カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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42話 四つの印

 

 

 

   福岡の空は低い。

 

 夕方の雲がビルの屋上すれすれまで垂れ込めて重い。フードを目深にかぶって、給水塔の陰に膝をつく。下の大通りまで二百メートルはあるだろう。中継カメラの画角からは外れている。

 

 隣で荼毘が胡座をかいている。

 

 背後には案内の脳無が一体、壁と同化するように立つ。帰りの泥はこちらの合図一つで開く手はずだ。

 

 膝に載せた帳面は二冊だ。首には双眼鏡を提げてきた。

 

 一冊はドクターの分で、ハイエンドの数字を取るためだ。

 

 もう一冊は荼毘に頼まれたものだ。

 

「応援のヒーローが着くまでの時間を測っとけ」

 

 出がけに荼毘はそう言った。

 

「あいつが公安に漏らしてりゃ、応援は早く来る。普段の福岡の出動時間は調べてある」

 

「平均で十一分だな」

 

「……もう調べてんのかよ」

 

「裏方だからな」

 

 下の大通りを、二人のヒーローが並んで歩いていく。

 

 赤い翼の男と、炎をまとった大男。

 

 ホークスとエンデヴァーだ。

 

---

 

 それは空から落ちてきた。

 

 アスファルトが砕けて土煙が上がる。その中から人の形をしたものが身を起こす。背中に畳まれた翼のような影。

 

 病院の地下で、荼毘が「一体貸せ」と見上げていた槽の中身だ。個体名はフード。

 

 帳面の一冊目を開いて時刻を書く。二冊目にも同じ時刻を書き込む。

 

 ハイエンドが何か喋ったが、ここまでは届かない。エンデヴァーが炎を噴き上げ、ホークスが羽根を散らす。

 

 通りにいた人間たちが、悲鳴を上げて逃げまどう。

 

 ホークスの羽根がその一人一人を拾っていく。

 

 赤い羽根が何百枚も通りに散っていく。逃げ遅れた老人の背中に、転んだ子どもの襟に、動けなくなった女の腕に。羽根が触れた人間から順に、ふわりと浮いて戦いの外へ運ばれていく。

 

 一人も取りこぼしていない。

 

 舞台を整えろと言われた男だ。ちゃんと戦わせろ、途中で邪魔が入らないように、と。

 

 あの男はその通りに動いているのだ。戦いの範囲を絞って、市民を外に出して、ハイエンドとエンデヴァーだけが残るように。

 

 そしてその整え方は、誰も死なないためのものだ。

 

 屋上で測れなかったものがここでは見えた。本物の部分は確かに本物だ。

 

 押されているのはエンデヴァーのほうだ。

 

 一冊目の帳面に数字を書き込んでいく。ハイエンドの再生にかかった秒数。炎の色から推定した温度。拳の速さ。二度目に同じ炎を食らったとき、ハイエンドが体をずらした角度。

 

 覚えているのだ。ドクターの言った通りだ。

 

 エンデヴァーの炎が、少しずつ当たらなくなっていく。

 

 それだけではない。

 

 ハイエンドの拳が振りかぶられる。エンデヴァーなら避けられる軌道なのに、避けなかった。

 

 背後の路地の入口に、羽根に拾われる寸前の男が一人、まだ立っていたからだ。

 

 拳を正面から受けて、エンデヴァーの体がアスファルトを削る。

 

 帳面の端に小さく印を刻む。避けられた一撃を避けていない。

 

 二度目の印はその三分後についた。三度目はさらに二分後。

 

 あの男のことは知っている。

 

 商店街で、マキシミリアーノに届かなかったNo.1だ。民間人があの男の目の前で死んだ。

 

 同じことを二度とさせない。

 

 そういう動き方だ。守りすぎて削られていくのだ。

 

 四度目の印をつけたとき、隣で荼毘が息を詰めた。

 

 帳面から顔を上げる。

 

 荼毘が身を乗り出す。

 

 膝の上で握った拳の、指の隙間から青い火が漏れている。本人は気づいていないようだ。火は拳の中で揺れて、消えて、また滲む。

 

 下の通りでエンデヴァーが膝をついた。

 

 ハイエンドがゆっくりと近づいていく。

 

 荼毘の腰が浮く。

 

 横顔を見ていると、荼毘は立ち上がりかけて止まった。

 

 そのままもう一度座り込む。拳を膝に押しつける。漏れていた火が、握りつぶされるように消えていく。

 

 下では、ホークスが最後の市民を羽根で運び出し終えるところだ。そして翼を広げて、エンデヴァーの横に降り立つ。

 

