「……よし」
宿屋の部屋で、俺は鏡の前に立っていた。
左腕の小盾はすでに中古屋へ売却した。代わりに装着したのは、頑丈な革製の腕当て(ブラサー)のみ。可動域を一切殺さず、いざとなれば相手の小刃を受け流す最低限の防護力だけを残した。
背中には小弓。
腰には片手剣。
ポーチには数個の小石と、整理整頓されたポーション類。
見た目は極めてシンプルだ。豪奢な鎧もなければ、身の丈を超える大剣もない。
だが、体を捻っても、腕を振っても、どこにも引っかかりがない。
「身軽さこそが、俺の最大の武器だ」
懐のノートを開く。
そこには、この数日間で書き溜めた『失敗データ』と『属性ごとの定石パターン』がびっしりと詰まっていた。
『【対・高速・暗所行動型(影狼等)】
×風魔法:牽制にはなるが、暗闇での視覚は奪えない。
〇光魔法+火魔法:暗所依存の魔物には「光での視覚遮断」が特効。足止めは雷ではなく「広範囲を焼く炎」で退路を塞ぐ。』
今日受ける依頼は――C級指定魔物《影狼(シノビウルフ)》の討伐。
素早い動きと影に潜む習性を持つ、ソロ冒険者殺しの魔物だ。
前回の『風と雷』の基本コンボに執着せず、相手の特性に合わせて「手札」を瞬時にハメ換える。それが全属性を使える俺の、本当の戦い方だ。
(今の俺なら……どう詰ませる?)
脳内で盤面を組み立てる。
思考の糸が、綺麗に繋がっていく感覚があった。
◇
森の暗がり。
視界の端で、黒い影が跳ねた。
ギザギザとした漆黒の毛並みを持つ巨大な狼――《影狼》だ。
息を潜め、樹木の影からこちらを狙っている。
気配を殺す技術は一流。だが――
(枝の撓み、落ち葉の沈み込み……ザジさんの教え通りだ。見えなくても『そこにいる』)
俺はあえて背中を見せ、無防備に一歩踏み出した。
サッ!
影狼が死角から跳びかかる!
凄まじい速度。普通の剣士なら振り向く間もなく喉元を噛み切られる。
だが、俺は振り返らない。
「『閃光(フラッシュ)』!」
詠唱と同時に、背後へ向けて手のひらから一瞬の強烈な光を破裂させた。
ダメージはゼロ。だが、暗闇に慣れた影狼の視界を真っ白に染め上げる。
「ガアッ!?」
(一手目――視覚の遮断!)
空中で目潰しを受けた影狼が、体勢を崩して着地する。
前方へローリングして距離を取った俺は、着地と同時に背中の小弓を滑らかに引き抜いた。
可動域を邪魔する盾はない。コンマ一秒の滞りもなく、弦が限界まで引き絞られる。
シュバッ!
放たれた矢が、目が眩み身もだえする影狼の右前脚へ深々と突き刺さった。
(二手目――機動力の奪撃!)
「『火炎(フレイム)』!」
すかさず左手を突き出し、影狼の退路上に炎の壁を発生させる。
影に潜んで逃げようとする習性を、光と熱で完全に封じ込める。行き場を失い、動揺した影狼の動きが完全に止まった。
(三手目――退路の遮断!)
「『脚部強化(ブースト)』!」
一気に踏み込む。
間合いはゼロ。片手剣を鞘から引き抜き、一閃。
ズバッ!
喉元へ深々と刃を叩き込み、一撃で命脈を絶つ。
「――――ッ!」
声にならない悲鳴を上げ、影狼の巨体が大きく痙攣する。
そのまま光を失った瞳で、地に伏した。
……静寂。
時間にして、わずか数秒。
相手に一度の反撃すら許さない、完璧な完封勝利だった。
「……よし、読み通りだ」
剣を納め、息を吐く。
一発一発の魔法や攻撃は初級・中級の域を出ない。だが、【視覚遮断(光)→移動阻害(弓)→退路遮断(火)→斬撃】という戦術のフレームワーク(骨組み)に、敵の弱点属性を完璧にハメ込めば――C級の魔物すら手も足も出ずに崩れ去る。
「できた……俺の手札は、一つじゃない」
俺は倒れた影狼を見下ろし、自分の手を見つめた。
つぎはぎの技。
小さな小道具。
全属性の初級魔法。
それらを思考の糸で固く編み上げた、俺だけの『万能の戦術』。
その手応えは、確かにこの手にあった。
◇
「……おい、見たか?」
「ああ。あのサウザーが、影狼をソロで無傷討伐だってよ……」
ギルドで素材の換金を済ませると、周りの冒険者たちから驚きと困惑の視線が向けられた。
かつて「何でもできるがパッとしない中衛」だった男が、今は一人で淡々と、完璧な手際で依頼をこなしている。
ギルドの受付嬢が、感嘆の息を漏らしながら報酬の硬貨を差し出してきた。
「お見事です、サウザーさん。最近のあなたの活躍、ギルド内でも話題になっていますよ。……以前より、ずっと逞しくなられましたね」
「……ありがとうございます」
硬貨の詰まった袋を受け取る。
ずっしりとした重み。
以前のような「生存代で消えるジリ貧の金」ではない。自分の成長が生み出した、確かな成果の証だった。
ギルドを出て、夕暮れの街を歩く。
ふと懐からノートを取り出し、今日の戦闘の考察を書き留める。
『検証結果:対・影狼。風+雷コンボより、光+火コンボの方が撃破時間を1.5秒短縮。
結論:【フレームワーク(削ぎ落とした手順)】は固定しつつ、ターゲットの属性特性に合わせて【組み込む魔法(パーツ)】を変化させるのが最適解。次戦は「水+氷」での足止めパターンを実験する。』
ペンを止め、夕空を見上げる。
三年という約束の期間のうち、まだ数ヶ月しか経っていない。
カイル、ディアナ、ルミア……あいつらは今頃、もっと遠くの高い場所にいるのかもしれない。
だけど。
「負けないぞカイル」
俺はノートを強く握りしめ、再び歩き出した。
王道の勇者にも、選ばれし天才にもなれなかった俺が。
この泥臭いつぎはぎの足跡の果てに、本当の「最強」を掴み取るために。