カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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34話 止めるのはあたしの仕事

 

 

  旧市街の朝は遅い。

 

 シャッターの降りたアーケードに、配達の自転車が一台だけ止まっている。天井から吊られた看板は色が抜け、もうどの店のものかもわからない。人通りはまだない。そのかわり、角を二つ曲がるたびに背中の視線が一つずつ増えていくのが、マグネにははっきりわかってしまう。

 

 前を歩くのはアルテミスの姿をしたトガで、その半歩後ろに執事。マグネは二歩下がって、肩の巨大磁石を担ぎ直す。

 

 見られているのは自分じゃない。あの二人の背中だ。執事が付いている子が本物だと、向こうの人間なら誰でもそう考えるはずだ。だからこの組が、一番の的だ。そういう作戦で、そういう配置なのだ。わかっていても、背中がむずむずする。

 

「……クラウディオ」

 

 アルテミスの声だ。高さも、平たさも、語尾の切り方も。

 

「……なんでございましょう」

 

「腹が減った」

 

「……もう少々……ご辛抱を」

 

「冗談だ」

 

 アルテミスの顔のまま、声だけが少し沈む。

 

「……ねえ、今の似てた?」

 

「半分ほど」

 

「えー……執事さん、今ちょっと困ったでしょ!」

 

「……いいえ」

 

「嘘だぁ!」

 

 マグネは思わず吹き出した。似てないのは台詞の中身だけで、ほかは気味が悪いくらいそっくりだ。狭いのに遅くない歩幅。曲がり角の手前で、右の壁にちらっとやる目。すれ違うときに肩を引かないで、半身を切る動き。あの子ほんとにこう歩くのよね。いつの間にそんなとこまで見てたのかしら、この子。

 

 アーケードの切れ目で、背後の足音がまた一つ増えた。あの子の形をした手が上着の裾に入って、指先を布に押しつけたまま、じっと動かない。

 

 その瞬間、執事の足が半拍だけ遅れる。何に引っかかったのか、マグネにはわからない。

 

「トガ様……その手は」

 

「アルテミスくん、こうするでしょ?怖いとき」

 

 トガは前を向いたまま、当たり前みたいにそう言う。執事は何も言わない。マグネから見えるのは、いつもどおりの真っ直ぐな背中だけだ。

 

---

 

 アーケードの出口に、男が一人立っている。

 

 灰色の背広の、体格の良い男だ。肩に四メートルはある鉄の柄が載っていて、先に人の頭ほどの鉄塊がついている。担いでるっていうより、柱に肩を貸してるみたいな持ち方ね。背後に十人。左右の路地にも影が動く。

 

 ――あら……やだ。

 

 男の立ち方を見て、マグネは口の中で呟く。重心がどこにも偏っていない。十人を連れているのに、十人のほうを一度も振り返らない。こういう男は、無駄なことを一つもしない。

 

 男はまず、アルテミスの形をしたトガに向かって深く頭を下げた。それから顔を上げて、執事に目を移す。

 

「三十七番……」

 

 執事の指が、一度だけ止まった。

 

「……なにそれ」

 

 マグネは小声で訊く。

 

「協会の名簿の番号です」

 

 執事の目は、男から離れない。

 

「名を……いただく前の」

 

 それ以上は何も言わない。

 

「若をこちらへ……渡せ」

 

「お断りいたします」

 

「そうか……だが変わらん」

 

 怒りも驚きもない声だ。

 

「お前が若を連れ出した。だからお前を処分する。若に罪はない。筋は……それだけだ」

 

「存じております」

 

「なら話は早い……ここで殺さずに、処分は家でやる。それが筋だ」

 

「……存じております」

 

 同じ答えを二度返して、執事は半歩下がった。マグネは横目でそれを追う。この男が後ろに下がるところなんて、初めてじゃないかしら。あの子の前に出るところなら、何度も見てきたのに。

 

---

 

「あの人とあんた。両方男よね」

 

「はい」

 

「じゃ、仲良くしてもらいましょ」

 

 マグネは鉄の塊を肩から下ろす。男二人に、同じ極の個性を乗せていく。空気がかすかに鳴った。

 

 灰色の男が一歩踏み出すと、二人のあいだの空気が押し返す。二歩目で、男の革靴が石畳の上を滑っていく。前へ出た分だけ、後ろへ戻されるのだ。男が足を止める。自分の靴先と執事を見て、それからマグネを見た。

