第12話
放り出されたのは、廃ビルの一階だった。
どこの街かもわからない。窓は割れ、床には埃が積もり、天井から配線が垂れ下がっている。全員そこに転がっていた。
「……ここ…どこ」
トガが体を起こしながら言った。
黒霧が壁際に座り込んでいた。人の形を保つのがやっとといった様子で、輪郭が滲んでいる。あの一撃で意識を刈られ、それでもワープを開かされたのだから無理もない。行き先を決めた者は誰もいない。落とされた場所が、たまたまここだったというだけだ。
遠くで音がしていた。地鳴りに近い低い音。何かが壊れる音が断続的に続いている。
少年は割れた窓から外を見た。空の一角が光っていた。
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トゥワイスがどこからか小さなテレビを拾ってきた。
「綺麗にテレビ見れるぜ! 砂嵐しか映ってねえぞどうなってんだ!!」
誰かの店の壊れかけた在庫だったのかもしれない。コンセントを差すと、画面が砂嵐の後に映像を映した。どの局も同じものを流していた。
『――現場は神野区! オールマイトと正体不明の敵が交戦中です!』
揺れる映像。崩れたビル。土煙。その中で二つの影が殴り合っていた。
言葉を失った。映像がぶれるたびにビルが一棟消えていた。道路が裂け、鉄骨が飴のように曲がり、衝撃波が中継車を揺らしていた。人間のやることではなかった。
「……化け物同士か」
荼毘が煙草に火をつけながら言って、誰も反論しなかった。死柄木だけが画面の前に座り込んで、膝を抱えて、瞬きもせずにただ見ていた。
しばらくして、画面の中の男が変わった。
オールマイト。あの巨躯が萎んでいた。落ちくぼんだ目。骨の浮いた頬。痩せ細った腕。子どもが見たら泣き出しそうな、病人のような姿だった。
『……あれは』
『オールマイトです! オールマイトの姿が、変化しています!』
「……は?」
スピナーが間抜けな声を出した。
「何だよ...あれ」
画面を見た瞬間から、一切の瞬きをしなくなっていた。
国が回っていた理由。裏社会が細々とやるしかなかった理由。カルテルが日本に販路を持てなかった理由。その根拠があんな体だった。ずっとあの姿を隠して、笑いながら立っていた。
背中に嫌な汗が伝うのを感じた。
――もしあの体で……あれだけのことができるなら。
自分の判断は、もっと早く間違っていたかもしれない。
『……まだっ……!』
画面の中の痩せた男が拳を握った。叫び声がスピーカーを割った。光が走り、土煙が吹き飛び、顔のない男の体が地面に叩きつけられた。
中継の音声が途切れた。
静かになった画面に瓦礫の山が映って、その上に痩せた男が立っていた。立っているだけだった。腕は垂れ下がり、体は今にも折れそうで、それでも倒れなかった。
『オールマイトが……勝った……! 勝ちました!!』
テレビの向こうで歓声が上がった。中継のマイクが街の音を拾っていた。避難した人々が道路で、ビルの窓から声を上げていた。泣いている人も、抱き合っている人もいた。
その音を聞きながら隣を見た。死柄木は動かなかった。
「……なんで」
小さな声だった。
「なんで泣いてんだ…あいつら。勝手に守られて…勝手に安心して…勝手に泣いてんじゃねえよ……」
指が首筋にかかった。一度、二度、三度、四度。皮膚が破れて血が滲んだ。
止めなかった。止める言葉を持っていなかった。
画面の中で、痩せた男が顔を上げた。カメラの方を向いて、骨と皮ばかりの腕を持ち上げて、真っ直ぐにこちらを指差した。
『――次は……君だ』
その瞬間、死柄木が立ち上がった。
「……ぁ」
声にならない音が喉から漏れた。
「今…俺を見た」
「弔ちゃん、それは違……」
「俺を見ただろ!!」
叫び声が廃ビルに反響した。
「あいつ…俺に言ったんだ!次はお前だって…そう言ったんだ!」
違う、と思った。多分、次のヒーローを育てるための言葉だ。あの男はこの場所を知らない。死柄木の顔を、あの瞬間に思い浮かべてもいない。
