カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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18話 真実吐き

 迎えの車は窓が塞がれていた。三十分ほど走って地下へ降りて、そこから先は徒歩だ。通路はやたらと長くて曲がり角が多い。何度か同じ場所を通った気もするが確信は持てない。

 

 ――構造を覚えさせない造りだ。

 

 歩数を数えるのはやめる。数えたところで意味がない。

 

 通路の両側には組員が並んで立ち、全員のマスク越しの視線がこちらに刺さる。十三歳の外国人が極道の本拠地を歩いているのだ。目立たないほうがおかしい。

 

 ――顔を覚えられていく。

 

 一人、二人、三人。数えるのもやめた。

 

「けっこう広いですねぇ」

 

 トガの声は暢気なものだ。

 

「迷子になりそう! ならねえよ! なるっつーの!」

 

 トゥワイスが両腕を広げて騒ぐ。

 

 二人の後ろを歩く自分の半歩後ろには誰もいない。九年間ずっとそこにいた男の姿がない。足音が一つ足りないというだけのことだ。それだけのことがこんなに落ち着かないとは思わなかった。

 

 ――集中しろ。

 

 通されたのは天井の低い部屋だ。机が一つ。椅子が三つ。壁際に組員が四人。そして机の向こうには、つば広の帽子を被った男が座っている。全身が黒く、顔は影になってよく見えない。

 

「座れ」

 

 案内してきた男に言われて三人並んで腰を下ろす。

 

「確認だ。うちは今そちらと組むことになった。だが、組む以上は素性を確かめる。どこの組でもやることだ」

 

 帽子の男がそこで一度言葉を区切る。

 

「名前から言え」

 

「トガヒミコ!」

 

「分倍河原仁!」

 

 帽子がこちらを向く。少し考える。

 

 ――偽名を使うか。

 

 いや、駄目だ。極道の素性確認で嘘をついたと知れれば、それだけで話が壊れる。偽名は一度でも綻べば終わりだし、この先ずっと二人の前でも使い続けなければならない。それに、この国でこの名前を聞いて意味がわかる人間はまずいない。

 

「アルテミス・エル・トローノ」

 

 男はそれを書き留めもしない。

 

「……妙な名だな」

 

「外国の名前だ」

 

「そうか」

 

 それで終わりだ。誰も何も言わない。

 

 ――通った。

 

「始める」

 

 男は前置きを切り上げて、自分の名は名乗らない。

 

「お前たちは八斎會を裏切るつもりがあるか」

 

 空気がぴんと張りつめる。

 

「ないです」

 

 トガの即答だ。

 

「今はね!」

 

 その返答に壁際の組員が動きかけた。

 

「待て」

 

 男が手で制す。

 

「……嘘ではない」

 

「でしょ?」

 

「次」

 

「ねえよ!ぜってぇ裏切ってやる! 俺達は仲間だろ!」

 

 トゥワイスが頭を抱えて叫ぶと、組員たちが顔を見合わせる。

 

「……こいつは」

 

「嘘ではない」

 

 男は少しも動じず、淡々と続ける。

 

「言葉が逆になるだけだ。中身は正しい」

 

 感心せずにいられない。

 

 ――使い慣れている。

 

 この男は言葉の表面ではなくその下を読んでいるのだ。

 

「最後」

 

 帽子がこちらを向く。

 

「お前は八斎會を裏切るつもりがあるか」

 

「ない」

 

 答えてしまってから自分で驚いた。迷いも考える時間もなかった。口が勝手に動いたわけでもなく、ただ本当にそう思っていたからそう出た。

 

 ――裏切るつもりはない。

 

 事実だ。こちらは対価をもらって仕事をしに来たのだ。契約を守るのは当然で、守らなければ次の取引ができなくなる。それだけの話だ。

 

「よし」

 

 男が頷く。

 

「三人とも問題ない」

 

 壁際の空気が少しだけ緩む。

 

「次は個性の詳細だ」

 

 ――来たか。

 

 掌を膝の上で組む。これも当然の手続きだ。共同作業をする以上、相手の個性を把握しておくのは基本で、自分が逆の立場でもそうするだろう。

 

「変身の女」

 

「はーい」

 

「条件は」

 

「血を吸うこと! その人の血を吸えば、その人になれます!」

 

「量は」

 

「一口あればけっこうもちます。少ないと短いです」

 

