カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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27話の要点です。読んだ方は飛ばしてください。

・アルテミスが護送車を襲った男の正体を連合に明かしました。エル・トローノの幹部で席次六番のマキシミリアーノ。背中の管で寿命を吸う個性で、射程は三〜五メートル、触れられなければ効きません

・彼の目的はアルテミスを連れ戻すことで、治崎が殺されたのは、アルテミスを手元に置こうとしたことが家に漏れたためです

・アルテミスは家を出た理由も話しました。エル・トローノは二百年、強い個性同士を掛け合わせて個性婚をしてきた家で、アルテミスは十歳で次の当主に内定しました

・個性婚という言葉に、荼毘が小さく反応していました

・家には血を残すための愛人を置く決まりがあり、内定と同時に十一の分家が自分の家の娘をその席に入れようと、三年にわたって争いました

・繋ぎの当主である兄のアポロは、止めれば自分が降ろされるため動けませんでした。守る人がいなくなるため動けませんでした

・許嫁が決まったあとは、一人になれないほど見張られる日々が四か月続き、心が限界を迎えて逃げました

・同い年の男の子にも「似たようなことを言われた」と話しましたが、中身は語りませんでした

・自分がいれば全員が狙われると、アルテミスはクラウディオと出ていこうとしましたが、連合の全員に引き止められ、最後はクラウディオの一言で「もう少しだけ」残ることになりました


28話 借用書

 鍋の底を擦る音が、やけに大きく聞こえる。

 

 夕食の片付けは、ここに来てからずっとクラウディオの役目だ。作るのも、洗うのも。誰かが決めたわけではない。執事が台所に立つのを、誰も止めなかっただけだ。

 

 卓の端で、その音を聞くともなく聞く。

 

 水が止まって、皿の重なる音がした。

 

 背中の方で、コンプレスの咳払いが一つ。

 

「少年」

 

「何だ」

 

「いや、少年……にというわけではないのだが」

 

 言いながら、コンプレスが卓の上に何かを置く。

 

 封筒だ。薄い。

 

 居間には全員が揃ったままだ。死柄木はいつもの場所でゲーム機を触り、荼毘は壁に背を預けて煙草を咥え、トガは足を組んで座り、トゥワイスはその隣、マグネとスピナーは卓の向こう側だ。

 

 封筒の中身は見なくても察しがつく。

 

「幾らだ」

 

「今月の残りだ」

 

 コンプレスが指で押して封筒を滑らす。

 

「来月は……無い」

 

 誰も何も言わない。

 

 封筒を持ち上げて中を覗く。紙幣が数枚。この人数で数日分だ。

 

「八斎會からの分が止まったのか」

 

「止まったというより……元から無くなっている」

 

 コンプレスの指が帽子の縁を撫でていく。

 

「あそこから入っていたのは我々六人分の活動費だ。君たち三人が向こうへ出向いていた間、その三人分は別会計だった。向こう持ちでな。それが……まるごと消えた」

 

 つまり、と頭の中で引き算を始める。

 

 入ってくる金が消えて、食う人間の数は元に戻った。

 

「……六人分の金で、九人が食ってきたのか」

 

「一か月半な。我ながらよくもったと思うよ」

 

 口調は軽いが、内容は軽くない。封筒を卓に戻す。

 

「電気と水は」

 

「今月分は払ってある。来月は知らん」

 

「家賃は」

 

「ここは元々、八斎會が持っていた物件のひとつだ。家賃は発生していない……ただ」

 

 コンプレスの言葉がそこで途切れる。

 

「名義人が捕まっている。いつまで使えるかは、誰にも分からん」

 

 それは金の話ではないだろう。だが今それを掘り下げても意味はない。

 

「食費を削れば、あとどれくらい保つ」

 

「三日が四日になる」

 

「そうか」

 

 卓の木目に目を落とす。

 

 視線がいくつも自分に向いているのがわかる。

 

