放り出されたのは、廃ビルの一階だった。
どこの街かもわからない。窓は割れ、床には埃が積もり天井から配線が垂れ下がっている。
全員そこに転がっていた。
「……ここ…どこ」
トガが体を起こしながら言った。
黒霧が壁際に座り込んでいた。人の形を保つのがやっとといった様子で、輪郭が滲んでいる。あの一撃で意識を刈られ、それでもワープを開かされたのだから無理もない。
行き先を決めた者は誰もいない。落とされた場所が、たまたまここだったというだけだ。
遠くで音がしていた。
地鳴りに近い…低い音。何かが壊れる音が断続的に続いている。
アルテミスは割れた窓から外を見ると、空の一角が光っていた。
トゥワイスがどこからか小さなテレビを拾ってくる。
「綺麗にテレビ見れるぜ! 砂嵐しか映ってねえぞどうなってんだ!!」
誰かの店の壊れかけた在庫だったのかもしれない。コンセントを差すと、画面が砂嵐の後に映像を映した。
どの局も同じものを流していた。
『――現場は神野区! オールマイトと正体不明の敵が交戦中です!』
揺れる映像。崩れたビル。土煙。
その中で二つの影が殴り合っていた。
言葉を失った。
映像がぶれるたびにビルが一棟消えていた。道路が裂け、鉄骨が飴のように曲がり、衝撃波が中継車を揺らしていた。
人間のやることではなかった。
「……化け物同士か」
荼毘が煙草に火をつけながら言って、誰も反論しなかった。
死柄木だけが画面の前に座り込んでいた。
膝を抱えて瞬きもせずにただ見ていた。
しばらくして画面の中の男が変わった。
オールマイト。
あの巨躯が萎んでいた。
落ちくぼんだ目。骨の浮いた頬。痩せ細った腕。子どもが見たら泣き出しそうな病人のような姿だった。
『……あれは』
『オールマイトです! オールマイトの姿が、変化しています!』
「……は?」
スピナーが、間抜けな声を出した。
「何だよ...あれ」
アルテミスは画面を見た瞬間から一切の瞬きをしなくなった。
国が回っていた理由。裏社会が細々とやるしかなかった理由。カルテルが日本に販路を持てなかった理由。
その根拠があんな体だった。
ずっとあの姿を隠して笑いながら立っていた。
自分の背中に嫌な汗が伝うのを感じた。
――もしあの体で……あれだけのことができるなら。
自分の判断はもっと早く間違っていたかもしれない。
『……まだっ……!』
画面の中の痩せた男が拳を握った。
叫び声がスピーカーを割った。
光が走り土煙が吹き飛び、顔のない男の体が地面に叩きつけられた。
中継の音声が途切れた。
---
静かになった画面に瓦礫の山が映って、その上に、痩せた男が立っていた。
立っているだけだった。腕は垂れ下がり、体は今にも折れそうで、それでも倒れなかった。
『オールマイトが……勝った……! 勝ちました!!』
テレビの向こうで歓声が上がった。
中継のマイクが街の音を拾っていた。避難した人々が道路で、ビルの窓から声を上げていた。
泣いている人も、抱き合っている人もいた。
そして、その音を聞きながら隣を見る、死柄木は動かなかった。
「……なんで」
小さな声だった。
「なんで泣いてんだ…あいつら」
「勝手に守られて…勝手に安心して…勝手に泣いてんじゃねえよ……」
指が首筋にかかった。
一度、二度、三度、四度。
皮膚が破れて血が滲む、アルテミスはそれを止めなかった。
止める言葉を持っていなかった。
画面の中で、痩せた男が顔を上げた。
カメラの方を向いてそして腕を持ち上げて、骨と皮ばかりの腕で真っ直ぐにこちらを指差した。
『――次は……君だ』
その瞬間死柄木が立ち上がった。
「……ぁ」
声にならない音が喉から漏れた。
「今…俺を見た」
「弔ちゃん、それは違……」
「俺を見ただろ!!」
叫び声が廃ビルに反響した。
「あいつ…俺に言ったんだ!次はお前だって…そう言ったんだ!」
画面を見ていたアルテミスは違う…と思った。
