カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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逃亡編
26話 席次六番


 

  四人が戻ってきたのは夕方だった。

 

 扉の開く音で顔を上げると、空気がおかしい。誰も喋っていない。

 

 先に入ってきたスピナーが、刀を抱えたまま壁際に座り込む。次にコンプレス。帽子を手に持っている。この男が帽子を取って部屋に入ってくるのは初めてだ。死柄木は扉の脇で足を止めて、荼毘は入ってこない。外の柵にもたれて煙草に火をつけているのだろう。

 

「……どうしたのよ」

 

 マグネが腰を浮かす。

 

「失敗したの?」

 

 誰も答えない。

 

「ちょっと……何かあったんでしょ」

 

「……弾は……取れなかった」

 

 ようやく口を開いたのはコンプレスだ。

 

「護送車には近づけなかった」

 

「警備が厚かったの?」

 

「いや」

 

 男が首を横に振って、続きを吐き出す。

 

「全員……死んでいた」

 

 誰も、すぐには息ができない。

 

「……は?」

 

 トゥワイスが声を漏らす。

 

「着いたときにはもう終わっていた」

 

 コンプレスが机の上で指を組む。

 

「高速道路の上だ。車が七台止まっていて、その周りに人が倒れていた。警官、移送官、そして通りかかった一般人」

 

「何人」

 

「十六人。数えられた範囲で」

 

 トガが口元を覆う。

 

「……死んでたんです?」

 

「ああ」

 

「どうやって」

 

 コンプレスはしばらく口を閉ざす。

 

「……全員老人になっていた」

 

 指が止まった。

 

「老人?」

 

「皺だらけだった。髪が白くなり、皮膚が縮んで、目が落ちくぼんでいた。二十代の警官が、八十の老人のようになっていた」

 

 トゥワイスが頭を抱え込んで呻く。

 

「なんだよそれ! 意味わかんねえ! どういうことだよ!」

 

「私にもわからん」

 

 コンプレスが帽子を膝の上に置く。

 

「だが、外傷はなかった。血も出ていない。焼けても、凍ってもいない。ただ、年を取っていた」

 

 膝の上で手を握る。

 

 ――干からびる。

 

 その言葉が頭の中で鳴り響く。いや待て……冷静に考えろ。生命力を吸う個性は珍しくはない。世界中に似たようなものはいくらでもあるし、偶然の可能性もある。

 

 ――まだ決まっていない。

 

「犯人は」

 

 自分の声が思ったより平坦なのがわかる。

 

「男だ」

 

 初めて口を開いたのは死柄木だ。

 

「見たのか」

 

「二百メートル離れてたけどな」

 

 死柄木が壁に背を預けて言う。

 

「黒い外套。白い手袋。髪は白かった。後ろに撫でつけてた」

 

 視界が少しだけ狭まっていく。

 

 ――偶然だ。

 

 白髪の男など……どこにでもいる。

 

「年は」

 

「四十くらいか。もっと上かもしれねえ」

 

「……そうか」

 

 視線を落とす。膝の上の手が震えないように力を込める。

 

「一番わかんねえのは」

 

 死柄木の話は続く。

 

「あいつ……逃げなかったんだよ」

 

「……逃げない?」

 

「昼間の高速道路だぞ。十六人殺した後に、車の脇に突っ立って、空見上げてた」

 

 スピナーの肩がぶるりと震える。

 

「カメラも人目もあるのに、全然気にしてなかった。手袋直して、それで終わりだ」

 

「……」

 

「あれは……誰も自分を止められねえと思ってる奴の立ち方だ」

 

 答えない。答えられない。

 

 ――まだだ。まだ……決まっていない。

 

 ここまでなら、他の誰かでも説明がつく。

 

「個性は」

 

 トゥワイスが聞く。

 

「どうやって殺してたんだ」

 

「ああ……それな」

 

 死柄木の声は面倒そうだ。

 

「背中から……なんか出てた」

 

 呼吸が止まった。

 

「触手みてえなやつだ。何本も。太くて肉みたいな色してた。それで突いてた。刺すっつーか、触れるだけだな。触れたら、その場で干からびる。三秒もかかってねえ」

 

 部屋の空気が遠のいていく。誰かが何か言っていて、言葉が耳に入ってこない。

 

