夜の倉庫街には人がいない。
潮の匂いと錆の匂いが混ざって鼻の奥に貼りつく。並んだシャッターのどれにも、聞いたこともない会社の名前ばかりだ。
「なあ……なんで俺なんだよ」
声を潜めたつもりが、思ったより響く。
「死柄木もマグ姉もマキアとやり合ってるし、コンプレスとトゥワイスも山だってのはわかってるよ、だからって俺かよ」
「見張りだ」
前を歩くアルテミスが振り向きもせずに言う。
「刀を持っていて目立たない。条件に合うのがお前だった」
「目立たないって言ったか今」
「言った」
隣でトガがくすくす笑う。
「スピナーくん、褒められてますよ」
「褒められてねえよ!」
最後尾の荼毘は火のついていない煙草をくわえて、面倒くさそうに肩を回す。さっき火をつけかけて、アルテミスに「着いてからだ」と止められていた。
目当ての倉庫は列の一番奥だ。
錆びたシャッターに「丸岡運輸」の文字。
「ほら、これ!」
トガが指を差して小さく跳ねた。
「八斎會の地下で作業してた人たちが言ってたんです。残りは丸岡に回すって。丸いのに岡ってなんか変だなーって思ったから覚えてたの」
「それだけで覚えてたのかよ」
「それだけで覚えてたの」
アルテミスが帳面を開いて、一度だけ指でなぞってみせる。
「出向していた間に、組の金の出入りは全部見た。この名前は一度だけ出てくる。荷を預けた月に払って……それきりだ。組とは関係のない名義になっている」
「つまり?」
「治崎はここを誰にも教えていない。警察も知らない」
あの日のことを思い出す。
高速道路の歩道橋の上から、護送車を見下ろしていた。弾を取りに行って、取れずに帰った日だ。白い髪の男が車の横に立って空を見上げていた。護送についてた警官とヒーロー、十六人が全員干からびていた。あの光景は今でもたまに夢に出てきやがる。
あのとき取り損ねた弾の残りが、このシャッターの向こうにあるらしい。
トガが髪からピンを一本抜いて南京錠をいじりだす。三十秒もかからない。
「開きました!」
「……お前それどこで覚えたんだよ」
「ないしょです」
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中は真っ暗だ。
懐中電灯の丸い光が、積み上げられた段ボールの壁を撫でていく。洗剤。トイレットペーパー。日用品とだけ書かれた箱。埃をかぶって、どれも何年も動かされていないようだ。
「こんなとこにあんのかよ」
「荷物の中身を見る者はいない。だからここに置いたのだろう」
アルテミスは奥の壁まで歩数を数えるように進んで、一番奥の列の前で足を止めた。
「荼毘。ここをどけてくれ」
「人使いが荒ぇな」
荼毘が段ボールを三つ四つ横に放ると、その裏から灰色の金属の棚が出てきた。扉は一枚だけで、取っ手には鎖が巻きつけてあった。
鎖の錠をトガのピンが外して扉が開く。
銀色のケースが一つ。
アルテミスが留め金を外して蓋を上げる。
中には小さな弾がずらりと並ぶ。先が尖り、透けた胴の中で赤っぽい液体がわずかに揺れる。トガが言っていたとおりの、注射器みたいな弾だ。
「……これ一発で個性が消えんのかよ」
「当たればな」
喉が鳴る。
アルテミスは並んだ弾を端から目で追って、それから蓋を閉じた。
「スピナー、お前が持て」
「は!?なんで俺が!」
「両手が空いているのはお前だけだ」
押しつけられたケースは、思ったよりずっと軽い。この重さで、人の一生を変えちまう。抱えた腕に変な汗が滲む。
「落とすなよ」
荼毘が笑う。
「落とさねえよ!」
そのときシャッターが鳴った。
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軋みながら、シャッターが半分まで上がっていく。
懐中電灯の光が三つ、こっちの顔を順に舐めていく。
「……誰だ」
男が三人。どれも地味な上着で、顔はやつれて無精髭が伸び放題だ。一番前の男の首には、黒いペストマスクが紐でぶら下がったままだ。
八斎會の連中だ。
シャッターまで十歩。三人の光の輪が、こっちの足元まで届いている。
「それを置け」
前の男がこちらの腕のケースを顎で示す。
「それはうちのもんだ」
「うちのもん、ねえ」
荼毘が火のない煙草を指で挟む。
「組はもうねえだろ」
「兄貴……こいつら連合だ……見た顔だ」
後ろの若い男の声は震えっぱなしだ。
前の男の光が、アルテミスの顔で止まる。
「……お前」
声が一段低く沈む。
「若頭が連れてきた外人のガキか」
アルテミスが懐中電灯の光を片手で遮って、男の顔を正面から見る。
「久しぶりだな、安田」
アルテミスは表情も変えずに答えた。
「地下にいた間、毎朝飯を運んできたのはお前だった」
男の顔が引きつる。名前を呼ばれるとは思っていなかったのだろう。
「……お前のせいだ」
懐中電灯を握る手が白い。
「お前が来てから全部狂った……若頭は捕まって、護送の途中で死んだ……あの白い髪の化け物にやられたんだ……表に出りゃサツとヒーローに追われる……裏に潜ったって、あの化け物がまだこの国にいるかもしれねえ」
