高架下は音が響く。国道を走る車の音が天井に当たって、下にいる人間の声を潰す。話をするには向かない場所だが、外に声が漏れないという一点では都合がよかった。
誰も座らない。九人がばらばらに立って、顔だけが真ん中を向いていた。
「……で…どうすんだよ」
スピナーが言った。
「ここ…まだ街ん中だぞ。抜けてねえ」
「抜けていない……県境まで車で二時間だ、電車は使えない、歩けば日が暮れる」
「車はどうなってんだ」
「両方置いてきた。ナンバーを見られている」
スピナーが舌打ちをした。
「じゃあ歩きかよ」
「…歩きだ」
「九人で?」
「九人でだ」
誰も何も言わなかった。九人が固まって歩けば、それは九人の塊でしかない。全国に顔が出ている人間が九人いる塊だ。
「……散ればいいだろ」
荼毘が言った。柱にもたれて、煙草を探すのをもう諦めた手をポケットに突っ込んでいる。
「まとまって動くから見つかるんだ、ばらけろよ」
「それは……そうなんだけどさ」
スピナーがアルテミスのほうを見た。
「……あいつらが探してんのはこいつだろ」
言ってから、言い方を間違えたという顔をした。
「いや…あの……そういう意味じゃなくてだな」
「わかっている……その通りだ」
散っても意味がない。カルテルが数えているのは九人ではなく一人だ。九つに分かれた道のうち自分がいる一本だけが当たりになって、残りの八本は素通りされる。
「……俺が一人で動けばいい」
「却下……ダメに決まってんでしょ」
マグネが即答した。
「まだ何も言っていない」
「言われなくてもわかるわよ。あんた一人で囮になるって話でしょ…却下」
「囮ではない。効率の話だ」
「効率でも却下よ」
マグネはそう言って腕を組んだ。
「あたしたちだけが逃げてもね……誰も得しない。あんたが捕まったら全部終わりなのよ?わかってる?」
「……間違ってない」
「間違ってるわよ」
「間違えてない!」
自分の声が高架の天井に当たって、跳ね返ってきた。
国道の車の音が一瞬だけ遠くなる。八人分の目がこっちを向いていた。トゥワイスが口を開けたまま固まって、マグネの組んでいた腕がほどけかけて止まる。
声を荒げたのがいつ以来なのか、思い出せない。
クラウディオだけがこちらを見ていない。足元に目を落としたまま、何も言わない。
「……計算の話だ」
声を戻して言い直す。言い直したところで、出した声は戻らない。
わかってはいる。ただ……それを勘定に入れると答えが出なくなる。
「……なあ」
スピナーが急に顔を上げた。
「あいつら……こいつの顔わかってんのか」
「わかってるはずだ、席の確保に必死だったんだからな、忘れるわけが無い」
「席を持つ家の者なら全員が存じております。写真も回っておりましょう」
「そうか!じゃあさ……」
スピナーは言葉を探すように空を見て、それから言った。
「……その顔が…何人もいたらどうなる」
誰もすぐには反応しなかった。
「は?」
「だから……お前が何人もいたら、どこ追えばいいかわかんなくなるだろ」
「何言ってんだ?」
「いや聞けって!」
スピナーはトガのほうを指差した。
「できるだろ!お前」
トガが目を丸くして、それからゆっくりと笑った。
「……できますけど」
「血さえあれば」
トガは指を一本立てた。
「知ってると思うけど……飲めばその人になれます。顔も声も体つきも。時間は血の量で決まって、いっぱい飲めば長い。ちょっとだと短い」
死柄木が溜息混じりに声を出す。
「おい………待て一人増えたところで——」
「一人じゃないわ」
マグネが言ってから、トゥワイスを見た。
「え!?俺!?」
「あんたよ!」
「無理だ!いけるぞ!」
「どっちよ」
「二人までだ!」
トゥワイスは指を二本立てた。
「俺は自分を複製できねぇ!他の奴なら二人までだ!三人目からは作れねぇ、作れる気がしねぇ!やってみたら死ぬ!死なねぇけど!」
「二人でいいわ、十分よ。ならトガちゃんを二人複製して、本人と合わせてトガちゃんが三人ね。全員が血を飲めば、アルテミスが三人になるわ」
「三人か……で、本物入れたら四人だろ」
荼毘が柱から体を起こした。
「だから最初に言ったんだよ。ばらけろって」
「……ああ。四方向に散る」
場が静かになってから、死柄木が切り出した。
「向こうは何人で探してんだ」
「百は超えている」
「四つに割れた百人が、四方向に散るわけか」
「そうなる」
「で…当たりは」
「一つある……俺だ」
「待って待って待って待てよ!」
トゥワイスが両手を上げた。
「それ!捕まるってことじゃねぇの!?四人いて、そのうち誰かが捕まるんだろ!?」
「コピーは捕まっても消えるだけだ」
「俺のコピーはな!でもトガちゃんは!?アルテミス!お前もだ!」
