カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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43話 外れ値

 

  どのチャンネルも、同じ映像を流している。

 

 雲の底を焼く炎と拳を突き上げる大男。画面の下に、白い文字で「No.1」と出ている。

 

「すっげぇ……」

 

 病院の休憩室のテレビの前で、スピナーが口を開けている。

 

「スピナーくん……あれ、私たちの敵なんですけど」

 

 トガが呆れた顔で言う。

 

「わかってるよ!」

 

「目がキラキラしてたよ、スピナーくん」

 

「してねぇ!」

 

 トガがけらけら笑う。

 

 荼毘は部屋の隅の長椅子に寝転んで、天井を見たまま動かない。テレビのほうには、一度も顔を向けない。

 

 クラウディオが、荼毘の脱ぎ捨てた上着を拾い上げて畳む。

 

 ポケットから、小さな缶が転がり出た。

 

 執事はそれを拾って、手の中で一度だけ重さを確かめる。昨日渡したときより軽い。蓋もほんの少しだけ緩い。

 

 執事は何も言わずに缶をポケットに戻して、上着を長椅子の背に掛けておく。

 

---

 

 帳面を三冊並べてある。

 

 一冊目は地下の出入り。二冊目は連合の食費と医療費。三冊目は、病院の表の帳簿の写しだ。

 

 合わない。

 

 病院の表の収益だけでは、地下の槽を維持する金が出ない。そこに連合九人分の飯と薬と、泥の脳無の運用が乗っている。どこかから、別の金が流れ込んでいるのだ。

 

 そして、その金を出している側に見返りがほとんどない。

 

 ハイエンドの調整に付き合う、それだけだ。その程度の労働に払う額ではない。

 

 取引として成立していない。

 

 帳面を閉じて地下へ降りた。

 

---

 

 殻木は槽の前の机で、何かを書いている。

 

「おおアルテミスくん、どうしたかの」

 

「なぜ……金を出す」

 

 老人のペンが止まった。

 

「連合に出している額は、調整の手伝いの対価として多すぎる。見返りが釣り合っていない。取引として成立していない」

 

「細かいのう」

 

「金の話だろう、細かくて当然だ」

 

 殻木は眼鏡を外して、白衣の裾で拭く。

 

「弔を完成させろと先生に言われとる……それが一つ目の理由じゃ」

 

 完成。

 

 人に向ける言葉ではない。家でさんざん聞いた言葉と、同じ種類だ。最高傑作。到達点。器。

 

 ただ、この老人の言う完成が具体的に何を指すのかは、わからない。

 

「それだけでは……帳簿が合わない」

 

「そうじゃろうな」

 

 殻木は眼鏡をかけ直して、こちらを見た。

 

「金を出しとるのはわしの勝手でな。七十年前にの」

 

 老人がペンを机に置く。

 

「わしは一つ論文を出した。個性は代を重ねるごとに混ざり合って、複雑になって強くなる。じゃが……それを入れとく体のほうは、そう簡単には変わらん」

 

「……」

 

「個性はソフトウェアで、体はハードウェアじゃ。ソフトばかり膨らんでハードが追いつかん。いつか体のほうが耐えられんようになる。メモリが足りなくなる……そういう話じゃ」

 

 殻木が少し笑う。

 

「笑われたよ。オカルトじゃと。根拠のない危険思想じゃと。学会を追われて、名前も研究もぜんぶ失くした」

 

「……」

 

「拾ってくれたのがあの方じゃった」

 

 老人が背後の槽を仰ぐ。

 

「それからずっと、あの方の下で研究を続けとる」

 

 黙って聞く。

 

「あの方も昔……噂くらいは聞いとったらしいがの。メキシコにそういう家がある、と。長い間、個性を掛け合わせ続けとる一族が」

 

「……家を……知っていたのか」

 

「噂だけじゃ……わざわざ海を渡る理由がなかった。あの方には、ずっと追いかけとるもんがあったからのう。他のことは、ぜんぶ後回しじゃ」

 

 少しだけ言葉が出ない。

 

 二百年、自分たちこそ世界の頂点だと信じて血を磨いてきた家が、あの男にとっては海を渡る価値もない噂話だったのだ。

 

「……家の者が聞いたら……怒るだろうな」

 

「ほっほ。じゃろうな」

 

---

 

「あの白い髪の男の仕事、検死と戦闘の記録を見たわい」

 

 殻木が言う

 

「商店街の遺体じゃ……うちにも何体か回ってきた。吸って、老いさせて、エネルギーを利用する、それだけの個性じゃった」

 

「……」

 

「二百年かけて血を選び続け、磨いてあれか……とな。正直、拍子抜けしたわい」

 

 あの男のことは知っている。

 

 治崎を干した。人を何人も殺した。席持ちの大人たちでさえ、あの男の前では目を伏せたままだ。

 

「……家の者の大半は……あれの前で口がきけない」

 

「比べるものを知らんからじゃよ」

 

 殻木の返事は、あっさりしたものだ。

 

「二百年程度の真っ当な品種改良じゃ、平均が上がるだけじゃ。あの男みたいにのう、強い……じゃが常識的な強さじゃ」

 

「……」

 

「頂上の先に行きたけりゃ、外れ値を狙うしかない。狙って出せるもんじゃないがの」

 

 老人の目がこちらに向く。

 

「君のような」

 

 何も言わない。

 

