カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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17話 面子

 

 

 五日が過ぎたが何も進んでいなかった。

 

 寝床はまた変わっていた。今度は山沿いの屋根の半分が落ちた作業小屋だった。雨が降れば片側に全員が寄る。

 

 金は残り少ないし、人は増えていない。

 情報網も武器も、車も何一つ手に入っていない。

 

 アルテミスは板の上に地図を広げて線を引いていた。

 

 ――どこにも繋がらない。

 

 三週間前自分は順番を示した。九人で百人を集めろと。

 その最初の一歩が踏めない。

 

 人を集めるには集めた人間を食わせる金が要る。金を作るには、動ける人手が要る。どちらも持っていない集団は、どちらからも始められない。

 

 輪の外側に出る取っ掛かりが、一つも見つからなかった。

 

 少年はペンを置いた。

 

 

「もう一回…八斎會と話す」

 

 死柄木がそう言ったのは、その日の夜だった。

 

 全員が顔を上げた。

 

「はぁ?」

 

 最初に声を上げたのは、スピナーだった。

 

「あいつら、マグ姉を殺そうとしたんだぞ」

 

「……知ってる」

 

「なのにまた頭下げに行くのかよ!」

 

「……頭は下げねえ」

 

「同じことだろ!」

 

 スピナーの声が、小屋の中に響いた。

 

「俺は……俺はあんたについてきたんだ。誰かの言いなりになりたくないから、あんたのところに来たんだ。あんなやつの――」

 

「スピナー」

 

 コンプレスが静かに遮った。

 

「私も反対だ。だが、理由は君とは違う」

 

 帽子のつばを指で押さえる。

 

「あの男は交渉相手として最悪だ。こちらを対等と見ていない。話がまとまったとしても、条件は必ず後から書き換えられる。信用を置けない相手と組むのは……組まないよりも悪い」

 

「……だろうな」

 

「わかっていて行くのか」

 

「ああ」

 

 死柄木は膝を抱えたまま言った。

 

「他に……どこがある」

 

 誰も答えなかった。

 

「今の俺たちには力が足りない。黒霧もいない、先生のサポートも満足に受けられない。」

 

 死柄木は首筋を掻いた。

 

「だから……今は泥水でもなんでも吸ってやる。あいつを踏み台にして、俺たちがもっとデカくなるために……あんな奴らの下にずっといるわけねえだろ」

 

 少年は黙っていた。

 

 ――消去法だ。

 

 この男の言っていることは正しい。

 

 正しいがそれは選択肢が一つしかないという意味でしかない。交渉において……それは最悪の状態だ。

 

「あたしは」

 

 マグネが口を開いた、全員がそちらを向いた。

 

「……あたしが……あの日キレなけりゃ、話はもっとうまく転がってたかもしれない」

 

 ぽつりと漏れ出たマグネの声は、いつもの明るいトーンではなかった。

 

「……マグ姉」

 

 スピナーが痛々しいものを見るような目でその背中を見つめる。

 

「だから……あたしがあいつらとの協力に反対するのは、筋が通らないわよ。あたしが壊した話を……弔ちゃんがもう一回繋ごうとしてくれてるんだから」

 

  大柄な体が小さく見えた。

 

 死柄木はマグネを髪の間から見つめる。

 

「お前が怒ったのは責めねえ……けど、俺はあいつがお前に手を伸ばすまで何もできなかった」

 

「それでまた……あいつのところへ行くの?」

 

「行く……それしか方法がねえ」

 

---

 

 少年は口を開こうとした。賛成できる要素が一つもない。

 

 治崎の目はあの日はっきりとこちらを向いていた。もう一度接触すれば、確実に何か仕掛けてくる。

 

 だが代案がない。

 

 ――代案のない反対はただの感情だ。

 

 言いかけた言葉を飲み込んだ。

 

 その沈黙を破ったのは意外な声だった。

 

「……僭越ながら」

 

 クラウディオだ、全員がそちらを見た。

 

 この男が連合の話し合いで自分から発言したことは、一度もなかった。

 

「……なんだよ」

 

「一点だけ……申し上げてもよろしいでしょうか」

 

 死柄木が顎で促した。

 

「ありがとうございます」

 

 執事は姿勢を正した。

 

「皆様がご懸念なさっていることは、すべて正当です。相手は信用できません。条件は不利になります。危険もございます」

 

「じゃあ反対か」

 

「いえ」

 

 クラウディオは、首を振った。

 

「生活が……立ち行きません」

 

 小屋の中が静かになった。

 

「本日で米が尽きました。明日の朝食は、パンを四つに割ってお分けすることになります。九人で四つです」

 

 誰も何も言わなかった。

 

「水は、二キロ離れた公園から運んでおります。洗濯は、三日に一度。入浴は……この十日間で二度です」

 

 執事の声は淡々としていた。

 

「神野でのマグネ様の脇腹の傷は…まだ塞がっておりません。消毒液が切れました。スピナー様は五日前から咳が出ております。埃のせいです。この屋根では、雨の日に全員が片側に寄って眠ることになりますので休養も取れません」

