カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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21話 潔癖

 

 

  最初に気づいたのは匂いではなかった。

 

 治崎廻の前には報告書が三枚並んでいる。一枚目。先月まで週に二度だった所轄の巡回が、三度に増えた。時間帯もずれた。二枚目。港の取引先が支払いの期日を延ばしてほしいと言い出している。理由は書いていない。三枚目。組員二名がそれぞれ別の日に、別の場所で尾行の気配を感じたという。どちらも確認は取れていない。

 

 三枚とも単体なら何でもない。巡回の増加は近隣で別件があれば起こるし、取引先の遅延は日常茶飯事だ。尾行の気配など気のせいで片付く。

 

 だが

 

 治崎は報告書を揃えて机に置く。

 

 ――同じ時期に……三つ。

 

 偶然という言葉を、この男は信用していない。世界には法則があり、結果には原因がある。原因のわからない事象は、まだ観測できていないだけだ。三つ同時に起きたなら共通の原因があるはずだ。

 

「クロノ」

 

「はい」

 

 扉の脇に控えていた男が一歩前へ進み出す。

 

「どこからだと思う」

 

「……調べさせておりますが、まだ」

 

「わかっている。聞いているのはお前の見立てだ」

 

 クロノスタシスが少し考え込む。

 

「警察単独ではないかと。ヒーローが噛んでいます」

 

「根拠は」

 

「巡回の時間が無駄がない形に変わっています。警察だけなら、ああはなりません」

 

「……そうか」

 

 窓のない壁に目を移す。この部屋にも時計はない。

 

「いつ来る」

 

「わかりません」

 

「どこから」

 

「それも」

 

「そうだろうな」

 

 男は手袋の指を組む。

 

 わからない。いつ来るか、どこから来るか、何人で来るかも。わかっているのは来るということだけだ。

 

 ――ならば十分だ。

 

「段取りを変える。入中を呼べ」

 

 五分後、マスコットのような男が部屋に入ってきた。

 

「お呼びで」

 

「地下の構造を組み替えろ」

 

「へい。どの辺りを」

 

「全部だ」

 

 入中の動きがぴたりと止む。

 

「……全部……ですか」

 

「三層目より下を、全部だ」

 

 治崎が机に図面を広げる。

 

「今の構造は内部の人間が覚えている。覚えているということは、漏れる可能性があるということだ」

 

「しかし……うちの者も迷いますぜ」

 

「迷わせろ」

 

 男の指が図面の上をなぞっていく。

 

「通路は三度以上曲げる。行き止まりを増やせ。階段は、同じ階に二つ以上繋げるな」

 

「……はあ」

 

「それと……非常口を一つだけ残せ。俺が指定する場所に」

 

「一つだけ?」

 

「多ければ向こうにも使われる」

 

 入中は図面を覗き込んで低く唸った。

 

「三日はかかりますぜ」

 

「二日でやれ」

 

「……へい」

 

 男が出ていくと、治崎は図面を巻き取っていく。

 

 ――これで入ってきた者は迷う。迷えば時間がかかる。時間がかかればこちらが動ける。

 

「次だ」

 

 治崎が別の紙を出す。

 

「完成した分は……今どこにある」

 

「第一倉庫にまとめて」

 

「分けろ」

 

「……分ける……とは」

 

「四箇所だ」

 

 男は紙に四つの点を書いていく。

 

「地下に二つ。外に二つ。外の一つは組と無関係な場所にしろ」

 

「無関係と申しますと」

 

「賃貸の倉庫でいい。個人名義で借りろ。組の人間の名前は使うな」

 

 クロノスタシスの眉間に皺が寄った。

 

「それは……」

 

「言え」

 

「万一の際回収できなくなる恐れが」

 

「それでいい」

 

 治崎が顔を上げて言う。

 

「一箇所に置いて、そこを押さえられたら終わりだ。分けておけば、三箇所取られても一箇所残る」

 

「……はい」

 

「一箇所残れば……やり直せる」

 

 男は紙を裏返す。

 

「全部を守ろうとする者が全部を失う。親父がそう仰っていた」

 

 クロノスタシスは何も言わない。その名が出ると、この男は黙る。治崎もそれ以上は続けなかった。

 

「では……製造の話だ」

 

「はい」

 

「前倒しにする」

 

「……どの程度」

 

「予定の倍だ」

 

 部屋の空気がわずかに張りつめていく。

 

「廻」

 

「言え」

 

「それは……壊理の負担が」

 

 治崎は手袋を直す。

 

「一回あたりの採取量は変えない」

 

「では」

 

「回数を増やす」

 

「……同じことでは」

 

「同じではない」

 

 男が机の上で指を組む。

 

「一度に多く採れば体が壊れる。回数を分ければ、間に回復する。効率は落ちるが失うよりはましだ」

 

「……はい」

 

「間隔はこれまで三日に一度だった。それを一日半に一度にする」

 

 クロノスタシスが下を向く。

 

「回復が……追いつきますか」

 

「追いつかせろ」

 

「……」

 

「医者を張り付けろ。栄養も管理させろ。眠らせろ。使えるものは全部使え」

 

 治崎はそこで一度言葉を切った。

 

「壊してはならん」

 

 その言い方に感情はない。

 

 壊してはならない。それはいたわりの言葉ではなかった。

 

 ――あれは組長の孫だ。そして計画の中心だ。

 

 どちらの意味でも失うわけにはいかない。この男の中で、その二つは矛盾しない。組長のために組を立て直す。そのために組長の孫を使う。矛盾していると言う者は組の中に何人もいたが、治崎には一度も矛盾に見えたことがなかった。

 

---

 

「別件の報告が」

 

 クロノスタシスが封筒を差し出す。

 

「例の子どもの件です」

 

