カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

26 / 27
原作にはない、残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。


25話 血

 

 

 護送車の中は揺れていた。

 

 治崎廻は座席に固定されていた。両腕は肘から手首まで拘束具で覆われ、指の一本も動かせない。首には個性抑制の装具、口も半分覆われている。

 

 前の座席に二人、後ろに二人。運転席と助手席にも一人ずつ。六人だった。車の前後には別の車両がついている。

 

 厳重だと治崎は思った。

 

 ――当然か。

 

 地下が落ちた後、瓦礫の中から引きずり出された。あのときの自分は、まだ体を治し続けていた。戻されるそばから修復する。それだけを何時間も繰り返していた。

 

 止まったのは突然だった。

 

 上で誰かが、壊理の個性を消したのだろう。ヒーローの中に、見ただけで個性を消す男がいることは知っていた。巻き戻しが止まって、息をついた瞬間にはもう囲まれていた。目を合わせられ、今度は自分の個性が消えた。それだけで終わりだった。

 

 治崎は拘束された腕を見た。

 

 ――残っている。

 

 腕は両方ある。地下で戻され続けたが、失ってはいない。個性も抑制されているだけで、装具を外せば戻る。

 

 つまり。

 

 ――まだ治せる。

 

 組は壊滅した。八斎衆は散り、弾は押収された。だが分散させた四箇所のうち、組と無関係な名義の倉庫は割れていないはずだ。そしてこの手がまだ動くということは、オヤジの体はまだ治せる。

 

 二十年でも三十年でも、刑期を終えれば出られる。出られなければ外にいる者にやらせる。方法はいくらでもある。

 

 治崎は目を閉じた。

 

 ――終わっていない。

 

 そう自分に言い聞かせた。

 

 

 車が止まった。予定のない停車だった。

 

「どうした」

 

 助手席の男が無線に手をかけた。

 

「前が……止まってます」

 

「事故か」

 

「いえ」

 

 男の声が変わった。

 

「前の車の中、誰も動いてません」

 

 治崎は目を開けた。窓は塞がれていて外は見えない。だが音は聞こえた。

 

 何も聞こえなかった。

 

 サイレンも人の声も足音も。高速道路の上のはずだった。昼過ぎだ。車が走っている音がしないのはおかしい。

 

 治崎の向かいに座っていた男が腰を上げた。警官ではなかった。護送に付けられたヒーローで、乗り込むときに一度だけ名乗っていた。スナッチ……砂のヒーローだと。

 

「お前ら、伏せてろ」

 

 低い声だった。怒鳴ってはいないのに、車内の全員がその声に従った。

 

「何が来てるのかわからん。俺が見る。顔を上げるなよ」

 

 男の体の輪郭がさらさらと崩れはじめた。肩から腕にかけてが砂になり、座席の警官たちの上に薄い膜のように広がっていく。六人全員がその下に入ったとき、後部扉が鳴った。

 

 金属が内側に曲がった。鍵でも蝶番でもなく、扉の中央が押し潰されるように凹んだ。二度目で外れて、昼の光が入ってきた。

 

---

 

 黒い外套の男が立っていた。

 

 白い手袋に、後ろに撫でつけた白髪。その背中から肉色の管のような太いものが何本も伸びていて、先端が地面に垂れている。男の周りには人が倒れていた。

 前の車両の警官たち、バイクの警官、そして道路に止まった一般車から降りてきたらしい私服の人間も。全員が皺だらけで髪が白くなり、皮膚が縮み、目が落ちくぼんでいる。若い警官だったはずの体が老人になっていた。

 

「――撃つな!下がってろ!」

 

 スナッチが叫び、銃を抜きかけた後部の警官の腕を砂が押さえ込んだ。

 

 黒い外套の男が車内を覗き込んだ。砂の膜を見て、それから半身が砂になった男を見た。

 

「……砂か」

 

 背中の管の一本が跳ねて砂の膜を貫いたが、何も起きなかった。管の先は砂の中で空を切っていた。

 

「命の通わぬ土くれか。不味そうなものを纏うておる」

 

「お前か」

 

 スナッチが車の外へ出た。体の半分を砂のまま車内に残して、警官たちを覆い続けている。

 

「高速道路を止めて、これだけの人間を……お前一人でやったのか」

 

「余に問うておるのか」

 

「答えろ」

 

「やったが、何だ」

 

