カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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33話 大好きな子になれるのです

 

 高架下は音が響く。国道を走る車の音が天井に当たって、下にいる人間の声を潰す。話をするには向かない場所だが、外に声が漏れないという一点では都合がよかった。

 

 誰も座らない。九人がばらばらに立って、顔だけが真ん中を向いていた。

 

「……で…どうすんだよ」

 

 スピナーが言った。

 

「ここ…まだ街ん中だぞ。抜けてねえ」

 

「抜けていない……県境まで車で二時間だ、電車は使えない、歩けば日が暮れる」

 

「車はどうなってんだ」

 

「両方置いてきた。ナンバーを見られている」

 

 スピナーが舌打ちをした。

 

「じゃあ歩きかよ」

 

「…歩きだ」

 

「九人で?」

 

「九人でだ」

 

 誰も何も言わなかった。九人が固まって歩けば、それは九人の塊でしかない。全国に顔が出ている人間が九人いる塊だ。

 

「……散ればいいだろ」

 

 荼毘が言った。柱にもたれて、煙草を探すのをもう諦めた手をポケットに突っ込んでいる。

 

「まとまって動くから見つかるんだ、ばらけろよ」

 

「それは……そうなんだけどさ」

 

 スピナーがアルテミスのほうを見た。

 

「……あいつらが探してんのはこいつだろ」

 

 言ってから、言い方を間違えたという顔をした。

 

「いや…あの……そういう意味じゃなくてだな」

 

「わかっている……その通りだ」

 

 散っても意味がない。カルテルが数えているのは九人ではなく一人だ。九つに分かれた道のうち自分がいる一本だけが当たりになって、残りの八本は素通りされる。

 

「……俺が一人で動けばいい」

 

「却下……ダメに決まってんでしょ」

 

 マグネが即答した。

 

「まだ何も言っていない」

 

「言われなくてもわかるわよ。あんた一人で囮になるって話でしょ…却下」

 

「囮ではない。効率の話だ」

 

「効率でも却下よ」

 

 マグネはそう言って腕を組んだ。

 

「あたしたちだけが逃げてもね……誰も得しない。あんたが捕まったら全部終わりなのよ?わかってる?」

 

「……間違ってない」

 

「間違ってるわよ」

 

「間違えてない!」

 

 自分の声が高架の天井に当たって、跳ね返ってきた。

 

 国道の車の音が一瞬だけ遠くなる。八人分の目がこっちを向いていた。トゥワイスが口を開けたまま固まって、マグネの組んでいた腕がほどけかけて止まる。

 

 声を荒げたのがいつ以来なのか、思い出せない。

 

 クラウディオだけがこちらを見ていない。足元に目を落としたまま、何も言わない。

 

「……計算の話だ」

 

 声を戻して言い直す。言い直したところで、出した声は戻らない。

 

 わかってはいる。ただ……それを勘定に入れると答えが出なくなる。

 

「……なあ」

 

 スピナーが急に顔を上げた。

 

「あいつら……こいつの顔わかってんのか」

 

「わかってるはずだ、席の確保に必死だったんだからな、忘れるわけが無い」

 

「席を持つ家の者なら全員が存じております。写真も回っておりましょう」

 

「そうか!じゃあさ……」

 

 スピナーは言葉を探すように空を見て、それから言った。

 

「……その顔が…何人もいたらどうなる」

 

 誰もすぐには反応しなかった。

 

「は?」

 

「だから……お前が何人もいたら、どこ追えばいいかわかんなくなるだろ」

 

「何言ってんだ?」

 

「いや聞けって!」

 

 スピナーはトガのほうを指差した。

 

「できるだろ!お前」

 

 トガが目を丸くして、それからゆっくりと笑った。

 

「……できますけど」

 

「血さえあれば」

 

 トガは指を一本立てた。

 

「知ってると思うけど……飲めばその人になれます。顔も声も体つきも。時間は血の量で決まって、いっぱい飲めば長い。ちょっとだと短い」

 

 死柄木が溜息混じりに声を出す。

 

「おい………待て一人増えたところで——」

 

「一人じゃないわ」

 

