話を持ってきたのは、トゥワイスだった。
「見つけてきたぜ! いや見つけてねえ! 見つけたっつってんだろ!」
「落ち着けよ、順番に話せ」
「死穢八斎會!」
そのひどく古めかしい名前を引き取ったのは、死柄木だった。
「極道だ。個性が出る前から続いてる……本物の方のな」
「日本にまだそういうものが残っているのか」
「ほとんど潰れた。ヒーローが出てきてからは、表でも裏でも商売になんねえからな……社会の隅っこで、泥水すするようにコソコソ生き延びてきたって所だ」
死柄木は苛立たしげに首を掻いた。乾燥した皮膚が削れる、乾いた音が室内に響く。
「その残りカスがまだ一つある。人も金もある程度持ってるらしい」
アルテミスはしばらく黙考した。
この閉塞した状況を打破するための手駒。
「……こちらから声をかけたのか」
「ああ。トゥワイスに当たらせた」
「……会うのか」
「会う。向こうも食いついてきた」
「理由は」
「人が要る。金が要る。拠点が要る」
死柄木は椅子の上で膝を抱え、指の隙間からアルテミスを見た。
「……お前が言った順番だろ」
――やる気か。
言ったのは自分だ。連合の致命的な欠陥を指摘して、それを実行に移された以上止める言い分はない。
問題は相手がどういう組織かだ。
場所は潮風と錆びた鉄の臭いが鼻を突く埠頭の廃倉庫だった。
カメラはない。記者もいない。来るのは日陰を歩く人間だけだ。
だからアルテミスも同行した。この三ヶ月で初めて拠点の外に出る仕事だった。
倉庫の中はがらんとしていた。むき出しの鉄骨の梁が寒々しく、天井が無駄に高い。衣擦れの音さえも酷く響いた。
「……まだ来ねえな」
スピナーが落ち着かない様子で、背負った大太刀の柄をぎりぎりと握りしめている。
クラウディオはいつものように少年の半歩後ろに立ち、彫像のように気配を消していた。
「死柄木」
「あ?」
「向こうの頭の名前は」
「治崎廻」
死柄木は退屈そうに吐き捨てた。
「ヴィラン名はオーバーホール。個性の名前そのまんまらしい」
少年の頭の中で、その音が一つ所定の位置にカチリと収まった。
――オーバーホール。
「個性は」
「触ったもんをバラすらしい。人でも、壁でも、なんでもだ」
「分解か」
「それだけじゃねえ。組み直せる」
少年は僅かに眉を寄せた。
「……組み直す?」
「バラして、また戻せるってことだ。自分の手下の傷を治したりもするらしいぜ」
「お前の上位互換じゃないか」
「……うるせぇ」
――厄介だ。
分解だけなら、間合いを取ればいい。だが修復までできるなら、こちらが傷を与えても戦力低下に繋がらない。
そして何より。
触れた瞬間に人間を「分解」できる個性は、殺しの効率が高すぎる。防御も治癒も間に合わない、完全な一撃必殺。
心の中で名前を繰り返す。治崎廻。オーバーホール。
二つとも深く脳裏に刻み込んだ。
重い鉄扉が軋みを上げて開いたのは、その直後だった。
入ってきたのは二人。
一人は長身の男。金色の髪を後ろで束ね、時計の針のような奇妙な装飾を身につけている。
もう一人は――黒いコートに、鳥の嘴のような形をしたペストマスクをつけていた。
マスクの奥の双眸が、値踏みするようにこちらを見据えている。
「……ずいぶん……汚い場所を選んだものだ」
最初の一言がそれだった。
声には一切の熱がなかった。少年はその響きを聞いた瞬間に理解した。
――この男はこちらを自分と同じ『人間』だと思っていない。
「早く…話を」
連れの男が短く促した。
「わかっている…クロノ」
面の男は手袋をした手で、うっすらと埃の積もった木箱の上を神経質に払った。
そしてそこに、衣服が汚れるのを嫌悪するように浅く腰を下ろした。
「死穢八斎會……若頭。治崎廻だ…オーバーホールでも構わん」
「……死柄木弔」
「知っている」
治崎は面の奥からゆっくりと全員を睥睨した。
マグネで止まり、トゥワイスで止まり、スピナーで止まり、最後に――アルテミスの上で一瞬だけ長く止まった。
「……子どもがいるな」
「うちの奴だ」
「そうか」
それ以上は何も言わなかった。
背筋に冷たいものが走る。興味を持たれたとは思わなかった。
この男の目は敵対者への警戒ですらない。ただ『汚れが一つ増えていた』という程度の、無機質な確認作業だった。
「用件を聞こう」
死柄木が言うと、治崎は膝の上で静かに指を組んだ。
「この国の裏は……今、死んでいる」
「あ?」
「オールマイトが出てきてからだ。表の秩序が強すぎて、裏が食えなくなった。極道は潰れ、組織は散り、残ったのは小銭稼ぎの半端者だけになった」
「そして裏の頂点……オール・フォー・ワンが今監獄に収監された。都市伝説って呼ぶ爺も居たが、今は確実に塀の中だ」
面の奥の声には相変わらず感情の起伏がない。
