焦った俺は、気分転換も兼ねて森へ向かった。
受けた依頼は――薬草採取。
最低ランクの仕事だ。
以前の俺なら、まず選ばなかった。
魔物を倒す方が稼げる。
そう思っていたからだ。
だが今は違う。
確実に金になる。
危険も少ない。
今の俺には、それくらいがちょうどいい。
「……この辺りだったか」
草むらを掻き分け、依頼書に描かれていた薬草を探す。
しばらく歩いていると――
少し離れた木陰に、人影が見えた。
一人の冒険者だった。
使い古された革鎧。
汚れたマント。
腰の後ろには――手斧。
一本。
……いや。
よく見るともう一本。
さらに両太腿にも何か差してある。
「……四本?」
四十歳を超えているだろう。
くたびれた雰囲気の男だった。
(あんな歳になっても、薬草取りをしてるのか……)
自分の将来の姿を見せられたような気がして、胸がチクリと痛む。
その時だった。
ガサッ。
頭上の枝が揺れた。
俺は反射的に顔を上げる。
(――ゴブリン!)
三匹。
樹上から飛び降りようとしている。
「おい、上――!」
警告を叫ぼうとした。
その瞬間。
男が動いた。
振り返ってすらいない。
しゃがんだ姿勢のまま、腰の手斧を抜く。
そして――
「……よっ」
ぽい。
まるで物を投げ捨てるような軽い動作。
手斧が宙を舞う。
ドスッ!
一匹目のゴブリンの頭へ突き刺さった。
「ギャッ!」
残る二匹が着地する。
男はすでに立ち上がっていた。
二本目の手斧を抜く。
一歩。
踏み込む。
ゴブリンが腕を振る。
男の身体が半歩だけずれる。
斧が振り抜かれる。
ザシュッ!
ゴブリンの首が裂ける。
もう一匹。
死角から跳びかかる。
男は――見ていない。
それなのに。
背中へ回していた手斧の柄が、ゴブリンの顎を正確に打ち抜いた。
「ギャッ!」
ゴブリンが空中で体勢を崩す。
男は振り返る。
そして。
ドスッ。
最後の一撃。
三匹目が地面へ落ちた。
……静かになった。
俺は、しばらく何も言えなかった。
「……え?」
今のは何だ?
速い。
いや。
単純な速さじゃない。
動きに無駄がない。
ゴブリンがどこへ飛ぶか。
どこへ避けるか。
どのタイミングで攻撃してくるか。
まるで――
全部、最初から分かっていたような。
「……予知?」
思わず呟く。
男が振り返った。
「ん?」
「あ、あの……今の!」
俺は駆け寄っていた。
「今の動き、なんですか!? ゴブリンがどこから来るか分かっていたんですか!?」
「え?」
「予知のスキルですか!? それとも特殊な感知系の能力? あの死角からの攻撃まで……!」
男は露骨に困った顔をした。
「……うわ」
「え?」
「若いのが食いついてきた……」
「いや、そうじゃなくて!」
「いやいや。大したもんじゃないよ」
男は頭を掻いた。
「ただの勘」
「勘?」
「うん。勘」
俺は三匹のゴブリンを見る。
そして男を見る。
「……あれが?」
「そう」
「勘?」
「そう」
「……」
どう考えても納得できない。
男は倒したゴブリンから斧を抜き、返り血を拭き取った。
その時。
「あ」
男が地面を見る。
「あーあ……」
「どうしました?」
「せっかく芽が出たばっかりの薬草が、血で汚れちゃった」
本気で残念そうだった。
「……そっちですか?」
「そっちだよ。今日の依頼、これ一本駄目になったら結構痛いんだから」
そう言って、男は予備の手斧を取り出した。
俺は男の腰や足を見る。
一本。
二本。
三本。
そして――四本。
「手斧を四本も?」
「ああ」
「なぜ?」
男は少し考えてから答えた。
「二本あれば死角を減らせるだろ?」
「……はい」
「投げたら一本なくなる」
「はい」
「だから予備」
「……」
何でもないことのように言う。
「最初は一本だったけどね。投げたら拾うの面倒だし、二本持ったら二刀流の方が生き残りやすいって気づいて。そしたら予備が欲しくなって……」
