薬草採取の完了報告をギルドで済ませ、俺はザジさんの家を訪れた。
街の外れに建つボロボロのあばら家。だが、中に入ってみると想像とはまるで違っていた。
部屋の中は驚くほど綺麗に整理整頓されている。棚には冒険に使う道具や生活雑貨が種類ごとに分けられて並び、無駄な荷物が一切ない。
あのくたびれた外見に反して、かなり几帳面な性格のようだ。
「鏡……?」
部屋の隅に、全身を映せるほどの大きな鏡が置いてあった。
意外とお洒落なのだろうか?
俺が不思議そうに見つめていると、ザジさんが奥から声をかけてきた。
「悪いけど、ちょっと待っててくれるかい? 日課でやりたいことがあるから」
そう言って、ザジさんは本棚から一冊のメモ帳を取り出し、テーブルについた。
「本……? いや、ノートですか?」
「日記だよ。今日の依頼の成果とか、天気とか、成功したこと、失敗したこと……まあ行動記録ってやつ? 冒険者ならみんなやってるだろ?」
「いやいや、やってません」
よく見ると、本棚には同じようなメモ帳がズラリと一列を埋め尽くしていた。
「もしかして、これ全部ですか?」
「ん〜〜? そうだねぇ。冒険者になってすぐからってわけじゃないけど、たまに読み返すと役に立つんだよ」
俺は息を呑んだ。
失敗や成功を記録に取る。自分はそんなことすらやってこなかった。
ただひたすら、「上級にならなきゃ」「強くならなきゃ」と焦っていただけだ。
「ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「え? ダメだって、恥ずかしいから」
「そこをなんとか!」
「いやいや! 10代の頃のは『失敗した悔しい』みたいなのばかりだし、20代なんて世の中への恨みつらみしか書いてないから」
「恨みつらみですか……」
「うん。最初に会った時の君さ、なんか昔の自分に重なって見えたんだよ」
「……!」
「まあ、若い頃なんて誰しもそんなもんさ」
ザジさんは笑う。
この人は、ただ淡々と薬草取りやゴブリン討伐をしてきたわけじゃないんだ。
自分と同じように悩み、嫌で、苦しくて、それでも足掻き続けてきた。
ただ「上級」を追い求めるのではなく、日々の失敗と向き合い、反省を積み重ねてきた結果が今のあの強さなのだと知り、胸が熱くなった。
「よし! 日記終わり!」
ペンを置いたザジさんが、俺を見る。
「サウザー君、悪いけどもうちょい付き合ってもらっていいかな?」
「はい!」
ザジさんは全身鏡を持ち出し、庭へと運んでいく。
「何をするんですか?」
「素振りだよ。鏡の前でね。軸がブレてないかとか確認しながら」
お洒落のためじゃなかった。自分のフォームを自ら客観視するための道具だったのだ。
「俺も一緒に素振りしていいですか?」
「いいけど、この鏡は一人分くらいしか映せないから、俺の後になるよ?」
「わかりました。……あ、いや大丈夫です! ――『鏡面(ミラーウォール)』」
光、水、土の三属性を錬成し、庭の空間に滑らかな光の鏡を作り出す。
「おわ!? 何それ?」
「敵の前に突然鏡を出して視界を遮ったり、日常生活で使ったりする中級魔法です」
「へぇ〜〜! 便利なもんだねぇ。君、ひょっとして凄い魔法使い?」
「いやいや、三属性を混ぜてるとはいえ構造自体は単純ですし、中級レベル止まりですから」
「それでも凄いんじゃないの?」
「昔から、こういう小技が得意なだけで……俺、器用貧乏なんです」
自分の手のひらを見つめる。
「剣も、魔法も、回復も、補助も……全部中級までしか覚えられなくて。尖った特技がないんです。このままだと、いずれ周りに置いていかれるのが怖くて」
「ああ、一つの技を極めた奴が強いって話、よくあるよねぇ」
「……! 知ってるんですか?」