「……」
誰も答えなかった。コピーは二体で、残りは本物だ。
「やるよ!」
トガが言った。考えた時間がないほど早かった。
「…待て」
そう言うと、トガがこちらを向いた。
「正気か…」
「うん」
「狙われるのは俺だ。お前が俺になれば、狙われるのはお前になる。手加減はない。家の人間は…俺に傷をつけないようにするが……それは俺だと信じている間だけだ」
「うん」
「捕まって偽物だとわかった瞬間に、お前は――」
「わかってるよ!」
トガは笑った。いつもの笑い方だった。
「でもね」
そして、両手を後ろで組んで少し体を傾けた。
「私、アルテミスくんのこと大好きなのです♥」
「…………は?」
「大好きな子になれるの、すっごく嬉しい。血飲んで、その人になって、その人みたいに歩いて、その人みたいに喋るの。私それが一番好きなのです」
「……それは」
「だからね……私がやりたいのです。アルテミスくんのためじゃないよ。私がなりたいからやるのです」
何か言おうとして、やめた。
こいつの言葉の後ろを探して、何も見つからない。値のつけようがなかった。
処理できないから、棚に入れて閉じた。あとで見る。
「……わかった」
「やったぁ!」
トガが両手を上げた。
「じゃあ血ちょうだい!三人分ね!」
クラウディオが針と容器を用意し、腕から取った。この男には医療の心得があって、傷の縫い方も知っている。九年のうちに何度か見たことのある手つきで、無駄がなく早い。
「……坊ちゃん」
「なんだ」
「本日はもう、お休みください」
「まだ動ける」
「顔色が既にお悪い」
「……わかっている」
トガが横から覗き込んでいた。
「わぁ……きれいな色」
「トガ様、お離れ下さい……」
トゥワイスが手を叩いて息を吐いた。
「よし……いくぞ!いかねぇぞ!」
両手でトガの肩に触れると泥が床に広がった。それが二つに割れて盛り上がり、形を取っていく。髪が伸びてセーラー服の襞が現れ、顔が浮き上がって、気づけば三人のトガヒミコが立っていた。三人が同じ顔で、同じ角度に首を傾ける。
「わ〜」
「わ〜」
「わ〜」
「……気持ち悪ぃ」
スピナーが後ずさった。
「気持ち悪くないもん!」
「気持ち悪くないもん!」
「気持ち悪くないもん!」
「やめろ!」
「服脱ぐから見ないでね!みんなあっち向いて!」
「服脱ぐから見ないでね!みんなあっち向いて!」
「服脱ぐから見ないでね!みんなあっち向いて!」
マグネが端から順に反対に顔を向かせていく
「アルテミスくんには刺激強いから♥あっち——」
アルテミスの番が来る前に、クラウディオがもう肩を回して反対を向かせていた、自分もとっくに反対のほうを向いている。
「……執事さん……速っ」
背後で、何かが軋むような音がした。
「もういいよー」
振り返ると、自分が三人立っていた。同じ顔で同じ背丈で、同じように立っている。その三人が同時にこちらを見た。
「……ねえ」
声まで同じだった。
「私達、かっこいい?」
「……」
答えなかった。
「もう!答えてあげなさいよ!」
「……悪くない」
「やったぁ!」
「やったぁ!」
「やったぁ〜!」
「気持ち悪いから!やめろって言ってんだろ!」
三人の横に並ぶと、四人になった。背の高さも髪の色も立ち方も同じで、どれが本物かを言い当てられる人間は、この場に一人しかいない。その一人は何も言わずに見ていた。
死柄木が四人を見比べて、喉の奥で笑っていた。
「……これがゲシュタルト
「合ってるぜ!……いやミリも分かってねぇよ! 頭良いな!死柄木!」
「……
「素晴らしい」
コンプレスだった。今までひとことも口を挟まず、腕を組んで柱に寄りかかっていた男が、そこで一歩前に出た。
「素晴らしい……実に堅実で泥臭くも熱い……まさに君の生き様を体現したかのような見事なプロットだよ……スピナー」
男は帽子のつばを指で押し上げた。
「四つの影が四方向へ散る。追う側は四つに割れる。割れた先の三つは空だ。舞台としては上等だよ、文句のつけようがない」
「……なんだよ急に……お前も気持ち悪いな」
「だが」
コンプレスは、そこで指を一本立てた。
「一つだけ…いただけない」
「いただけない?」
「四つのうち一つは当たりだ。つまり、この作戦は四分の一で終わる」
誰も答えなかった。
「生真面目な君の舞台には、観客をアッと言わせる『華』が少しばかり足りない。タネの明かし方が実にもったいないのさ」
男は、こちらへ視線を移した。
「この作戦の九割は完成している。残る一割は私の仕事だ」
そして指を鳴らした。
「このMr.コンプレスがほんの少し……
