テレビが点いたのは昼を回ってからだ。普段この家でテレビを点ける者はいない。電源が入っていたのは、コンプレスが天気を見ようとしたからだ。
画面に映っているのは、白い布のかかった長机と、その向こうに座る男が一人。後ろに事務所の名前が入ったパネル、前にマイクが何本も束ねてある。
――会見か。
読んでいた本から顔を上げて、そちらを見た。エンデヴァーだ。炎は消していて、髭の形が変わって見えるのはそのせいだろう。座っているだけなのに、椅子が小さく見える。
「おい、これ」
スピナーが身を起こす。
「昨日のやつだろ?商店街の」
誰も答えないうちに、トガがリモコンを取って音量を上げた。
『――改めて、被害の確認された人数を申し上げます』
司会役の男が紙を読む。
『死亡が十三名。重軽傷が九名。このうち、意識が戻っていない方が三名です』
頁をめくる手は止めない。
商店街で十三人。高速道路で十六人、治崎も護送のヒーローもその中に入っている。あとから駆けつけたヒーローが二人。
――多いな。
それだけだ。
『それでは質疑に移ります』
手の上がる音がいくつも重なっていく。
『――犯人は逃走したとのことですが、なぜ取り逃がしたのでしょうか』
最初の質問がそれだ。画面の中のエンデヴァーは、しばらく口をつぐむ。
『……間に合わなかった』
『間に合わなかったというのは』
『そのままの意味だ』
『現場にはエンデヴァー事務所のサイドキックも入っていたと聞いています。包囲は検討されなかったのですか』
『検討した』
『では、なぜ』
『接近した者から死ぬ』
部屋の空気が、少しだけ止まった。
『三名のヒーローが、既にそうなっている。同じことを繰り返させるわけにはいかなかった』
『しかし結果として犯人は逃げています』
『そうだ』
『市民が十三名亡くなっています』
『そうだ』
エンデヴァーは否定しないし、言い訳もしない。
本を閉じて、膝に置く。
――言わないのか。
言うべきことは、あるはずだ。あの男のやり方は分かっている。関係のない人間を使って、こちらの手を止める。だとすれば、このヒーローは何かをさせられたはずだ。重軽傷が九名で、死亡が十三名。あの男の間合いに入った者は傷では済まないから、傷で済んだ九人は触られていない。誰かが間に合っているのに、それを一つも言わない。
『別の方』
『――オールマイトが現役であれば、違う結果になっていたとお考えですか』
次の質問はそれだ。部屋の中で誰かが息を吸う。画面の中のエンデヴァーは、また黙り込む。長い沈黙だ。
『……わからん』
『わからないとは?』
『あの男がどうしたかは、あの男にしかわからん』
『では、現在のNo.1として――』
『次の質問を』
声が少しだけ大きくなって、それきりエンデヴァーはその話題に戻らない。
『……犯人について、現時点で判明していることは』
『……何もない』
『何も……ですか』
『国籍も、名前も、目的も、公表できるものは何もない』
嘘だ、と思った。あの男が何も言わずに人を吸って回るはずがない。探し物の話は必ずしている。つまりこのヒーローは聞いていて、言っていない。
――なぜ。
『では、市民は何に気をつければいいのでしょうか』
記者が問う。
『触れられたら終わりだと、そう報道されていますが』
『……近づくな』
エンデヴァーの答えは短い。
『倒れている者がいても、近づくな。ヒーローを呼べ。それだけだ』
『それは見捨てろということですか』
会見場がざわつく。エンデヴァーはカメラの方を見たまま、目を逸らさない。
『…………そうだ』
誰も何も言わない。テレビの中もこの部屋も、同じように音が消えた。
『……見捨てろと言っている』
エンデヴァーの声が続く。
『そうしなければ死ぬ者が増える。三人のヒーローが、それで死んだ』
画面の下を文字が流れていく。
「No.1ヒーロー『市民は見捨てろ』」
その一行を目で追う。
――ああ。
明日まで残るのは、これだけだ。
「……ひっでえ切り取り方」
スピナーが吐き捨てる。
「そういうこと言ってんじゃねえだろ……これ」
「言ってるわよ」
マグネが返す。
「言葉としてはね。あとは勝手に転がるわ」
トゥワイスが頭をかきむしる。
「いや待て待て待て、この人ちゃんと戦ってんだろ! 逃げたわけじゃねえだろうが! っていうか誰も助かってねえみたいな言い方すんなよ、絶対拾ってるぞこの人!」
「トゥワイス」
「……わかってる。わかってるよ。うるせえな俺は」
トガは膝を抱えている。
「ねえ〜」
「何だ」
「十三人って、多いの?少ないの?」
答えなかった。どう答えても、トガには通じない気がする。
「……多いわよ」
代わりに口を開いたのはマグネだ。
「……一日でその数は多い」
もう一度画面に目をやる。エンデヴァーはまだ席を立たない。次の質問を待つ顔で、逃げる気配もない。
――変な男だ。
そう思う。自分なら、とっくに席を立っているところだ。
縁側で火を点ける音がした。荼毘が煙草を咥えて、こちらに背を向けている。テレビの方を見ているのかどうか、この角度からはわからない。
そちらは見ない。見ないことに決めた。
---
テレビを消したのは死柄木だ。
「……うるせえ」
リモコンを卓に放って、それきり黙る。しばらく誰も口を開かない。
「――移るぞ」
そう言うと、全員がこちらを向いた。
「ここは出る。県も変える」
「おい待てよ」
スピナーが口を挟む。
「ここ八斎會の物件だぞ」