 自分の見ているものの意味を、考えずにいられない。

 

 この男はヒーローを焼きたい男だ。

 

 その男が、No.1が倒れないことを待っている。

 

 あの雑居ビルの屋上で誰でもいいと言った。あれは嘘だった。「誰」は最初からあの炎の男だったのだ。それは今わかった。

 

 でもなぜなのかがわからない。

 

 焼きたいなら今が一番いい。相手は倒れかけだ。ハイエンドの拳があと一度落ちれば終わりだ。それを待っていればいい。

 

 なのにこの男は倒れないことを待っている。

 

 理由がどこにも見当たらない。

 

 エンデヴァーが立ち上がる。

 

 ホークスの羽根が、ハイエンドの足を縫いとめた。一瞬だけ動きが止まる。

 

 その一瞬に、エンデヴァーはハイエンドの体を掴んで空へ跳んだ。

 

 炎が雲に届く。

 

 低い雲の底が真っ赤に燃える。夕方の福岡の空に、もう一つ太陽ができたようだ。

 

 帳面に時刻を書いて、それからしばらく書くのを忘れていた。

 

 炎の塊が、ゆっくりと降りていく。

 

 燃え尽きたハイエンドと、それを抱えたまま、まだ燃えているNo.1。

 

 大通りに着地して、エンデヴァーは片膝をついたまま拳を空に突き上げた。

 

 遠くから歓声が湧く。

 

 隣で荼毘の肩が一度だけ下がった。

 

 長く止めていた息を吐いたときの下がり方だ。

 

 応援のヒーローが大通りに着いたのは、それから数分後だ。

 

 二冊目の帳面に目を落とす。ハイエンドが落ちてきた時刻から、十一分と少し。福岡の平均とほとんど変わらない。

 

「……で」

 

 荼毘が立ち上がりながら言う。

 

「どうだった」

 

「応援が着いたのは十一分後だ。平均と変わらない。事前に呼んでいた形跡はない」

 

「合格か」

 

「数字の上ではな」

 

 荼毘はこちらの顔を一度だけ見て、それから下の通りへ視線を戻す。

 

「挨拶に行ってくる」

 

「……撤収は合図してからだ。三分以内に戻れ」

 

「わかってる」

 

 荼毘は屋上の縁から、非常階段のほうへ消えていく。

 

 双眼鏡は覗かない。

 

 覗けば荼毘の顔が見える。何を言っているかはわからなくても、どんな顔をしているかは見えてしまう。

 

 見なかった。

 

 かわりに、一冊目の帳面を閉じて膝の上で揃えておく。

 

 下の通りで一瞬だけ青い火が上がった。

 

 すぐに消える。

 

 歓声がどよめきに変わった。

 

---

 

 膝が、アスファルトから離れない。

 

 エンデヴァーは突き上げた拳をゆっくりと下ろす。腕が重い。顔の左半分が焼けるように痛む。自分の炎ではない傷が体中にある。

 

 歓声が耳に届く。

 

 どこか遠くで、誰かが名前を呼ぶ。

 

 羽根に運ばれていった者たち。路地の入口に残っていた男。転んだ子ども。動けなかった女。一人ずつ思い出せる限り。

 

 今日この通りで死んだ者は。

 

 いない。

 

 あの商店街から、ずっと数え続けてきた数が今日だけは増えなかった。

 

「……おめでとう……!エンデヴァー……!」

 

 声が煙の向こうから来た。

 

 黒い外套の男だ。

 

 継ぎ接ぎの皮膚。焼け爛れた首筋。ポケットに両手を入れたまま、燃え残った瓦礫を跨いで、ゆっくりと近づいてくる。

 

 エンデヴァーは立とうとしたが、膝が言うことを聞かない。

 

「……何者だ」

 

「ファンだよ!」

 

 男はエンデヴァーの五メートル手前で立ち止まった。

 

「いい炎だったな!ちゃんと勝ってくれて……助かった!」

 

「……ヴィラン連合の」

 

「覚えててくれて嬉しいなぁ」

 

 男が笑う。

 

 笑っているのに、目だけがまったく笑っていない。

 

「これから、もっと上に行けよ」

 

 男が言う。

 

「オールマイトの次はエンデヴァー……みんなそう言う!今日みんなそう思った」

 

「……何が言いたい」

 

「上まで行け……」

 

 男の指先に青い火が灯る。

 

「落ちるときは……高いほうがいいだろ」

 

 エンデヴァーはその火を見ていた。

 

 青い炎。自分の赤とは違う、温度の高い冷たい色の炎だ。

 

