カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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10話 ピザーラ神野店

 

 

 

 二日目の夕方だった。

 

 次の拠点の目処はついていた。倉庫街の空き物件で、出入口が三つあり、隣接する建物の地下とつながっている。契約は明日には通る。あと一日。あと一日でこの店を捨てられる。

 

 その最後の夜に、死柄木は爆豪を椅子ごと店の中央に引きずり出した。

 

「話をしようぜ」

 

 縛られたままの金髪は、黙って死柄木を睨んでいた。

 

 連合の連中が思い思いの場所から見ていた。トガはカウンターに腰かけ、トゥワイスは壁にもたれ、荼毘は一番遠い席で煙草をくわえている。マグネとコンプレスとスピナーは少し離れた場所に立っていた。少年は割れたカウンターの端にいた。

 

「お前…俺たちと同じだろ」

 

 死柄木は椅子の前にしゃがみ込んだ。

 

「体育祭…見たぜ。あれは勝つためなら何してもいい奴の顔だ。周りに合わせて…ヒーローの型に押し込められて…それでも溢れてた」

 

「……」

 

「こっちに来いよ。こっち側なら抑えなくていい」

 

 店の中が静かになった。

 

 それを分析しながら聞いていた。勧誘としては悪くない。相手の抑圧されている部分を指摘し解放を提示する。ただ一つ足りない。

 

 ――こいつは報酬を提示していない。

 

 安全も、金も、地位も、何一つ差し出していない。「こっちに来い」と言っているだけだ。家なら絶対にありえない交渉だった。

 

「……寝言は寝て死ね……!」

 

 爆豪が吐き捨てた。

 

「あ?」

 

「勝つためなら何でもする。そりゃそうだ。だが…それとテメェらの側に立つことは…何の関係もねえ!」

 

 椅子の脚が軋んだ。

 

「俺は決めてんだよ。高額納税者ランキングでオールマイトを超えるってな!」

 

 死柄木の指が首筋にかかった。一度。二度。三度。

 

 それを見ていた。

 

 ――断れるのか。

 

 この状況で、縛られて、囲まれて、逃げ場がなくて、それでも断るのか。

 

 自分は断らなかった。AFOの前に立って条件を並べて、働くから匿えと言った。それが最善の手だった。今でもそう思っている。

 

 それでも。断るという選択肢が、自分の頭の中には最初からなかったことに、初めて気づいた。

 

「……つまんねえな」

 

 死柄木が立ち上がった、そのときだった。

 

 扉が叩かれた。三回、軽く。

 

「ピザーラ神野店でーす」

 

 店の中が凍りついた。

 

 一秒で理解した。

 

 ――誰も注文していない。

 

 この店は看板を出していない。配達を頼めば住所が記録に残るから、食い物は必ず誰かが歩いて買ってくる。それは自分が決めた規則だ。

 

「――伏せろ!」

 

 叫んだのと、壁が消し飛んだのはほぼ同時だった。

 

---

 

 轟音。粉塵。

 

 割れたカウンターが吹き飛び、天井が落ち、視界が白くなる。その白い中に影が立っていた。でかい。笑っている。

 

「……私が来た…!!」

 

 オールマイト。

 

 体が動かなかった。映像でなら何百回も見た。日本の平和の象徴。世界で最も有名なヒーロー。実物はまったく別の生き物だった。

 

 この男がいるからAFOは表に出られない。この男がいるから日本の裏社会は細々とやるしかない。この男がいるからカルテルは日本に販路を持てない。

 

 その理由が、五メートル先に立っていた。

 

「……マジかよ」

 

 スピナーが後ずさった。

 

「…なんで場所が」

 

「二日……待てなかったな」

 

 自分でも驚くほど冷静な声が出た。

 

 ――甘い見積もりだと言ったはずだ。

 

「クラウディオ!」

 

「はい」

 

 返事は、すでに行動の後だった。糸が走って体を後方へ引き倒す。直後、その位置を風が通った。崩れた天井の梁が床に突き刺さっていた。

 

「逃げ道は!」

 

「黒霧!」

 

 死柄木が叫ぶ。店の奥から黒い靄が広がり始めた。

 

「死柄木弔…こちらへ――」

 

 靄が揺れた。誰も何も見ていなかった。視界の端で、糸のように細い何かが空中を走った。黒霧の輪郭が砕けるように崩れた。

 

「――が」

 

 人の形が解けて床に落ちる。靄が消えた。

 

「黒霧さん!?」

 

 トガが叫んだ。

 

 細い影が跳ねた方向を見た。紙のように薄く伸びた人影が、宙で元の形に戻っていく。

 

 エッジショット。ヒーロービルボードチャート上位の男。名前は知っている。個性も知っている。

 

 ――指定できない。

 

 歯を噛んだ。

 

 名前は知っていた。だが見えなかった。どこから来るか、どこにいるか、認識できないものには上も下も決められない。七メートルの中にいても、見えなければ意味がない。ヒエラルキーはそういう個性だ。

 

 そして今、逃げ道が消えた。

 

---

 

 扉が開いた。制圧部隊が雪崩れ込んでくる。盾、警棒、拘束具。

 

「制圧!」

 

「動くな!」

 

 店の中は、逃げ場のない箱になった。

 

