閑話 買い出し
「お肉は絶対よ、お肉、やっぱり牛がいいわよね〜」
マグネは商店街の真ん中で人差し指を立てた。
「あの子たち地下でろくなもん食べてないでしょ。帰ってきたら、どーんと焼いてあげるの。焼き肉を三人分多めにね」
「まだ帰ってくる日も決まってねぇだろ」
荼毘がポケットに手を入れたまま言った。
「決まってなくても、冷凍しとけばいいのよ」
「米が先でございます」
クラウディオが手帳から顔を上げずに言った。
「残りが二日分しかございません。それから消毒液と、ガーゼと、スピナー様の咳止めと、洗剤と」
「お肉は?」
「……最後に」
「分かったわ」
郊外の古い商店街だった。八斎會が用意した保養所から歩いて二十分。平日の昼過ぎで人通りはまばらだった。
マグネはサングラスを少しずらして、八百屋の店先を覗いた。キャベツが安かった。
荼毘はフードを深くかぶって、煙草屋の前で足を止めていた。
「あたしもタバコ買わないといけないの、そろそろ切れちゃうから纏め買い」
マグネが荼毘の横に並んだ
「……お前普段煙草吸ってねぇだろ」
「子供の前じゃ吸えないでしょ〜丁度いいから少しずつ減らしてるのよ、吸う量」
どこにでもある買い物の昼だった。
最初に気づいたのはクラウディオだった。
手帳を閉じてそのまま胸の内ポケットにしまった。それだけだった。歩く速さも、顔も、何も変わらなかった。
「マグネ様」
「ん?」
「お肉屋さんは、二本先の路地を右でございます」
「あら、詳しいのね」
「先ほど看板が見えましたので」
マグネは執事の横顔を見た。それから何気なくショーウィンドウのガラスに目をやった。
ガラスに通りの向こうの男が映っていた。
二人。ジャージに金のネックレス。片方が手の中の電話の画面と、こちらとを交互に見ていた。
電話の画面に何が映っているのかは、だいたい想像がついた。
ヴィラン連合の指名手配の写真だろう。
「……あらやだ」
マグネは小さく笑った。
「人気者ねぇ、あたしたち」
荼毘が煙草屋の前から戻ってきた。何も言わなかった。
三人は二本先の路地を右に曲がった。
肉屋はなかった。
狭い路地だ、両側が古いビルの壁で奥は行き止まりになっていた。室外機が低く唸っていた。
足音が二つ、ついてきた。
「――よぉ」
ジャージの男たちが路地の入口に立っていた。
「やっぱそうだ。あんたマグネだろ?ニュースで見たぜ。そっちの継ぎ接ぎも」
男は電話の画面をこちらに向けた。思ったとおりの写真が映っていた。
「いやね、別にどうこうしようってんじゃねぇよ。ただな〜あんたらの居場所、欲しがってる奴が結構いんのよ。情報屋とか警察とか。いくらになるかなって話」
「で?何が言いてぇんだよ」
荼毘が言った。
「だからさ〜口止め料ってやつ? 俺らも商売だからさ。ほら、あんたら金持ってなさそうだけど、そっちの執事っぽいのとか――」
男の言葉はそこで終わった。マグネの磁石が唸った。
男の体が路地の奥へ引きずられた。踵がアスファルトを削った。悲鳴を上げる間もなかった。
引き寄せた男の頭に、マグネは鉄の塊を振り下ろした。
一度で十分だった。
慣れていた、こういうのは躊躇うと長くなる。長くなると、相手も自分もつらくなるだけだ。若いころにそれを覚えた。
もう一人の男が電話を握ったまま後ずさった。
「お、おい……待て!待てって!俺はただ――」
「失礼いたします」
男の背後にクラウディオが立っていた。
いつ回り込んだのかマグネにも見えなかった。
白い手袋の指先から細いものが光った。糸だった。それが、男の首に一巻きした。
執事は、男の耳元でほんの少しだけ頭を下げた。給仕の前に客に一礼するときと同じ角度だった。
それから静かに引いた。
男の手から電話が落ちた。足が、二度アスファルトを掻いた。
それで終わりだ。
クラウディオは男の体を壁にもたれさせるように、そっと下ろした。倒れる音がしないように。
それから、落ちた電話を拾い上げて画面を確かめた。
「送信の履歴はございません。まだどなたにも」
「そ。よかった」
マグネは磁石を肩に担ぎ直した。
荼毘がポケットから手を出すと、青い炎が路地の奥を舐めた。
二人分の体が炎の中で形を失っていく。服が、髪が、骨が。室外機の唸りの中でぱちぱちと小さな音がした。
荼毘は何も言わなかった。
ただ炎を見ていた。燃えていくものを最後まで目を逸らさずに。炎が消えたとき、そこには灰しか残っていなかった。
荼毘の手の甲の継ぎ目のあたりから薄く煙が上がる。
荼毘は靴の先で灰を散らした。路地を抜ける風がそれを室外機の裏へ運んでいった。
マグネは磁石の血をハンカチで拭いていた。フライパンの油でも拭くように、手早く。
「ねぇ。帰りにお肉ほんとに買ってかない?」
拭き終えたハンカチを荼毘の灰の上に落とした。荼毘が、黙ってそれも焼いた。
「あの子たちが帰ってきたら、焼き肉ね」
それから、少しだけ声を落とした。
「あ、でも、今日のことはあの子達には内緒よ。こういうの見たら、また難しい顔するんだから」
「過保護かよ」
荼毘が灰の残りを靴で散らしながら言った。
「イカれJKは言わずもがな、もう一人もマフィアのガキだろ。死体なんざ、俺らより見慣れてんじゃねぇの?」
「……あんたねぇ」
「お前のガキでもねぇだろ。母親ごっこなら他所でやれ」
マグネは言い返そうとして口を開けたまま、クラウディオを見た。
執事は糸を袖口に巻き戻していた。
「……ちょっと……そうなの?」
「左様でございます」
クラウディオの声はいつもと変わらなかった。
「ですが、坊ちゃんの前ではいたしません」
「なんでよ。慣れてるんでしょ」
「慣れておいでだからです」
執事は手袋をはめ直した。指の一本ずつ皺が残らないように。
「これ以上……お見せする必要はございませんので」
路地に室外機の音だけが残った。
荼毘が手の甲を見ていた。煙はもう上がっていなかった。焦げた皮膚を親指でなぞって、それからポケットに手を戻した。
ほんの一拍動きが止まっていたのをマグネは見た。
「……執事ってのはめんどくせぇな」
荼毘は、鼻で笑って先に路地を出ていった。
マグネはしばらくその場に立って、あの子の顔を思い出していた。
拠点で最初に会った日の大人みたいな喋り方。毒見をした皿を黙って食べていた顔。頭を撫でたら払いのけもせずに固まっていた顔。
難しい顔をするだろうと思った。
見せたら傷つくと思った、だけどあの子は何も言わないのだ。
こういうものを見ても、見慣れているから。
守ろうとしたものがとっくに守られないまま育っていた。
「マグネ様」
クラウディオが路地の入口で振り返っていた。
「お肉屋さんは……三本先でございます。今度は本当に」
マグネは磁石を担ぎ直した。
「……三人分ね。多めに」
「かしこまりました」
商店街はさっきと同じ昼だ、八百屋のキャベツはまだ安かった。
マグネは肉屋の前でいちばん高い肉を指差した。