16話 烏合
話を持ってきたのは、トゥワイスだった。
「見つけてきたぜ! いや見つけてねえ! 見つけたっつってんだろ!」
「落ち着けよ、順番に話せ」
「死穢八斎會!」
そのひどく古めかしい名前を引き取ったのは死柄木だ。
「極道だ。個性が出る前から続いてる……本物の方のな」
「日本にまだそういうものが残っているのか」
「ほとんど潰れた。ヒーローが出てきてからは、表でも裏でも商売になんねえからな……社会の隅っこで、泥水すするようにコソコソ生き延びてきたって所だ」
死柄木が苛立たしげに首を掻く。乾いた皮膚の削れる音が室内に響く。
「その残りカスがまだ一つある。人も金もある程度持ってるらしい」
しばらく黙って頭を回す。この行き詰まりを崩すための手駒になるかどうか。
「……こちらから声をかけたのか」
「ああ。トゥワイスに当たらせた」
「……会うのか」
「会う。向こうも食いついてきた」
「理由は」
「人が要る。金が要る。拠点が要る」
死柄木は椅子の上で膝を抱え、指の隙間からこちらを覗く。
「……お前が言った順番だろ」
――やる気か。
言ったのは自分だ。連合の致命的な欠陥を指摘して、それを実行に移された以上止める言い分はない。問題は相手がどういう組織かだ。
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場所は潮風と錆びた鉄の臭いが鼻を突く埠頭の廃倉庫。カメラも記者もなく、来るのは日陰を歩く人間だけだから、自分も同行した。拠点の外に出る仕事はこれが初めてだ。中はがらんとしていて、むき出しの鉄骨の梁が寒々しく、天井が無駄に高い。衣擦れの音さえよく響く。
「……まだ来ねえな」
スピナーは落ち着かない様子で、背負った大太刀の柄から手を離さない。クラウディオはいつものように半歩後ろに立ったまま、気配まで消してしまう。
「死柄木」
「あ?」
「向こうの頭の名前は」
「治崎廻」
死柄木の声は退屈そうだ。
「ヴィラン名はオーバーホール。個性の名前そのまんまらしい」
頭の中で、その音が所定の位置にかちりと収まる。
――オーバーホール。
「個性は」
「触ったもんをバラすらしい。人でも、壁でも、なんでもだ」
「分解か」
「それだけじゃねえ。組み直せる」
僅かに眉をひそめる。
「……組み直す?」
「バラして、また戻せるってことだ。自分の手下の傷を治したりもするらしいぜ」
「お前の上位互換じゃないか」
「……うるせぇ」
――厄介だ。
分解だけなら間合いを取ればいい。だが修復までできるなら、こちらが傷を与えても戦力は落ちない。そして何より、触れた瞬間に人間を分解できる個性は殺しの効率が高すぎるのだ。防御も治癒も間に合わない一撃だ。
心の中で名前を繰り返す。治崎廻。オーバーホール。二つとも頭に刻み込む。
重い鉄扉が軋みを上げて開いたのは、その直後だった。入ってきたのは二人。一人は長身の男で、金色の髪を後ろで束ね、時計の針のような奇妙な装飾を身につけている。もう一人は黒いコートに、鳥の嘴のような形をしたペストマスク。マスクの奥の目が値踏みするようにこちらを向く。
「……ずいぶん……汚い場所を選んだものだ」
最初の一言がそれだった。声には一切の熱がない。その響きだけで十分だ。
――この男はこちらを自分と同じ人間だと思っていない。
「早く……話を」
連れの男が短く促す。
「わかっている……クロノ」
面の男は手袋をした手で、うっすらと埃の積もった木箱の上を神経質に払う。それから服が汚れるのを嫌うように、浅く腰を下ろす。
「死穢八斎會……若頭。治崎廻だ……オーバーホールでも構わん」
「……死柄木弔」
「知っている」
治崎は面の奥からゆっくりと全員を眺め回す。マグネで止まり、トゥワイスで止まり、スピナーで止まり、最後にこちらの上で一瞬だけ長く止まる。
「……子どもがいるな」
「うちの奴だ」
「そうか」
それ以上は何も言わない。背筋がすっと冷えていく。興味を持たれたとは思わない。敵への警戒ですらなく、汚れが一つ増えていたのを確かめるような目つきだ。
「用件を聞こう」
死柄木が言うと、治崎は膝の上で静かに指を組む。
「この国の裏は……今、死んでいる」
「あ?」
「オールマイトが出てきてからだ。表の秩序が強すぎて、裏が食えなくなった。極道は潰れ、組織は散り、残ったのは小銭稼ぎの半端者だけになった。そして裏の頂点……オール・フォー・ワンが今監獄に収監された。都市伝説って呼ぶ爺も居たが、今は確実に塀の中だ」