 マグネが言ってから、トゥワイスを見た。

 

「え!?俺!?」

 

「あんたよ!」

 

「無理だ!いけるぞ!」

 

「どっちよ」

 

「二人までだ!」

 

 トゥワイスは指を二本立てた。

 

「俺は自分を複製できねぇ!他の奴なら二人までだ!三人目からは作れねぇ、作れる気がしねぇ!やってみたら死ぬ!死なねぇけど!」

 

「二人でいいわ、十分よ。ならトガちゃんを二人複製して、本人と合わせてトガちゃんが三人ね。全員が血を飲めば、アルテミスが三人になるわ」

 

「三人か……で、本物入れたら四人だろ」

 

 荼毘が柱から体を起こした。

 

「だから最初に言ったんだよ。ばらけろって」

 

「……ああ。四方向に散る」

 

 場が静かになってから、死柄木が切り出した。

 

「向こうは何人で探してんだ」

 

「百は超えている」

 

「四つに割れた百人が、四方向に散るわけか」

 

「そうなる」

 

「で…当たりは」

 

「一つある……俺だ」

 

「待って待って待って待てよ!」

 

 トゥワイスが両手を上げた。

 

「それ!捕まるってことじゃねぇの!?四人いて、そのうち誰かが捕まるんだろ!?」

 

「コピーは捕まっても消えるだけだ」

 

「俺のコピーはな!でもトガちゃんは!?アルテミス!お前もだ!」

 

「……」

 

 誰も答えなかった。コピーは二体で、残りは本物だ。

 

「やるよ!」

 

 トガが言った。考えた時間がないほど早かった。

 

「…待て」

 

 そう言うと、トガがこちらを向いた。

 

「正気か…」

 

「うん」

 

「狙われるのは俺だ。お前が俺になれば、狙われるのはお前になる。手加減はない。家の人間は…俺に傷をつけないようにするが……それは俺だと信じている間だけだ」

 

「うん」

 

「捕まって偽物だとわかった瞬間に、お前は――」

 

「わかってるよ!」

 

 トガは笑った。いつもの笑い方だった。

 

「でもね」

 

 そして、両手を後ろで組んで少し体を傾けた。

 

「私、アルテミスくんのこと大好きなのです♥」

 

「…………は?」

 

「大好きな子になれるの、すっごく嬉しい。血飲んで、その人になって、その人みたいに歩いて、その人みたいに喋るの。私それが一番好きなのです」

 

「……それは」

 

「だからね……私がやりたいのです。アルテミスくんのためじゃないよ。私がなりたいからやるのです」

 

 何か言おうとして、やめた。

 

 こいつの言葉の後ろを探して、何も見つからない。値のつけようがなかった。

 

 処理できないから、棚に入れて閉じた。あとで見る。

 

「……わかった」

 

「やったぁ!」

 

 トガが両手を上げた。

 

「じゃあ血ちょうだい!三人分ね!」

 

 クラウディオが針と容器を用意し、腕から取った。この男には医療の心得があって、傷の縫い方も知っている。九年のうちに何度か見たことのある手つきで、無駄がなく早い。

 

「……坊ちゃん」

 

「なんだ」

 

「本日はもう、お休みください」

 

「まだ動ける」

 

「顔色が既にお悪い」

 

「……わかっている」

 

 トガが横から覗き込んでいた。

 

「わぁ……きれいな色」

 

「トガ様、お離れ下さい……」

 

 トゥワイスが手を叩いて息を吐いた。

 

「よし……いくぞ!いかねぇぞ!」

 

 両手でトガの肩に触れると泥が床に広がった。それが二つに割れて盛り上がり、形を取っていく。髪が伸びてセーラー服の襞が現れ、顔が浮き上がって、気づけば三人のトガヒミコが立っていた。三人が同じ顔で、同じ角度に首を傾ける。

 

「わ〜」

 

「わ〜」

 

「わ〜」

 

「……気持ち悪ぃ」

 

 スピナーが後ずさった。

 

「気持ち悪くないもん!」

 

「気持ち悪くないもん!」

 

「気持ち悪くないもん!」

 