 治崎の指が止まった。

 

「言え」

 

「エル・トローノ。メキシコ。麻薬が主軸の組織です」

 

 男の手が資料を広げていく。

 

「規模は……把握できているだけで構成員数万。南米、北米、欧州、東南アジアに販路。年間の売上は円換算で兆に届くという話も」

 

「……兆か」

 

「数字の裏は取れていません。ですが……少なく見積もっても、うちの千倍以上かと」

 

 受け取った資料に写真は一枚もない。文字だけだ。

 

「血族主義の組織です。何世代も……個性の強い者同士で子を作らせてきたと。幹部は十一。全員が血縁」

 

「……なるほどな」

 

 そこで少しだけ腑に落ちる。

 

 ――あの個性は作られたものか。

 

 二百年、意図的に人間を交配させた結果だ。純度を高め続けた末に出てきたもの。

 

「それと」

 

 クロノスタシスの報告は続く。

 

「かなり前に……跡取りが行方不明になっています」

 

「……ほう」

 

「組織の公式見解は専属の執事が連れ去った、と。現在国際的に捜索中です」

 

 治崎は資料を机に置いて、しばらく動かない。

 

「……」

 

「あの子どもを置いておくのは……やはり危険では」

 

 答えが返らないので、クロノスタシスが言葉を重ねる。

 

「兆単位の資金を持つ組織が、血眼になって捜している人間です。もしうちにいると知れれば――」

 

「消し飛ぶな」

 

「はい」

 

「うちなど一日もたん」

 

 あっさりとした認め方だ。

 

「では」

 

「置く」

 

「…………」

 

「置くと言った」

 

 男が立ち上がり、窓のない壁の前で足を止めて振り向かずに言う。

 

「考えてもみろ……クロノ」

 

「はい」

 

「あの子どもの個性は……俺の個性を止めた」

 

「……はい」

 

「ならば弾も止まる」

 

 クロノスタシスの目がわずかに開く。

 

「あの個性は順位を決めるものだ。上と下を置けば、下は上に干渉できん。弾が当たっても通らんだろう」

 

「……」

 

「つまり……俺の計画の中でただ一つの穴だ」

 

 治崎がようやく振り向く。

 

「その穴を外に置いておけるか」

 

「しかし……うちに置けば組織が」

 

「来ればいい」

 

 一切の迷いがない。

 

「弾が揃えば、規模は関係ない」

 

 クロノスタシスは言葉を失った。

 

「構成員が何人いようが、撃てば終わりだ。個性を失った人間が集まったところで、ただの人間の群れだ」

 

「……相手は兆単位の金を」

 

「金で個性は戻らん」

 

 治崎が手袋を直す。

 

「むしろ……向こうから買いに来る」

 

 その声には一片の疑いもない。

 

「考えてもみろ。血で個性を磨いてきた組織だ。二百年かけて積み上げたものが弾一発で消える。奴らにとってこれほど恐ろしい商品はない」

 

「……」

 

「売り手はこちらだ。値はこちらがつける」

 

 男が椅子に戻って腰を下ろす。

 

「エル・トローノなど最良の客だ」

 

 クロノスタシスは何も言わない。言えないのだ。

 

 血を重ねてきた組織ほど、あの弾を恐れるだろう。だが恐れた相手が金を持って来るのか、こちらを潰しに来るのかまではわからない。ましてや問題は、完成する前に見つかった場合だが――それを言ってもこの人は計画を止めない。止めないなら言う意味がない。

 

---

 

 一人になってから、治崎は資料をもう一度開く。跡取り。行方不明。

 

 ――連れ去られた、か。

 

 この男はそれを信じていない。連れ去られた子どもはあんな目をしない。初めて会ったあの日、あの子どもは自分の意思でそこにいた。誰にも押さえられておらず、逃げようともしない。連合の連中の中で、一人だけ場違いなほど落ち着いていた。

 

 ――自分で出てきたな。

 

 それなら筋が通る。跡取りの座を捨てて、組織から逃げて日本に来たのだ。なぜかは知らん。興味もない。

 

 だが、そうであるなら。

 

 ――なぜ断った。

 

 治崎の指が机を叩く。あの部屋で自分は正しいことしか言っていない。連合には資金がない。拠点がない。人員がない。情報網がない。あの子どもを守る力が一つもない。うちにはある。全部ある。

 

 追われている子どもが、守れる場所と守れない場所を選べるなら答えは一つだ。計算のできる人間ならそうする。そして……あの子どもは計算ができる。

 

 ――なのに断った。

 

 理由を聞いて、ないと言った。嘘ではない。嘘をつく人間の目ではなかった。本当に理由がなかったのだ。

 

 机を叩く音が少しずつ速まっていく。治崎は自分が苛立っていることに気づいた。

 

 ――不潔だ。

 

 その言葉が勝手に浮かぶ。いつもならこれで片付く。理解できないものは、不潔だ。不潔なものは、切除する。それで終わりだ。

 

 だが今回は終わらない。この不潔さには形がないからだ。病なら治せる。異物なら取り除ける。汚れなら洗える。理由のない選択はどれでもない。

 

 治崎は手袋をはめ直す。

 

 ――原因がある。

 

 必ずある。あの子どもがあの場所を選んだ理由が、どこかにある。自分がそれを観測できていないだけだ。観測できれば切除できる……切除すればあの子どもはこちらに来る。

 

 ――手元に置けばわかるはずだ。

 

 資料を引き出しにしまって鍵を回す。窓のない部屋で、照明は一定の明るさを保ったままだ。

 

 この男は自分が何に苛立っているのかを、最後まで言語化しなかった。管理の問題だと、そう片づけた。計画の穴を埋める。それだけの話だと。

 

 そしてこの男は本気でそう信じていた。

 

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