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報告が入ったのは夜が明けてしばらくしてからで……ボクはそのとき、借り上げた倉庫の二階から港の荷役をぼんやり眺めていた。朝の光が鉄骨に斜めに当たって影がいい具合に伸びていて、あ……今撮ったら絶対いい写真になるなぁ、なんて考えてたところに、階段を駆け上がってくる足音がしたものだから、正直ちょっとだけ腹が立った。
「――バルバラ様!」
入ってきたのは配置についていた班の一人で、肩で息をしていた。
「報告を」
「連合が動きました!」
「そりゃ動くでしょ」
ボクは椅子をくるりと回した。
「囲まれて一晩明かして、じっとしてる奴はいないよ。で、どっちに逃げた?」
「……それが」
男が言葉に詰まった。
「ばらけました、三方向です。北の県道、西の河川敷、それから南の旧市街へ」
「うん。散るよね。それで?」
「……若が」
男が顔を上げた。
「若が…三人おられます」
椅子を回す手が止まった。
「は?」
「北に一人、西に一人、南に一人。三か所から同時に目視報告が上がっております。顔も背格好も一致。服装も同じです!」
「……ふぅん」
ボクは指で卓を叩いた。
三人。
悪くない手だ。いや……悪くないどころじゃない。ボクらがやってるのは捜索じゃなくて回収だよ、回収するものが三つに増えれば人手も三つに割れるし、しかもそのどれにも傷をつけられない、どれが本物かわからない以上……三つとも丁重に扱うしかないわけで、つまりこっちの一番の強みだった「器は欠けさせられない」が、そっくりそのまま足枷に化けたってことだ。
ああ、うまいなぁ。誰が考えたんだろうね、これ。
「……面白いじゃん」
ボクはそう言った。
「何が面白い」
部屋の隅から声がした。エルナンだ。昨夜のうちに入ってきて、四メートルの得物を壁に立てかけたまま、ずっと椅子に座っている。体格は良いが、それでも四メートルの得物を振り回せるようには見えない、見えないだけなんだけど。
「だってさ...こっちは若に傷つけちゃいけないでしょ。だから三人とも丁重に扱うしかない。こっちの一番きつい縛りを、そのまま武器にされたんだよ。頭いいじゃん」
「頭の良し悪しは……俺にはわからん」
エルナンはそう言った。
「三つとも押さえればいい話だ。どれが本物かを先に当てる必要はない」
「人手は?」
「割く。足りなければ増やす」
「簡単に言うけどさぁ。日本で人を増やすの……金かかるんだよ」
「ならばかければいい」
この人はそういう人だ。金額の話をすると払えばいいと答えて、誰が払うのかという話は一度もしない。払うのはだいたいボクの家なんだけど。
「急がなくていいと思ってる?」
「ああ」
エルナンは、膝の上で手を組んだ。
「三方向のうち、二つは海と川で塞がってる。残る一つも県境で止まる。そして若は日本から出られない」
「そうだね」
「出られない者を追うのに、急ぐ理由がない」
――そうなんだよなぁ。
ボクは頬杖をついた。この人の言うことはいつも正しい。正しいんだけど、正しさの根っこが金じゃないから、ボクとはどうにも噛み合わない。ボクは早く終わらせたくて、この人は正しく終わらせたい。まあ…行き先は同じなんだけどさ。
「……増えたか」
三つ目の声が、階段の下から上がってきた。背中が冷える。
白髪の男がゆっくりと上がってくる。片手には杖、もう片方の手には何も持っていない。あの手には誰も触れさせない。
「マキシミリアーノ殿」
エルナンが言った。
「三つに分かれたと聞いた…」
「はい。若が三人です」
男が窓際まで歩いてくる。朝の光の中で、その顔には何の表情もなかった。
「……蟲が…知恵をつけたな」
男は言った。
「若をこけにする術を、あの蟲どもが教えたということだ」
「若……ご本人の策かもしれませんよ」
言ってみた。それだけだ。
「若はそのようなことはなさらぬ」
杖の先が、床を一度だけ突いた。
「三つとも確保だ…本物は連れ帰る。偽物は――」
言葉が切れた。切れたところに何が入るのかは、この部屋の全員がわかっていた。
「若には、傷一つつけるなというご命令です」
エルナンが静かに言った。
「……若にはな」
マキシミリアーノは当たり前のように答えた。
「偽物は若ではない」
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あの男の足音が階段の下に消えるまで、ボクはたぶん息を半分しか吐いていなかったと思う。
それから地図を引き寄せた。北、西、南。三つの点。鉛筆で丸をつけて、数字を並べ直す。三つに割る人員。移動速度。県境までの距離。到達時刻。全部きれいに数字が立った。立ちすぎている気もした。
――まあ、いいか。
ボクは鉛筆を置いた。
全部で三人。それがこちらの数えた数だ。