サー・ナイトアイ事務所の会議室には十五人が座っていた。
ヒーローが十人。警察が三人。雄英の生徒が三人。
壁のモニターには地図が映っている。
「もう一度確認します」
眼鏡の男が指し棒を上げた。
「死穢八斎會、指定敵団体で組長は入院中、実質的な指揮は若頭の治崎廻が執っています」
指し棒が地図の一点を叩く。
「本拠地はこの地下、構造は不明。本部長の入中常衣、個性は『擬態』内部の壁や通路を作り替えられる可能性があります」
「迷路ってことかいな?」
ファットガムが腕を組んだ。
「その前提で動きます」
「で目当ては」
「これです」
モニターが切り替わる、白髪の小さな子どもの写真だった。
粗い。遠くから撮ったものだ。
「壊理ちゃん。六歳。八斎會の組長の孫にあたります」
会議室が静かになった。
「一年以上組の内部に監禁されていると見られます」
「六歳?」
誰かが声を漏らした。
「治崎は恐らくこの子の個性を使ってあの破壊弾を製造しています。内容は特定できていません」
ナイトアイが一度言葉を切った。
「ですが、ミリオの報告ではこの子の体には常に新しい包帯が巻かれていました」
通形ミリオが机の上で拳を握った。
「一年以上……ずっとです」
誰も何も言わなかった。
「以上が我々が急ぐ理由です」
「段取りを」
相澤が口を開いた。
「突入は三方向から」
ナイトアイは地図に線を引いた。
「正面、裏手、そして通気口。本隊は正面。裏手は封鎖のみ。通気口から少数が先行します」
「先行は誰が」
「ミリオと私と緑谷少年です。」
緑谷が顔を上げた。
「二人には最短で壊理ちゃんを確保してもらいます。戦闘は避けてください」
「……はい」
「八斎衆はそれぞれ単独でも厄介です。まともにやり合えば、時間がかかりすぎる」
ナイトアイは眼鏡を押し上げた。
「時間をかければ治崎は壊理ちゃんを移動させます。あるいは――」
言葉を止めた。
「処分する可能性もあります」
会議室の空気が重くなった。
「決行は……十日後」
「十日?」
切島が声を上げた。
「もっと早くできないんすか」
「令状が必要です」
警察の男が答えた。
「相手は指定団体です。手続きを飛ばせば、後で全部ひっくり返る。治崎は不起訴になり子どもは戻される」
「……クソ」
「十日です」
ナイトアイは繰り返した。
「その間に内部の情報を可能な限り集めます」
「一点だけ…よろしいですか」
会議が終わりかけたところで警察の男が手を挙げた。
「別件なんですが、共有しておきたい事案があります」
「どうぞ」
モニターが切り替わった。
病室の写真。ベッドに三人。
「十二日前。横浜の湾岸で、港湾作業員三名が意識不明で発見されました」
「聞いた、個性犯罪か」
「その線で捜査していますが……個性が特定できません」
男は資料をめくった。
「三人とも外傷なし。出血なし。毒物の反応もなし。ですが極度の脱水と全身の衰弱状態でした」
「衰弱」
「医師の所見では、『数十年分、急激に老化したような状態』だそうです」
会議室がざわついた。
「……なんだそれは」
「四十代の男性の血液と骨密度が、七十代のものになっていました。三人とも同じです」
誰かが息を呑んだ。
「意識は」
「まだ戻りません。戻っても元の体には戻らないでしょう」
「生きてるのが不思議やな……」
ファットガムが呻いた。
「そこが妙なんです」
警察の男は資料を置いた。
「殺せたはずなんですよ。あと少し続けていれば、三人とも死んでいた。なのに……途中でやめている」
「……途中で?」
「はい。まるで……必要な分だけ取って帰ったような」
「目撃情報は」
「ありません。防犯カメラも、その区画だけ全部死んでいました」
「壊されたのか」
「いえ。電源が落ちていました。復旧後に確認しましたが、映像は残っていません」
相澤が目を細めた。
「手際がいいな」
「はい。そこが一番気になっています」
男は地図を指した。
「そして、発生地点がここです」
指先が止まったのは、八斎會の本拠地からそう遠くない場所だった。
