩が沈んだら殴り合いは避けろ!」
「――任せろ!」
数年ぶりの共闘でありながら、カイルはサウザーの意図を一瞬で察知した。
全身から迸る金色の上級気脈が最大値まで跳ね上がり、主を正面から威圧する。
「『獅子の咆哮(レオン・ロア)』!! 主(ボス)、俺を見ろ!!」
カイルが単身で飛び出し、大剣を地面に突き立てて巨大な衝撃波を防ぎ止めた。
主の殺気が、正面で圧倒的な気脈を解き放つカイルへと完全に固定される。
「ルミア! 足元を縛れ! 次の振り下ろしをコンマ五秒遅らせるんだ!」
「はいっ!」
サウザーの指示と寸分違わず、ルミアが長杖を掲げた。
「『聖域展開(サンクチュアリ)』――そして『光縛陣(ライト・ビインド)』!」
主の足元から無数の光の鎖が這い上がり、その四肢を強烈に縛り付ける。
完全には止められないが、主の動きがコンマ数秒、確実に硬直した。
「ディアナ! 右肩の関節の継ぎ目だ! 砕けなくてもいい、皮一枚分だけ隙間を抉れ!」
「任せなさい……っ!」
ディアナが全魔力を込め、二人の仲間とサウザーが創り出した「絶好の隙」へ向けて、最大威力の魔法を撃ち放つ。
「『烈火・貫通槍(プロミネンス・ランス)』!」
一筋の灼熱の槍が、主の右肩関節――そのわずかな甲殻の継ぎ目へ正確無比に突き刺さった。
ガキィィィンッ!
激しい金属音が響き、硬質な甲殻が砕け散る。
だが――主はまだ倒れない。狂乱した巨腕が、身動きの取れないディアナめがけて死の落石のように振り下ろされた。
(間に合わない……っ!)
ディアナの顔が青ざめる。
だが――サウザーの構築した『手札の鎖』は、すでにそこまで織り込み済みだった。
(『氷結(フロスト)』+『風加速(エアロ)』+『マジックアロー』!)
サウザーの小弓から放たれた矢が、主の振り下ろされる肘関節の奥深くへと吸い込まれるように突き刺さる。
瞬間、矢から極低温の氷結魔力が爆発的に広がり、巨腕の筋肉と血管を芯から凍りつかせた。
グォォォ……!?
振り下ろされる巨腕の動きが、ガクリと完全に停止する。
「――崩れたな」
その静寂の一瞬、サウザーの姿はすでに主の懐深くへと滑り込んでいた。
技名を口にする余裕も、気取った言葉を吐く隙すらない。
サウザーが三年で紡ぎ上げたのは、見た目の華やかさとは無縁の、泥臭く絶対的な【解(答え)】。
――シュッ!
左手の短剣で、氷結して脆くなった関節の凍結面を叩き割り、内側の肉を切り裂く。
――ダツッ!
即座に反転し、胸元のポーチから引き抜いた三本の投げナイフに電撃を纏わせ、凍傷で感度を失った脇腹の肉へ深々と突き刺す。
バチバチバチッ!!と紫電が体内を駆け巡り、主の全身の神経回路を完全に麻痺させた。
そして最後に――サウザーは短槍の柄を固く握り直した。
ディアナが貫き、ルミアが繋ぎ留め、カイルが正面を受け止め、サウザーが内側から破壊した絶望的な連鎖。
そのすべてが収束する首元の甲殻の隙間へ、全魔力を一点集中させた短槍の一撃が、穿つように叩き込まれた。
……パキン。
ガラスが割れるような、静かで乾いた音が響く。
手応えが通り抜けた。
サウザーは着地とともに無言で短槍を引き抜き、身を躍らせて間合いを取る。
数秒の沈黙。
四メートルの巨体が、ぐらりと大きくバランスを崩し――大地へと崩れ落ちた。
ドサァァァァッ……!!
森林全体を揺らす激しい落音の後、ただ静かな風の音だけが吹き抜けていった。
◇
「……勝った……のか……?」
若手冒険者の一人が、呆然と呟いた。
次の瞬間、森林を揺らすような大歓声が沸き起こった。
「やったぞーーっ!!」
「すげえ……あのB上位の主を……一人の脱落者もなしで討伐したぞ!!」
クランのメンバーたちが互いに肩を叩き合い、勝利の喜びを爆発させる。
カイルは荒い息を整えながら、サウザーの元へ歩み寄ってきた。
その顔には、誇らしげで、どこか晴れやかな笑みが浮かんでいた。
「……すげえな、サウザー」
カイルが固い拳を突き出す。
「戦況をすべて見極めて俺たちに指示を出し、最後の最後の一瞬まで手札を繋ぎ切る……お前のあの『戦術』は、俺たちの組織力と合わさると……とんでもない相乗効果を生むな」
サウザーは苦笑しながら、その拳と互いの拳を軽く合わせた。
「そっちこそ。カイルの統率力と、二人(ディアナとルミア)の圧倒的な成長があったからできたんだよ。俺一人じゃ到底、指示を出す時間すら作れなかったさ」
「まったくよ……」
ディアナが息を切らせながら歩いてきて、腕を組んだ。
「あんた、相変わらずギリギリのところで嫌なタイミングでカッコいいことするんだから」
「サウザーさん、お疲れ様でした。見事な指揮でした」
ルミアも柔らかな笑顔を向けてくれた。
遠くでは、若手冒険者たちが「あのソロのBランクの方、自分で前線で戦いながら全体の盤面を完璧に支配してただろ……!?」「あんな立ち回り、見たことないぞ……!」と、サウザーへ尊敬と熱い視線を送っている。
「ははは! どうだ見たかお前ら! 俺の元仲間は凄いだろ!」
カイルが嬉しそうにサウザーの肩に手を回しながら、若手たちに向かって胸を張る。
かつて「器用貧乏」と悩み抜いていた少年が、リベルタの街のA級クラン『銀翼の獅子』に完全なる仲間・そして最高の戦友として認められた瞬間だった。
◇
数日後。
ギルドの受付窓口には、討伐された数十体の甲殻猿と、主の超貴重な素材が山のように積み上げられていた。
受付の職員は目を剥き、ひっくり返りそうな驚き方をした後、震える手でこう告げた。
「こ、これほどの規模の群れを被害ほぼゼロで完封……しかも主の撃破……! クラン『銀翼の獅子』の功績、および共闘したソロ冒険者サウザー様の働きは、文句なしに【A級昇格試験】の最終実績として認定いたします……!」
街の外れの大街道。
サウザーが再び旅立つ直前の朝。
カイルたちは、改めてサウザーの背中を見送っていた。
「いよいよだな、サウザー」
「ああ。A級になって、もっと広い世界を見てくるよ」
「困ったら、いつでもうちのクランを頼れよ。副団長の席くらい、いつだって空けておくからさ」
「ありがとう。でも俺は俺の『一本槍』でいくよ」
笑い合い、固く拳を交わす。
三年前、絶望のなかでバラバラになった道が、この港町で美しく交わり――そしてまた、それぞれの輝かしい未来へと伸びていく。
サウザーは背負った荷物を確かめ、大きく息を吸い込んだ。
つぎはぎだらけの、けれど誰にも真似できない最強の旅路の続きが、今、始まろうとしていた。