翌朝アルテミスは全員を居間に集めた。荼毘だけが縁側に腰かけて外を向いている。それでも出ていかなかった。
「…話がある」
立ったまま言った。
「昨日の男のことだ」
死柄木が顔を上げた。
「心当たりがないと言っただろう…嘘だ」
部屋の空気が動いた。
「知っている。名前も、個性も、席次も」
「マキシミリアーノ・エル・トローノ。俺の家の幹部だ。十一席のうち、六番目」
誰も口を開かなかった。
「背中から管を出して寿命を吸う。射程は三メートルから五メートル。触れられなければ効かない。吸った分は、自分の再生と熱線のようなものに転用できる」
「……ちょっと待て」
スピナーが身を乗り出した。
「知ってたのかよ」
「昨日……聞いた時点で確定した」
「……なんで黙ってた」
「言えなかった」
そう答えた。
「理由は後で話す。先に事実を全部出す」
「あの人が日本にいる理由は…一つだけだ」
自分の胸を指した。
「俺を連れ戻すためだ」
トゥワイスの動きが止まった。
「治崎が殺されたのも…それが理由だ。多分あの男が俺を手元に置こうとしたことが家に漏れた。だから殺された」
「……十六人は」
「巻き込まれただけだ」
「あの人にとって、家の血族以外は数に入らない。蟲けらと呼んでいる。巻き込んだという認識すら……たぶんない」
部屋が静かになった。
「つまり」
コンプレスが、口を開いた。
「君がここにいる限り…あの男はここへ来ると」
「……来る」
「いつだ」
「わからない。場所が割れるまでは来ない。割れたらその日に来る」
「そして…その日にここにいた人間は全員死ぬ」
「…ねえ」
マグネが口を開いた。
「一個だけ聞いていい?」
「なんだ」
「なんで逃げたのよ…大きい組織の跡取りなんでしょ?何が嫌で逃げたのか、あたし……ずっとわかってなかったの」
答えなかった。
「いや…責めてんじゃないのよ」
マグネは手を振った。
「……」
「言いたくないなら…いいわ」
少年はしばらく立っていたが、それから座って膝の上で手を組んだ。
「……話す」
「どうせ……これが最後だ」
「俺の家は…二百年かけて個性を作ってきた」
「家そのものは二百年以上続いている。超常黎明期から、強い個性を持つ者同士を掛け合わせるようになった...所謂個性婚と呼ばれる物だ。俺は最新の世代になる」
縁側の荼毘の肩がわずかに跳ねた。継ぎ目の皮膚が引きつれていた
「……掛け合わせ」
トガが小さく繰り返した。
「そうだ。人間に使う言葉ではないが、家ではそう呼んでいる」
「俺は四歳で個性が出た。歴代の中でも屈指だと判定されて…本家の直系で……血の純度も一番高かった」
「それで?」
「十歳のときにタイで大麻の規制が変わった。俺はその半年前にそれを読み切って、家の資金を動かした」
「十歳で?」
トゥワイスが声を上げた。
「資料を読んだだけだ。誰でもできる」
「利益は出た。それで当主の内定が出た。史上最年少だ」
「……十歳でね」
マグネの声が低くなった。
「そこまでは……別に構わなかった」
「仕事だからな、やればいい。数字を出せばいい。それだけなら何の問題もなかった」
「じゃあ何が問題だったの」
「内定が出た瞬間に別のものが始まった」
「家には……愛人の制度がある」
「当主には正妻とはまた別に、血を残すための相手を置く。これも、掛け合わせのためだ」
誰も口を挟まなかった。
「当主が十歳で内定したということは、その枠が十歳から空いたということになる」
トガの顔から表情が消えた。
「分家は十一ある。全部が……自分の家の娘や、自分の駒である外部の娘を入れたがった」
「……十歳の子どもに?」
コンプレスが言った。
「本人がどう思うかは関係ない。家の中では、そういう順番になっている」
「……」
「そして争いが始まった」
「最初は書類だった。個性の相性を示す資料だ。うちの娘と組み合わせれば、次の代の個性はこうなると。そういうものが毎週届いた」
「……毎週」
「三年間だ」
「次に顔合わせが増えた。食事会、茶会、視察の同行。一年で百回を超えた」
「それも三年?」
「ああ」