「やめろ!」

 

「服脱ぐから見ないでね!みんなあっち向いて!」

 

「服脱ぐから見ないでね!みんなあっち向いて!」

 

「服脱ぐから見ないでね!みんなあっち向いて!」

 

 マグネが端から順に反対に顔を向かせていく

 

「アルテミスくんには刺激強いから♥あっち——」

 

 アルテミスの番が来る前に、クラウディオがもう肩を回して反対を向かせていた、自分もとっくに反対のほうを向いている。

 

「……執事さん……速っ」

 

 背後で、何かが軋むような音がした。

 

「もういいよー」

 

 振り返ると、自分が三人立っていた。同じ顔で同じ背丈で、同じように立っている。その三人が同時にこちらを見た。

 

「……ねえ」

 

 声まで同じだった。

 

「私達、かっこいい?」

 

「……」

 

 答えなかった。

 

「もう!答えてあげなさいよ!」

 

「……悪くない」

 

「やったぁ!」

 

「やったぁ!」

 

「やったぁ〜!」

 

「気持ち悪いから!やめろって言ってんだろ!」

 

 三人の横に並ぶと、四人になった。背の高さも髪の色も立ち方も同じで、どれが本物かを言い当てられる人間は、この場に一人しかいない。その一人は何も言わずに見ていた。

 

 死柄木が四人を見比べて、喉の奥で笑っていた。

 

「……これがゲシュタルト崩壊(・・)って奴か?俺知ってんだよ」

 

「合ってるぜ!……いやミリも分かってねぇよ! 頭良いな!死柄木!」

 

「……崩壊(・・)、だぞ」

 

「素晴らしい」

 

 コンプレスだった。今までひとことも口を挟まず、腕を組んで柱に寄りかかっていた男が、そこで一歩前に出た。

 

「素晴らしい……実に堅実で泥臭くも熱い……まさに君の生き様を体現したかのような見事なプロットだよ……スピナー」

 

 男は帽子のつばを指で押し上げた。

 

「四つの影が四方向へ散る。追う側は四つに割れる。割れた先の三つは空だ。舞台としては上等だよ、文句のつけようがない」

 

「……なんだよ急に……お前も気持ち悪いな」

 

「だが」

 

 コンプレスは、そこで指を一本立てた。

 

「一つだけ…いただけない」

 

「いただけない?」

 

「四つのうち一つは当たりだ。つまり、この作戦は四分の一で終わる」

 

 誰も答えなかった。

 

「生真面目な君の舞台には、観客をアッと言わせる『華』が少しばかり足りない。タネの明かし方が実にもったいないのさ」

 

 男は、こちらへ視線を移した。

 

「この作戦の九割は完成している。残る一割は私の仕事だ」

 

 そして指を鳴らした。

 

「このMr.コンプレスがほんの少し……奇術師(イリュージョニスト)の悪戯を仕込ませてもらうよ」

 

---

 

 報告が入ったのは夜が明けてしばらくしてからで……ボクはそのとき、借り上げた倉庫の二階から港の荷役をぼんやり眺めていた。朝の光が鉄骨に斜めに当たって影がいい具合に伸びていて、あ……今撮ったら絶対いい写真になるなぁ、なんて考えてたところに、階段を駆け上がってくる足音がしたものだから、正直ちょっとだけ腹が立った。

 

「――バルバラ様!」

 

 入ってきたのは配置についていた班の一人で、肩で息をしていた。

 

「報告を」

 

「連合が動きました!」

 

「そりゃ動くでしょ」

 

 ボクは椅子をくるりと回した。

 

「囲まれて一晩明かして、じっとしてる奴はいないよ。で、どっちに逃げた?」

 

「……それが」

 

 男が言葉に詰まった。

 

「ばらけました、三方向です。北の県道、西の河川敷、それから南の旧市街へ」

 

「うん。散るよね。それで?」

 

「……若が」

 

 男が顔を上げた。

 

「若が…三人おられます」

 

 椅子を回す手が止まった。

 

「は?」

 

「北に一人、西に一人、南に一人。三か所から同時に目視報告が上がっております。顔も背格好も一致。服装も同じです!」

 