 

 目が合う。

 

 ――バレた。

 

 一秒もかからない。男は鉄の柄を部下に預け、背広の内側に手を差し込む。出てきたのは拳銃だ。磁力が乗るのは人だけで、鉛の弾には乗らない。やっぱり、無駄なことを一つもしない男なのよ。

 

「伏せて!」

 

 叫んだのと、執事がトガの頭を抱え込んだのが同時だった。

 

 銃声がアーケードの天井に跳ねる。弾はマグネの足元の石畳を削って、トガのほうには一発も飛んでこない。あの子の顔をしてる限り、撃てないのだ。

 

 執事はもう、トガの真後ろに体を入れている。袖口から糸が走る。左から来た男の足首に一本、右の男の手首に一本。二人が石畳に倒れ込む。三人目の喉元に届いた糸を、別の男が素手で掴んで引きちぎった。

 

 数が違いすぎるのよ。

 

「下!」

 

 マグネは顎で地下街の階段を示す。三人で階段を駆け下りていく。振り向きざまに磁石を振って、追ってきた二人を階段の上へ弾き返す。

 

---

 

 地下街は薄暗い。天井の蛍光灯が半分だけ点いて、閉じたシャッターが両側にどこまでも並び、奥が小さな広場になっている。湿った空気に、古い油の匂いが鼻をつく。

 

 二つ目の角を曲がったところで、上着の中で電話が震えた。

 

『ふたつとも持ってかれた!!持ってかれてねぇ!!』

 

 トゥワイスだ。

 

「……ってことは、持ってかれたのね」

 

 マグネはアルテミスの姿のトガを振り向く。

 

「トガちゃん」

 

「あぁ……」

 

 アルテミスの声が、少しだけ弾む。

 

「出番だね」

 

 マグネは脇に抱えていた包みを握り直す。トガの着替えだ。これを渡すのが、今日のあたしのいちばん大事な仕事だったりして。

 

---

 

 トガは自分の足で広場へ戻っていく。ちょうど、灰色の男が階段を下りてきたところだ。

 

 アルテミスの形をしたものが、その正面で立ち止まる。男がわずかに目を細めた。その目の前で、輪郭が崩れていく。背が伸びて、髪の色が戻って、顔の骨が組み変わる。アルテミスの声が、途中で高く裏返った。

 

「あっ!」

 

 トガの声だ。

 

「ごめぇん!時間切れちゃった」

 

 舌を出して、困ったように笑っている。作戦をしくじった女の子の顔だ。

 

 マグネは駆け寄って、包みを頭からかぶせた。ちらりと振り返ると、執事はとっくに壁のほうを向いている。

 

「……執事まで付けて、囮か」

 

 男が呟く。

 

「本物に執事を付けないはずがない。付けたのは、本物だと思わせるためだ。……なら本物は」

 

 そこで言葉が止まった。

 

 ――はい、おしまい。

 

 マグネは服の上から、トガの背中を軽く叩く。上手だったわよ、の代わりだ。

 

 銃口がゆっくりと持ち上がる。向いた先はマグネだ。

 

「磁力を解け」

 

「嫌よ」

 

「若はもういない。お前に用はない。用があるのはそいつだけだ」

 

「なおさら嫌ね」

 

 トガを背中にかばって、鉄の塊を両手で握り直す。

 

 三人のうち、この男を止められるのは誰か。考えるまでもない。トガはついさっき元の体に戻ったばかりで、服一枚しか持っていない。執事の糸は素手でちぎられた。そもそも、この男が欲しがっているのは執事本人だ。残るのはあたししかいない。

 

 あたしまで逃げたら、誰もこいつを止められないのは本当。でも逃げる必要もない。こういう男を足止めして、殴って黙らせるのは、昔からあたしの仕事だった。だって結構強いんだから。それに妹分の前で、かっこ悪いとこは見せらんないでしょ!

