カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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13話 「すまない」

 

 

 その報告は、事件から六日後に上がってきた。

 

 解析班の長が議場に入ってきたときには、アポロはまだそれが弟の話だとは思っていなかった。

 

 当然の業務だ。

 

 日本でオール・フォー・ワンとオールマイトが正面から殺し合った。そして裏の頂点と表の頂点が同時に盤から落ちた。そんな事件が起きれば、世界中のどの組織も報道を洗う。あの国の力の均衡がどう変わるかは商売の前提そのものだからだ。

 

 その日も報告は数字と地図から始まって。途中で部屋の空気が変わった。

 

「……もう一度…流せ」

 

 誰かが言った。

 

 壁の大画面に映像が映し出される。

 

 日本の民放が流した中継の一部。横倒しになった中継車から撮られた、揺れる画面。

 

 崩れたビル。土煙。逃げ惑う影。その画面の隅に黒い泥のようなものが広がっていた、そしてそこに沈んでいく小柄な人影。

 

「拡大しろ」

 

 画質が粗く輪郭がぼやけている。それでも議場にいる全員が息を止めた。

 

 黒いコート。黒い髪。子どもの背丈。

 

 そしてその隣に立つ長身の男、黒い上下。崩れていない襟元。あの状況で埃一つ被っていない立ち姿。

 

「……クラウディオだ」

 

 誰かが呻いた。

 

「間違いない。あの男だ」

 

 アポロは椅子の肘掛けを掴んでいた。

 

 指が白くなっていた。

 

 ――生きている。

 

 四か月ぶりに弟の姿を見た。

 

 痩せてはいない。怪我もしていないように見える、そして立っていた、自分の足で。

 

 喉の奥が熱くなり、その熱が冷めるのに三秒もかからなかった。

 

 ――見つかった。

 

 この映像は世界中に流れている。

 

 自分たちが六日で辿り着いたのなら、他の誰かも同じことができる。

 

「解析を続けろ」

 

 議場が、ざわめきに包まれていた。

 

 映像は何度も巻き戻され、停止され、拡大された。

 

 場所の特定。時刻の照合。周囲に映り込んだ人物。

 

 そして、その中心に立っていた男。

 

『――さて』

 

 止められた画面の中で顔のない男が立っていた。

 

 黒いスーツ。異様な体躯。顔があるべき場所に突き刺さった機械。

 

 オール・フォー・ワン。

 

 その男の七メートルと離れていない場所に弟がいた。

 

「……なるほど」

 

 声を上げたのはマキシミリアーノだった。立ち上がり画面を指差す。

 

「余は…ようやく合点がいった、四か月前…あの男は若を連れ去った。金庫からも金を持ち出した。以来足取りはどこにも出ない。世界中どこを探しても、痕跡の一つもなかった」

 

 白い手袋の指が画面をなぞる。

 

「当然だ…売り払ったのだからな」

 

 誰かが息を呑んだ。

 

「考えてもみよ。二百年。十七代。この家が積み上げた血の到達点だ。あれほどの個性が、どれほどの値で売れるか。……ましてや、相手があの男であればな」

 

 画面の中の顔のない男を指差す。

 

「他人の個性を奪って集める男だ…二百年の血を丸ごと手に入れられる。世界中の誰よりも高く買うに決まっている」

 

 マキシミリアーノの声が震え始めた。

 

「余は…あの蟲けらを見誤っていた。ただ職務を放棄しただけの愚物だと思っていた。違う...あれは商人だ...!血の価値を知っていて、それを外に売った。二百年を一度に外へ流したのだ」

 

「――マキシミリアーノ」

 

 アポロが口を開いた。

 

「……それは推測だ」

 

「では他にどう説明なさいますかな?」

 

「金が消えた。若が消えた。四か月も痕跡が出なかった。そして今、若はあの男のすぐ傍に立っておられる。誰にも拘束されず、逃げようともせずに」

 

 答えられない。

 

 ――弟は自分で出ていった。

 

 喉まで出かかって止まった。

 

 証拠が何一つない。

 

 あるのは、家出の前夜に何も言わなかった弟への心当たりだけだ。それは家の外に出せるものではない。当主が「弟は自分の意思で逃げた」と認めた瞬間この家は制度そのものを疑われる。

 

 そして、疑われたところで弟が戻ってくるわけでもない。

 

「……続けろ」

 

 アポロはそう言うしかなかった。

 

 卓の周りで、賛同の声が上がり始めた。

 

「筋は通っている!」

 

「そもそも外様に若を任せたのが誤りだった」

 

「協会の身元確認など…当てにならんということだ」

 

 若を推す家ほど声が大きかった。

 

 当然だった。彼らは若を崇めている。崇めている対象が売り飛ばされたと聞けば、怒りは家の面子より先に来る。

 

 アポロは壁際に目をやった。

 

 議場の隅に黒い燕尾服の男たちが立っていた。

 

 給仕の位置。発言権のない場所。

 

 その全員が微動だにせずに立っていた。

 

