「三日だ」
毛布を畳みながら少年は言った。
「三日で塞ぐ、その間俺のやることに口を出すな。終わったら
お前が攻めてみろ」
戸口に寄りかかったまま死柄木は首を掻いた。
「攻める?」
「この店に外から踏み込む役だ。俺は奥にいる。制限時間内に俺に触れたらお前の勝ちだ」
「……ゲームかよ」
「嫌ならいい」
「嫌とは言ってねえ」
死柄木はゲーム機の電源を落とした。その目が、ほんの少しだけ面白がっているのを少年は見逃さなかった。
「負けたら崩すからな」
「勝ったら?」
「知るか。考えとけ」
そう言い捨てて、死柄木はカウンターの方へ戻っていった。
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一日目はほとんど紙の上で終わった。
少年はカウンターの端を占領し、黒霧に借りたノートに店の見取り図を描いた。扉、窓、配管、配線、隣の建物との壁の厚さ。黒霧が知っている限りのことを聞き出し、知らないことは自分の足で確かめた。
「電気と水道の名義は」
「……古い契約のままです。この店の前の持ち主の」
「前の持ち主はどうなった」
「……わかりかねます」
少年は顔を上げずにノートに一行書き足した。
「なら…そこから辿られる。名義を別の会社に移す。実体のない会社でいい。クラウディオ」
「手配いたします」
クラウディオはそれだけ言っていつの間にか店から消えていた。
黒霧の靄が少年の手元を覗き込む。
「随分と慣れておられるのですね」
「家で見てきたからな」
それ以上は言わなかった。
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二日目の朝、向かいのビルの三階に灯りが一つ増えた。
「……借りたのですか。あの部屋を」
窓越しにそれを見た黒霧が、呆れとも感心ともつかない声を出した。
「入口が丸見えの場所ならこっちが先に使えばいい。見られる側から見る側になる」
「その費用はどちらから」
「ポケットの中身から」
少年はあっさり答えた。
カウンターでゲームをしていた死柄木の指が、一瞬だけ止まった。けれど何も言わなかった。
昼を過ぎるとクラウディオが戻ってきて、店の配線をいじり始めた。
正確にはいじっているようには見えなかった。男は壁の前に立ち、袖口から糸を一本垂らしただけだ。糸は壁の隙間に吸い込まれるように入り込み、しばらくして天井の反対側から出てきた。その先に細い線が結ばれている。
「……今…何を」
「壁の外に出ていた配線を内側に通し直しました。外から辿られては困りますので」
黒霧の靄がはっきりと固まった。
「ドリルもなしに…ですか」
「糸ですので」
クラウディオは平然と答えて次の壁に向かった。
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三日目は裏の配管スペースだった。
カウンターの奥、隠し棚のさらに奥に、人一人がやっと通れるくらいの空間がある。古い建物の継ぎ目で、隣のビルの地下と薄い壁一枚でつながっていた。
少年はその壁に新しく扉を付けさせた。取っ手もない、ただの板のような扉だった。
そして扉に手を触れた。
「……それが個性ですか」
黒霧が尋ねた。
「この扉を上に。この建物を下に置いた」
「建物を?」
「店に踏み込まれて、壁が壊されて、天井が落ちてきても、この扉だけは潰れない。扉の向こうの道も残る」
少年は手を離した。
「ここが破られたら、全部終わる。だから枠を割く」
「……侵入してくる相手を、下に置くことはできないのですか」
「名前を知らない相手には付けられない」
少年は扉を見たまま答えた。
「来るのがヒーローか警察か、別の組織か、踏み込まれるまでわからない。わからない相手を止めるより、何が来ても逃げ道が残るほうが確実だ」
黒霧はしばらく黙っていた。
それから小さく頭を下げた。
「…失礼いたしました。あなたを子どもとして見ていたようです」
「子どもだ」
少年は扉の埃を払った。
「子どもでも、仕事はする」
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その夜ゲームが始まった。
「ルールを確認する」
少年はカウンターの奥、隠し棚の前に立った。
「制限時間は十分。お前は表の扉から始めて、俺に触れたら勝ち。黒霧のワープは使っていい。壁を崩すのも自由だ」
「……自由でいいのかよ」
「自由でいい」
死柄木はにやりと笑った。
「後悔すんなよ...ガキ...!」
死柄木が表に出ていく。扉が閉まる。
少年の手の中で携帯が一度だけ震えた。向かいのビルの三階からだった。
『始まりました。死柄木様は扉の前。黒霧様は裏手に回ろうとしておられます』
「読みどおりだな」
少年は通話を切らず、ポケットに入れた。
一分後表の扉が開いた。