多分……次のヒーローを育てるための言葉だ。
あの男はこの場所を知らない。死柄木の顔をあの瞬間に思い浮かべてもいない。
――だが。
口を閉じた。
この男は今それを聞いて、名指しされたと思った。世界で一番有名な人間に、自分の存在を認められたと…そう受け取った。
訂正する必要があるだろうか。
夜になってテレビは別のニュースを流し始めた。
オール・フォー・ワンと呼ばれる男が、警察に引き渡されたこと。
厳重な護送のもと、タルタロスと呼ばれる施設に収監される予定であること。
画面には拘束具で全身を固められた顔のない男の姿が一瞬だけ映った。
アルテミスはそれを長いこと見ていた。
――契約の相手がいなくなった。
働くから匿え。そういう取引だった。
匿う側がいなくなれば契約は終わる、働く義理もここにいる理由も今この瞬間になくなった。
冷静に考えれば今が最善のタイミングだった。
連合は拠点を失い、資金源を失った。これから警察の追及が一気に厳しくなる。一緒にいれば巻き込まれる。
自分にはまだ使っていない金がある。
偽の身分を買って別の国へ移ることもできる。南米に戻る必要はない。東南アジアでも、東欧でもいい。カルテルの販路がなくて、AFOのような男のいない場所は、探せばある。
合理的な判断は一つしかなかった。
「…坊ちゃん」
クラウディオが隣に座った。
「なんだ」
「……いえ…お寒くはありませんか」
「寒い訳ないだろう、今は夏だ」
「……そうでございますね」
差し出された上着を、少年は受け取らなかった。
しばらく黙っていた。
「……クラウディオ」
「はい」
「あの男は捕まった…なら契約は終わった」
「……はい」
クラウディオはそれ以上何も言わなかった。
いかがなさいますかと聞かなかった。
この男はいつもそうだ。自分が決めるまで絶対に先に言わない。
部屋の奥を見た。
死柄木が壁にもたれて座り込んでいた。首の血は乾いていた。
トガがその隣で膝を抱えている。
トゥワイスが拾ってきたテレビをまだいじっている。
マグネが割れた窓を段ボールで塞いでいる。
コンプレスがどこからか毛布を運んできている。
スピナーは部屋の隅で刀を握ったまま眠ってしまっていた。
荼毘だけが煙草を吸いながら外を見ている。
黒霧は壁際でまだ動かない。輪郭は少し戻っていたが、声は出さなかった。
――全員行くところがない。
膝の上で指を組む、自分には行くところがある。金もある。頭もある。
条件は何一つ同じではない。
「……明日…考える」
「かしこまりました」
クラウディオは、上着をそっと少年の肩にかけた。
今度は払いのけなかった。
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夜中少年ら目を覚ました。
誰かが動く気配がして、目を開けると死柄木が窓辺に立っていた。割れた窓から街の明かりを見ている。
「……起きてんのか」
「ああ」
「……そうかよ」
しばらく二人とも黙っていた。
「先生…いなくなった」
「ああ」
「金も、拠点も、全部ねえ」
「厳しいな...」
「お前……出てくか」
この男は今日それを聞いた、一番弱っているときに一番失いたくない手札に自分から確認する。
合理的ではない。引き止めるべき場面だ。嘘でもいいからまだ何かあるふりをすべきだ。
それをしない。
この男はいつもそうだった。
「……まだ…決めていない」
「……ふうん」
「決まったら言う」
「そうかよ」
死柄木はそれだけ言って窓の外に目を戻した。
引き止めなかった。
――なぜ引き止めない。
喉まで出かかって、飲み込んだ。
聞けば自分が引き止めてほしがっていることになる。
引き止められたら、残る理由にできるとでも思っているみたいだった。
そんなはずはない、目を閉じて寝たふりをした。
外ではまだニュースの音がどこかの家から漏れていた。
平和の象徴が引退した日の最初の夜だった。