「お前は残れ」
病院の通用口でアルテミスはそう告げた。
クラウディオは上着を腕に掛けたまま、一拍だけ止まっ
「……かしこまりました」
それ以上は何も言わない。
荼毘はもう外だ。その背中を追って振り返らずに歩く。振り返ればあの男がまだ同じ場所に立っているのがわかるからだ。
雑居ビルの屋上は風が強い。
給水塔の影に荼毘が座り込んでいる。その隣に立って、街の灯りを見下ろす。
約束の時刻を二分過ぎた。
上から羽音。
赤い翼が夜の中からゆっくりと降りてくる。屋上の縁に、音もなく足が着く。男は翼を半分だけ畳んで、両手をポケットに入れたまま軽く会釈した。
「どうも〜遅れてすいませんね、風が読めなくて」
笑って、それからこちらに目を留める。
「おっと、子ども連れ?」
初めて見たような顔だ。
「うちの金庫番兼マネージャーってとこだ」
荼毘が言う。
「へぇ、金庫番とマネージャー……若いね」
男はこちらに向かって、ひらりと片手を挙げてみせた。
「ホークスです〜よろしく、聞いた事あるかな?」
距離は五メートルもない。
男の顔を見上げたまま、口の中で言う。
「――
母語だ。息と変わらないくらいの声で、ホークスの笑顔は少しも動かない。
ただ背中の翼の一番外側の羽根が一枚だけ、風もないのに逆立った。
聞こえているのだ。
意味はわからないはずだ。わかるのは、聞き慣れない言葉の中に自分の名前が一つ混ざっていたことだけだろう。
それで十分だ。
「……で」
荼毘が座ったまま顎をしゃくる。
「No.2様がなんでこっちに来たがるんだよ」
「んー……そうね」
ホークスは屋上の縁に腰掛けて、足をぶらぶらと揺らす。高さを怖がる様子は、まったくない。
「俺さ〜今のヒーロー社会の事、けっこう疑問なんだよね」
「……」
「ランキングで順位つけて、グッズ売って、事件を取り合って。誰かが倒れたら次の誰かがニュースに出て、はい元通り。あれ、誰のためにやってんのかなってずっと思ってて」
軽い口調だ。
その声を聞きながら嘘ではないと思う。少なくともこの部分は。
「だったらさ、一回全部更地にしたほうが早いでしょ」
「……で、その話を俺にしてどうしたい」
荼毘が訝しげにホークスを睨む。
「ヒーローの内側にいる俺なら役に立てることも多いと思うんだよね。情報とか動きとか。外からじゃ見えないもの」
全部更地に……どこかで聞いた言葉だ。
火のそばで死柄木が言っていた。偽物も本物も、仕組みごと壊す。
この男が使っているのは、それとほとんど同じ形の言葉だ。偶然ではない。連合の頭が何を言う人間なのかを、来る前に調べてあるのだ。
混ぜ物をした品は、純度を測るまで値がつけられない。
家で最初に教わったことの一つだ。どれだけ見た目が良くても、何がどれだけ混ざっているかわからないものには、値をつけてはいけない。
この男の話には本物が混ざっている。ヒーロー社会への疑問。あれは作りものの声ではない。
そして、混ぜ物も混ざっている。更地にしたい。それを連合の頭の言葉で言う。
どこまでが本物で、どこからが混ぜ物か。
測れない。本物が混ざっているから捨てられない。ならば......混ぜ物が混ざっているから、保険は外さない。
---
ホークスが話しながら、何気なく指を動かす。
背中の翼から、赤い羽根が一枚音もなく抜けた。
風に乗るように、ゆっくりとこちらへ流れてくる。肩の上にそっと降りようとしているのだ。
触れる寸前で羽根は力を失った。ひらりと向きを変えて、足元に落ちていく。
ホークスの指が止まる。ほんの一瞬で、すぐにまた何事もなかったように動きだす。
しゃがんで羽根を拾い、ホークスのほうへ差し出す。
「……落とし物だ」
ホークスは手の中の羽根を見て、それからこちらの顔を見た。
笑顔はそのままだ。
「……どうも〜」
羽根を受け取る指先がこちらの手に触れる寸前で止まる。つまんだのは、羽根の端だけだ。
荼毘の目は夜景のほうに向いたままだ。何も気づいていないようだ。
「信用はしてねぇ」
荼毘が言う。
「No.2がいきなり来て仲間に入れてください、はいそうですか……にはならねぇだろ」
「ですよねー」
「だから一つ……やってもらう」
荼毘はポケットから煙草を出して、火をつける。自分の指先で。
「何処かで……脳無を戦わせる場を作れ」
ホークスの足が、ぶらぶらするのをやめた。
「……戦わせる?街中で?」
「そうだ、例えば九州……お前の縄張りだろ。誰かヒーロー呼んで、二人で並んで歩け。そこにこっちから一体落とす」
「脳無を?」
「脳無だ、神野とかの……知ってんだろ」
煙を吐く。
「舞台はお前が整えてちゃんと戦わせろ。お前も戦えよ、途中で邪魔が入らねぇように」