男は苦笑した。
「気づいたら四本になってた。」
俺は手斧を見つめる。
洗練されている。
……いや。
洗練という言葉とも少し違う。
もっと泥臭い。
生き残るために必要だったものを、一つずつ積み重ねていった結果。
そんな感じがした。
「……失礼ですが」
俺は尋ねた。
「あなたは、どれくらい冒険者を?」
「三十年くらい」
「三十年……」
「まあ、才能なかったからね」
男はあっさりと言った。
「冒険者になったはいいけど、強い魔物なんて全然倒せない。だから薬草を採って、ゴブリンを倒して……また薬草を採って」
「……三十年間?」
「うん」
「ずっと?」
「ずっと」
男は笑った。
「俺、弱かったからさ」
その言葉に、胸がざわついた。
「弱いなら、どうすればいいんだろうって。ずっと考えてた」
「……」
「どうすれば攻撃を受けないか」
「……」
「どうすれば一発で仕留められるか」
「……」
「どうすれば、逃げられるか」
男は遠くを見るような目をした。
「毎日考えてたらさ」
そして自分の手を見る。
「いつの間にか、身体が勝手に動くようになったんだよ」
「……それが、今の動き?」
「たぶん」
「たぶん?」
「自分でも、よく分かってないんだよ」
男は困ったように笑った。
「枝が揺れたら、あそこに来る気がする」
「……」
「こいつは右に避ける気がする」
「……」
「なら、そこに斧を置いておけばいい」
「……」
「そんな感じ」
俺は言葉を失った。
目の前にいる男は、自分を弱いと言った。
才能がないと言った。
三十年間、薬草を採って、ゴブリンを倒していただけだと言った。
なのに。
俺には、その動きが――
途方もなく遠いものに見えた。
俺はずっと、「上級」になれないことを嘆いていた。
中級の壁を越えられないことを、自分の限界だと思っていた。
でも、この男は違う。
上級になれないなら。
強い魔法が使えないなら。
強い剣技がないなら。
どうすれば生き残れるのか。
どうすれば弱い自分でも戦えるのか。
それだけを、三十年間考え続けていた。
「……凄い」
気づけば、口から言葉が漏れていた。
「え?」
「あなたは……凄いです」
男が困った顔をする。
「いやいや、そんな大した――」
「俺にはできません」
「……」
「俺は壁にぶつかったら、自分には才能がないからだと思ってました」
自分でも驚くほど、言葉が出てきた。
「でも、あなたは違う」
俺は男を見る。
「弱いから、考えた」
「……」
「才能がないから、考え続けた」
「……」
「そして三十年間、やめなかった」
男は何も言わなかった。
ただ、少しだけ目を細めた。
「……お兄さん」
「はい」
「君、若いねぇ」
「?」
「若いのに、そんな顔するなよ」
「どんな顔ですか?」
「人生終わったみたいな顔」
男は苦笑する。
「まだ二十そこそこだろ?」
「……」
「俺なんて、四十過ぎてからも草むしってるんだぞ」
「それは……」
「だったら、まだ何だってできるじゃん」
その言葉が、妙に胸に残った。
「……あなたの名前を教えてください」
「俺?」
「はい」
男は少しだけためらってから答えた。
「ザジ」
「ザジさん……」
俺は深く頭を下げた。
「俺、サウザーっていいます」
「うん」
「……俺に、あなたの考え方を教えてください」
「えぇ……」
ザジは露骨に嫌そうな顔をした。
「師匠とか呼ぶの、なしだからね?」
「でも――」
「俺、人付き合い苦手なんだよ」
「……分かりました」
「絶対分かってない顔してるけど」
俺は、思わず笑ってしまった。
パーティを離れて二ヶ月。
初めてだった。
「最強になるために、何をすればいいのか分からない」
その問いに対して。
ほんの少しだけ――
道が見えた気がした。
その日。
俺は初めてザジという男に出会った。