 スナッチの砂が一瞬だけ波打った。

 

「お前が干からびさせた連中にも、帰りを待ってる家族がいる」

 

 声が低くなった。

 

「親がいて…女房がいて…子どもがいる!今夜、誰も帰ってこない家が……ここに倒れてる数だけできる。残された人間がどうなるか……考えたことはあるのか!」

 

 男はしばらくスナッチを見ていた。それから本当に不思議そうに首を傾げた。

 

「蟲の残りなど……余は数えたこともない」

 

 スナッチの砂が弾けた。

 

 撃ち出された砂の礫を男の管が何本も持ち上がって払い、払いきれなかった礫が外套を裂いた。管がスナッチに向かい、砂の盾がそれを受け止める。管は砂の中で何も吸えずに引き戻された。

 

 だがスナッチは攻めきれなかった。体の半分をまだ車内に残している。警官たちを覆っている砂を引けば、彼らが剥き出しになる。男はそれに気づいていた。

 

「なるほど……蟲けらを庇うておるのか」

 

 管の一本が砂の盾を大きく回り込んだ。狙ったのはスナッチではなく、車内だった。スナッチが砂を車内へ寄せて、警官たちを覆う膜が厚くなった。その分だけ、自分の胸の前が薄くなった。

 

 別の管がそこへ刺さった。砂ではなく生身の胸だった。

 

「――ッ」

 

 スナッチの膝がアスファルトについた。体の砂がざらざらと崩れ落ちていく。崩れながら、それでも最後の砂は車内へ流れ込んでいった。

 

 治崎はそれを見ていた。砂が、一番手前に伏せていた若い警官の上に集まって固まった。人一人分の形に、隙間なく、石のように。

 

「……伏せてろ、と……言った……ろう……」

 

 それが最後だった。スナッチの体は、残った砂ごと老人の骸になって道路に倒れた。

 

「……騒がしい蟲であった」

 

 男は管を引き抜いて車内に目を戻した。砂の膜はもうなかった。剥き出しになった警官たちが座席の上で震えていた。

 

「なんだお前は!何が目的だ!」

 

 一人が叫んだ。

 

「目的…か」

 

 男は治崎を見つけた。

 

「これだ」

 

 管が伸びた。声も出ず、抵抗する時間もなかった。五人が老人の姿で座席に沈んだ。

 

 管が六人目に伸びて、止まった。固まった砂の塊だった。人の形をしていて、中でまだ誰かが息をしている気配がした。男はその塊をしばらく見下ろしていた。

 

「……土くれを掘る趣味はない」

 

 管が引かれた。

 

 治崎はその光景を見ていたが、拘束されたまま動けなかった。

 

 ――何だ…これは。

 

 初めて見る個性だった。いや、種類としては知っている。生命力の吸収。そういう個性は記録にある。

 

 だがこの規模は違う。この男は十人以上を、躊躇なく数十秒で処理した。まるで掃除をするような手つきで。

 

 

 男が車内に入ってきた。狭い空間に背中の管が折り重なって収まり、治崎の正面に立つ。

 

「治崎廻…であったか?」

 

 名前を呼ばれて、治崎は顔を上げた。

 

「……誰だ」

 

「余は……マキシミリアーノ・エル・トローノ」

 

 その音を聞いた瞬間に、治崎の思考が繋がった。

 

 ――エル・トローノ。

 

「……あの子どもの」

 

「口を慎め…痴れ者め」

 

 管の一本が治崎の頬をかすめた。触れてはいなかった。

 

「あの子ども…ではない。若だ…!」

 

 男の声が低くなった。

 

「超常黎明期から二百年……我らが血を磨き続けて到達した最上の一点だ…!貴様のような蟲けらが、あの子ども……と呼んでよいものではない!」

 

 治崎は答えなかった。抑制装具が首にあって個性は使えない。腕は固定されている。できることが一つもなかった。

 

「……貴様に問おう」

 

 男が続けた。

 

「若を……手元に置こうとしたな」

 

 治崎の呼吸が止まった。

 

 ――漏れている。

 

「あの地下で若に取引を持ちかけた。うちに来い……と。守ってやる……と」

 

「……誰から聞いた」

 

「貴様の組の者だ」

 

 男は興味もなさそうに言った。

 

「組が潰れて…行き場を失った蟲けらが、売れるものを探していた。安い買い物だったと聞いている」

 

