――三年後。
街道沿いの森。
その奥深くで、地鳴りのような咆哮が空間を震わせた。
「グオオオオオオオオッ!!」
対峙するのは、一頭の巨大な魔獣。
――《グラットン・ベア》(推定Bランク)。
かつてカイルたちと四人で死力を尽くして挑んだ『オルガベア』と同等、あるいはそれ以上の危険度を誇る森の暴君だ。
一撃でも直撃すれば骨ごと叩き潰される巨躯を前に、サウザーの呼吸は静かだった。
使い込まれ、幾度も手入れされた革の胸当てとブレイサー。
腰には片手剣と短槍、背には小弓。
その佇まいには、三年前の青臭さは微塵もなかった。
(かつて倒した影狼のように、光で目潰し(フラッシュ)をしてもこの巨体は止まらない。分厚い脂肪と皮の層には、火炎の熱も届きにくい)
頭の中で、三年間で書き溜めた無数の戦闘データが高速で引き出されていく。
(……狙うべきは『視覚』や『皮膚』じゃない。『重心』だ。足元を直接崩す)
サウザーは微動だにしなかった。
視線だけが超高速で魔獣の全身を走り、肩、肘、腰、膝の沈み込みから、筋肉の収縮と重心の移動を完璧に読み取っていく。
右肩が僅かに下がった。
(次に踏み込む――来る!)
「グオッ!」
丸太のような巨腕が、空気を引き裂いて振り下ろされる。
「――『微風(ウインド)』」
サウザーが低く呟いた。
顔面へ叩きつけた極小の風に、魔獣の視覚が一瞬揺れる。その隙に指先から放った投げナイフを鼻先へ掠らせ、踏み込みをコンマ二秒遅らせた。
(一手目、牽制完了)
すれ違いざま、足元へ『油泥(オイル)』を投じる。
右脚を滑らせた巨体が、バランスを崩して大きく傾いた。
(よし、体勢を立て直すために左足へ体重を移す――そこへ雷の矢を――)
背中の小弓を引き抜き、矢をつがえようとした――その瞬間。
「グオオオオオッ!!」
魔獣は滑った右脚を凄まじい筋力で強行突破させ、その反動のまま巨体ごと前へ突っ込んできた!
「チッ――重威圧の強行突破か!」
想定外の力押し。間合いが近すぎる。
サウザーは即座に弓撃を破棄して身を翻した。
ドゴォンッ!!
爆音とともに爪が空間を薙ぎ払う。
完全に回避しきれず、鋭い爪の先がサウザーの左肩を深く抉った。
ザシュッ!
鮮血が舞う。
「ぐっ……!」
激痛が走る。だが――サウザーの思考はミリ単位すら停止しなかった。
「傷は浅い。骨までは届いていない。――思考を止めるな」
三年前なら、血を見ただけで焦り、足がすくんでいただろう。
だが、今のサウザーにとって「被弾」はパニックの理由にはならない。ザジから学んだ泥臭い生存術と、三年間の修羅場がそれを「折り込み済みの事象」に変えていた。
(読めなかったなら――この瞬間に組み直せばいい!)
突進の反動で、魔獣の右前脚に全体重が偏っている。
サウザーは痛む左肩を無視し、着地と同時に泥の地面へ右手を突いた。
「『土壁(ストーンウォール)』!」
魔獣の右前脚のすぐ手前に、拳二個分の土の突起を隆起させる。
爪先をひっかけた巨体が、派手につんのめった。
「『脚部強化(ブースト)』!」
すかさず死角へ滑り込む。
無防備になった左腕の関節へ、炎を纏わせた片手剣を深く滑り込ませた。
ズバッ!
「グオオオオッ!?」
肉の焼ける匂いと凄まじい悲鳴。暴れる巨腕の死角にぴったりと張り付きながら、腰から短槍を引き抜く。
「『電撃(ショック)』!」
かばう動作でガラ空きになった首筋の関節へ短槍を突き刺し、体内へ直接高圧電流を流し込む!
バチバチバチッ!!
「グオ……ッ!」
全身を激しい痙攣が襲い、Bランク魔獣の動きが完全に止まった。
サウザーは短槍から手を放すと同時に片手剣を両手で握り直し、踏み込んだ。
「――終わりだ」
ズバッ!
首元へ深く食い込んだ刃が、そのまま首を半ばまで一気に切り裂く。
数秒の静寂の後、グラットン・ベアの巨体が大地へと崩れ落ちた。
ドォンッ!!
静まり返る森の中で、サウザーはゆっくりと息を吐き、左肩の血を軽く手拭いで押さえた。
「……よし。傷は浅い、動ける」
淡々と自己診断を下すと、手の手のひらから初級の回復魔法をかけて止血する。
そして手慣れた動作で腰のポーチから一冊の使い古されたノートを取り出し、インク筆を走らせた。
『グラットン・ベア討伐。小技の連携で崩しを狙うも、Bランク特有の強引な怪力で読みを強行突破された。間合いの目測に反省あり。ただし、読みが外れた直後の『土壁』による姿勢崩しと、短槍+電撃の内部破壊コンボは極めて有効』
サラサラと文字を書き込みながら、サウザーの口元が自然と緩んだ。
最初から完璧な予測なんて必要ない。
自分の手札を熟知し、相手を観察し、たとえ読みが外れて傷を負おうとも、その場で次のカードを繋ぎ直して詰ませる。
それをこの三年間、泥にまみれながら何度も何度も繰り返してきたのだ。
「……悪くない」
風、土、炎、雷、光、水、剣、槍、小弓、投げナイフ。
一つ一つは、決して特別でも最強でもない。
けれど、それらを完璧な思考の糸で繋ぎ合わせ、泥臭く相手に叩きつけるなら――
「……これも、俺だけの『最強』だ」
かつて「器用貧乏」と笑われた青年は、ノートを大切に胸へ収め、確かな自信を宿した笑みを浮かべて剣を鞘に納めた。
三年前、カイルたちと交わした「三年間の約束」。
その期日は、もう目前に迫っていた。
「……みんな、元気にしてるかな」
サウザーは背負い袋を担ぎ直し、懐かしい仲間たちの顔を思い浮かべる。
そして――もう一人。
この森で出会い、泥臭い戦い方と生き様を背中で教えてくれた、あの飄々とした男の顔を。
「ザジさん……元気にやってるかな」
サウザーは歩き出した。
約束の街へ。
自分がどこまで強くなれたのか。
そして、あの三人がどこまで進んだのか。
それを確かめ、俺だけの足跡を示すために。