 家は自分を二百年かけて作ったと言っていた。二百年の設計の答えだと。最高傑作だと。あの四か月も、全部その前提の上にあったのだ。

 

 この老人は、作れるものではないと言う。たまたま端に出た一点だと。

 

 悪い気はしない。

 

 それが少し気味が悪い。

 

「君のは放出系、身体変化や異形系の個性とは違う。個性の上に個性を置く……ソフトの重さの話じゃないのう、もっと根っこのところに触っとる」

 

 殻木の目が、眼鏡の奥で細まっていく。

 

「君は……わしが正しかったことの証明なんじゃよ。だからの」

 

 老人が机の上で指を組む。

 

「金を出しとる、君を飢えさせるわけにはいかんじゃろう」

 

 その言葉の意味を帳面の上で並べ直す。

 

 連合の飯と屋根、薬に脳無。

 

 全部……自分という外れ値を、この老人の手の届くところに置いておくための金だ。

 

「……調べないという条件は、呑んだはずだ」

 

「呑んだとも!わしは君を調べんよ」

 

 殻木がにこにこと笑う。

 

「わしが見たいのは……君の次じゃからの」

 

「……次」

 

「外れ値の子が、外れ値を産むのか。頂上を越えた先で、体は持つのか。それが見たいんじゃ、急ぐ理由はないからの。何年でも待てる」

 

 老人の顔から目を離さない。

 

 言っているのは家と同じことだ。

 

 許嫁も、あの四か月も、全部「次」のため。自分が逃げてきたのは、次を作るための部品として扱われることからだ。

 

 同じ問いを、今度は味方の屋根の下で、善意の顔で向けられている。

 

 家の大人たちだけではない。

 

 席持ちの家に同い年の男の子がいる。屋敷で自分をテミと呼ぶのは、あいつだけだ、席の話も血の話もしない。数字の話をすれば最後まで聞いて、わからないところはわからないと言う。家の中で、たった一人の味方だと思っていた。

 

 許嫁が決まって、ひと月ほど経った頃だ。

 

 中庭の噴水の縁に並んで座っていたとき、あいつが急に言った。

 

「ねえ……テミ」

 

 水面を見たまま、笑っていた。

 

「僕たちの間には、子どもはできないけどさ。いつかテミに子どもが生まれて、僕にも生まれて……その子たちが結ばれれば、ちゃんと血が繋がるよね」

 

 いい考えでしょう、という顔だった。

 

 自分が何を言っているのか、あいつはわかっていなかった。わかっていないまま、家の言葉で一番大事なことを言っていた。

 

 あいつは悪くない。悪くないから言い返せなかった。

 

 返事はしなかった。あの日から、あいつの前で数字の話をするのをやめた。

 

「次を決めるのは……家じゃない、あなたでもない」

 

 殻木の笑顔が、ほんの少しだけ止まる。

 

「……ほう」

 

「掛け合わせで決められる次は……もう作らせない」

 

 老人はしばらく黙り込む。

 

 それからまた笑う。さっきまでより、少しだけ薄い笑い方だ。

 

「それもまた……一つの答えじゃのう。まあどのみち、体のほうが先に耐えられんようになるかもしれんしな」

 

 そう言って、老人の目が一瞬だけこちらの背後に動いた。

 

「おい、ジジイ」

 

 背後の扉のところに、荼毘が立っている。

 

「品種改良だの外れ値だの、気持ち悪ぃ話をガキに聞かせんな」

 

「ほっほ、そうじゃったの」

 

 殻木はあっさりと引く。引き方が早すぎる。

 

 二人を見る。荼毘は殻木を見ていて、殻木は荼毘を見ている。ほんの一瞬、何かが二人のあいだを通った。それが何なのかはわからない。

 

「……それと」

 

 荼毘が、面倒くさそうに頭を掻く。

 

「トガのやつが血を吸う機械が壊れたってうるせぇ。直せ」

 

「おお……あれか!古い型じゃったからのう。新しいのを作ってやろう」

 

「さっさとしろよ……俺が使い走りさせられてんだよ」

 

 荼毘が踵を返す。

 

 その背中を黙って見送るしかない。

 

 さっきの老人の目は、確かに荼毘のほうへ動いた。体のほうが先に耐えられなくなると言ったときに。

 

 自分の火で自分を焼く男。

 

 その先を考えようとして、材料が足りないことに気づく。

 

---

 

 休憩室に戻ると、トガとスピナーがトランプをしている。

 

「アルテミスくん〜やる?スピナーくん今日まだ一回も勝ってないの」

 

「言うなよ!」

 

 クラウディオが、テーブルに湯呑みを並べている。

 

 部屋の入口で足が止まった。

 

 この部屋の電気と湯呑みの茶。トガの新しい機械にスピナーの咳止め。山で肋を折った死柄木の添え木。マグネの包帯。コンプレスとトゥワイスの飯。

 

 全部同じ金から出ている。

 

 自分の値段で九人が食えている。家では、自分の値段は家のために使われるものだった。

 

 ここでは同じ値段でこの連中が食えている。

 

 悪くない使い道だと思ってしまった。

 




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お知らせです。これまで毎日更新してきましたが、次の水曜日から月・水・金・日の週4回(20時10分)の更新に変わります。閑話や0.5話は、今まで通り本編と同じ日に投稿します。ここから重い場面が続くので一話ずつ丁寧に仕上げてお届けしていきます。

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