 治崎は天井を見た。

 

 ――そうか。

 

 組が散れば情報が出る。当然のことだった。自分がその立場なら同じことをする。

 

「答えるがいい…」

 

 管が近づいた。

 

「何故……若を欲した」

 

 治崎はしばらく黙っていた。答える義理はない。だが沈黙しても結果は変わらない。

 

「……俺の個性が…通らなかった」

 

「ほう」

 

「唯一の例外だった。あれを外に置いたままで…計画は進められない」

 

「……計画」

 

「……個性を消す弾だ」

 

 治崎は言った。

 

「それを売ってこの国の裏を支配する…そのための計画だった」

 

 男はしばらく動かず、それから笑った。声を上げてではなく、喉の奥で短く鳴らしただけだった。

 

「……個性を…消す」

 

「ああ」

 

「……蟲けらの分際で」

 

 その声から温度が消えた。

 

「……我らが二百年かけて磨いてきたものを、貴様は弾に詰めて売ろうとしたのか」

 

「……」

 

「そして…その弾が効かぬ唯一の存在が若だと知って、手元に置こうとした」

 

 男の背中の管が、一斉に持ち上がった。

 

「……つまり貴様は…」

 

 声が震え始めた。

 

「血を……商品にしようとして…!!」

 

 管が、しなった。

 

「その頂点を……!自分の道具にしようとしたのだな……!」

 

 管の一本が治崎の肩に刺さった。痛みはなかった。代わりに力が抜けた。

 

 それが何なのか、治崎にはすぐにわかった。自分の中から何かが出ていっている。寿命だ。

 

「余は……無駄な殺生はせぬ」

 

 男は静かに言った。

 

「必要な分だけ頂く。それが余の作法だ」

 

「……」

 

「だが……貴様は別だ」

 

 管が二本目、三本目と刺さった。

 

「貴様には…必要な分という概念を適用せぬ」

 

 治崎の視界が狭くなった。拘束具の中で、腕が細く痩せていくのがわかる。

 

 ――待て。

 

 腕が。この腕は。

 

「……やめろ」

 

 初めて声が出た。

 

「この腕は……残っているんだ……!」

 

「……ほう」

 

「まだッ……治せるんだっ……!」

 

 拘束された腕を持ち上げようとした。上がらなかった。

 

「親父を……!!治せるんだっ…………!!!」

 

「……知らぬな……騒がしい…黙っておれ…」

 

「待て……! 殺すな……ッ!!」

 

 男の管が、四本目を刺した。

 

「俺が死ねば……親父は治せない!! 親父は!俺しか治せないんだ!!やめろ……親父……俺は…!親父を……!」

 

「蟲けらの事情等に余が興味を持つとでも思うたか?」

 

 その一言で終わった。

 

 治崎の体が縮んでいく。皮膚に皺が寄り、指が枯れ枝のようになり、爪が黄色くなった。視界が白く濁っていく。

 

 ――違う。

 

 こんなはずではなかった。計画は正しかった。個性は病だ。病は治すものだ。その理屈に一つの誤りもない。

 親父を頂点にするために全部やった。壊理を使ったことも、組の者を切ったことも、親父を眠らせたことも。全部そのためだった。

 

 ――なのに。

 

 治崎は口を動かしたが、声はほとんど出なかった。

 

「ごめんなさい……」

 

 男はそれを聞いていた。聞いて、何も言わなかった。

 

「……親父…ごめんなさい……!」

 

 言葉が途切れた。

 

「……もう……なぉせない……」

 

 最後の管が抜かれた。

 

 座席に残っていたのは、小さく縮んだ白髪の老人の骸だった。着ていた拘束具のほうが大きく見えた。

 

 マキシミリアーノは背中の管を収め、手袋を確かめるように指を一本ずつ引いた。

 

「……不味い…ゲテモノよ…」

 

 それだけ言って、車を降りた。

 

---

 

 二百メートル離れた歩道橋の上に、四人がいた。

 

「……おい」

 

 最初に声を出したのはスピナーだった。

 

「あれ……なんだ」

 

 誰も答えなかった。高速道路の上で車が七台止まっていて、そのすべての周囲に人が倒れている。動いている者は一人もいない。

 

 コンプレスが双眼鏡を下ろした。

 

「……確認した…が…」

 

 帽子のつばの下で、声が掠れていた。

 

