閑話
「ババ抜きにしようぜ」
スピナーが言い出す。
病院の休憩室。夜の十時を回っている。テレビでは深夜の通販番組が、よく切れる包丁を繰り返し売っていた。
「え〜七並べがいいです」
「お前が止めるからずっと出せねぇんだよ!」
「だってハートは……カワイイから出したくないのです!」
「神経衰弱にしろ」
「お前が全部覚えてるから勝負にならねぇんだよ!」
スピナーがこちらを指差す。
「大富豪にしろよ」
「お前が革命ばっかすんだよ!」
「気持ちいいだろあれ」
長椅子に寝転んだまま、荼毘が言う。
「だからババ抜き!ババ抜きなら運だろ!運なら俺でも勝てる」
帳面から顔を上げる。
「ババ抜きは運ではない」
「……は?」
「相手の表情と手の動きの読み合いだ。どのカードに手を伸ばしたとき、相手の顔が変わるか。どこに札を置き直すか。運の要素は、最初の配りだけだ」
スピナーはしばらく黙っていた。
「……なんで俺なんだよ」
「まだ何もしていない」
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クラウディオが四人分の札を配っていく。
「執事さんはやらないの?」
「主と卓を囲むわけにはまいりませんので」
「えー」
「配る役を務めさせていただきます」
執事は配り終えた札の残りをきちんと揃えて、テーブルの端に置く。
全員が手札から、揃った組を捨てていく。
こちらの手には札が六枚残った。ババはない。
順番は、アルテミス、スピナー、トガ、荼毘。
スピナーの手札に指を伸ばす。
右端。スピナーの顔は動かない。
右から二枚目。動かない。
真ん中。
スピナーの目が少しだけ見開かれる。口の端が上がりかけて、止まった。
真ん中の一枚の、隣を抜く。
「あっ」
「ババは真ん中だな」
「言うなよ!!」
三周目で、スピナーの手にはババだけが残った。
「なんで俺なんだよ……」
「顔に全部出ている」
「出てねぇよ!」
「出ていた……真ん中に指が来たとき、少し嬉しそうだった」
スピナーが両手で顔を覆う。
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二回戦。
スピナーの希望で、席替えだ。
ババは荼毘に配られている。
それだけはわかった。組を捨て終えたあと、荼毘は手札の一枚を、端から真ん中へ差し替えたのだ。ババを持っていない人間は、札の位置を気にしない。
ただ、それ以上がわからない。
荼毘の手札に指を伸ばす。
右端、荼毘の顔は動かない。
真ん中も動かない。
左端も、やはり動かない。
どの札に指を置いても、荼毘の顔は長椅子で天井を見ていたときと何ひとつ変わらない。目も、口元も、指も。
読めない。
この男の打算だけはいつも読めない。
それはトランプでも同じだ。
真ん中を抜く。
ババだった。
「……チッ」
「残念」
荼毘が言う。声だけが笑っていて、顔はやっぱり何も変わっていない。
ババを自分の手札に混ぜる。次に引くのはスピナーだ。スピナーの手が伸びてくる。
顔は動かさない。
スピナーはババを引いた。
「なんで俺なんだよ!!」
「顔に出ていない相手から引くときは、確率の問題だ」
「じゃあ運じゃねぇか!」
スピナーの手からトガへ、トガの手から荼毘へ、ババが回っていく。
荼毘の番になったとき、荼毘は手札のババを一枚、指でつまみ上げた。
指先に青い火が灯る。
「燃やせば終わんだろ」
「反則だろそれ!!」
スピナーが叫ぶ。
ババの端から、黒い焦げが広がっていく。
「失礼いたします」
クラウディオが、テーブルの端に揃えてあった札の山から一枚を抜いて差し出す。
ジョーカーだ。
「予備がございます」
「……なんで二枚目があんだよ」
「新しい束には、たいてい二枚入っておりますので」
荼毘は焦げたババを灰皿に落として、舌打ちする。予備のジョーカーが、荼毘の手札に加わった。
二回戦も、最後にババを持っていたのはスピナーだ。
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三回戦。
また席を替える。
トガの手札に指を伸ばす。
右端。トガはにこにこしている。
真ん中。トガはにこにこしている。
左端。トガはにこにこしている。
指が止まる。
トガはどの札を指されても、同じ顔だ。ババを持っているときも、持っていないときも。
隠しているのではない。隠すものがないのだ。
ババを抜かれても抜かれなくても、この娘にとっては同じなのだろう。勝ち負けの先に、何も置いていない。だから顔が動かない。
先のないものは読めない。
右端を抜く。
ババではなかった。ただ、ババがどこにあるのかも、わからないままだ。
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四回戦の終盤、手札が残っているのはアルテミスとトガだけになった。
スピナーは真っ先に上がって、長椅子の上で拳を突き上げている。
「俺ビリじゃねぇ!! 初めてビリじゃねぇ!!」
荼毘も二番目に上がって、また天井を見ている。
こちらの手には、二枚。
一枚はハートの七。
もう一枚は、ババだ。
トガの手には、一枚。ハートの七の相方だ。
トガが引いてハートの七を取れば、トガの上がり。ババを引けば、勝負は続く。
二枚の札を、トガのほうへ向ける。
顔は動かさない。目も、口元も、指も。スピナーには真似できない、家で身につけた顔だ。
トガが札に指を伸ばす。
右の札の上で、指が止まった。
左の札の上に移る。
また右に戻る。
そして、にっこり笑った。
「こっち」
ハートの七だ。
トガは自分の手札と揃えて、テーブルに放る。
「上がりー!」
手に、ババが一枚だけ残った。
「……なぜわかった」
「んー?」
トガが首を傾げる。
「アルテミスくん、ババ持ってる手のほう指されるとね、ちょっとだけ瞬きしなくなるの」
何も返せない。
「ほんのちょっとだよ。一回分くらい」
「……」
「だって、ずっと見てるもん」
トガは、それが当たり前のことのように言う。
言い返す言葉が見つからない。
ずっと人の顔を読んで生きてきた。誰が何を欲しがっていて、どこに手を伸ばせば顔が変わるか。
読まれたことは、あまりない。読まれないように、顔を作ってきたのだ。
トガは先のない好意で、ずっとこちらを見ていた。そして、自分でも知らなかった瞬きの一回を見つけたのだ。
「負けだな、金庫番」
荼毘が天井を見たまま言う。
「俺より下!!アルテミス俺より下!!」
スピナーが長椅子の上で跳ねている。
「スピナーくん……大人気ないのです」
「うるせぇ!勝ちは勝ちだ!」
クラウディオが、テーブルの札を静かに集めはじめる。四回分のババ抜きの札を、ハートからスペードまで、きちんと順番に揃えていく。
その手がババのところで一度だけ止まった。手の中に、まだ一枚残っているからだ。
ババを見下ろしたまま、口を開く。
「……もう一回だ」
「いいよー!」
「え、俺も?」
「当然だ」
「なんで俺なんだよ……」
荼毘が長椅子から起き上がって、テーブルの前に座り直す。
クラウディオは集めかけた札をもう一度広げていく。
「かしこまりました」
執事の口元が緩んでいたかどうかは、ババを見下ろしていたせいでわからない。
夜はまだ長い。