会議室が静まり返った。
「……関係があると?」
「……わかりません」
「わからないじゃ困る」
「本当にわからないんです」
警察の男は正直に言った。
「八斎會にこの手の個性を持つ者はいません。八斎衆は全員把握しています。新顔かもしれませんが、あの組が外から人を入れる時期ではない」
「別口ってことか」
「その可能性もあります。ただ……同じ時期に、同じ地域で、正体不明の個性が動いている。これを無視して突入はできません」
「延期するか」
誰かが言って、ナイトアイは答えなかった。
しばらく地図を見ていた。
「……延期はしません」
「…サー」
「十日でも遅いくらいです」
男はモニターの子どもを見た。
「その間にも……あの子は助けを求めている」
誰も反論しなかった。
「ただし……想定に入れます」
ナイトアイは指し棒で地図を叩いた。
「突入時に八斎衆以外の戦力がいるものとして動きます。正体不明の個性が一つあるいは複数。そう考えて備えてください」
「備えるったって……何を備えればいいんすか……」
「わからないものに備える方法は一つです」
男は眼鏡を押し上げた。
「一人にならないこと」
同じ頃。
八斎會の地下ではトガが着替えていた。
「ただいまー!」
「……その顔」
アルテミスが顔を上げた。
部屋に入ってきたのは、二十代の男だった。作業着を着ている。
「戻すね」
一瞬で輪郭が崩れた。
元の姿に戻ったトガが床に座り込んだ。
「危なかったぁ……血ちょっと吸わせてもらいました」
「勝手に個性を使うなと言ったはずだ」
「使ってないよ。使ったけど」
「どっちだ……トゥワイスみたいな事を言うな」
「今使ったから使ってる」
少年は額を押さえた、意味が分からない。
「どこへ行っていた」
「下の階」
トガは膝を抱えた。
「気になったんだもん。あの子のこと」
「……あの子」
「うん。包帯の」
トガは真面目な顔で話す。
「アルテミスくんが会ったって言ってたでしょ。それで気になって」
「……見たのか」
「見てない。あの子のいる階には入れなかった」
「でも」
トガが顔を上げた。
「別のもの…見ちゃった」
トゥワイスが扉を閉めた。三人で床に座った。
「順番に話せ」
「倉庫があったんです。三つ目の階段の奥」
トガは指で床に線を引いた。
「そこだけ扉が二重になってて、中に人がいて、作業着着てたから、あたしも変身して入ったの」
「よく入れたな」
「みんなマスクしてるから、顔わかんないんだよ。楽ちん」
少年は頷いた。
――潔癖症の弊害だな。
「で、中に何があった」
「ケース」
トガは手で大きさを示した。
「これくらいの。銀色の……中に小さいのが並んでた」
「小さいの」
「弾」
少年の背筋が伸びた。
「……銃弾か」
「たぶん。先が尖って中に液体が入ってるみたいで、注射器みたいな」
トゥワイスが身を乗り出した。
「液体?なんだそれ」
「うん。赤っぽいような……そうじゃないような感じです」
少年は床を見ていた。
「話は聞こえたか」
「うん。作業してる人たちが喋ってました」
トガは少し考えるように首を傾げた。
「『個性破壊弾』って」
「……個性破壊弾」
「そう。何回も出てきたから、たぶんそういう名前なんだと思う」
「内容は」
「当たった相手の個性が消える……って」
トゥワイスが真っ先に声を上げた。
「はぁ!?」
「うん、あたしもそう思った」
「個性が消えるだと!? そんなもん作れるわけねえ! 作れんのかよ!」
「わかんないです……でもそう言ってました」
少年は床を見たまま動かなかった。
――繋がった。
最初の顔合わせで、あの男が言ったことを思い出していた。
個性という病を根こそぎ治す。そのための薬が要る…と。
治す。
消すではなく。
あの男は本気で個性を病だと思っている。
そして病を治す薬を作っている。
「作り方は」
「そこまではわかんない。作業してた人たちも運ぶだけみたいだった」
「……そうか」