 

「……」

 

「トガ様が外出なさるのは、退屈だからだけではないかと存じます。ここにいてもすることがないからです」

 

 トガが少しだけ目を丸くした。

 

「皆様は……志のために集まっておられます。それは存じ上げております」

 

 クラウディオは一度言葉を切った。

 

「ですが……人は志だけでは三か月ももちません」

 

 少年は執事の横顔を見ていた。

 

 ――こいつ。

 

 毎日飯を作っていた男だ。

 寝床を整え、傷を縫い水を運んでいた男だ。

 

 この部屋で全員の体の状態を正確に把握しているのは、この男だけだった。

 

「屋根のある場所、三食の食事、湯と、薬。そういったものが手に入るのであれば」

 

 執事は深く頭を下げた。

 

「私は賛成いたします」

 

 沈黙が落ちた。

 

 最初に折れたのは、スピナーだった。

 

「……卑怯だろ……それ」

 

スピナーの声は、今にも泣き出しそうなほど掠れていた。

 

「そういう言い方されたらよ……反対できねえじゃねえか。俺だって……みんなに飢え死にしてほしいわけじゃねえんだよ……!」

 

「申し訳ございません」

 

「謝るなよ」

 

 コンプレスが帽子を深く被り直した。

 

「……私も撤回する」

 

「いいのか?」

 

「条件が悪いことと……生きられないことでは後者のほうが重い。プライドを優先して死ぬのは愚か者のする事だ。」

 

 トゥワイスが何か言いかけてやめた。言葉にするには、この場の空気はすでに定まりすぎていた。

 

死柄木はしばらく執事を見ていた。

 

「……お前」

 

「はい」

 

「……使えるな」

 

「恐れ入ります」

 

 少年は何も言わない賛成も反対もしなかった。

 この場で一番冷静な計算をしたのが、自分ではなかったことが、少し悔しかった。

 

---

 

 二度目の顔合わせは別の倉庫だった。

 

 前回より広く、明るく、埃が少ない。おそらく八斎會の持ち物だろうと思った。

 治崎は前と同じように箱の上に腰を下ろしていた。

 

「もう一度話がしたいと」

 

「傘下には入らねぇ……」

 

死柄木が開口一番に言った。一切の躊躇もなく

 

「だが……組むのは考えてやる」

 

「考えてやる……か」

 

 面の奥で短く息が漏れた。

 

「結構だ。では対等な協力関係としよう」

 

「……話が早くて助かるよ…ヤクザ」

 

 あっさりと治崎は認めた、アルテミスは警戒を一段上げた。

 

 ――早すぎる。

 

 この男が前回の主張をこうも簡単に引っ込めるはずがない。

 

「……ただし」

 

 来た。

 

「一つだけ…条件がある」

 

 治崎の面がこちらを向いた。

 

「その子どもをこちらへ寄越せ」

 

 倉庫が静まり返った。

 

「断る」

 

 死柄木の声には迷いがなかった。

 

「なぜだ」

 

「うちのだって言ったろ」

 

「あの場でも聞いた。だが……理由になっていない」

 

「理由が要るのか」

 

「取引には要る」

 

 治崎は指を組んだ。

 

「こちらは資金を出す。拠点を貸す。人員も回す。お前たちが今喉から手が出るほど欲しいものを、全部だ。対価が子ども一人。悪い話か?」

 

「悪いな」

 

「その子どもに……それだけの価値があると」

 

「あるかどうかじゃねえ」

 

 死柄木は首を掻いた。

 

「うちの奴を物みてえに数えられるのが気に入らねえ……俺たちは会社じゃねぇんだよ……」

 

 少年は死柄木の後頭部を見ていた。

 

 ――何を言っている。

 

 こちらが今どれだけ不利な立場にいるか、この男はわかっているはずだ。

 

 条件を蹴れば話は終わる。終われば明日食う物もない。

 それなのに断った。

 

 理屈ではなく気に入らないという理由で。

 

「……そうか」

 

 治崎はそれ以上押さなかった。

 

「ではその話はいい」

 

 アルテミスは眉を寄せた。

 

 ――引いた?

 

 この男が。

 

 

「代わりに……別の話をしよう」

 

 治崎は脚を組み替えた。

 

「共同作業の話だ。こちらの計画には、表の目を逸らす人手が要る。その人員をそちらから出してもらう」

 

「何人だ」

 

「三人でいい」

 

「三人?」

 

「多く寄越されてもこちらの管理が煩雑になるだけだ。要るのは数ではない」

 

 死柄木が考える素振りを見せた。

 

「……まあいいぜ。誰を出すかはこっちで――」

 

「人選はこちらが指定する」

 

 一拍間が空いた。

 

「……あ?」

 

「共同作業だ。使う側が使う人間を選ぶのは当然だろう」

 

「対等って言ったよな……お前」

 

「対等だからこそだ」

 

 治崎の声は変わらなかった。

 