 だが顔色が違っていた。

 

 ――そうか。

 

 アポロは理解した。

 

 彼らが恐れているのはクラウディオの処分ではない。あの男が戻れば殺されることなど、四か月前から決まっている。今さら青くなる話ではない。

 

 問題は罪状が変わったことだ。

 

 職務放棄なら個人の不始末で済む。

 

 だが、一族の血を敵に売ったとなれば話は別だ。

 

 ――外様を家の中枢に置くのは危険である。

 

 その結論が出れば協会は解体される。

 

 スラムから拾われ、孤児院から連れてこられ、執事として育てられた者たち。彼らには行く場所がない。外の世界で生きる術を何一つ教えられていない。

 

 そして、次に拾われるはずだった子どもたちは拾われないまま路地で死ぬ。

 

 彼らは今、目の前で兄弟弟子が裁かれているのに自分たちの明日を心配している。

 

 そしてそのことを恥じている。

 

 その顔だ。

 

「……執事長」

 

 マキシミリアーノが名を呼んだ。

 

 老人が前に進み出た。

 

「お前のところの蟲けらが……若を売ったやもしれぬ。何か申し開きはあるか?」

 

「……ございません」

 

 老人は床に膝をついた。

 

 前と同じように額を石につけた。

 

「あの者の処分は…必ずや協会の手で……それ以外に申し上げることはございません……」

 

 アポロは目を逸らした。

 

 止められなかった。

 

 止めれば当主が外様を庇ったと言われる。それは、この老人をさらに危うくするだけだ。

 

「――よろしいでしょうか」

 

 新しい声が上がったのは、そのときだった。

 

 卓の末席に近い位置で、男が一人手を挙げていた。

 

 背が高い。百八十はある。仕立てのいいスーツを着た、どこにでもいそうな体格の男だった。

 

 エルナン。

 

 その普通の外見の下に何が詰まっているかは、この議場の全員が知っている。

 

「一点だけ整理させてください」

 

 男は立ち上がらなかった。座ったまま話す。

 

「俺は……若を責めるつもりはありません」

 

 議場が静かになった。

 

「十歳で内定し、実績も出された。タイの一件ではこの家に相当な利を持ち込んでおられる。あの年であれだけの仕事をこなした方を俺は他に知りません」

 

 誰も反論しなかった。

 

「その若が……使命と関係のないところで負担を感じて家を出られた。席の取り合いです。血の並べ替えの話です。当主としての職務とは…何の関係もない」

 

 男は卓の上で指を組んだ。

 

「それは責められません。少なくとも俺は責める気になりません」

 

 この議場でその言葉を口にした者は初めてだった。

 

「ですが」

 

 エルナンの目が、画面に向いた。

 

「執事は別です」

 

「……」

 

「若が潰れかけていたなら…それを家の中で処理するのが、あの男の仕事だった。当主にも、幹部にも、協会にも話を通す道はいくらでもあった。それを全部飛ばして連れて出た」

 

「筋が通っていません。だから殺します」

 

 誰かが小さく頷いた。

 

「売ったかどうかは...俺にはわかりません。マキシミリアーノ殿の言う通りかもしれないし、違うかもしれない。ですが…どちらでも結論は変わりませんので」

 

 エルナンはそこで口を閉じて、マキシミリアーノが満足そうに頷いた。

 

 二人を見比べた。

 

 ――こっちの方が厄介だ。

 

 弟の言い分を全部聞いたうえで、結論を変えない人間。

 

 説得できる相手ではなかった。

 

「じゃ……ボクからも一つ」

 

 議場の空気をまったく読まない声が上がった。

 

 銀髪の女がシルクハットのつばを指で押し上げていた。

 

 バルバラ。二十六歳。この家の頭脳。

 

「みんなね……若の話ばっかりしてるけどさ。ボクはね商売の話をしに来たんだよね」

 

「今はそれどころでは――」

 

「今しかないんだよ」

 

 女は卓の上に資料を放った。

 

「日本...人口一億二千万。薬物の末端価格は世界でも最高水準。それでいて流通量は極端に少ないんだ、なぜだと思う?」

 

 誰も答えなかった。

 

「取り締まりが厳しいから…じゃない、抑止力がいたからだよ」

 

 バルバラは画面を指差した。

 

「表にオールマイト。裏にオール・フォー・ワン。あの国は、二人の男が上から押さえつけてたの。だから誰も入れなかった」

 

 女はシルクハットを取って胸に当てた。

 

「で...六日前。両方消えた」

 

 議場が静まり返った。

 

「片方は引退表明。片方は収監。裏の空白、表の弱体化。こんな条件はボクが生きてる間にもう一度来るとは思えない」

 

 バルバラは笑った。

 

「だからね...参入するなら今しかない」

 

「……若の捜索と、商いを同じ船に乗せろと」

 

「別にいいでしょう?行き先は同じなんですから」

 

 女は肩をすくめた。

 