「見た目以外に変わるものは」

 

「声はね似せられます。あ、でも個性は使えないです」

 

 トガには隠す素振りもない。隠す理由がないのだから当然だ。

 

「複製の男」

 

「おう! 教えるわけないだろ!全部知ってくれよ!」

 

「条件は」

 

「触ることと、そいつを正確に知ってること! 顔も、中身も、全部! 知らねえと作れねえ!」

 

「作ったものはどれくらいもつ」

 

「壊れるまで! すぐ壊れる! 結構もつ!」

 

「本体が死んだら」

 

「複製は怪我したら消える!」

 

 横目でトゥワイスを窺う。

 

 ――喋りすぎだ。

 

 そう思っても止める理由がない。これも当然の質問で当然の回答だ。共同作業のために必要な情報でしかなく、止めればこちらが何かを隠していることになる。

 

 そして。

 

「最後」

 

 帽子がこちらを向く。

 

「お前の個性は」

 

 口を開く。

 

「上位と下位を――」

 

 声が出ていた。止まらない。

 

「――決める」

 

 言い終わってから心臓が跳ねた。

 

 ――今、何を言った。

 

「続けろ」

 

「二つのものを選んで片方を上に、片方を下に置く。下になったものは、上になったものに干渉できない。壊せない。動かせない。上になったものは下を簡単に壊せる」

 

 自分の声が部屋に響いていて、止めようとしても止まらない。

 

 ――こいつ。

 

 背中に冷たいものが走る。誰もこちらを責めも脅しもしない。この男はただ質問をしただけで、それだけで九年間誰にも話さなかったことが出ていく。

 

「なるほどな」

 

 男が帽子のつばを持ち上げて言う。

 

「あの日若頭の手が止まったのはそれか」

 

「…………」

 

「射程は」

 

 ――言うな。

 

 奥歯を噛む。

 

「七メー――」

 

 舌が動いた。

 

 ――違う。

 

 舌が動いているのではない。喉でも口でもない。自分の身体の中を探す。質問が耳に入った瞬間、頭の奥が勝手に答えを探しに行く。探し終えたものがそのまま口まで運ばれていく。止められないのは口ではなく、その前だ。

 

 ――脳だ。

 

 この男の質問は音として耳に届き、脳に届いて、こちらの中身に手をかけている。名前も顔も個性の名も、まだ何一つわからないままだ。

 

 だが。

 

 ――個性でなくていい。

 

 やっているのは音がこちらの頭に干渉することだ。ならば断つのは脳への干渉で足りる。

 

「使える回数に制限は」

 

 質問が重なった時。

 

「俺の脳を上に」

 

 声に出していた。

 

「この部屋の音を下に」

 

 部屋の空気が変わる。壁際の組員が一斉に身構える。

 

 音は消えない。男の声も組員の息遣いも自分の心臓の音も、全部そのまま聞こえている。当然だ。上下を決めたところで音が鳴り止むわけではなく、消えたのは干渉だけだ。下になったものは上になったものを動かせない。この部屋の音は……もうこちらの頭を動かせない。

 

「……ほう」

 

 男は身じろぎもしない。

 

「今何をした」

 

 答えない。答えられるが答えない。

 

 ――効いている。

 

 声は聞こえるし、意味もわかる。ただ、勝手に答えを探しに行く感覚だけが消えている。

 

「答えろ。お前は誰だ」

 

 問いが飛ぶ。頭の奥は静かなままだ。

 

「……そうか」

 

 男が帽子を被り直す。

 

「私の個性が通らんか」

 

「音本さん」

 

 壁際の組員が身を乗り出す。

 

「こいつ、今――」

 

「騒ぐな」

 

 ――音本。

 

 その音を頭の中に置く。名前が一つ手に入った。遅すぎたがないよりはましだ。

 

「面白いな」

 

 音本はこちらを見たまま言う。掌の汗を握り潰す。

 

 ――遅かった。

 

 二つだ。個性の本質と射程の一部。枠は残り一つになった。

 

 ――外せない。

 

 この男が同じ部屋にいる限り、この枠は外せない。外した瞬間にまた引き出されるのだから、この拠点にいる間はずっとだ。自由に動かせる枠が一つしかない状態で、極道の本拠地に泊まることになる。

 

 音本はしばらく黙って、帽子の影の奥で何かを考えているらしい。

 

「……エル・トローノ」

 