「……」
「そのうち…資料と顔合わせでは差がつかなくなった。だから、手が込み始めた」
声は変わらず、淡々としていた。
「俺の部屋に……娘のほうから来るようになった。夜に」
トゥワイスが何か言いかけて言葉にならなかった。
「断っても…来る。断ったことが記録に残ると、その家の手落ちになるからだ。だから……断られても来る...何度でも」
「……なんだそれ」
「次に…偽装が始まった」
指を一本立てた。
「ある家の娘が、別の家の娘と不貞をしている現場を俺に目撃させた。相手の娘の評価を落とすために自分の家の娘を使った」
「血を残せない相手と寝た…という話になる。あの家ではそれだけで終わりだ」
「……自分の娘を?」
荼毘が露骨に不機嫌な顔で問いかけた。
「ああ……個性が弱かった。俺との掛け合わせには使えないと判断されていた」
「だから……他所の娘を蹴落とすために使ったってのか」
「そういうことだ…その家には他に個性が強力な娘が居たからな…そちらが本命だった」
「……チッ」
荼毘は訝しげな顔でアルテミスを睨んだ。
「なんだ」
「別に」
荼毘は煙草を灰皿に押しつける。
「続けろ」
指を二本目に。
「別の家は俺を銃撃させた。撃ったのは、その家が雇った人間だ。そして……その家の娘が俺を庇った。命がけで守った…という形を作るためだ」
「……その子は?」
マグネが訊いた。
「知っていた。撃たれる場所も弾道も」
「いや...そうじゃなくて」
マグネの声が少し低くなった。
「その子も撃たれたんでしょ」
「ああ」
「……自分の娘を?」
「必要だったんだろう。俺が信じる程度には」
「……有り得ないわね…どうなってんのよ」
三本目。
「…一番長かったのは話を聞く役だ」
「……話?」
「毎日部屋に来て、俺の話を聞く。何時間でも。俺が誰にも言えないことを全部吐き出させる」
指を下ろした。
「そういう訓練を受けた人間が……送り込まれてきた。信頼させて...依存させるための手順がある。家にはその教本があった」
部屋の中で誰も動かなかった。
「……吐き気がするな」
荼毘だった。縁側からこちらを見ずに言った。
「ガキ相手に……全部の家が総出でそれかよ」
「そうだ」
「で…お前の親は何してた」
「親は幼い頃に急死して…兄が当主だ。その時は二十五歳で、繋ぎの当主だった」
「兄は……止めようとした。だが、当主が幹部の家に口を出せば...席が揺れる。揺れれば…繋ぎとして力が弱まってる兄が降ろされる。降ろされたら、俺を守れる人間が一人もいなくなる」
「……」
「だから……止められなかった」
「そして許嫁が決まった」
「争いが激化しすぎて、家が一人に絞った。それで終わるはずだった」
「終わらなかったのか」
「……終わらなかった」
膝を抱えた。
「その娘の家は、勝った側だ。勝った以上、他の十の家から俺を守らなければならない。守り損ねれば枠を取られる」
「……ああ」
コンプレスが呻いた。それから先回りするように言った。
「だから……束縛が始まった」
「そうだ」
「どの程度だ」
しばらく黙っていた。
「……一人になれなくなった」
それだけ言った。
「部屋に人が入るようになった。移動には必ず同行がついた。誰と話したか、何を読んだか、何時に寝たか、全部記録された」
「寝室もか」
「ああ」
「……いつからだ」
「十二の終わりからだ」
天井を見た。
「四か月……続いた」
「四か月」
「そのあたりで、自分がおかしくなっているのに気づいた」
「飯の味がしなくなった。数字が読めなくなった。書類を三回読み返しても、内容が頭に入らなくなった」
「……」
「それで……逃げた」
「以上だ」
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沈黙が長かった。最初に動いたのはトガだった。立ち上がって部屋を出ていこうとした。
「トガちゃん?」
「……ごめん、ちょっと」
声が震えていた。
「今……包丁持ったらだめな気がする」
そう言って出ていった。
「……あの子……怒ってるわね」