ホークスはしばらく黙って、それからいつもの声に戻る。
「街中で?死人が出たら俺の肩書き、吹っ飛びますよ」
「お前が助けりゃいい」
「脳無相手に簡単に言うなぁ〜多分強いでしょ?」
「No.2だろ」
「信用してないわりに、期待してくれるんだね」
「期待じゃねぇ……仕事をしろっつってんだよ」
「了解了解」
二人のやりとりは、黙って見ているだけだ。
忠誠を行動で証明させる。仲間になりたいなら、仲間の側でしかできないことを一つやってみせろ。やってしまえば、もう元の側には戻れない。
家でもやり方は同じだ。
「踏み絵か」
ホークスがこちらを見た。
「……家でもやる。いいんじゃないか」
ホークスの笑顔は変わらない。
ただ背中の翼が、ほんの少しだけ縮んだ。畳まれていた羽根が、もう一段体に寄る。
荼毘の電話が鳴った。
「……ちょっと待ってろ」
荼毘が給水塔の裏へ回っていって、屋上に二人だけが残る。
ホークスは屋上の縁に座ったまま、こちらを見ずに言う。
「ねえ〜金庫番くん」
「……なんだ」
「困ったことあったら言いなよ。お兄さんけっこう顔広いから」
軽い声だ……夜の風に紛れるくらいの。
この申し出には、先がある。
顔が広いのは本当だろう。困ったことがあれば、この男はきっと本当に何かしてくれるだろう。ただ、その何かの行き着く先がどこなのかは、もう見えている。
先が見えるものは、棚に入れられる。
「特には困っていない」
「……そっか、なら良かったよ」
ホークスはそれ以上は言わない。
荼毘が戻ってきた。
「話は終わりだ。福岡の件、段取りが決まったら連絡しろ」
「はいはい」
ホークスは立ち上がって、翼を広げる。
「じゃ〜また」
屋上の縁を蹴って、夜の中へ消えていく。しばらく、その方向を見ていた。
足元に、赤い羽根が一枚だけ落ちている。
さっき返したものとは、別の一枚だ。いつ落としたのかわからない。落としたのか置いていったのかも、わからない。
今度は拾わない。
枠は三つ。二つが埋まった。
外すつもりはない。
荼毘が、足元の羽根を顎で示す。
「土産まで置いてったか」
「わざとだろうな」
「だろうな」
荼毘が指先を羽根に向ける。青い火が一瞬だけ走って、赤い羽根は音もなく縮れ、黒い灰になって風にさらわれた。屋上のコンクリートには、小さな焦げ跡しかない。
「……そういや、最初にボソッと言ってたやつ。あれ、お前の国の言葉か」
荼毘が煙草の灰を落としながら訊く。
「母語だ」
「母語でもいけんのかよ」
「言葉は関係ない。本人が、自分のことだとわかる名前なら通る」
「ホークスってのはヒーロー名だろ……本名じゃねえ」
「あの男は……自分をホークスだと思っている。だから通る」
ヒーローは名前を売って生きている。テレビで、ニュースで、子どもの声で、毎日その名前で呼ばれる。呼ばれた数だけ、その名前が本人の中で本人になっていく。
「ヒーローは……だからやりやすい」
「へぇ……便利なもんだな。で……どう見た」
「ヒーロー社会が嫌いなのは本当だろう」
「仲間になりたいってのも?」
「それは嘘だ」
荼毘が笑う。
「気が合うじゃねえか」
「笑うところではない……追い返せばよかっただろう」
「No.2が自分から連合に近づいてきたんだ、使わずに帰すほうが勿体ねえ」
「向こうも同じことを考えている」
「知ってるよ」
あっさり返されて、荼毘の顔を窺う。
「……疑っているのに……仕事を任せるのか」
「疑ってるからだ。あいつに場所を選ばせる。ヒーローを連れてこさせる。俺たちに何を話して向こうに何を隠すか、順番に見りゃいい」
「……裏切ったら」
「No.2がこっちと話をしていた。それだけでも爆弾だ。まぁ今夜の話だけじゃ、しらばっくれられるけどな」
「だから……もっと動かすという事か」
「そういうことだ」
焦げ跡を見下ろす。
「俺にも触れようとした」
荼毘の笑みが消えた。
「……あの羽か」
「俺の肩で止まった……あの男は気づいている」
「お前の個性に?」
「何かある……というところまでだろう」
荼毘が舌を打つ。
「めんどくせぇな……連れてくるんじゃなかったか」
「俺が来ると言った」
「誘ったのは俺だっつってんだよ」
何も返さない。
荼毘は煙草をもう一本くわえて、火を灯す。
「それで……あいつが連れてくるヒーローも誰でもいいのか」
「誰でもいい」
答えが早い。
荼毘の手の甲に目をやる。昼間は縫い目から煙が上がっていた場所だ。
「……それも嘘だな」
荼毘は煙を吐いた。
「……お前ほんと嫌なところまで見るな」
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