 

「……クラウディオ」

 

 声を落とす。

 

「あたしが飛ばすから、トガちゃん抱えて出口まで行きなさい」

 

「……マグネ様は」

 

「逃げるのはあんたたちの仕事。止めるのはあたしの仕事」

 

「マグネ様……坊ちゃんに言ったことをお忘れですか……」

 

「いいから!いきなさい!」

 

 クラウディオは動かない。

 

「行きなさい!」

 

 二度目でようやく、トガを抱き上げて走り出す。マグネは鉄の塊を振りかぶった。

 

---

 

 振り下ろしたのと、明かりが消えたのが同時だった。

 

 蛍光灯が一斉に落ちて、地下街は底まで黒く沈む。非常灯すら点かない。シャッターの向こうで冷蔵庫の唸りが止まり、遠くのエスカレーターの軋みが途切れる。

 

 磁石が二人を弾き飛ばす手応えがある。闇の向こうへ何かが滑っていく、風の音。銃声が一つ、二つ。弾はさっきまでマグネが立っていた場所の床を削っていく。振りかぶったときに、半歩ずらしてあるのだ。

 

 真っ暗で、自分の手も見えない。

 

 いいえ……見えないのはお互い様よ。向こうも撃てない。こっちの位置がわからないから。

 

 でもね……あたしは見えなくても届く。

 

 マグネは巨大磁石を握り直し、反対側の極を男へ向ける。両手の中の鉄の塊が、ぐっと一方向へ引かれた。右の奥。重い。人ひとりぶんの重さが磁石の向こうでこちらへ引きずられて、革靴が石の床を擦る音が近づいてくる。

 

 磁石があいつの居場所を教えてくれるのよね。

 

 引かれる方向へ、腰から振る。鈍い音が響く。コンクリートの柱を殴ったような手応えだ。

 

 倒れない。

 

 鉄の塊が途中で止まった。暗闇の中で、男の手が磁石の頭を掴んでいる。人の頭ほどの鉄を、片手で。

 

 次の瞬間、左の肩が焼けたように熱くなる。刃物だ。銃じゃない。見えない中で、この男は間合いに合った道具に持ち替えている。

 

「――っ、この!」

 

 マグネは極を裏返す。引き寄せから、弾く側へ。掴まれていた磁石ごと、男の体が闇の向こうへ吹き飛んだ。シャッターに叩きつけられる轟音が、地下街じゅうに反響する。

 

 膝をつきそうになるのを、磁石を杖にしてこらえる。肩が熱い。息が荒い。でも向こうからも次が来ない。一度引きずり込まれて殴られた男は、見えない中でもう一度近づいてはこない。やっぱりそういう男ね……やらしい。

 

 来なさい……いくらでも相手になるわ。

 

 マグネは暗闇に向かって磁石を構え直す。そのとき、左腕に何かが触れた。蜘蛛の糸みたいに細くてぴんと張ったものが、一本、また一本。暗闇の中で、壁から柱へ、柱から壁へ、糸が張られていく音がする。

 

「マグネ様!」

 

 すぐ近くで声がして、マグネはしばらく返事ができなかった。

 

「……なんで戻ってくんのよ……あんた」

 

 やっと出た声は、思ったより普通だ。

 

「今いいとこだったのに」

 

 磁石を握っていた指から、少しだけ力が抜けていく。

 

 広場の反対側で低い声がする。灰色の男が、電話の相手に短く答えている。確保二。撤収。了解した。通話の切れる気配のあとで、声が闇に向けられた。

 

「三十七番……今度でいい」

 

 少し間があく。

 

「……男……名は」

 

 マグネは暗闇を睨んだまま返す。

 

「女よ。『マグネ』覚えときなさい」

 

「……覚えておこう」

 

 足音が遠ざかっていく。肩に、執事の腕が回る。細いのに、少しも揺れない腕だ。

 

---

 

 地上に出ると、通りの信号が全部消えていた。アーケードの電光看板も、コンビニの明かりも、見える限りの窓が暗い。朝の光の中で、この一角だけが目を閉じたみたいに黙っている。

 

「……ついてたわね」

 

「ええ」

 

 答えながら、執事は消えた信号機をしばらく見上げている。

 

 石段の上で、トガが服にくるまって手を振っている。

 

「執事さん、戻ってきたのです」

 

「お待たせいたしました」

 

 石段に座らされて、マグネは執事の顔を仰ぐ。

 

「……ねぇ……あんた、なんで戻ってきたの」

 

「坊ちゃんのご命令ですので」

 

「嘘ばっかり」

 

 笑ったら、肩に響いた。

 

「あの子……今どこにいると思ってんのよ」

 

 クラウディオは答えない。かわりに、いつもの仕草で袖の埃を払おうとする。白い袖口にマグネの血が乾きかけていて、払いかけた手が途中で止まり、そのまま下りた。

 

 マグネはそれを、見なかったことにしてあげた。

 

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