 荼毘が炎を放ち、スピナーが刀を抜き、トゥワイスが分身を作り始める。マグネが磁石を振り回し、コンプレスが誰かをビー玉に変える。混戦だった。

 

 少年は床に伏せたまま計算していた。

 

 枠は今三つ。うち一つは常にAFOに使っている。残りは二つ。

 

 ――何に使う。

 

 オールマイトを下位に置けば、この場は詰む。名前は知っている。今、視界に入っている。七メートル以内。できる。

 

 できてしまう。

 

 だがそれをやれば。この店には警察の記録が残る。制圧部隊が何十人もいる。ヒーローが四人いる。全員の前で「平和の象徴が何もできなくなる」ところを見せれば、それは日本中に伝わり、そして海を越える。

 

 ――俺の顔と、俺の個性が、一致して記録される。

 

 その瞬間、この国は逃げ場ではなくなる。

 

「坊ちゃん!」

 

 クラウディオが背後から支えた。

 

「お指図を」

 

 二秒で決めた。

 

「トガと……スピナーだ」

 

「……よろしいので」

 

「いい」

 

 床の上から二つの名前を口にした。トガヒミコを上位に。スピナーを上位に。落ちてくる瓦礫を、それぞれ下位に。

 

 二人の頭上に崩れた梁が落ちた。だが二人には傷一つ付かなかった。

 

 自分の分は残っていなかった。

 

---

 

「そこの男!」

 

 名前を呼ばれなかったのは当然だった。この男の素性を知る者は、この国にいない。

 

 その直後、巨大な樹木の影が店の残骸を押し広げた。枝が伸び、根が床を割り、緑が室内を埋めていく。シンリンカムイ。

 

「投降しろ!もう逃げ道はない」

 

 クラウディオは答えなかった。袖口から無数の糸が走った。伸びてくる枝を、切る。切る。切る。斬り飛ばした断面から、また新しい枝が生える。

 

 少年はそれを見上げていた。

 

 この男は殺せる。殺せばこの場を切り開ける。糸は人体を裂く。ヒーローだろうと同じだ。

 

 ――だが、殺した瞬間に終わる。

 

 プロヒーローを殺した男の主人。その肩書きがついた瞬間、自分は日本のどこにも隠れられなくなる。クラウディオは一度もそこを越えなかった。枝を切り、いなして時間を稼ぐ。ただそれだけを続けた。

 

 そして量に押し込まれた。

 

「――失礼」

 

 枝が男の腕を絡め取った。胴を、脚を、首を。糸が届かなくなる。

 

「坊ちゃん!!」

 

 その声が途中で途切れた。

 

 自分の体も緑に包まれていた。足元から生えた根が脚を締め、枝が腕を後ろへ回し、胴を幹に押しつける。

 

「――子ども!?」

 

 枝の動きが一瞬だけ緩んだ。

 

「おい!こっちにもう一人いる! 子どもだ!まだ小さい!」

 

 叫びには明らかな動揺が混じっていた。締めつけていた根が、慌てて力を抜く。骨を折らないように。肺を潰さないように。男は膝を折って、こちらの顔の高さまで下りてきた。

 

「もう大丈夫だ。……怖かったろう」

 

 答えなかった。

 

 怖くなかったわけではない。あの男が壁を破って現れたとき、体は動かなかった。逃げ道が消えたとき、指先は冷たくなった。ただ、この人が言っている「怖かったろう」の中身とは、たぶん違う。訂正する言葉が見つからなかった。仮に見つかったとしても、信じてはもらえない。

 

「動くな、すぐに外に出す」

 

 動かなかった。動けなかった、が正しい。

 

 枠は二つとも埋まっていた。トガとスピナーに使った分だ。残っているのは、AFOに向けた一枠だけ。それを外せば自分を助けられる。外した瞬間、この場にいる自分は、ただの「奪える個性を持った子ども」になる。再設定には、またAFOの傍に行かなければならない。

 

「……クラウディオ」

 

「はい」

 

「動くな」

 

「……はい」

 

 二人とも、緑に縛られたまま動かなかった。

 

 

 

 爆発が起きたのは、その数秒後だった。

 

 黒い泥から黒い塊が雪崩れ込んできた。脳無だった。一体ではない。二体、三体、四体。ヒーローたちの目が、一斉にそちらへ向く。

 

「――こっちだ!」

 

 オールマイトが跳んだ。制圧部隊が崩れ、シンリンカムイの意識が逸れる。

 

 そして、床と空間に影が広がった。黒霧の靄ではなかった。もっと粘つく、泥のような深い穴のようなもの。それは店の床一面に広がり、連合の面々を下から飲み込み始めた。

 

『弔』

 

 どこからか柔らかい声が聞こえた。

 

『少し…場所を変えようか』

 

 トガが沈み、トゥワイスが沈み、荼毘が沈む。死柄木が爆豪ごと引きずり込まれていく。枝に縛られたまま、その泥に飲まれた。クラウディオも同じだった。

 

 視界が黒く塗り潰される直前、崩れた店の中を見た。

 

 三日で塞いだ拠点。名義を移し、配線を通し、逃走経路を作り、隠し扉に枠を一つ割いた場所。全部瓦礫になっていた。

 

 ――計算どおりだ。

 

 三日以内に潰れると言ってその通りになった。当たったところで何の意味もないが。

 

 泥が頭の上まで来て、視界は黒く染まった。

 

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