「若を探す人手が要る。拠点も要る。金も要る。全部商売やってれば自然に揃うよ。逆に商売の口実がないと、あんな遠い国であんな大人数動かせないでしょ」

 

 マキシミリアーノが口を開きかけて閉じた。

 

 反論できなかったのだろう。この女の言うことはいつも正しい。

 

 

 

「捜索の権限を」

 

 マキシミリアーノが再び立ち上がった。

 

「当主殿。今度こそ余にお預けいただきたい」

 

 アポロは答えられなかった。

 

 前は検討すると言って逃げたが、今度は逃げられない。

 

 弟の所在が判明した。映像もあって、国も特定できた。この状況で捜索隊を出さない当主など存在しない。

 

 出さなければ、その瞬間にこの椅子から降ろされる。

 

 そして――降ろされた自分に弟を守る手立ては何一つ残らない。

 

「……認める」

 

 自分の声が遠くに聞こえた。

 

「バルバラ。日本での事業の立ち上げも併せて認可する」

 

「はいはい…ありがとね」

 

「マキシミリアーノ。ただし条件がある」

 

「何なりと」

 

「弟には…傷一つつけるな。無傷で連れ帰れ」

 

 男は深々と頭を下げた。

 

「当然のことにございます」

 

 アポロは書類にペンを走らせた、前は署名しなかった紙だ。

 

 今は手が止まらなかった。

 

 止められなかったが正しい。

 

 

「あ、ボクからもう一つ」

 

 バルバラが手を挙げた。

 

「現地の電力と通信のインフラ、誰かに見てほしいんだけど。日本のシステム、複雑でさ」

 

「俺が行こう」

 

 あっさりと声が上がった。

 

 卓の中ほど。それまで一言も喋らず椅子の背に体を預けていた男だった。

 

 黒い短髪。20歳後半。退屈そうな顔。

 

「レイ」

 

 アポロはその名を呼んだ。

 

「日本インフラ率が高いだろ」

 

 男は欠伸を噛み殺しながら言った。

 

「電気が通ってる国なら、俺の個性はどこでも使える。うってつけだろう?」

 

「……本当にそれだけか」

 

「あと……暇だな」

 

「暇」

 

「ここんとこ仕事がなくてね…書類ばかりだ」

 

 男は椅子から立ち上がった。

 

「面倒なプロセスは嫌いなんだよ。行って済ませて帰る。それが一番早い…日本には、急がば回れって言葉があるらしいな……俺は嫌いだが。」

 

 議場の誰もそれ以上追及しなかった。

 

 この男がそう言うならそういうことだ。

 

 誰もがそう思っていた。

 

 

 

 会議が終わり幹部たちが引き上げていった後。

 

 アポロは自室の窓際に立っていた。

 

 扉がノックもなしに開いた。

 

「よう」

 

 レイだった。

 

「……お前な。俺は一応当主だぞ」

 

「知ってる」

 

 男は勝手にソファに座った。

 

「顔色が悪い」

 

「そうか」

 

「弟が生きてた。よかったな」

 

 アポロは何も答えない。

 

「……で…あの映像だけどよ」

 

 レイは天井を見上げた。

 

「泥に飲まれる直前、あいつ、誰にも押さえられてなかったよな」

 

 アポロの肩がわずかに動いた。

 

「隣の男もあいつを押さえてなかった。引っ張ってもいなかった。並んで立ってただけだ」

 

「……」

 

「攫われた十三歳が、四か月経って……あんな立ち方するか?」

 

 アポロは窓の外を見たままだった。

 

「……お前は…誰に話した」

 

「誰にも」

 

「話すな」

 

「話さねえよ。面倒だ」

 

「俺は電気屋として行く。日本の配線を見て、施設の図面を引いて帰ってくる。それ以上のことは何もしない」

 

「……レイ」

 

「なんだ」

 

 アポロは振り返った。

 

「なぜ…手を挙げた」

 

 レイはしばらく天井を見て、口を開いた。

 

「暇だからだよ」

 

「レイ」

 

「……お前が行けねえからだろ」

 

 小さく、そう言った。

 

「当主はメキシコを離れられない。だが、誰も行かないわけにもいかない。家の面子ってやつがあるからな。そうなると誰が行く? マキシミリアーノか? あれはあいつを人間だと思ってねえぞ?」

 

 何も言えなかった。

 

「バルバラは金の計算しかしてねえ。エルナンは筋の話しかしねえ。あの中にあのガキを人として見る奴が一人もいねえんだよ... ま…一番『話が通じない』奴を送るのが、昔からのウチの伝統だけどな」

 

 レイは立ち上がった。

 

「だから行く。それだけだ」

 

 扉に手をかけて振り返る。

 

「言っとくが、俺は連れ戻しに行くんだからな。お前の弟を家に戻すために行く。庇いに行くわけじゃない」

 

「……ああ」

 

「勘違いすんなよ」

 

 机の上には署名の入った指示書が置かれていた。

 

 窓の外はもう暗くなっていた。

 

 ――すまない。

 

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