「息のある者はいない」

 

「何人だ」

 

「十六」

 

「……十六?」

 

「……数えられる範囲で…だ」

 

 スピナーが後ずさった。

 

「十分も経ってねえぞ」

 

「ああ」

 

「俺ら…着いたの五分前だぞ」

 

「そうだな」

 

 コンプレスの手が震えていた。この男が震えるのを、死柄木は初めて見た。

 

「……弾は」

 

 死柄木が言った。

 

「…取れるのか」

 

「無理だろ……」

 

 コンプレスが首を振った。

 

「護送車の中には入れる……だけど…あの男がまだあそこにいる」

 

 四人の視線が一点に向いた。

 

 黒い外套の男が車の脇に立っていた。白昼の高速道路の上だ。カメラも人目も、いくらでもある。その中で男は隠れようともせず、ゆっくりと手袋を直して、それから空を見上げていた。

 

「……なあ」

 

 荼毘が口を開いた。煙草をくわえたまま、その男を見ている。

 

「行くか?」

 

 三人が同時に荼毘を見た。

 

「…は」

 

「行くか……って聞いてんだよ」

 

「冗談だろ」

 

 スピナーの声が裏返った。

 

「見ただろ今の!十六人だぞ!?一人で!」

 

「見てたよ」

 

「刀じゃ届かねえよ!あれ…触られたら終わりだろ!?」

 

「まあな」

 

 荼毘は煙を吐いた。

 

「焼けば…届くんじゃねえの」

 

「……君」

 

 コンプレスが遮った。

 

「私は…君の火力を疑っていない。だが、あれは相性の問題ではない」

 

「あ?」

 

「あの男はこちらが何人で行こうと、同じ手順で処理する」

 

 帽子のつばを下げる。

 

「十六人が、十六回に分けて殺されたのではない。まとめて処理されたのだ。一人ずつ丁寧にやったのではなく、順に、作業として片付けた」

 

「……」

 

「あれは…数で対抗する相手ではない」

 

 スピナーが刀の柄を握り直した。握っている手が白くなっていた。

 

「…死柄木」

 

 声が震えていた。

 

「……どうする」

 

 死柄木は答えなかった。歩道橋の手すりに手をかけている。指は四本で、親指は浮かせたままだった。崩していない。この男が何かに触れて崩さないのは珍しかった。

 

 ――なんだ……あいつ。

 

 個性の種類は見当がつく。生命力とか、寿命とか、そのあたりだろう。問題はそこではない。あの男は白昼の高速道路で十六人を処理した後に、空を見上げている。逃げようとも隠れようともしていない。誰かが来ることを、まったく想定していない。

 

 ――あれは。

 

 あの立ち方を死柄木は知っていた。神野で見た。先生があの日、同じ立ち方をしていた。

 

 誰も自分を止められないと、心の底から信じている人間の立ち方だ。

 

「……帰んぞ」

 

 死柄木はそう言った。

 

「おい」

 

「……帰んぞって言ってんだよ」

 

 振り返らずに歩き出した。

 

「……弾は諦めるのか」

 

「諦めるっつってねえ」

 

 死柄木は首筋を掻いた。

 

「今日は帰る。それだけだ」

 

「……そうか」

 

 荼毘が煙草を落として踏み、それ以上は言わなかった。

 

 四人が歩道橋を降りた。誰も振り返らなかった。

 

 

 死柄木は歩きながら考えていた。

 

 ――何だあいつは。

 

 あの男の目的がわからない。弾を奪いに来たわけではない。車の中には入ったが、何も持ち出していなかった。

 

 八斎會への恨みか。だがそれなら、組が潰れた時点で済んでいる。

 

 ――治崎を殺しに来たのか。

 

 わざわざ護送車を止めて、昼間の高速道路で十六人を巻き込んで。治崎一人のために。

 

 死柄木は足を止めた。

 

 ――治崎が何をした?

 

 この数日であの男がしたことといえば、組を潰されたことくらいだ。それと。

 

 ――うちの三人を借りてった。

 

 しばらく立っていたが、繋がりそうで繋がらなかった。関係があるはずがないと思った。あんな化物と、うちの留守番がどう繋がる。

 

「死柄木?どうした」

 

「……なんでもねえ」

 

 死柄木はまた歩き出した。

 

 そのときは、本当にそう思っていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。