死柄木は入ってこなかった。扉を開けたまま、中の様子をうかがっている。その背後で黒い靄が音もなく広がった。
『黒霧様のワープ、店の裏口へつながりました』
「知ってる」
少年は隠し棚の奥に滑り込んだ。
裏口の扉が開き、黒霧の靄の中から死柄木が飛び出してくる。表から入るふりをして裏から回る。悪くない手だった。
ただ、そこにはもう誰もいなかった。
「……チッ」
死柄木はカウンターを見回し隠し棚に目を留めた。一日目に少年自身が、踏み込まれて三十秒で見つかると言っていた棚だ。
死柄木の口元が吊り上がる。
「そこか」
棚に五本の指が触れた。木が粉になって崩れ落ちる。その奥の壁も続けて崩れる。
壁の向こうには何もなかった。
狭い空間の先は、ただの行き止まりだった。コンクリートの壁と、古い配管と埃だけ。
「……は?」
『死柄木様、隠し棚を崩されました。その先は偽の空間です』
「崩しがいのある場所に見えるように作ったからな」
少年の声は、死柄木の足元のさらに下から聞こえた。
配管の隙間から、かすかに。
死柄木が床に手を伸ばしかけて止まった。床を崩せば、自分が落ちる。
「残り三分」
「クソが……!」
死柄木は店の中を駆け回った。壁を崩し、床を叩き黒霧にもう一度ワープを開かせる。けれどどこを開いても、少年のいる場所には届かなかった。
隣のビルの地下から少年は携帯越しにその音を聞いていた。
物が崩れる音。舌打ち。黒霧の困った声。
そして、途中から笑い声が混じり始めた。
「残り十秒」
九、八、七。
表の扉が内側から開いた。
死柄木が振り向くと、少年が路地に立っていた。雨は降っていない。濡れていないコートの襟を直しながら少年は言った。
「時間だ」
死柄木は、崩れた棚の破片の中に立ったまましばらく少年を見ていた。
それから腹を抱えるように笑った。
「クソゲーだな…これ」
「褒め言葉として受け取っておく」
「褒めてねえよ」
死柄木は崩れた壁を振り返った。
「……で、あの棚。最初からぶっ壊させるつもりだったのかよ」
「お前なら見つけたら崩すと思った」
「読まれてんのムカつくな」
「それと」
少年は粉になった棚と、穴の開いた壁を指さした。
「あれの修繕費は 勿論お前に請求する」
「は?」
「崩すのは自由だと言った。直すのが無料だとは言っていない」
黒霧の靄が、今度こそはっきりと笑うように揺れた。
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計画を聞かされたのはその二日後だった。
「オールマイトを殺す」
カウンターに地図を広げて、死柄木は言った。雄英高校。その敷地の外れにある訓練施設。
「一年のクラスがここで授業をやる。オールマイトも来る。黒霧のワープで乗り込んで脳無をぶつける」
少年は地図を見下ろした。
しばらく黙って、それから指を三本立てた。
「穴が三つある」
「言ってみろよ」
「一つ。脳無に全部賭けている。あれが負けたら、代わりがない」
「負けねえよ。オールマイト対策だ」
「二つ。逃げ道が黒霧一人だ。黒霧が止められたら、全員が取り残される」
黒霧の靄がわずかに揺れた。
「三つ。生徒を数に入れていない。ヒーローの卵でも、何十人もいれば盤面は変わる」
「ガキなんてどうでもいい。狙いはオールマイトだけだ」
死柄木は地図を丸めた。
「で、お前は留守番な」
少年は眉を上げた。
「使える駒を置いていくのか」
「使えるから置いてくんだよ」
死柄木は、首を掻きながら言った。
「お前の実家にバレねぇように、留守番だ。雄英なんか行ったら、テレビにも記録にも残る。そしたら海の向こうまで一発だろ」
少年は少しだけ言葉に詰まった。
ほんの一瞬だけ。
「……賢明な判断だな」
「うるせぇ」
死柄木はそれだけ言って、地図を持って奥に消えていった。
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その夜、物置で。
少年は段ボールの寝台に仰向けになり、天井の染みを眺めていた。
「あれは…負ける」
「そうですか」
「オールマイトを甘く見てる。脳無一体でどうにかなる相手じゃない。それに黒霧が逃げ道なのに、黒霧を一番前に出す作戦だ」
「坊ちゃんがそう仰るなら、そうなのでしょう」
クラウディオは少年のコートにブラシをかけていた。
しばらくブラシの音だけが続いた。
「……なあ」
「はい」
「あいつは俺の家のことを覚えてた」
ブラシの音が、止まった。
「初日にちょっと言っただけなのに。実家にバレないように、って」
少年は天井を見たまま言った。
「戦力の管理としては、正しい。俺でもそうする」
「……そのようですね」
クラウディオは、少しだけ間を置いてから答えた。
それからまた、ブラシの音が戻ってきた。
正しい判断だ。合理的な采配だ。それ以上の意味はない。
そう片付けたはずなのに何かが胸のどこかに引っかかっていて、それが何なのか少年にはわからなかった。