面の奥の声には相変わらず起伏がない。
「日向も影も、今、空白の状態だ」
「……それで?」
「俺は……この国の裏を取り戻す。そのための計画がある」
治崎が指を組み替えて、皮手袋の擦れる音がやけに大きく響く。
「計画の為には莫大な資金が必要だ。個性という病を根こそぎ治す。そのための薬が要る。製造の段取りは済んでいる。流通の経路も押さえた。あとは――表の目を逸らす人手が要る」
「人手」
「……お前たちのことだ」
誰も、すぐには息を継げない。
「うちの傘下に入れ」
横目に見た死柄木は、首を掻いていない。
「……断る」
「なぜだ」
「俺達は……誰かの下でやるつもりはねえ」
「では聞くが」
治崎が僅かに身を乗り出す。
「お前たちには、何がある」
誰も答えられない。
「拠点は」
「……」
「資金は。人員は。情報網は。武器の調達先は。輸送の手段は」
一つ一つ区切って、突き刺すように言う。
「お前たちの頭目が『この国を壊す』と息巻いているそうだな」
スピナーの肩が震える。
「結構なことだ。では、どうやって?」
重い沈黙だけが残る。
「計画もないのか」
手のひらに爪が食い込むほど拳を握り込む。――黙っていろ。自分にそう言い聞かす。
「思いつきで暴れて、拠点を潰され、金づるを失い、今は寝る場所もない」
治崎の声はあまりにも静かだ。
「それを『組織』とは言わない」
マスクの奥から言葉が一つずつ落ちてくる。
「ただの、烏合の衆だ」
――その通りだ。
頭の中でその言葉が勝手に反響して、止められない。この男が口にしていることは、三週間前に自分が並べた正論と何一つ違わない。拠点も資金も人員も情報網もない。それを全部持っている組織が目の前にいるのだ。目的があり、計画があり、段取りがあり、順番がある。
――組織としては、こちらが正しい。
自分の中の何かが急速に冷えていく。これまで連合の中で計算してきた。拠点を塞ぎ、名義を移し、逃走経路を作り、作戦の穴を潰してきた。その自分が今、目の前の男に頷きかけている。
それなのに。
この男の下につくのだけは違うと、頭の奥で警鐘が鳴っている。その理由だけは計算では出てこない。
「………………ふざけんじゃないわよ」
冷えた空気を裂いたのはマグネの声だ。
「あんたねぇ……! さっきから聞いてりゃ好き放題……」
「事実を述べたまでだ」
「事実?」
マグネが一歩前に出て、床の砂利がじゃりっと鳴る。
「拠点がない? 金がない? そうよ、ないわよ。それがどうしたってのよ」
「……マグ姉」
コンプレスが慌てて制止しようとするが、遅い。
「あたしらはねぇ」
大柄な体が、怒りと何か別のもので小刻みに震えている。
「行くところがなかった奴の集まりなのよ。顔出して歩けない。まともに働けない。家族にも捨てられた。そういう連中がやっとこさ見つけた『場所』なの!」
叫びが広い倉庫に木霊していく。
「それを――」
太い指が真っ直ぐに治崎を指す。
「あたしたちは、誰かの下につくために集まったんじゃないのよ!!」
息を呑んだ。
――愚かだ。
真っ先に浮かんだのはその二文字だった。交渉の場で激昂すれば足元を見られるだけだ。ましてや相手は、触れただけで人を塵に変える怪物。計算のできる人間なら絶対にやらない。絶対に。
それなのに。
体は、思考よりも先に動いていた。
マグネの巨大な磁石が床のコンクリートを削りながら振り上げられる。治崎はゆっくりと箱から立ち上がり、忌々しげに手袋を外していた。
「……不潔だ」
それだけだった。素手の腕が伸びる。
速い。
連れの男が個性を使った気配はない。迷いが一切ないから速いのだ。掌がマグネの胸元へ迫っていく。あと一メートル。五十センチ。
――クラウディオ。
声に出して命じる必要はなかった。クラウディオの袖口から走った糸が、治崎の手首に絡みつく。だが糸は治崎の皮膚に触れた瞬間に消えた。一瞬で分解されて、繊維が粉雪のように散っていく。それでもその抵抗で、治崎の腕の軌道が指一本分だけ逸れた。
コンマ数秒。それだけの猶予があれば十分だ。
「――引石健磁を上に!」
声が倉庫に響く。
「オーバーホールを下に!」
治崎の五指が、マグネの胸に触れた。
――だが、何も起きなかった。