「知ってる知ってる。これでも昔は本が好きだったんだよ。まあ、一時嫌いになったけどさ」
「俺もです! 物語を読むたびに『究極の一撃』とか『選ばれし才能』とか見るのが辛くなってきて……」
「あはは、分かるよ。物語の定番だからねぇ。でもさ、あんまり気にしなくていいと思うよ? 俺だって30年やって覚えたの手斧4本だよ?」
「いえ、実際今の冒険パーティってそれぞれの得意分野を突き詰めるのが主流ですし。俺みたいな中衛は、前衛と後衛の間でそれぞれの穴を補うような立ち回りしかできなくて……」
「補う、か。でもさ」
ザジさんは『鏡面』に映る自分の姿を見ながら、手斧をゆっくりと構えた。
「それって、一番難しくないかい?」
「え?」
「前衛の間合いも、後衛の魔法の隙も、回復のタイミングも……全部理解してなきゃ『補う』なんてできないでしょ」
ザジさんは鏡を見つめたまま、静かに斧を振り下ろした。
風を切る音すら聞こえない。一切の無駄がない、極限まで削ぎ落とされた素振り。
「俺なんて手斧とゴブリンと薬草のことくらいしか分からんよ。魔法も剣術も使えない。だから三十年間、それだけを擦り減るまでやっただけさ。でも君は……何でもできるんだろ?」
「……何でもできますが、どれも中級止まりです。どれ一つとして一極集中した天才には届きません」
「ならさ」
ザジさんは手を止め、俺をまっすぐに見つめた。
「中級の魔法や技を十個持ってるならさ。それをどんな順番で繰り出すか……盤上のゲームみたいに相手の何手も先を読んで、逃げ道を一つずつ潰してみたらどうだい?」
「相手の……先を読む……」
「前衛の剣で受け止められなくても、土魔法で足止めして、風魔法で体勢を崩して、短剣を突き刺す。一つ一つは浅い手でも、途切れない手数で詰ませればいい。……まあ、適当な俺の感覚だけどね」
ザジさんはそう言って照れくさそうに笑い、再び素振りに戻った。
「あとさ。さっき言ったけど俺は今は本が好きなんだよ?」
「!? そうなんですか?」
「うん。 やっぱりカッコ良いじゃん! 王道主人公達! こんな生活してるとやっぱり何か癒されるのよ」
憧れでは無く癒し……。
子供の頃とは違った価値観。
「……あ」
不意に声が出た。
「どうしたんだいサウザー君?」
「分かりましたザジさん。俺がどうしてこんなに最強にこだわるのか」
答えは凄くシンプルだった。
「俺。物語の主人公達に負けたくなかったんです」
「あ〜〜。なるどねえ」
物語で散々極めた一本槍には勝てないと言われてきた。
それに対して違う。そんな事はない。
器用貧乏だって極めた一本槍に負けない。
器用貧乏だって最強になれる。
俺はそれを証明したかったのだ。
ザジさんが物語の勇者達に憧れから癒しになった様に、自分は憧れからライバル心に変わって行ったのだ。
それに気付かずひたすら上級を目指してしまった。
そしてそこに至れないに自分にゴミのレッテルを貼ってしまった。
「ザジさん。ありがとうございます」
俺は自分の手を見た。
魔法の力。剣の感触。立ち回りの記憶。
今まで「中途半端なゴミ」だと思っていた手札。
(そうか……)
一つの強靭な素材から鍛え上げられた名剣にはなれない。
誰にも負けない最強の魔法も打てない。
(だけど――)
折れた刃。欠けた盾。小さな魔法。
どれも中途半端で、つぎはぎだらけだとしても。
それを思考で繋ぎ合わせ、一つの太い束に育て上げたなら。
「……つぎはぎだらけでも、突き立てれば届くんだ」
声が出た。
「ん? 何か言ったかい?」
「……いえ! なんでもありません!」
俺は『鏡面』に向かい、自分の剣を抜いた。
最強の「一撃」を持たない俺の、俺だけの戦い方。
その答えの欠片が、確かに見えた気がした。