「日向も影も、今、空白の状態だ」
「……それで?」
「俺は…この国の裏を取り戻す。そのための計画がある」
治崎は指を組み替えた。皮手袋の擦れる音がやけに大きく聞こえる。
「計画の為には莫大な資金が必要だ」
「個性という病を根こそぎ治す。そのための薬が要る。製造の段取りは済んでいる。流通の経路も押さえた。あとは――表の目を逸らす人手が要る」
「人手」
「……お前たちのことだ」
倉庫の中が、水を打ったように静まり返った。
「うちの傘下に入れ」
死柄木の横顔を見た。この男は、首を掻いていなかった。
「……断る」
「なぜだ」
「俺達は…誰かの下でやるつもりはねえ」
「では聞くが」
治崎は、僅かに身を乗り出した。
「お前たちには、何がある」
誰も答えられなかった。
「拠点は」
「……」
「資金は。人員は。情報網は。武器の調達先は。輸送の手段は」
突き刺すように、一つ一つ区切って言った。
「お前たちの頭目が『この国を壊す』と息巻いているそうだな」
スピナーの肩が屈辱に震えた。
「結構なことだ。では、どうやって?」
重苦しい沈黙が落ちた。
「計画もないのか」
少年は手のひらに爪が食い込むほど拳を握りしめた。
――黙っていろ。
自分に強く言い聞かせた。
「思いつきで暴れて、拠点を潰され、金づるを失い、今は寝る場所もない」
治崎の声は、あまりにも静かだった。
「それを『組織』とは言わない」
マスクの奥から絶対的な真理として言葉が落ちてくる。
「ただの、烏合の衆だ」
――その通りだ。
アルテミスの頭の中で、その言葉が勝手に反響した。止められなかった。
この男が口にしていることは三週間前に自分が彼らに並べ立てた正論と何一つ違わない。
拠点がない。資金がない。人員がない。情報網がない。
それを全部持っている完璧な『組織』が目の前にいる。
目的があり、計画があり、段取りがあり、順番がある。
――組織としては、こちらが正しい。
自分の中の何かが急速に冷えていくのを感じた。
この三ヶ月連合の中で必死に計算してきた。拠点を塞ぎ、名義を移し、逃走経路を作り、作戦の穴を潰してきた。
その自分が今目の前の男に同意している。
それなのに。
それでもこの男の下につくのだけは「違う」と、頭の奥底で警鐘が鳴っていた。
その理由は計算式では弾き出せなかった。
「………………ふざけんじゃないわよ」
底冷えする空気を引き裂くように、声が上がった。
マグネだった。
「あんたねぇ…! さっきから聞いてりゃ好き放題……」
「事実を述べたまでだ」
「事実?」
マグネが、一歩前に出た。床の砂利がジャリッと鳴る。
「拠点がない? 金がない? そうよ、ないわよ。それがどうしたってのよ」
「……マグ姉」
コンプレスが慌てて制止しようとしたが、遅かった。
「あたしらはねぇ」
大柄な体が、怒りと何か別の感情で小刻みに震えていた。
「行くところがなかった奴の集まりなのよ。顔出して歩けない。まともに働けない。家族にも捨てられた。そういう連中がやっとこさ見つけた『場所』なの!」
マグネの悲痛な叫びが、広大な倉庫に木霊した。
「それを――」
太い指が、真っ直ぐに治崎を指し示す。
「あたしたちは、誰かの下につくために集まったんじゃないのよ!!」
息を呑んだ。
――愚かだ。
アルテミスの脳裏に最初に浮かんだのは、冷徹なその二文字だった。
交渉の場で激昂すれば足元を見られるだけだ。ましてや相手は、触れただけで人を塵に変える怪物。
計算のできる人間なら絶対にやらない。絶対に。
それなのに。
少年の体は、思考よりも先に動いていた。
マグネの巨大な磁石が床のコンクリートを削り飛ばしながら振り上げられた。
治崎はゆっくりと箱から立ち上がり、忌々しげに手袋を外していた。
「……不潔だ」
死の宣告は、その一言だけだった。
素手となった腕が伸びる。
速い。
連れの男が個性を使った気配はない。純粋に一切の迷いがないから速いのだ。
死の掌がマグネの胸元に迫る。あと一メートル。五十センチ。
――クラウディオ。
声に出して命じる必要はなかった。
クラウディオの袖口から銀閃のごとく走った糸が治崎の手首に絡みついた。
だが、糸は――治崎の皮膚に触れた瞬間に「消滅」した。
一瞬で分解され繊維が粉雪のように空中に散る。
しかし、その抵抗によって治崎の腕の軌道が『指一本分』だけ逸れた。
コンマ数秒。それだけの猶予があれば十分だった。
「――引石健磁を上に!」
少年の声は深く絶対的な理として場に響いた。
「オーバーホールを下に!」
治崎の五指が、マグネの胸に触れた。
――だが、何も起きなかった。
服は裂けなかった。
皮膚も肉も骨も。ただの一片すら崩れ落ちなかった。
ただ男の冷たい手がマグネの胸にペタリと触れただけだった。