 誰も口には出さない。だが、この部屋で金を持っている可能性がある人間は一人しかいない。メキシコの麻薬組織の跡取りが、逃げてくるときに手ぶらだったはずがない。たぶん全員がそう考えている。

 

 考えていて、誰も言わない。そのことに少しだけ苛立つ。

 

「――貸せよ」

 

 最初に口を開いたのは死柄木だった。

 

 ゲーム機から目を上げない。指も止まっていない。それでも部屋の空気は一瞬で変わった。

 

「持ってんだろ……お前」

 

「……」

 

「黙ってんのは持ってるってことだよな」

 

 答えない。

 

「なあ」

 

 死柄木がゲーム機を置く。

 

「俺はお前を拾った。飯も食わせた。寝床もやった。昨日は帰るなとまで言った」

 

 首筋に手が伸びて、止む。

 

「それが全部、金で回ってたって話だ」

 

 言い方は乱暴だ。乱暴でなければ言えなかったのだろう。

 

 この男は、自分より下に置いた人間に物を借りるのを、たぶん人生で一度もやったことがない。

 

「……貸せ」

 

 もう一度、死柄木が言う。

 

「……頭下げろってんなら下げねえぞ。それでも貸せ」

 

 部屋の全員の目がこちらを向く。

 

 すぐには答えない。

 

 金はある。手元にも、それ以外にも。

 

 だがその金の全部が、自分の自由になるものではない。

 

 クラウディオがどういう考えで三つに分けたのかは知っている。だから、知っていることを悟られないようにしているのだ。封筒は三つ。一つは自分の手元に。残りはクラウディオの手の中だ。

 

 なぜ分けたのか。

 

 一つの場所に置いておけば、一度取り上げられたら終わるからだ。クラウディオが突然いなくなったとき、自分の手元にしか金がなければ、その金が尽きた時点で詰む。だから分けた。

 

 ――それは俺一人が生き延びるための金だ。

 

 あいつが俺一人ぶんで計算して積んだ金だ。

 

 それを九人で食う。

 

 三か月分が二週間で消えていく。

 

 そして二週間後、あの男が用意した逃げ道は無くなっている。

 

「……おい」

 

 死柄木の声が低く沈む。

 

「聞こえてんだろ」

 

「……聞こえてる」

 

 顔を上げて答える。

 

「考えてた」

 

「何をだよ」

 

「……額だ」

 

 嘘ではない。嘘ではないが、本当でもない。

 

 言えるはずがない。この金の意味を説明することは、クラウディオが何を覚悟しているかを、この部屋の全員に、そして本人に、教えることになる。

 

 卓の下で指を組む。

 

 三秒だけ頭を回す。

 

 ――どうせ、使う機会はないだろ。

 

 その三秒でそう結論を出した。

 

 あの男は逃げ道をこちらに用意して、自分は使わないつもりでいる。使わないものを大事に取っておいても仕方がない。

 

 なら今食う。

 

「貸す」

 

 そう口にした。

 

「三か月分だ。九人でやりくりするなら、二週間ってところだろうな」

 

 死柄木の眉間に皺が寄る。

 

「三か月分って何だよ」

 

「大人二人が三か月暮らせる金だ。それが、俺の出せる全部だ」

 

 部屋の隅で微かに音がした。台所の入口には、クラウディオの姿。

 

 いつからそこにいたのかはわからない。この男はいつもそうだ。呼んでいないのに、必要なときには必ず視界の端にいる。

 

 そちらは見ない。

 

「クラウディオ」

 

「はい」

 

「出してくれ」

 

 一拍、間があった。

 

 その一拍が何を意味するのか、この部屋でわかるのは自分だけだ。

 

「……かしこまりました」

 

 それだけだ。

 

 理由も聞かず、確認もせず、止めもしない。クラウディオは軽く頭を下げて、廊下の奥へ消えていく。

 