 なぜか目が離せない。

 

 赤い翼が二人のあいだに降りた。ホークスだ。エンデヴァーを背に男と向き合っている。

 

「エンデヴァーさん……動かないで」

 

「よお……No.2」

 

 男が言う。

 

「今日はずいぶん頑張ったじゃねぇか……ナイスサポートだぜ」

 

 ホークスは答えない。

 

 大通りの向こうで市民を誘導していた応援のヒーローたちが、こちらに気づいて駆けだす。

 

 荼毘が指先の火を消す。

 

「また会いに来る、死ぬんじゃねぇぞ」

 

 背を向けて燃え残ったビルの陰へ歩いていく。

 

「追え!」

 

 誰かが叫んだ。何人かが、男の消えた非常階段のほうへ駆けていく。

 

 エンデヴァーは膝をついたまま、男の背中を見ていた。青い火の残像がまだ目の奥に残っている。

 

---

 

 二分を過ぎたところで非常階段が鳴る。駆け上がってくる足音は一つではない。

 

 先頭が荼毘。その下から、いくつもの足音と怒鳴り声が追ってくる。応援に着いたばかりのヒーローたちだ。

 

 立ち上がって脳無のほうを振り向く。

 

「……半分だけ開けろ」

 

 脳無の口の縫い目が少しだけ裂けた。

 

 荼毘が屋上に飛び出してくる。手の甲の縫い目から煙が細く昇っていく。

 

「走れ!」

 

 泥の縁まで十メートル。

 

 階段口からヒーローが一人飛び出す。その後ろにもう二人。

 

 計算する。

 

 今泥を広げれば、あの三人まで届く。ヒーローを三人、病院まで連れて帰ることになる。広げるのを遅らせれば荼毘が捕まる。

 

 どちらも帳簿に載せられない損だ。

 

「伏せろ」

 

 荼毘が屋上に身を投げる。

 

 その頭上を、赤い羽根が一枚、弾丸のように通り過ぎた。

 

 羽根は荼毘の髪を一筋だけ切り落として、給水塔の鉄板に突き刺さる。甲高い音が響く。

 

 追ってきたヒーローたちの足が、その音に一瞬だけ止まった。

 

 外れた。

 

 違う。外したのだ。

 

 あの男の羽根が、伏せて止まった人間の頭を外すはずがない。

 

 下の通りは見ない。見なくてもどこから撃たれたのかはわかる。捕まえようとしたように見せて、追っ手の足だけを止めたのだ。

 

 その一瞬で距離が開く。

 

「今だ」

 

 脳無の口が裂ける。黒いものが自分と荼毘の足元にだけ広がって、膝まで這い上がってきた。

 

 給水塔に刺さった羽根が、夕方の風に揺れて止まない。

 

 黒いものが視界を塗り潰した。

 

---

 

「……やっぱりくせぇ」

 

 病院の白い床に転がり出て、荼毘が最初に言ったのがそれだ。

 

「おかえりー!荼毘くんちょっと焦げてません?」

 

 トガが廊下の向こうから走ってくる。その後ろで、スピナーが「生きてた……」と壁にもたれて動かない。

 

 クラウディオが立っていた。

 

 出るときに見送った通用口のちょうど内側だ。いつからそこにいたのかは、訊かなくてもわかる気がする。

 

「おかえりなさいませ、お二人とも」

 

 執事の目が、こちらを頭から足の先まで一度だけ往復する。袖、膝、手の甲、フードの縁。

 

「怪我はない」

 

 訊かれる前に先に言っておく。

 

「……左様でございますか」

 

「過保護かよ」

 

 荼毘が床に座り込んだまま言う。

 

「恐れ入ります」

 

 クラウディオに持たされていた小さな缶を懐から出し、荼毘に放ってやる。

 

「……なんだこれ」

 

「火傷の薬だ。クラウディオが持たせた」

 

「いらねぇ」

 

 そう言って荼毘は缶をポケットに押し込んだ。

 

「数字は!数字は取れたかの!」

 

 白衣の老人が、廊下の奥から小走りでやってくる。眼鏡の奥の目が子どもみたいな輝きだ。

 

 一冊目の帳面を差し出す。

 

 殻木はそれを両手で受け取って、その場で頁をめくりだす。再生の秒数、炎の温度、二度目の炎を避けた角度。老人の口から、うんうんと唸るような声が漏れる。

 

「いい数字じゃ。実にいい」

 

 何も言わない。

 

 帳面の端を一筋だけ破り取ってある。避けなかった一撃の四つの印。

 

 それだけは渡さなかった。

 

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