 ――管。

 

 背中から何本も。肉の色をした。触れるだけで寿命を吸う。

 

 頭の中で、一つの席が埋まった。

 

 ――席次六番。

 

 間違いない。世界中のどこを探しても、あの個性を持っている人間は一人しかいない。二百年かけて、その一人しか出していないのだ。

 

 マキシミリアーノ・エル・トローノ。

 

 部屋の中で、誰もこちらを見ていない。全員が死柄木の話を聞いている。一人だけ例外がいた。

 

 顔を上げずに視線だけを動かす。台所の入口にクラウディオが立っていて、布巾を持ったまま動きを止めている。

 

 目が合った。それで十分だ。この男も同じ結論に達している。

 

 視線を戻す。誰にも気づかれていない。そう判断して、また膝の上に目を落とす。

 

「……何しに来たんですかね……その人」

 

 トガが首を傾げてみせる。

 

「弾を取りに来たんじゃないの?」

 

「……持ってってねえ」

 

 答えたのは死柄木だ。

 

「車の中には入ったけど、何も持ち出してなかった」

 

「じゃあ何しに」

 

「治崎を殺しに来た」

 

 その一言で部屋の温度が下がって、マグネの肩がぴくりと動く。

 

「……治崎?」

 

「ああ。あいつだけ、車の中で殺されてた」

 

「他の連中は」

 

「ついでだろ」

 

 死柄木が首筋を掻く。

 

「十六人は……ついでだ」

 

 スピナーが呻く。

 

「ついでで十六人かよ」

 

「そう見えた」

 

 床に目を落として考え込む。

 

 ――そうだ。あの男はそういう人間だ。

 

 目的のために必要な分だけ吸う。周りにいる蟲けらは数に入らない。数に入らないから、罪悪感も湧かない。

 

「なあ……アルテミス」

 

 死柄木の声がこちらに向いて、顔を上げずにいられない。

 

「お前心当たりねえか」

 

 心臓が跳ねた。

 

「……何の」

 

「あの男だよ」

 

 死柄木の目はいつもの退屈そうなものだ。

 

「お前………海外の事情に詳しいだろ。ああいう個性のやつ……聞いたことねえか……?」

 

 半秒だけ考える。

 

 ――見抜かれているのか。

 

 違う。この男の目には疑いがない。単純に情報源として聞いているのだ。外国の組織の話なら、この部屋で一番詳しいのは自分だ。当然の質問だ。

 

「……聞いたことはある」

 

「あるのか」

 

「生命力を吸う個性は……珍しくない。中東にも、南米にも、似たようなものを持つ者はいる」

 

「そいつらのうちの誰かか」

 

「……わからない」

 

 首を振ってから続ける。

 

「二百メートル離れた場所から見た外見だけでは、特定できない。この種類の個性は……系統が近いと見た目も似る」

 

 嘘ではない。一つも嘘は言っていない。ただ、答えを言っていないだけだ。

 

「……そうか」

 

 死柄木はあっさりと引き下がるだけだ。

 

「まあ……いいや」

 

「……調べるのか」

 

「今は無理だろ」

 

 死柄木が壁から背を離す。

 

「弾は取られて警察に押収された……それでこっちは打ち止めだ。あの化物に喧嘩売る余裕はねえ……」

 

 息を吐きそうになって、止める。

 

 ――よかった。

 

 そう思ってしまったことに、自分で気づいた。

 

 ――何がよかった。

 

 この部屋にいる全員が、今何も知らされていない。次に誰かが襲われたとき、備えることもできない。それを自分はよかったと思ったのだ。

 

---

 

 夜、全員が寝静まった後に縁側へ出る。

 

 しばらくして、背後で足音がする。振り返らなくても誰かはわかる。九年間、半歩後ろで聞いてきた音だ。

 

「……坊ちゃん」

 

「……ああ」

 

「よろしいですか」

 

「……座れ」

 

 クラウディオが隣に腰を下ろして、しばらく二人とも何も話さない。

 

「……いましたね」

 

 先に口を開いたのは執事だ。

 

「……そうだな」

 

「マキシミリアーノ様で……間違いないかと」

 

「間違いない」

 