 足音が遠ざかっていく。

 

 卓の木目を見たまま動かない。

 

「ふうん」

 

 マグネの声だ。

 

 顔を上げると目が合う。マグネは何も言わずに肩をすくめるだけだ。

 

「何だ」

 

「別に。あんた、金に未練がある顔してなかったなって思っただけ」

 

「……」

 

「……それだけよ」

 

 それきりマグネは話題を変えない。変えないが、掘り下げもしない。

 

 崩れた天井の下から引き上げてもらったときと同じだ。この人は、助けたことを後から数えない。他人の懐にも、同じ距離で立っている。

 

 隣でトゥワイスが何か言いかけた。

 

「なあ……それって――」

 

 言葉が途中で止む。

 

「いや何でもねえ! 金は金だ、貸し借りだ、それだけの話だよなァ!」

 

 急に大きくなった声を自分で打ち消すように、トゥワイスが両手を振り回す。

 

 それを黙って見つめるしかない。

 

 ――気づいてるのかこの二人は。

 

 何に気づいているのかは、たぶん本人たちにも説明できないだろう。ただ、この金が普通の金ではないことだけを、どこかで嗅ぎ取っている。

 

 そして、二人とも聞かない。

 

 昨日と同じだ。全員が言い訳だと知っていて、誰も指摘しなかったあのときと。

 

「……よし」

 

 死柄木が腰を上げる。

 

「話は済んだな」

 

「まだだ」

 

「座れ」

 

「あ?」

 

「まだ済んでない」

 

 立ち上がって台所へ行き、引き出しから紙を一枚とペンを取ってくる。

 

 卓の上に両方を置く。

 

「書け」

 

 死柄木が紙を見下ろす。

 

「……何だこれ」

 

「借用書だ」

 

 荼毘が煙を吐く音だけが、部屋に残る。

 

「……借用書」

 

「金額、日付、借りた奴の名前。それと、返すって一文。書いたら貸す」

 

「はあ?」

 

 死柄木の声が裏返る。

 

「なんで紙書かせんだよ……。ガキかお前は」

 

「ガキだ」

 

 即答だ。

 

「十三だ。昨日そう聞いただろ」

 

 死柄木が何か言いかけて、言葉が出てこない。紙を死柄木の前に少し押す。

 

「Las(ラス) palabras(パラブラス) se(セ) las(ラス) lleva(ジェバ) el(エル) viento(ビエント), y(イ) lo(ロ) escrito(エスクリト) permanece(ペルマネセ)」

 

 死柄木の表情が固まった。

 

 荼毘が壁から背を離してこちらを見て、トガが目を丸くしている。スピナーが「え、今の何」と小声で漏らす。

 

「……おい」

 

 死柄木の顔が歪む。

 

「日本語で言え」

 

「言葉は風が持っていく……書かれたものは残る」

 

 席に戻って腰を下ろす。

 

「うちの方じゃよく言う。商売の前に必ず言う奴がいる」

 

「……」

 

「口で言ったことは消える。消えたことにできる。お前が明日、そんな話はしてねえって言ったら、それで終わりだ。俺には何も残らない」

 

「言わねえよ……そんなこと」

 

「言わないだろうな」

 

 頷く。

 

「だから書け」

 

 理屈が通っていないことは、自分でもわかっている。言わないとわかっている相手に書かせる意味はない。それでも書かせたかった。理由は、自分でもうまく説明できない。

 

 死柄木はしばらく紙を睨んでいて、それから舌打ちをして乱暴に腰を下ろした。

 

「金額」

 

「大人二人が三か月暮らせる額。数字は、現物を数えてから入れる」

 

「日付」

 

「今日だ」

 

 死柄木の手がペンを掴む。

 

 持ち方が妙だ。

 

 右手の親指、人差し指、中指、薬指。四本でペンを握って、小指だけが紙から浮いている。

 