マグネが言った。
「珍しい」
「……怒ってんのはあいつだけじゃねえだろ」
荼毘が煙草に火をつけた。指が少し震えていた。
「……なあ…アルテミス」
「なんだ」
「その家……いい家だってみんな思ってんのか」
「……ああ、あの家ではそれが正しい。血を高めるのは…家のためだ。愛人の制度も、許嫁の監視も、全部そのためにある。誰も間違ったことをしていない」
「……間違ってねえ?」
「制度の中では」
「……クソだな」
荼毘は煙を吐いた。
「ほんと……そういうのが一番クソなんだ……」
この男が何を思い出しているのかは知らなかった。ただ、声の温度が変わったことだけはわかった。
「……ねえ」
マグネが言った。
「誰か……味方はいなかったの。同い年の男の子とか」
「一人いた」
「その子は」
「そいつにも……似たようなことを言われた」
「……何を」
「言いたくない」
四か月を全部吐いた口がそこでだけ閉じた。マグネはそれ以上訊かなかった。
「だから……出ていく」
立ち上がった。全員が顔を上げた。
「俺がここにいればあの人が来る。来れば…全員死ぬ」
「…アルテミス」
「マグネは二度目になる」
「一度死にかけただろう…次は間に合わない。枠は三つしかない」
「…あのねぇ」
「聞け……これは計算だ。感情の話じゃない」
「……」
「俺とクラウディオは今日出ていく。行き先は言わない。知っていると聞かれたときに困る」
頭を下げた。
「……世話になった」
九年間他人に頭を下げたことはなかった。下げ方が合っているかどうかもわからなかった。
「――却下だ」
頭を上げた。死柄木は壁にもたれたままこちらを見ていた。
「……何」
「聞こえただろ……却下だ」
「話を聞いていたか」
「聞いてたよ」
「俺がいれば……全員死ぬ」
「だから、お前が出てくって?」
首筋を掻く指が止まった。
「……勝手に話終わらせてんじゃねえよ」
「勝手じゃない。今説明した」
「説明じゃねえだろ...決めてから言いに来ただけじゃねえか」
口を閉じた。
「ここは俺の連合だ。誰を仲間にするかは俺が決める。お前が邪魔かどうかも、お前が決めんな」
「……なら、残す理由を言え」
「ねえよ」
「死柄木」
「お前もそう言ったんだろ」
掻きかけた手を下ろし死柄木は続けた。
「あの潔癖症に。残らねえ理由を聞かれて『理由はない』って」
少年の動きが止まった。
「……トゥワイスか」
「あいつ、何度も同じ話すんだよ」
死柄木は壁から背を離した。
「お前はそれでよくて、俺は駄目なのかよ」
「それとこれとは――」
「俺はお前を追い出す気はねえ」
言葉を遮った。
「……勝手にいなくなるな」
「俺も反対だ」
荼毘が縁側から言った。煙草を灰皿に押しつける。
「お前が出てって…どこ行くんだよ」
「どこかへ行く」
「そのどこかで一人で追手と会うわけだ」
「……ああ」
「その家に戻されて…また同じことされるんだろ」
荼毘は初めてこちらを向いた。
「……行かせる気はねぇ、そんなとこに帰すくらいならここにいろよ」
「なぜだ」
「気に入らねえからだよ」
荼毘はそれだけ言った。
「決めつけられてんのが気に入らねえ。生まれた血で全部決まってんのが気に入らねえ」
そして目を逸らした。
「……それだけだ」
「あたしもよ」
マグネが、立ち上がった。
「あたしが死にかけた話持ち出したわね」
「事実だ」
「そうよ事実…あたしはあんたに助けられた」
マグネは目の前まで来た。
「そのあたしが言うんだからね、聞きなさい」
大きな手が肩に置かれた。
「あんたみたいな子を…あんな場所に返すわけないでしょ」
「……」
「あたしたちはね、みんな行き場がなくてここにいるの。あんただけ、帰る場所があると思ってんならね」
マグネの手に力がこもった。
「あんな所は…帰る場所とは言わないのよ」
扉が開いて、トガが戻ってきた。目が赤かった。
「……アルテミスくん」
「なんだ」
「いなくなったら…寂しいでしょ」
それだけだった。理屈も計算も何もなかった。
「……それは理由になっていない」
「…なってるよ」
トガは、床に座り込んだ。