服は裂けない。皮膚も肉も骨も、一片すら崩れ落ちない。ただ男の冷たい手が、マグネの胸にぺたりと触れているだけだ。
「……は」
間抜けな声を漏らしたのはコンプレスだ。当のマグネが一番状況を飲み込めていない。磁石を振り上げた姿勢のまま、自分の胸に当てられた手を見下ろしている。
「……あたし」
「下がれ」
鋭く命じると、我に返ったマグネが大きく後ずさる。
治崎は空を切った自分の手のひらから目を離さない。マスクのせいで表情は窺えないが、伸びた指先が小刻みに震えている。怒りでも混乱でもなく、自分の法則が崩れたことを体が拒んでいるように見えた。
「――不潔だ」
さっきよりずっと低く、這うような声。
「不潔だ……不潔だ……不潔だ……!」
見えない汚物に触れたように、治崎がふらついて一歩退く。
「……廻……手が滑ったのか?」
「触れた……確かに触れた……! それなのに分解されない…………有り得ない……! そんな菌は存在してはならない……!!!」
過呼吸のように肩を上下させたあと、マスクの奥の目が動いた。真っ直ぐこちらを射抜く目から、今度は逸らさない。逸らせば負けを認めることになる。
「……お前か」
「何の話だ」
「お前だな」
治崎は震える手で乱暴に手袋をはめ直す。
「何をした」
「何も」
「……そうか」
男はそれ以上追及してこない。この場では因果関係を確かめようがない。確かめる手段を後で作れる種類の人間なのだと、なんとなくわかる。
「交渉は……決裂だ」
死柄木が冷たく言い放つ。
「傘下には入らねえ。帰れ」
「……いいだろう」
治崎は踵を返して扉の方へ歩き出す。途中で一度だけ足を止め、振り返らずに言った。
「一つ言っておく」
「あ?」
「その子どもは……お前たちが持つには、過ぎた代物だ」
「……持ってんじゃねえよ」
「では何だ」
「うちのだ」
治崎は鼻で笑うこともなく、無言で扉の向こうへ消えた。重い足音が、埠頭の風の音に紛れて遠ざかっていく。
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倉庫を出るまで、誰も口を開かなかった。外に出て肌寒い潮風に当たったところで、マグネの足がふらりと止まる。
「……ちょっと」
足を止めて振り向く。
「アルテミス」
「なんだ」
「あんた……今」
マグネは自分の胸のあたりを震える手で掴む。触れられた感触だけがそこにこびりついているのだろう。服は裂けてすらいない。
「あたし……死んでた?」
答えに詰まる。
「答えなさい」
「……二秒遅れていたら」
「あんた……あたしの名前、覚えてたの?」
「だいたい全員分だ。荼毘以外は……」
マグネはしばらく黙ったままだ。それから崩れ落ちるような勢いで、こちらの頭を両腕で抱え込む。
「うわ、やめ――」
「うるさい」
「離せ!」
「うるさいわね」
とんでもない力で、骨が軋むかと思うほどだ。しばらくじたばた抵抗して、やがて諦めて力を抜く。マグネの腕は震えているのに、温かい。
背後でトゥワイスが「いいなー! よくねえよ! うらやましい!」と騒いでいる。
「あーっ!ずるいですマグ姉!私も!私もアルテミスくん抱っこします!」
弾むような声と一緒に、背後から黄色いカーディガンが飛びついてきた。倉庫の暗がりに潜んで会合を見ていたトガだ。
「ちょっ、トガ!?あんた危ないわよ!」
マグネが慌てて腕を離すより早く、トガが背中に飛び乗って、細い腕で首元をがっちり押さえる。
「ぐっ……お前……重っ……」
「捕まえましたー! アルテミス君!今のすっごく!カッコよかったです!」
背中から全体重を預けられて、たまらず前のめりに崩れかける。トガがいつも持ち歩いている刃物の、鉄錆の匂いが鼻を突く。
「離れろ……!ふざけている場合か!」
クラウディオはいつもどおり半歩後ろに立って、何も言わない。
腕の中に抱え込まれたまま、自分の枠を数える。三つのうち一つはあの男に使っている。残り二つのうち一つを今日使ったが、もう外した。
――もし……今日あの場に自分がいなければ。
マグネは確実に死んでいた。肉塊にすらならず、塵になって消えていたはずだ。その事実をどう扱えばいいのかがわからない。間に合ったのは治崎の名前を知っていたからで、名前を知っていたのは、倉庫に着いてから死柄木が何気なく口にしたからだ。
――偶然で人が生き死にするのは、気に入らない。