――だが。
口を閉じた。
この男は今それを聞いて、名指しされたと思った。世界で一番有名な人間に、自分の存在を認められたと、そう受け取った。
訂正する必要があるだろうか。
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夜になって、テレビは別のニュースを流し始めた。
オール・フォー・ワンと呼ばれる男が警察に引き渡されたこと。厳重な護送のもと、タルタロスと呼ばれる施設に収監される予定であること。画面には、拘束具で全身を固められた顔のない男の姿が一瞬だけ映った。
それを長いこと見ていた。
――契約の相手がいなくなった。
働くから匿え。そういう取引だった。匿う側がいなくなれば契約は終わる。働く義理も、ここにいる理由も、今この瞬間になくなった。
冷静に考えれば、今が最善のタイミングだった。連合は拠点を失い、資金源を失った。これから警察の追及が一気に厳しくなる。一緒にいれば巻き込まれる。
自分にはまだ使っていない金がある。偽の身分を買って別の国へ移ることもできる。南米に戻る必要はない。東南アジアでも、東欧でもいい。カルテルの販路がなくて、AFOのような男のいない場所は、探せばある。
合理的な判断は一つしかなかった。
「…坊ちゃん」
クラウディオが隣に座った。
「なんだ」
「……いえ…お寒くはありませんか」
「寒い訳ないだろう、今は夏だ」
「……そうでございますね」
差し出された上着を、少年は受け取らなかった。しばらく黙っていた。
「……クラウディオ」
「はい」
「あの男は捕まった…なら契約は終わった」
「……はい」
クラウディオはそれ以上何も言わなかった。いかがなさいますか、と聞かなかった。この男はいつもそうだ。自分が決めるまで、絶対に先に言わない。
部屋の奥を見た。
死柄木が壁にもたれて座り込んでいた。首の血は乾いていた。トガがその隣で膝を抱えている。トゥワイスが拾ってきたテレビをまだいじっている。マグネが割れた窓を段ボールで塞ぎ、コンプレスがどこからか毛布を運んできている。スピナーは部屋の隅で刀を握ったまま眠ってしまっていた。荼毘だけが、煙草を吸いながら外を見ている。黒霧は壁際でまだ動かない。輪郭は少し戻っていたが、声は出さなかった。
――全員、行くところがない。
膝の上で指を組んだ。自分には行くところがある。金もある。頭もある。条件は何一つ同じではない。
「……明日…考える」
「かしこまりました」
クラウディオは、上着をそっとこちらの肩にかけた。
今度は払いのけなかった。
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夜中、少年は目を覚ました。
誰かが動く気配がして目を開けると、死柄木が窓辺に立っていた。割れた窓から街の明かりを見ている。
「……起きてんのか」
「ああ」
「……そうかよ」
しばらく二人とも黙っていた。
「先生…いなくなった」
「ああ」
「金も、拠点も、全部ねえ」
「厳しいな...」
「お前……出てくか」
この男は今日それを聞いた。一番弱っているときに、一番失いたくない手札へ、自分から確かめに来る。合理的ではない。引き止めるべき場面だ。嘘でもいいから、まだ何かあるふりをすべきだ。
それをしない。この男はいつもそうだった。
「……まだ…決めていない」
「……ふうん」
「決まったら言う」
「そうかよ」
死柄木はそれだけ言って、窓の外に目を戻した。引き止めなかった。
――なぜ引き止めない。
喉まで出かかって飲み込んだ。聞けば、自分が引き止めてほしがっていることになる。引き止められたら、残る理由にできるとでも思っているみたいだった。
そんなはずはない。目を閉じて寝たふりをした。
外では、まだニュースの音がどこかの家から漏れていた。
平和の象徴が引退した日の、最初の夜だった。