 低くその音が転がって背筋が冷える。

 

「どこかで聞いたな」

 

 男が机を指で叩く。

 

「玉座だったか」

 

 ――知っているのか。

 

「妙な名だと思ったが思い出した。裏の名簿に載っている」

 

 叩く音が止んだ。

 

「……メキシコか」

 

 壁際の組員の一人が声を漏らす。

 

「音本さん。あれ……例のカルテルじゃ」

 

「黙れ」

 

 男が短く制したがもう遅い。部屋の全員の目がこちらを向いている。

 

 ――終わった。

 

 この国でこの名前の意味がわかる人間はまずいない。そう踏んだのは、日本の裏社会を甘く見ていたからだ。

 

 天井を仰ぐ。枠で個性は防げる。

 

 だが名前は防げない。

 

 自分の名前は生まれたときから自分についている。それが全部を説明してしまった。

 

「聞かせろ」

 

 音本の声だ。

 

「お前は……その組の何だ」

 

 問いが飛んでくる。個性は通っていない。それでも口を開く。

 

「……跡継ぎだ」

 

 言わなくてよかった。言えなかったはずだ。だがこの部屋の全員がもう察しているのだ。ここで黙れば認めたのと同じことで、こちらが必死に隠したという事実だけが残る。

 

 ――どうせ漏れるなら。

 

 自分の口から出したほうがまだ管理できるはずだ。

 

「なぜ日本にいる」

 

「逃げてきた」

 

「追われているのか」

 

「……ああ」

 

 そこで口を閉ざす。それ以上は言わずに済んだ。

 

 三つ……個性。家。追手。

 

 ――最悪だ。

 

 残っているのは、枠の上限と名前が必要だということだけだ。

 

「確認は済んだ」

 

 音本が腰を上げる。

 

「二人は下の部屋へ案内する。荷物を置け」

 

 組員が扉を押し開く。

 

「子どもは残れ。若頭がお会いになる」

 

 トゥワイスの動きが止まった。

 

「……は?」

 椅子が倒れる。

 

「おい待てよ」

 机に手をついて身を乗り出す。

「なんで一人だけだ! 何でもねぇ!おかしいだろうが!」

 

「若頭のご意向だ」

 

「意向で子どもだけ残すのかよ!」

 

 トゥワイスの声が部屋に響く。

 

「今さっき、そいつの腹ん中を全部引っ張り出したよな!? そのうえで二人きりにするってか! 冗談じゃねえ! 冗談だっつーの!」

 

 組員たちの肩に力が入る。

 

「ねぇ」

 

 トガが笑ったまま口を挟む。

 

「おかしくない?」

 

 その声だけが妙に静かだ。

 

「確認が済んだんでしょ?三人とも問題ないって、さっき自分で言いましたよね」

 

「……」

 

「じゃあ……なんでアルテミスくんだけ残すんです?」

 

 音本は何も返さない。

 

「あたしたちが邪魔?」

 

 トガは首を傾げたまま笑顔を崩さない。壁際の組員の一人が一歩下がった。

 

「行け」

 

 二人の目がこちらに向く。

 

「坊主」

 

「すぐ済む」

 

「そういう問題じゃ――」

 

「……トゥワイス」

 

 椅子から腰を上げる。

 

「ここで騒げば話が壊れる。壊れれば連合に金も拠点も入らない。それは俺がここへ来た意味がなくなるということだ」

 

「……そんなの」

 

「行け」

 

 言い切る。

 

 トゥワイスはしばらく動かずに、それから机を殴った。

 

「……クソが」

 

 小さい声だ。珍しく一言だけで終わりだ。

 

 トガが目の前まで来て顔を覗き込む。

 

「アルテミスくん」

 

「なんだ」

 

「死なないでね」

 

「……死なない」

 

「よかった」

 

 トガはあっさりと背を向ける。扉が閉まって部屋に一人だけが残った。

 

---

 

 次の部屋は驚くほど清潔だ。床にも壁にも埃一つ見当たらない。空気の匂いまで他の場所と違う。治崎は机の向こうに座り、嘴のような面をつけたままだ。

 

「座れ」

 

 座る。治崎はしばらく何も言わず、ただこちらを眺める。

 

「あの日」

 

 ようやく口が開く。

 

「俺の手はあの男の前で止まった」

 

「…………」

 

「理由は見当がついている」

 

 指がわずかに動く。

 