それでいい。製法まで知っていたら、この地下から生きて出られない。
「なぁ…坊主」
トゥワイスが低い声で言った。
「それ…ヤバくねえか」
「ヤバい」
「どれくらい」
「この国の裏社会が、全部ひっくり返る程度には」
少年は顔を上げた。
「ヒーローに当てればただの人間になる。ヴィランに当てれば商品が死ぬ。個性を持っている全員に対して有効な脅しになる」
「……」
「売る相手は無限だ」
トゥワイスが頭を抱えた。
「なんでそんなもん作れんだよ」
「材料があるんだろう」
言ってから自分の声の冷たさに気づいた。
――材料。
包帯だらけの六歳の子どもの顔が勝手に浮かんだ。
確証はない。何の根拠もない。
だが、この地下であんな扱いを受けている人間は一人だけだった。
そして、あの男が「計画」と呼ぶものの中心に何かが要る。
それ以上考えるのをやめた。考えても確かめる手段がない。
---
その夜。
一人で部屋の隅に座って、枠のことを考えていた。
三つある。
一つは日本に来た日から埋まっている。自分の個性を上位に、個性オール・フォー・ワンを下位に。あの男が捕まった今も外していない。
一つは八日前から埋まっている。脳を上位に、地下の音を下位に。あの帽子の男が同じ拠点にいる限り外せない。
残りは一つ。
――当たったら……どうなる。
少年は掌を見た。破壊弾が当たれば個性が消える。
個性が消えればあの男への備えも消える。
いや、それは些末な問題だった。あの男は収監されている。
問題はその後だ。
個性を失えば、自分を守る手段が一つもなくなる。
家から逃げる力も、連合を助ける力も全部消える。
そうなったとき、この連合に自分を置いておく理由が残るのか。
――残らない。
冷静にそう判断した。
食う分の働きができない人間をあの集団は養えない。最近まで九人でパンを四つ分けていた。
そしてもう一つ。
もし個性を失えば、家は自分に興味を持たなくなる。
あの幹部たちが欲しいのは、二百年の血の到達点だ。個性のない跡取りなど誰も要らない。
――それは………悪いことか?
その考えが浮かんで少年は動きを止めた。
個性を失えば追われなくなる。
席の取り合いも許嫁も、愛人の泥沼も当主の座も全部消える。
誰も自分を欲しがらなくなる。
――自由になれるのか。
しばらくそのまま座っていた。そして首を振った。
――違う。
自由にはならない。
個性を失った自分はこの地下から出られない。追われなくなるのではなく、守れなくなるだけだ。トガも、トゥワイスも、マグネも誰も。
それに。
――あの男に渡してたまるか。
自分の体をあの男の実験の結果で書き換えられる。
それが何より我慢ならなかった。
「俺の肌を上位に」
「他人の血液を下位に」
部屋の中で何も起きなかった。
当然だ。
だが…これで確定した。
あの弾が何発あろうと、どこから飛んでこようと、刺さっても血は皮膚に触れることはできてもそれ以上は進めない。防げる確証は無いが……やらないよりマシだ
情報はトガが持ってきた。
個性破壊弾。
――助かった。
知らなければ防ぎようがなかった。
枠がゼロだ、三つとも埋まっている。
一つは日本に来た日から。一つは八日前から。一つは、たった今から。
何が起きてももう何も動かせない。
誰かが襲われても上下を決められない。
――マグネのときは間に合った。
あのときは枠が一つ空いていた。
今は……ない。
少年は膝を抱えた。
遠くでトゥワイスの寝息が聞こえる。
その隣でトガが何か寝言を言っていた。
守れない。
この二人が何かされても、もう何もできない。
外せばいい…という考えが浮かんだ。
聴覚かあの男の枠を外せば、一つ空く。
だが、外した瞬間にあの帽子の男が来れば、全部を喋らされる。家の事も金の事もクラウディオのことも。
あるいは血の枠を外すか。
外して撃たれれば終わりだ。
――どれも外せない。
三つとも外せない理由がある。
そのまま朝まで座っていたが、地下には朝が来なかった。
照明の明るさは一度も変わらない。