「だから……危ない」
卓の前に腰を下ろす。
「昨日の現場からここまで直線で何キロだ。あの男は商店街を潰した。潰した理由は一つだ。近いからだ」
「……近いって」
「絞られてる」
卓の上に指で線を引く。
「高速道路の次がこの商店街だ。どっちもこの近くだろ。あの男は片っ端から潰しながら範囲を狭めてる。やり方が雑なぶん、速い」
「雑って」
スピナーの顔が歪む。
「雑なのかあれ」
「雑だ」
「本来なら、金を使う。俺の家は情報を買える。十日もあれば、この場所は割れてた」
「じゃあ何で」
「待てないんだろう」
そう答えながら、理由は少しだけ分かる気がした。あの男にとって、血が蟲けらの巣にいることは一日ごとに積み上がる損だ。金で解決するより、自分の手で終わらせたいのだろう。
「燃やせばいいだろ」
縁側の荼毘と目が合う。
「あの管は有機物だろ。近づかれる前に焼けば終わりだ。……あのヒーローはガキを拾うのに手一杯だったから逃げられたんだ。俺は拾わねえ」
言い方に力は入っていない。事実を並べているだけの声だ。
「……勝てるかもな」
そこは認める。
「実際相性はいい。荼毘なら間合いの外から焼ける。人質も効かない」
「だろ」
「それで、そのあとどうする」
荼毘が目を細めた。
「あ?」
「席次六番が死んだ。次に何が来ると思う」
「……」
「本国にあと九人いる」
誰も口を挟まない。指を立てる。
「十一席だ……日本に来てるのはマキシミリアーノと、恐らくバルバラ。残りの九人は何人来ているかは分からないが……恐らく一人か二人は来ている」
「九人」
「それと席を持ってない分家の連中がいる。数は知らない。あと、執事協会が別にある」
「執事?」
「あれは幹部じゃない。席にも入らない」
「入らないが来る」
クラウディオが台所の入口に立っていた。
「クラウディオ」
「はい」
「説明してくれ。俺より正確だ」
一瞬間があって、クラウディオが前に出た。卓の端に立って、軽く頭を下げる。
「失礼いたします」
全員の目がその男に向く。この家に来て以来、この男が自分から人前で話したことはほとんどない。
「まず時間の話をいたします」
クラウディオが切り出す。
「幹部の追加派遣には手続きが要ります。会議を開き、席の配分を決めて渡航の手配をいたします。過去の例では、最短で三週間。通常は一か月から二か月です」
「意外とかかるのね」
マグネが言う。
「組織が大きいほど、動くのが遅くなります」
「じゃあ、その間は……最低二人だけってこと?」
「はい。ただし」
クラウディオの目がこちらに向く。
「席次六番が討たれた場合、この手続きは省略されます」
頷いた。
「非常時条項がある」
「はい。幹部が討たれた場合の報復の派遣は当主の一存で可能です。会議を通しません。最短で四日」
「四日」
コンプレスが呟く。
「……なるほど。つまり、一人倒せば残りが四日で来るわけか」
「全員ではございません」
クラウディオが言葉を継ぐ。
「ですが……五人は来ると考えております」
「五人」
「マキシミリアーノ様は血族主義の中心におられます。あの方が外様に討たれたとなれば、血の面子の問題になります。面子の問題になった場合、あの組織は必ず過剰に動きます」
トゥワイスが椅子から立ち上がる。
「五人って、全員あのレベルかよ!?」
「系統が違いますので、性質はそれぞれ異なります」
クラウディオの声は淡々としたままだ。
「ですが……いずれも家の当主です。強さの水準は……席次六番と同程度のものとお考えください」
荼毘が煙を吐く。
「……おい」
「はい」
「じゃあこいつを焼くのも駄目、逃げるのも時間稼ぎか」
「……そうなります」
「終わりがねえじゃねえか」
「……ございません」
クラウディオはそう答えた。
「坊ちゃんが本国にお戻りになるまで、この追跡は終わりません。それがあの組織の仕組みでございます」
誰も何も言わない。四日で五人なら、次の物件まで二度は動ける。頭の中で、それだけを数え直す。
「――移るぞ」
死柄木が言った。全員がそちらを向く。
「県なんかいくらでもある」
死柄木は卓に肘をついている。
「向こうが五人だろうが百人だろうが、こっちを見つけられなきゃ意味ねえだろ。潰しながら探すってことは、潰し終わるまで見つからねえってことだ」
「……そうだな」
頷いて返す。
「そうだ」
死柄木は短く返して、そのままコンプレスに目を移す。
「コンプレス」
「ふむ」
「車の手配と、次の場所。二日で出せるか」
「三日いただきたいね。二日だと足がつく」
「三日だ。決まりだな」
死柄木が立ち上がる。
「おい荼毘」
「あ?」
「焼くのは無しだ」
「……チッ」
「……舌打ちすんな」
死柄木はそのまま部屋を出ていく。その背中を見送った。誰ももう一度は四日の話を持ち出さず、クラウディオが台所へ戻っていく。
卓からは立たずに残る。消えたテレビの画面が、黒いまま部屋の光を映す。
――十三人。
さっきの数字をもう一度思い出しても、何も起きない。新聞の隅に載る数字と変わらないのだ。
ただ、一つだけ引っかかっていることがある。あの会見で、エンデヴァーは目的を公表しなかった。国籍も、名前も、目的も、公表できるものは何もない……そう言った。だがあの男が誰かを探していることくらい、あのヒーローは聞いているはずだ。人を吸いながら歩き回る理由を、一度も口にしない男ではない。
聞いていて言わない。
――なぜだ。
黒い画面を、ずっと見ていた。