「……は」
間抜けな声を漏らしたのは、コンプレスだった。
当のマグネ自身が一番状況を理解していなかった。巨大な磁石を振り上げた姿勢のまま、自分の胸に当てられた手を見下ろしている。
「……あたし」
「下がれ」
少年が鋭く命じた。
我に返ったマグネが大きく後ずさる。
治崎は空を切った自分の手のひらを凝視していた。マスクのせいで表情は窺えないが、伸びた指先が小刻みに震えている。
それは怒りではなかった。混乱ですらない。
自身の絶対の法則が崩れ去ったことへの、生理的な拒絶反応だった。
「――不潔だ」
先ほどよりも、ずっと低く、這うような声が出た。
「不潔だ…不潔だ…不潔だ…!」
見えない汚物に触れたように、治崎はふらつきながら一歩下がった。
「…廻……手が滑ったのか?」
「触れた…確かに触れた……! それなのに分解されない…………有り得ない…! そんな菌は存在してはならない……!!!」
過呼吸のように肩を上下させた後、マスクの奥の狂気じみた目が動いた。
真っ直ぐにアルテミスを射抜いた。
今度は目は逸らさない。逸らせば、自分の敗北を認めたことになるからだ。
「……お前か」
「何の話だ」
「お前だな」
治崎は震える手で乱暴に手袋をはめ直した。
「何をした」
「何も」
「……そうか」
男はそれ以上追及しなかった。
追及する必要がなかったからだ。この場では因果関係を確かめようがない。そしてこの男は、確かめるための手段を『後で』作れる種類の人間だった。
「交渉は…決裂だ」
死柄木が冷たく言い放った。
「傘下には入らねえ。帰れ」
「……いいだろう」
治崎は踵を返し、扉の方へ歩き出した。
しかし途中で一度だけ足を止め、振り返らずに言った。
「一つ言っておく」
「あ?」
「その子どもは…お前たちが持つには、過ぎた代物だ」
「……持ってんじゃねえよ」
「では何だ」
「うちのだ」
治崎は鼻で笑うこともなく、ただ無言で扉の向こうへ消えた。
重い足音が、埠頭の風の音に紛れて遠ざかっていった。
倉庫を出るまで誰も口を開かなかった。
外に出て、肌寒い潮風に直接当たったところでマグネがふらりと立ち止まった。
「……ちょっと」
アルテミスが振り返る。
「アルテミス」
「なんだ」
「あんた……今」
マグネは自分の胸のあたりを震える手で掴んだ。
そこには触れられた感触だけがこびりついている。服は裂けてすらいない。
「あたし……死んでた?」
少年は答えなかった。
「答えなさい」
「……二秒遅れていたら」
「あんた…アタシの名前、覚えてたの?」
「だいたい全員分だ。荼毘以外は……」
マグネはしばらく黙っていた。
それから、いきなり崩れ落ちるような勢いで、少年の小さな頭を両腕で抱え込んだ。
「うわ、やめ――」
「うるさい」
「離せ!」
「うるさいわね」
とんでもない力だった。骨が軋むかと思った。
アルテミスはしばらくジタバタと抵抗していたが、やがて諦めて力を抜いた。マグネの腕は震えていた。死の淵を覗き込んだ実感と生への安堵が入り交じった温かさだった。
背後でトゥワイスが「いいなー! よくねえよ! うらやましい!」と騒いでいる。
「あーっ!ずるいですマグ姉!私も!私もアルテミスくん抱っこします!」
弾むような声と共に背後から黄色いカーディガンが飛びついてきた。倉庫の暗がりに潜んで会合を見ていた、トガヒミコだった。
「ちょっ、トガ!?あんた危ないわよ!」
マグネが慌てて腕を離すより早く、トガは少年の背中に文字通り飛び乗り、その細い腕で首元をガッチリとホールドした。
「ぐっ……お前……重っ……」
「捕まえましたー! アルテミス君!今のすっごく!カッコよかったです!」
背中から全体重を預けられ、少年はたまらず前のめりに体勢を崩す。彼女がいつも持ち歩いている刃物の鉄錆の匂いが混ざって鼻腔を侵食してくる。
「離れろ……!ふざけている場合か!」
クラウディオは、いつもどおり半歩後ろに立って何も言わなかった。
少年は腕の中に抱え込まれたまま、自分の枠のことを冷静に数えていた。
三つのうち一つはあの男に使っている。
残り二つのうち一つを、今日使ったが……もう外した。
――もし…今日あの場に自分がいなければ。
マグネは確実に死んでいた。肉塊にすらならず……塵となって消えていた。
その事実をどう処理していいのかわからなかった。
自分が間に合ったのは、治崎の名前を知っていたからだ。
そして名前を知っていたのは、倉庫に着いてから、死柄木が何気なく口にしたからだった。
――偶然で人が生き死にするのは、気に入らない。
少年は胸の奥底でそう思った。
計算外の行動を取った自分への苛立ちか、それとも、このろくでもない大人たちへの執着か。
その感情に名前をつけることは彼にはまだできなかった。