「兄貴、もういいって……早く」
「だからそいつを売る」
男の目がケースに戻っていく。
「売って海の向こうに逃げる。それだけだ」
「売り先は決まっているのか」
「てめえに関係ねえだろ」
「関係はある」
アルテミスの声は平らなままだ。話しながら、男の顔から一度も目を離さない。
「この弾を買える客は、この国には数えるほどしかいない。お前たちが売りに出た時点で、その話はあの男に届く」
「……あ?」
「届けば、あの男はここへ辿り着く。弾を誰が持っていて、誰と一緒にいたかまで」
意味がわかったのかどうかはわからない。わかったとしても、もう遅かったのかもしれない。
前の男の手が上着の内側に滑り込む。抜き出したのは白鞘のドスだ。
「――ガキがッ!」
男がアルテミスに向かって踏み込む。五メートルもない。
速い。
声を上げる暇もない。
アルテミスは一歩も動かない。
「アルテミスを上に、安田を下に」
ドスの切っ先がアルテミスの上着に届く。
そこで止まる。
布一枚の上で刃が止まったまま、どれだけ押し込んでも一ミリも進まない。男の顔が、わけのわからないものを見る顔に変わっていく。
その横顔を青い火が呑んだ。
悲鳴は短い。焦げた匂いが鼻を刺して、男の体が段ボールの上に崩れ落ちた。
残った二人のうち、若い方がこっちへ飛んでくる。狙いはケースだ。
考えるより先に、背中の刀を抜いていた。
片腕でケースを抱えたまま、横に薙ぐ。刃が何かに食い込んで、重い手応えが腕まで返ってきた。男はケースに手を伸ばした格好のまま、床に膝をつく。
それきり起き上がらない。
最後の一人がシャッターの隙間へ走りだす。
「逃がすな」
アルテミスの声は、さっきまでと少しも変わらない。
「はーい」
答えるより早く、トガの影がもう男の背中に追いついている。ナイフが一度光って、男が前のめりに倒れた。シャッターの下から突き出た片腕が、二度三度ひくついて止まる。
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倉庫の中に残ったのは、焦げた匂いとトガの鼻歌だけだ。
刀を握った右手が言うことを聞かない。指を開こうとしても開かない。刃の先から、黒っぽいものが床に一滴落ちていく。
「スピナーくん」
トガが顔を覗き込んでくる。頬には返り血が一筋。
「手、震えてますよ」
「……震えてねえ」
声が掠れて情けない。
アルテミスは焼けた男のそばにしゃがんで、上着のポケットを一つずつ探っていく。財布。札束。それからフェリーの乗船券が三枚。
「釜山行きだ」
乗船券を懐中電灯にかざして、それだけ言う。
「明日の朝の便か。逃げる先まで決めていたらしい」
その顔を見る。
何も変わっていない、人が三人死んだ。死なせたのはこっちで、最後の一人は「逃がすな」の一言で死んだ。それなのにアルテミスの顔は、さっき帳面をなぞっていたときとまるで同じだ。
「……なあ」
口が勝手に動く。
「お前……平気なのかよ」
「何がだ」
本当に何を訊かれているのかわかっていない顔で、アルテミスがこちらを見上げた。
答えられない。
「この三人をここに残せば、ここから辿られる」
アルテミスは乗船券を男のポケットに戻して立ち上がる。
「辿られればあの男が来る。荼毘、全部焼いてくれ。骨も残らないように」
「注文が多いな」
荼毘が煙草にようやく火をつけて、深く吸う。
「さっき止められた分だ」
青い火が三つの体を順に包んでいく。段ボールには燃え移らない。荼毘の火は、焼くと決めたものだけを焼いていく。
気づけば、荼毘の目がこっちの刀に向いていた。
「刀拭いとけ……錆びるぞ」
それだけ言って、また火の方へ向き直ってしまう。
上着の裾で刃を拭う。拭っても拭っても、指の間に何かが残っている気がしてならない。
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病院の地下に戻ると、殻木が槽の前の机から跳ねるように立ち上がった。
「それかね、それかね!」
抱えてきたケースを机に置くと、老人は子どもみたいな手つきで留め金を外す。蓋を上げて、並んだ弾を一つずつ指で数えていく。
「完成品がこれだけ残っとったか……ほうほう。これがあれば構造が読める。読めればいくらでも増やせるわい」
「増やす?」
思わず訊き返す。
「材料の子がおらんでもな、作り方さえわかればのう」
殻木がにこにこ笑う。
隣のアルテミスの目が、ほんの少しだけ細くなったように見えた。何を考えているのかはわからない。何も言わずに、老人の指が弾を数えるのを見つめるだけだ。
ケースを渡してしまうと腕が急に軽い。
洗面所で刀を水に浸す。
流れていく水が薄く色づいてすぐに透明に戻る。それを何度も繰り返す。柄木がいたら何て言っただろう?たぶん何も言わない。首を掻いて「で、取れたのか」と訊くくらいだ。
それで十分な気もした。
水を止める。
蛇口の銀色に自分の顔が映りこむ。
あいつみたいな顔にはまだ全然なれそうにない。
今日の21:10にまた次話投稿します 10/26