 庭を眺めて答える。

 

「背中の管を持っているのは、あの家であの人だけだ。二百年で一人しか出ていない」

 

「はい」

 

「そして、吸った分を再生に回せる……だから逃げる必要がない」

 

「……そうでございますね」

 

「昼間に堂々とやったのも、あの人らしい」

 

 膝を抱え込む。

 

「蟲けらの決めた手続きなど踏まぬ……とか昔言っていた。入国も同じことをしたんだろう」

 

「……おそらくは」

 

 風が庭の木を鳴らす。

 

「治崎を殺した理由は」

 

 そこで言葉が途切れる。

 

「……坊ちゃん」

 

「俺だ」

 

 言ってしまってから、膝に額を押しつけた。

 

「俺を手元に置こうとしたから……殺された」

 

「それは」

 

「……他に理由がない」

 

 顔は上げない。

 

「あの人が日本に来て……最初に殺したのが治崎だ。八斎會と家に取引はない。恨みもない。敵対もしていない」

 

「……」

 

「あの男が俺に何を言ったかは……組の連中が知っていた。組が潰れれば、売られる。買うのはバルバラだろう。そして報告が上がる」

 

 息を吐く。

 

「……筋が通りすぎている」

 

 クラウディオは否定しない。できないのだろう。

 

「……申し上げてよろしいですか」

 

「なんだ」

 

「連合の皆様に……お伝えすべきかと存じます」

 

 答えない。

 

「相手の個性がわかっていれば、備えられます。射程は三メートルから五メートル。触れられなければ効きません。それを知っているだけで、生死が変わります」

 

「……ああ」

 

「坊ちゃん」

 

「わかっている」

 

 庭から目を離さないまま続ける。

 

「言えば……この人たちは家と敵対することになる」

 

「……」

 

「向こうは本国の数万だ。こっちは九人だ」

 

「はい」

 

「そして……俺がここにいるのが原因だと知れば」

 

 そこで止まった。止めたことに、自分で気づいた。

 

 ――違う。

 

 本当に言いたかったのはその先だ。知れば、この人たちは自分を守ろうとするか、追い出すかのどちらかになる。どちらも困る。守ろうとすれば死ぬ。追い出されれば――

 

 目を閉じる。

 

「……クラウディオ」

 

「はい」

 

「一回だけ……黙る」

 

 執事は何も言わない。

 

「様子を見る。あの人が次に何をするかで、判断が変わる。今の段階で全部話しても、この連中にできることは何もない」

 

 嘘ではない。今度も、一つも嘘は言っていない。ただ、本当のことも言っていない。

 

「……かしこまりました」

 

 クラウディオはそれだけ口にした。

 

 反対されると思っていた。この男は執事だ。主人の安全が最優先のはずだ。連合に知らせて備えさせるほうが、何倍も安全になる。それでも、反対しない。

 

「……お前は、反対しないのか」

 

「坊ちゃんがお決めになったことです」

 

「理由を聞かないのか」

 

「聞けば……お答えになりますか?」

 

 答えられない。

 

「……ずるいぞ……それは」

 

「ふふっ……恐れ入ります」

 

 クラウディオは少しだけ頭を下げて、腰を上げた。

 

「お茶をお持ちします」

 

「いらない」

 

「では……白湯を」

 

「……勝手にしろ」

 

 足音が遠ざかって、一人きりだ。

 

 庭の向こうに街の明かりが滲む。その中のどこかに、あの男がいる。

 

 ――何をしに来た。

 

 わかりきっている。自分を連れ帰るためだ。それだけのために、あの人は十六人を数に入れないまま踏み潰した。

 

 ――次は誰だ。

 

 次に自分の周りにいた誰かが、同じ目に遭う。治崎の次は、この中の誰かだ。

 

 両手で顔を覆う。

 

 ――出ていくべきだ。

 

 その結論はもう出ている。一時間前からずっと出ていた。出ていけばこの人たちは巻き込まれない。あの人は自分を追うのだから、ここに用はなくなる。単純な話だ。九年間こういう計算だけで生きてきた。答えはすぐ出た。

 

 ――出ていけ。

 

 そう思ったのに、動けなかった。

 

 縁側に座ったまま、朝まで庭を見ていた。

 

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