カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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24話 預ける

 

 

 地下は死にかけていた。通路の天井から絶えず砂が落ち、照明は半分が消えて残りも明滅している。壁の一部はもう元の形を保っていない。組み替えた構造が、戦闘の衝撃で自壊し始めていた。

 

 少年は崩れた瓦礫を乗り越えながら走っていた。枠は二つ埋まっている。治崎廻への一枚は、あの男の修復が追いつけばまた動き出すから外せない。そしてあの男への備え。残りは一つ。

 

 ――どこに使う。

 

 走りながら頭の中で候補を並べた。自分の身体を上位に置けば、瓦礫が落ちてきても潰れない。だがそれだけだ。瓦礫の下から出られないことに変わりはない。

 

「――坊主!」

 

 声がして、通路の角から二人が飛び出してきた。

 

「トゥワイス」

 

「生きてたか!死んでねぇのかよ!無事でよかった!」

 

 男は服が破れ、腕から血が出ていた。

 

「トガは」

 

「ここー!!」

 

 その後ろからトガが顔を出した。こちらも頬が切れている。

 

「上はどうなってる」

 

「もう無理〜」

 

 トガはあっさり言った。

 

「ヒーローがいっぱい!八斎會の人たちも、もう半分捕まってる」

 

「出口は」

 

「東の階段は塞がれてる、あたしたちも見てきたけど、人が立ってる」

 

 トガが笑っていないことに気づいた。この女が笑わないのは初めて見た。

 

「他は」

 

「西も北も無理! 余裕だぜ! 全部無理だっつーの!」

 

 壁に手をついた。

 

 ――囲まれている。

 

 当然だった。これだけの規模で突入したなら外は固めているに決まっているし、警察が動いているならなおさらだ。

 

「坊主…どうする?どうしようもねぇ!」

 

「待て」

 

 天井を見上げた。

 

 ――考えろ。

 

 枠は一つで、三人。どう配っても足りなかった。

 

---

 

 通路の奥で瓦礫が崩れる音がして、三人同時にそちらを向いた。

 

 崩れたのではなかった…砕けていた。瓦礫の山が内側から割られて、白い糸がそこから伸びていた。

 

 呼吸が止まった。瓦礫が二つに割れて、隙間から黒い服の男が出てきた。埃だらけで、髪が乱れ、上着が破れている。九年間一度も見たことのない姿だった。

 

「坊ちゃん」

 

 その声だけがいつも通りだった。

 

「……クラウディオ」

 

 それしか言えなかった。男は瓦礫を乗り越えてきて、目の前で膝をついた。

 

「お迎えに上がりました」

 

「……六日だぞ」

 

「はい」

 

「連絡もしていない」

 

「はい」

 

「なぜ場所がわかった」

 

「迎えの車の経路を、追っておりました」

 

 当たり前のようにそう言った。

 

「万一の際に備えて」

 

 口を閉じた。

 

 ――こいつ。

 

 あの日出向を止められなかった男が、あの日のうちに経路を追い始めていたのだ。

 

「お怪我は」

 

「ない」

 

「本当に」

 

「ないと言っている」

 

 男の手が肩と腕を素早く確認して、息を吐いた。わずかに肩が落ちていた。九年間、この男がそんな動きをするのを見たことがなかった。

 

 

「こっちもいるわよ!」

 

 瓦礫の向こうから、磁石を担いだ大柄な影が現れた。

 

「マグ姉!」

 

 トガが声を上げた。

 

「あんたたち…揃ってんじゃない。よかった」

 

「どうやって入った」

 

「執事さんが穴開けたのよ。上から」

 

 マグネが親指で背後を指した。

 

「換気口の脇。壁を糸で切って、あとは力技」

 

「……力技」

 

「見たほうが早いわよ。あの人壁を輪切りにしたんだから」

 

 執事は何も言わなかった。

 

「出口は」

 

「開けてきた道が使えるわ。だけど…」

 

 マグネの顔が少し曇った。

 

「途中がもう崩れてる。あたしたちが通った後に落ちたのよ」

 

「どの程度だ」

 

「天井一枚分。あたしの力じゃ動かせない。磁石でもどうにもならない」

 

 天井を見上げた。

 

 ――枠。

 

 一つ。使い道が決まった。

 

「クラウディオ」

 

「はい」

 

「立て」

 

 執事が立ち上がった。その顔を見上げた。半歩後ろに立つこの男を見上げる角度は、九年変わっていない。

 

「一つしか残っていない」

 

「……枠のことでございますね」

 

「二つ埋まっている。外せない」

 

「はい」

 

「だから…一つしか配れない。クラウディオを上に」

 

 執事の目がわずかに開いた。

 

「崩れた天井を、下に」

 

 通路の空気が変わった気がしたが、実際には何も変わっていない。ただ順序が決まっただけだ。

 

「……坊ちゃん」

 

「行け」

 

「ご自身には」

 

「使わない」

 

 言い切った。

 

「俺に使えば俺一人が助かる。お前に使えば、四人が出られる」

 

「……」

 

「計算だ」

 

 執事はしばらく動かなかった。それから深く頭を下げた。

 

「かしこまりました」

 

 それだけで、余計なことは何も言わなかった。この男はいつもそうだった。こちらが決めたことに理由を聞かない。

 

---

 

 崩落地点は思ったよりひどかった。厚みが三十センチ以上あるコンクリートの天井板がそのまま落ちていて、その下に瓦礫が積み重なっている。

 

「これ…無理でしょ」

 

 トガが見上げて言った。

 

「重機がいるわよこれ」

 

 マグネも首を振った。

 

 クラウディオが前に出て、上着の袖をまくり、両手を板に当てた。そして押すと、板が音もなく真っ二つに割れた。

 