「あたしにとっては……それが全部だもん……!」
「俺は反対だ! 賛成だ!……反対だっつってんだよ!」
トゥワイスが両手を振り回した。
「お前いくつだ!」
「十三だ」
「十三だぞ!?じゃあ勝手にしろ!勝手にさせられるかよ!」
「……俺は自分で決めている」
「だったら決めろ!でも出てくな!」
「……」
「一人で決めんな!いや自分のことなんだから一人で決めろ!……ああクソ!わかんねえ!」
男は頭を掻きむしった。
「とにかく行くな!それだけだ!」
「俺も…死柄木に賛成だ」
スピナーが静かに言った。
「理由は?」
「死柄木がこう言ってるんだからさ、お前はここにいろよ」
アルテミスは眉を寄せた。
「それは……理由ではないだろう」
「そうだな」
スピナーは、頷いた。
「けど……俺はそういう理由でここにいるんだ。死柄木がここにいろって言うなら、俺はそれでいい」
「……それだけか」
「悪いかよ。俺なんかそんな理由でここまで来たんだぞ」
「……最後に私からも一つ」
コンプレスが、帽子を取った。
「君が出ていくと……執事殿も出ていくことになるな」
「当然だ」
「…それは困る」
男は真顔で言った。
「明日から誰が飯を作るんだ、トゥワイスは飯がゲロマズ、マグ姉の味付けは基本濃い、繊細な味付けができるのは執事殿だけだ」
「あぁん!? 不味くねぇよ! ゲロマズだわ!!」
部屋の空気が少しだけ緩んだ。
「……そんな理由か」
「そんな理由だよ、でも重要な事だろう?貧しい食卓は心も貧しくしてしまう……」
コンプレスは帽子を被り直した。
「前に執事殿は我々にこう言った。人は志だけでは三か月はもたない…と」
「……」
「あれは正しかった」
男はこちらを見た。
「今この家に屋根があって、飯があって、薬があるのは、あの言葉があったからだ。君たち二人が出ていけば、それが全部なくなる」
「……代わりは立つ」
「立たんよ」
コンプレスは首を振った。
「君は計算が得意だと言ったな」
「ああ」
「では計算してみたまえ。君たちが出ていった後、この家が何日もつかを」
答えられなかった。
---
少年は立ったまま、反論の材料が一つも残っていなかった。七人が七つの理由を出して、そのどれ一つとして損得の話をしていなかった。
――返せない。
計算で来られたら計算で返せた。感情で来られたら計算で切り捨てられた。だが、これはどちらでもなかった。この連中は理屈を持っていない。持っていないまま譲らない。
――そして俺は。
自分が今何を望んでいるのかに気づきかけて、それを止めた。止めたことにも、気づいていた。
「……俺は」
口を開いたが、続きが出てこなかった。
「坊ちゃん」
背後から声がする、クラウディオだ。この男は昨夜「連合に伝えるべきです」と言った。そして、坊ちゃんが決めたことに理由は聞かないとも言った。だから黙っていると思っていた。
「……なんだ」
執事は少しだけ頭を下げた。
「もう少し……いてもよろしいのではないでしょうか」
思考が止まった。
「……お前」
「はい」
「昨日と言っていることが違う」
「さようでございますね」
クラウディオは否定しなかった。
「理由は」
「……ございません」
その顔を見た。この男が「理由がない」と言ったのを、九年間で初めて聞いた。
嘘だ。
理由はある。この男は必ず理由を持っている。それを言わないだけだ。言えば、自分が何を望んでいるかを言い当てることになるから、言わない。
――ずるい。
そう思った。そしてその逃げ道に乗った。
「……お前がそう言うなら」
座り直した。
「…………もう少しだけだ」
誰も何も言わなかった。言わなかったが部屋の空気が変わったのは、はっきりわかった。
トゥワイスが声を上げようとして、マグネに止められていた。死柄木はそっぽを向いて、首筋をかくのをやめていた。荼毘は二本目の煙草に火をつけていたが、口元が緩んでいた。
全員がそれが言い訳だと知っていた。知っていて誰も指摘しなかった。
少年は膝の上で手を組んだ。
――こいつら。
顔が熱くなっていた。理由がわからなかった。