「傘下であれば……こちらが命じて終わりだ。だが対等であるなら、条件は擦り合わせる必要がある。俺は人選を条件に挙げている。それだけのことだ」

 

 掌に汗が滲んだ。

 

 ――そういうことか。

 

 理解した。

 

 この男は正面から要求して断られることを、最初から想定していた。

 断られたうえで引く。譲歩したように見せる。そして別の枠組みで同じものを取りに来る。

 

「誰を出せって言うんだ」

 

「まず……変身のできる者」

 

 トガが首を傾げた。

 

「次に……複製のできる者」

 

 トゥワイスの肩が跳ねた。

 

 そして。

 

「最後にその子どもだ」

 

 予想通りの結末だった。

 

「……ふざけんな」

 

 死柄木が一歩前に出る。

 

「さっき断っただろうが」

 

「渡せとは言っていない……貸せと言っている」

 

「同じだろ」

 

「いいや…違う」

 

 治崎は、面の奥から続けた。

 

「作業が終われば返す。期間も切る。こちらの組で寝食させるが、所属は連合のままだ。何一つ……奪ってはいない」

 

「屁理屈だ」

 

「では断る理由を聞こう」

 

 男は少しだけ身を乗り出した。

 

「共同作業の人員を実績で選ぶ。それのどこが不当だ」

 

「実績?」

 

「先日……この手が止められた」

 

 治崎は自分の右手を持ち上げた。

 

「俺の個性を防いだ者がそこにいる。うちの組であれをやれる者はいない」

 

 男の声は淡々としていた。

 

「八斎衆の前で…俺は一度手を止められている。その相手を向こうに残したまま、俺が『対等な協力関係を結んだ』と言えばどうなる」

 

「……」

 

「若頭が子どもに止められて……そのまま引き下がった。組の者はそう理解するだろうな…俺はそれを許すわけにいかない」

 

 少年は天井を見上げた。

 

 ――筋が通っている。

 

 腹立たしいほど通っている。

 

 あの日の出来事をこの男は自分の面子の問題に組み替えた。個性が欲しいとも、正体を調べたいとも一言も言っていない。

 組の秩序を保つために実績のある者を指名する。極道の理屈として完璧だった。

 

「断れば……この話はなかったことになる」

 

 

「断る」

 

 死柄木が言いかけた。

 

「待て」

 

 少年が遮った、全員がこちらを見た。

 

「……アルテミス」

 

「行く」

 

 自分の声が自分のものでないように聞こえた。

 

「お前――」

 

「三人だ」

 

 少年は死柄木を見上げた。

 

「向こうは三人でいいと言っている。トガとトゥワイスと、俺だ。期間も切ると言った。その間連合には金と拠点が入る」

 

「おい、待て……そういう話じゃねえだろ」

 

「そういう話だ」

 

「ここで断れば明日の飯がない。断った先に別の案があるなら聞く。ないなら受ける以外にない」

 

 死柄木は答えなかった。

 答えられなかったのだろう、自分も同じだからだ。

 

「坊ちゃん」

 

 背後から低い声がした。

 

「お顔が割れます」

 

「八斎會の組員は数十人規模と伺っております。その全員に、坊ちゃんのお顔と個性の一端が知られることになります」

 

 クラウディオの声はいつもどおりだった。

 

「裏の人間から裏の人間へ……情報は流れます」

 

 ――わかっている。

 

 唇を噛む、解析が終わっていれば追手はもう日本に入っている。

 

 その状況で数十人の裏の人間に顔を晒す。

 

 最悪だ

 

 ——だが

 

 ここで断れば明日の飯がない。

 

マグネの傷に使う薬もない。

スピナーの咳もボロ小屋にいる限り治らない。

 

 そしてその条件を呑ませないために死柄木は今、自分を売ることを断った。

 

――なら、俺が行けば済む。

 

「……わかっている」

 

「わかっていて……行く」

 

 執事はそれ以上何も言わなかった。ただ深く頭を下げた。

 

「……かしこまりました」

 

 

「決まりだな」

 

 治崎が立ち上がった。

 

「三日後には迎えを出す。場所は追って伝える」

 

 男は扉の方へ歩いていく、その背中に死柄木が声を投げた。

 

「おい」

 

「なんだ」

 

「傷つけたら……殺す」

 

 治崎は足を止めた。面の奥から短く息が漏れた。

 

 笑ったのかもしれないと少年は思った。

 

「預かった物は、丁寧に扱う主義だ」

 

 扉が閉まった。

 

 少年はその扉をしばらく見ていた。

 

 ――物……か。

 

 背後でトガが「わーい、わーい、お出かけだね! アルテミスくんも一緒!」と言っているのが聞こえた。

 

 トゥワイスが「ガキ二人連れて遠足かよ! 保護者じゃねぇぞ俺は! 絶対ついて来いよ!」と騒いでいる。

 

 二人ともこれがどういう場所への出向なのか、たぶんわかっていない。

 

 掌を開くと、爪の跡が四つ残っていた。

 

 三日後だ。

 

 それまでに考えておかなければならないことがいくつもあった。

 

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