パーティーを離れて二ヶ月。
俺の冒険者生活は――惨憺たるものだった。
「……くそっ、重ぇ……ッ!」
ぬかるんだ泥を踏み荒らし、巨木のような木棒が振り下ろされる。
俺は横ざまに転がり、紙一重で回避した。
ズドンッ!
巻き上がった泥と破片が顔面を叩く。視界が土で塞がる。
(速い……!? いや、違う!)
脳が悲鳴を上げる。
敵はただのオークだ。以前なら脅威とも思わなかった相手。
なぜなら、前にはカイルがいて、俺は脇から『最善の一手』を狙うだけでよかったからだ。
今は違う。
間合いを測るのも俺。
視線を惹きつけるのも俺。
間隙を縫って斬り込むのも俺。
背後の気配を察知するのも、逃げ道を確保するのも――すべて、俺一人だ。
情報量が多すぎて、思考がパンクを起こしそうになる。
「グオオオッ!」
オークが追撃の爪を振るう。
「『風刃(ウインドカッター)』!」
咄嗟に右手から魔力刃を放つ。
緑の光がオークの肩口を裂くが――肉の厚みに阻まれ、巨体は止まらない。
(浅い……! 『身体強化(ブースト)』を上乗せして押し込む――)
「ぐっ……!?」
足が追いつかない。
急激な魔力循環に筋肉が耐えきれず、右太腿の筋が悲鳴を上げた。
踏み込みが鈍り、体勢が大きく崩れる。
「ガアアッ!」
目の前に迫る、オークの歪んだ顎。死の匂い。
(しまっ――)
考えるより先に、身体が泥の中を這った。
死に物狂いで剣を斜めに構え、衝撃を受け流す。
ガキィンッ! と嫌な金属音が鼓膜を刺し、腕の骨が軋んだ。
泥を舐め、顔面を土塗れにしながら立ち上がる。
呼吸が浅い。視界が明滅する。
(まだだ……まだ死ねるかよ……!)
オークの横薙ぎを潜り抜け、膝裏へ泥を蹴り飛ばす。
一瞬だけ傾いた巨体。その喉元へ――俺は全体重を乗せて剣を突き立てた。
ドスッ!
「グ……ッ……」
生温かい血が顔に噴き出す。
崩れ落ちる巨体と共に、俺もその場に膝をついた。
「ハッ……ハッ……ハッ……」
激しい動悸が収まらない。
勝利の歓喜なんて微塵もなかった。ただ、死の恐怖と疲労感だけが全身を支配している。
手元を見れば、愛用の片手剣は刃が大きく欠け、刃こぼれを起こしていた。
傷だらけの身体を引きずり、なんとか街のギルドへ戻る。
受け取った報酬は、銅貨が数十枚。
そこから、武器の研ぎ代。
傷口を塞ぐための安価な薬草代。
薄汚れた宿屋の部屋代と、冷えたスープの食費。
手のひらに残ったわずかな銅貨を見つめ、俺は力なく吐き捨てた。
「……笑えないな」
◇
その夜。
安宿の固いベッドに倒れ込み、天井のシミを見つめる。
一人で傷口に軟膏を塗りつける。ルミアの暖かな『ヒール』とは比べものにならない、焼けるような痛みが肌を刺した。
「極めるどころか……生き残るだけで精一杯じゃないか」
壁一枚隔てた隣の部屋から、酔っ払いの話し声が聞こえる。
目を閉じれば、浮かんでくるのは三人の顔だ。
カイル。ディアナ。ルミア。
俺が抜けて二ヶ月。
あいつらはどうしてるだろう?
俺の穴を埋める新しい仲間を見つけたか?
あるいは三人で完璧な立ち回りを構築しているのだろうか?
それとも俺と同じ様に悩んでる最中なのだろうか?
俺がいなくても、世界は回る。
あいつらもきっと前に進んでいけるだろう。
自分だけが前に進まず同じ所をグルグル回っている様な錯覚感。
「『最強』、か……」
呟いた言葉が、あまりに空虚で胸が潰れそうになる。
何でもできるからと過信し、居心地のいい場所を飛び出した。
だが、一人になった途端に露呈したのは、上級者には程遠い「器用貧乏の無力さ」だった。
壁を破る方法も分からない。
強くなるための手応えすらない。
ただ、すり減っていく装備と体力に怯えながら、日銭を稼ぐ毎日。
(俺は……明日から、どうすればいい?)
暗闇の中、答えをくれる者は誰もいなかった。
幼い頃に憧れた絵本の勇者は、泥と血に塗れた俺を、ただ冷たく見下ろしている気がした。