 浮かせたまま動かさない。

 

 それをじっと見つめる。

 

 この男が物を掴むときはいつもそうだ。五本揃えれば、崩れる。だから一本だけ意識して離している。

 

 数秒ペンが止まって、それから死柄木のペンが動き出す。

 

 金額の欄は空けたまま、日付を書いて、一番下に名前を書く。

 

 死柄木弔。その四文字から目が離せない。

 

 一度だけ目を上げて、死柄木を見た。

 

 死柄木は書き終わった紙をこちらへ押しやると、ペンを放り出して立ち上がる。

 

「……これでいいんだろ」

 

「ああ」

 

「返すってのも書いたぞ」

 

「見えてる」

 

 紙を持ち上げて、二つに折り、もう一度折り畳む。

 

 胸のポケットに入れた。

 

「おい」

 

「何だ」

 

「……いつまでに返せって話は、しねえのか」

 

 ポケットの上を軽く叩く。

 

「いつでもいい」

 

「は?」

 

「期限を切ったら、お前がそれまでに死んだ場合俺が損する」

 

 死柄木が、変な顔になる。

 

「縁起でもねえこと言うな」

 

「事実だ」

 

 立ち上がって、居間を後にする。

 

 廊下の奥から、クラウディオが戻ってくる足音がした。

 

---

 

 全員が寝床へ引き上げた後も、死柄木は居間に残っていた。

 

 卓の上には数え終わった紙幣が積んである。封筒から出されて、束ごとに輪ゴムで留められている。数えたのはあの執事だ。数える手つきがあまりに慣れていて、気味が悪いくらいだった。

 

 明日、コンプレスに預けることになる。自分で管理するつもりはない。数字は苦手だ。

 

 ゲーム機を手に取って電源を入れ、すぐに落とす。

 

 やる気が起きない。

 

 ――返す。

 

 あの紙に、自分で書いた。

 

 書かされたというのが正しい。あのガキが言い出したことで、自分から言ったわけではない。

 

 それなのに、さっきから頭に引っかかっている。

 

 返すという言葉が。

 

 金を借りるのは初めてじゃない。先生から渡されていた金は、返せと言われたことがない。八斎會から入っていた金も、あれは組んだ代わりに取ったもので、返す話ではなかった。

 

 今まで手に入れた金は全部そうだ。

 

 もらうか奪うか。

 

 返す、というのは今までのどれとも違う。

 

 違うのはわかる。何が違うのかがわからない。

 

 天井を仰ぐ。

 

 裸電球が一つぶら下がって光っている。埃をかぶった傘の縁が、さっきから同じ場所に影を落としている。

 

 ――電気代……誰の名義で払ってる?

 

 ふいにその声が耳の奥で鳴った。

 

 初めて会った日だ。あのガキがあの店に入ってきて、十分も経たないうちに言った。勝手に隠し棚を見つけて、配線を辿って、それで最後にそれを聞いた。

 

 あのときは、何様だと思った。

 

 今は。

 

 しばらく電球を見上げたまま、動かない。

 

 この明かりも金だ。

 

 そんな当たり前のことを、今日まで一度も考えたことがなかった。考える必要がなかった。今までは誰かが払っていて、誰が払っているのかも知らなかった。

 

 これからは、あの紙に書いた分から出ていく。

 

 自分が書いた返すという一文の下から。

 

 立ち上がって、壁のスイッチに手を伸ばす。

 

 指がスイッチの手前で止まる。消すべきだと思う。金がないのだから。

 

 止まったまま、しばらく動けない。

 

 結局手を下ろした。

 

 死柄木は明かりを点けたまま部屋を出ていった。

 




いつも読んでくださって、本当にありがとうございます。
お知らせです。明日から試験的に投稿時間を20時10分に変更します。しばらく様子を見て、そのまま続けるか元に戻すかを決めようと思います。

これからもよろしくお願いします。
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