「……ふぅん」

 

 ボクは指で卓を叩いた。

 

 三人。

 

 悪くない手だ。いや……悪くないどころじゃない。ボクらがやってるのは捜索じゃなくて回収だよ、回収するものが三つに増えれば人手も三つに割れるし、しかもそのどれにも傷をつけられない、どれが本物かわからない以上……三つとも丁重に扱うしかないわけで、つまりこっちの一番の強みだった「器は欠けさせられない」が、そっくりそのまま足枷に化けたってことだ。

 

 ああ、うまいなぁ。誰が考えたんだろうね、これ。

 

「……面白いじゃん」

 

 ボクはそう言った。

 

「何が面白い」

 

 部屋の隅から声がした。エルナンだ。昨夜のうちに入ってきて、四メートルの得物を壁に立てかけたまま、ずっと椅子に座っている。体格は良いが、それでも四メートルの得物を振り回せるようには見えない、見えないだけなんだけど。

 

「だってさ...こっちは若に傷つけちゃいけないでしょ。だから三人とも丁重に扱うしかない。こっちの一番きつい縛りを、そのまま武器にされたんだよ。頭いいじゃん」

 

「頭の良し悪しは……俺にはわからん」

 

 エルナンはそう言った。

 

「三つとも押さえればいい話だ。どれが本物かを先に当てる必要はない」

 

「人手は?」

 

「割く。足りなければ増やす」

 

「簡単に言うけどさぁ。日本で人を増やすの……金かかるんだよ」

 

「ならばかければいい」

 

 この人はそういう人だ。金額の話をすると払えばいいと答えて、誰が払うのかという話は一度もしない。払うのはだいたいボクの家なんだけど。

 

「急がなくていいと思ってる?」

 

「ああ」

 

 エルナンは、膝の上で手を組んだ。

 

「三方向のうち、二つは海と川で塞がってる。残る一つも県境で止まる。そして若は日本から出られない」

 

「そうだね」

 

「出られない者を追うのに、急ぐ理由がない」

 

 ――そうなんだよなぁ。

 

 ボクは頬杖をついた。この人の言うことはいつも正しい。正しいんだけど、正しさの根っこが金じゃないから、ボクとはどうにも噛み合わない。ボクは早く終わらせたくて、この人は正しく終わらせたい。まあ…行き先は同じなんだけどさ。

 

「……増えたか」

 

 三つ目の声が、階段の下から上がってきた。背中が冷える。

 

 白髪の男がゆっくりと上がってくる。片手には杖、もう片方の手には何も持っていない。あの手には誰も触れさせない。

 

「マキシミリアーノ殿」

 

 エルナンが言った。

 

「三つに分かれたと聞いた…」

 

「はい。若が三人です」

 

 男が窓際まで歩いてくる。朝の光の中で、その顔には何の表情もなかった。

 

「……蟲が…知恵をつけたな」

 

 男は言った。

 

「若をこけにする術を、あの蟲どもが教えたということだ」

 

「若……ご本人の策かもしれませんよ」

 

 言ってみた。それだけだ。

 

「若はそのようなことはなさらぬ」

 

 杖の先が、床を一度だけ突いた。

 

「三つとも確保だ…本物は連れ帰る。偽物は――」

 

 言葉が切れた。切れたところに何が入るのかは、この部屋の全員がわかっていた。

 

「若には、傷一つつけるなというご命令です」

 

 エルナンが静かに言った。

 

「……若にはな」

 

 マキシミリアーノは当たり前のように答えた。

 

「偽物は若ではない」

 

---

 

 あの男の足音が階段の下に消えるまで、ボクはたぶん息を半分しか吐いていなかったと思う。

 

 それから地図を引き寄せた。北、西、南。三つの点。鉛筆で丸をつけて、数字を並べ直す。三つに割る人員。移動速度。県境までの距離。到達時刻。全部きれいに数字が立った。立ちすぎている気もした。

 

 ――まあ、いいか。

 

 ボクは鉛筆を置いた。

 

 全部で三人。それがこちらの数えた数だ。

 

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