 ――どこまでだ。

 

 尋問のことには一言も触れず、聞いたのか聞いていないのかすら示さない。

 

 ――こいつ。

 

 わからない。わからないから……こちらは全部を知られている前提で話すしかないのだ。そういう造りの男だ。

 

「本題に入ろう」

 

 治崎が机の上に紙を一枚置く。何も書かれていない紙だ。

 

「お前は追われているな」

 

 答えなかった。

 

「まぁいい……だがもう隠す意味はないぞ」

 

 男が指先で紙を押す。

 

「ではこう聞こう……今のヴィラン連合にお前を守る力があるか」

 

 喉が鳴った。

 

「拠点がない。資金がない。人員がない。武器も車も、情報網もない。先日俺が並べたものと同じだ。あれから何か変わったか」

 

「…………」

 

「変わっていない。だからお前たちはここへ来た」

 

 正しい。一つも間違っていないのだ。

 

「うちは違う」

 

 治崎の声は続く。

 

「組員は五十を超える。拠点は複数ある。金もある。情報も入る。この地下は外から見つけられない。入っても出られない」

 

「……」

 

「お前一人を匿うことなど、造作もない」

 

 男が少しだけ身を乗り出す。

 

「うちに来い」

 

 机の木目に目を落とす。

 

「連合にいる限り、お前はいつか見つかる。あの連中には、お前を守る力がない。守る気があったとしてもだ」

 

 ――その通りだ。

 

「守れない者の傍にいるのは、非効率だ。感情の問題ではない。計算の問題だ」

 

 ――その通りだ。

 

「お前は……計算のできる人間だろう」

 

 その一言が一番刺さって顔を上げた。

 

 ――この男は俺を正しく見ている。

 

 損得で動く人間だと見抜いているのだ。実際そうだ。九年間そうやって生きてきた。この部屋の中で一番正しいことを言っているのは、間違いなくこの男だ。

 

「…………断る」

 

 自分の声が聞こえる。

 

「理由を聞こう」

 

「…………」

 

「理由だ」

 

 口を開いても言葉が出てこない。

 

 ――なぜだ。

 

 連合にいる理由を並べようとして並ばない。鞄を解いたあの夜も同じだった。出ていく理由はいくらでも作れたのに一つも使わず、残る理由は一つも作れないまま残った。

 

 ――同じだ。

 

「……理由は……ない」

 

「ないのか」

 

「……ない」

 

 治崎はしばらく黙ってこちらを眺める。

 

「不合理だな」

 

「ああ」

 

「自分でわかっているのか」

 

「わかっている」

 

「……そうか」

 

 男は紙を裏返しただけだ。

 

「話は終わりだ」

 

「……いいのか」

 

「今日はな」

 

 治崎が椅子から腰を上げる。

 

「お前の状況はこれから悪くなる。よくはならない。追手は近づく。連合は弱くなる。金は減る」

 

 扉に向かいながら男が言う。

 

「気が変わったら言え。いつでも受け入れる」

 

「…………」

 

「俺は急がない」

 

 扉が開いて閉じた。しばらく椅子から動けなかった。

 

---

 

 案内された地下の部屋には二人が座っていて、扉を開けた瞬間にトゥワイスが飛び上がった。

 

「おい大丈夫か! お前今にも死にそうじゃねえか! 嘘だろ、生きてる! 生きててよかった畜生!!」

 

「無事だ」

 

「何された!」

 

「何もされていない」

 

「嘘つけ!」

 

「……交渉だ」

 

 壁際に腰を下ろす。

 

「うちに来いと言われた」

 

「はぁ!?」

 

「断った」

 

「……そうか」

 

 トゥワイスはそこで黙り、黙ったまま隣に座る。トガが反対側に座って三人で壁にもたれる。誰も何も言わない。

 

 天井を仰ぐ。

 

 ――理由はない。

 

 さっき自分でそう答えた。本当になかった。

 

 だが。

 

 あの部屋を出てからずっと考えている。理由がないのに断ったということは、理由以外の何かで決めたということだ。それが何なのかはまだわからない。

 

 ――わからないまま決めたのか。

 

 九年間そんなことは一度もなかった。

 

 隣でトゥワイスが眠りかけ、反対側ではトガが鼻歌を歌う。

 

 目を閉じる。半歩後ろに誰もいない。

 

 それでも両側に人がいた。

 

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