 そこから先は早かった。男が触れたものが順に崩れていく。コンクリートも鉄筋も抵抗しなかった。上位のものは、下位のものを簡単に壊せる。その理屈だけがそこにあった。

 

「……え」

 

 トゥワイスが口を開けていた。

 

「なにあれ!やばい!なんだあれ!」

 

「坊ちゃんの個性です」

 

 クラウディオが瓦礫を掻き出しながら答えた。

 

「私のものではございません」

 

 その背中を見ていた。

 

 ――九年で初めてだ。

 

 この男に枠を使ったのは。屋敷では必要がなかった。守るべきものが何もなかったからだ。

 

 通路が開いた。

 

「行けます」

 

---

 

 外の空気が近づくにつれて音が増えた。サイレン、拡声器、人の声。換気口の脇に開けられた穴から夜の空気が入ってくる。六日ぶりの、外の匂いだった。

 

「先に出る」

 

 マグネが言った。

 

「あたしが磁石で道を作るわ。トガちゃんと仁くんは、その後ろ」

 

「坊ちゃんは…私と」

 

「わかった」

 

 穴を抜けると、資材置き場のような場所に出た。フェンスの向こうで赤い光が回っている。思ったより遠い。包囲の中心は正面の入口に集まっているらしい。

 

「行くわよ」

 

 五人が走り出した。フェンスまで二十メートル。十五。十。

 

 そのとき、背後で地面が鳴った。

 

 少年が振り返ると、たった今出てきた穴の周囲が陥没していた。地下が限界に来たのだ。亀裂がこちらに向かって走り、建物の外壁が傾いて上のほうから崩れ始める。

 

 コンクリートの塊が落ちてくる。

 

「坊ちゃん!」

 

 クラウディオが振り返った。遠かった。三メートル。この男の腕は届かない。それを冷静に理解した。

 

 ――枠がない。

 

 クラウディオに預けたから、自分には何も残っていない。瓦礫を上位に置くことも、自分を上位に置くこともできない。九年間計算だけで生きてきて、最後に選んだ配り方がこれだった。

 

 ――正しかったはずだ。

 

 そう思いながら、落ちてくる影を見上げた。

 

「――ちょっと!」

 

 マグネの声がした。体が横に引かれて、足が地面から離れた。一瞬何が起きたのかわからなかった。

 

 ――磁力。

 

「トガちゃん!受け止めなさい!」

 

 体が宙を飛んでいた。自分の意思では何もできない。磁石が引き合っている。

 

「はーい!」

 

 両腕を広げたトガが視界に飛び込んできて、衝突した。二人とも地面に転がった。背後で轟音がして、さっきまで自分が立っていた場所に外壁の塊が落ちていた。

 

「……っ……いった〜」

 

 トガが下敷きになったまま唸った。

 

「わぁ……アルテミスくん、すっごく強引なのです…」

 

「……寝言は寝て言え……それと離せ」

 

「離してるよ」

 

 立ち上がると膝が笑っていた。マグネが駆け寄ってきた。

 

「無事ね!?」

 

「……ああ」

 

「よかった」

 

 それだけ言って、マグネはすぐに周囲を見回した。

 

「まだ危ないわよ!行くわ!ノンストップよ!」

 

 説明はなかった。貸し借りの話もしなかった。

 

 ――そうか。

 

 この人は前に自分が助けた人間で、今その人に助けられた。自分には何もできなかった。枠もなく、頭も回らず、落ちてくるものを見上げていただけだ。

 

 それでも生きている。

 

「坊ちゃん」

 

 クラウディオが隣に来た。

 

「お怪我は」

 

「ない」

 

「本当に」

 

「……ない」

 

 男は腕を確認して、何も言わずに歩き出した。

 

---

 

 フェンスを越えた。マグネが磁石で歪ませた隙間から五人が抜けると、背後で地下が完全に落ちる音がした。サイレンが増えて、赤い光が空を舐めていた。

 

「こっちだ!」

 

 トゥワイスが先導した。路地に入って三度曲がり、貨物のヤードを抜ける。誰も追ってこなかった。彼らの目は崩れた建物のほうを向いていた。あの中にはまだ人が残っている。組員も、ヒーローも。

 

 そして、確保されたはずの小さな子どもも。

 

 走りながら一度だけ振り返った。

 

 ――届いたか。

 

 あの子が階段を上がったのは見た。そこから先は知らないし、知る方法もない。

 

 前を向いた。

 

---

 

 二時間後。五人は郊外の高架下に座り込んでいた。誰も口を開かなかった。

 

 トゥワイスが腕の血を拭き、トガが膝を抱えている。マグネが磁石を地面に置き、クラウディオが隣に座った。

 

「…坊ちゃん」

 

「なんだ」

 

「枠をお戻しいたしましょうか」

 

「……ああ」

 

 目を閉じて、外した。クラウディオの上位が消えて、枠が一つ空いた。

 

 残りは二つ。治崎への一枚と、あの男への備え。

 

 ――治崎の枠はどうする。

 

 あの男が地下で生きているかどうかはわからない。瓦礫の下かもしれないし、ヒーローに確保されたかもしれない。どちらにしても、外すのは早いと判断した。

 

「……クラウディオ」

 

「はい」

 

「六日も…悪かった」

 

 執事の動きが止まった。

 

「……何を仰いますか…坊ちゃんが謝るようなことは……」

 

「飯は」

 

「は」

 

「ちゃんと食べていたのか」

 

 男は答えなかった。しばらくして、小さく言った。

 

「……鍋を…二度焦がしました」

 

「二度…九年で二回目か?」

 

「はい」

 

 少年は少しだけ笑った。笑ったつもりだった。うまくできたかはわからなかった。

 

 高架の上を電車が通った。その音が消えるまで、誰も何も言わなかった。

 

 

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