保須の事件は、その日のうちに全国に流れた。
店のモニターに映っているのは、ヒーロー殺し・ステインの姿だ。ぼろ布を巻いた体を血で濡らしたまま、ヒーローたちに囲まれて立っている。そして叫ぶ。贋物ども、と。自分を殺していいのは本物の英雄、オールマイトだけだ、と。
その声を聞いたヒーローたちが、ひとり残らず足を止めている。
「……」
カウンターに肘をついたまま、死柄木は一言も言わない。
映像は何度も繰り返し流される。キャスターが眉をひそめて、コメンテーターが危険思想だと繰り返して、それでも同じ場面がまた映る。
それを離れたところから見ている。映像そのものより、死柄木の背中を。ゲーム機も触らず、首も掻かずに、男はただ画面を見ていて動かない。
「……あいつ……負けたのに」
ぽつりと死柄木が言う。
「なんで……全員あんな顔してんだよ」
答えない。答えはたぶん、この男が自分で見つけるべきものだ。
三日後には、店の前に人が来るようになった。最初は一人、次の日には三人。ステインの映像を見て、ヒーロー殺しの仲間がいると聞きつけてきた連中だ。
そのうち半分を追い返す。話にならない相手を選り分けるだけで、一日が潰れていく。
四日目に来たのは、追い返せない男だった。サングラスに派手なスーツで、名刺を一枚カウンターに滑らせてくる。
「参ったねぇ。こんなに客が増えるとは」
「義爛……ヴィラン専門の仲買人……ってとこかな。ステインの一件で、あんたらの名前が方々で出ててね」
「用件は」
訊くと、義爛が眉を上げる。
「おっと……話す相手を間違えたかな」
「金の話ならば俺だ」
「……へえ」
サングラスの奥でこちらを眺めて、義爛はカウンターの死柄木に目を戻す。
「人を集めたいんだろ?紹介料は一人いくら、集めた数に応じて割引もあり。身元確認、素行の確認、能力の確認、全部こっちでやる。ヴィランの人材派遣だと思ってくれ」
「……安くしろ」
死柄木が言う。
「そういう交渉は、こっちにしろ」
前に出る。
「単価は一人二万だ」
「二万?」
義爛が吹き出した。
「おいおい、それじゃ紹介料じゃなくて駄菓子代だ。この業界の相場知らねえのか」
言われて、口にした数字を頭の中でもう一度並べ直す。数えていたのは円ではなかった。
「……ペソで言った」
「ペソ?」
「十六万だ」
「……へえ」
義爛の目が、サングラスの奥で細くなる。
そこから先は、ほとんど二人だけの話になる。一人あたりの単価、まとめて雇う場合の下げ幅、紹介した相手が使い物にならなかった場合の扱い、支払いの時期。最初は子ども相手に笑いながら喋っていた義爛が、十分後には笑っていない。
「……君いくつだ」
「十三」
「冗談だろ」
「保証はどうする。三人目までに使えないのが混ざっていたら、次の紹介を無償にしろ」
「おいおい……こっちも商売だぜ」
「使えない駒を売る商売なら、次はないというだけだ」
義爛はしばらく黙って、それから肩をすくめる。
「……二人までにしてくれ。三人は勘弁だ」
「いいだろう」
モニターの方を向く。
「この条件で問題ないか」
『構わないよ』
柔らかい声が、あっさり答える。
『支払いは私の方で。弔、好きなだけ人を見なさい』
「……わかったよ、先生」
金はこの男から出る。自分の懐からは一円も出ない。数字を見て、条件を詰めた。自分の金は自分のためのものだ。
商談が終わると、義爛はコートの内側から手帳を出して何か書きつけながら、ふと顔を上げる。
「しかしまあ、妙な連合だね」
「何がだ」
「いや……さ」
サングラスをずらして、こちらを見る。
「これだけ喋っといて、あんたの話は一つも出てこねえ。ペソで値段を数える外国のガキで、その体格でこの店にいて、金の話を仕切ってて、後ろにはあんな執事みたいなのを連れてる」
答えない。
「俺は人を値踏みするのが仕事なんだけどよ」
手帳を閉じる音が、やけに大きい。
「この店でいちばん高く売れるの、君じゃないの?」
死柄木の指が、カウンターを一度叩く。
「おい……義爛」
「おっと、ただの感想だよ。商売の話じゃない」
「そいつは売りもんじゃねえ」
いつもより低い声。
その横顔を見る。自分の駒に他人が値段をつけたのが気に入らない、たぶんそれだけのことだ。そう処理して、義爛に向き直る。
「クラウディオ」
「はい」
音はほとんどしない。義爛が声を上げたときには、両腕と胴が椅子ごと糸に絡め取られていて、細く光る線が何重にも巻きついて身動き一つできない。
「……おいおい」
「今の話を……どこかでするか?」
椅子から降りて、義爛の前に立つ。見上げる形になっても、声の温度は変わらない。
「俺のことだ。年齢、国籍、この店にいること。どれか一つでも外に出れば俺は困る。困るとお前も困る」
国籍は、さっき自分で零したものだ。たった一言の、通貨の単位で。
糸が締まって、義爛の首筋に細い線が食い込む寸前で止まる。
「答えろ」
「……言わねぇよ」
汗をかきながら、それでも義爛は笑う。
「客の情報は売らねえ。売ったら中立の仲買人なんて商売、一日で終わりだ。誰が俺に話を持ってくる?」
しばらく、男の顔を見る。
「……そうか」
糸が緩んで、巻き取られていく。
「失礼いたしました」
クラウディオが深く頭を下げる。縛らせた本人より、縛った執事のほうがずっと礼儀正しい。義爛は首をさすりながら、呆れたように笑う。
「怖えガキだな」
「念のためだ」
「念のためで縛られちゃかなわねえよ」
死柄木が椅子の上で膝を抱えたまま、こちらを見ている。
「……お前……そういうこともすんのな」
「家では普通だ」
「……お前さ」
「何だ」
「さっきペソでやらかしたの、そんなに悔しかったのか?」
「…………」
「腹いせだろ、あれ」
「いや、情報漏洩の防止措置だ」
「へえ」
「必要な措置だ」
「二回言うなよ」
椅子に戻る。死柄木はそれ以上聞かなかった。
紹介された連中が来るようになったのは、その週からだ。一人、また一人と、黒霧のワープで店に通されて、死柄木の前に立たされる。
カウンターの端でそれを見ながら、頭の中で並べていく。個性の系統、有効射程、制御の精度、単独行動の傾向、金で動くか思想で動くか。使える駒かどうかは、だいたい三分でわかる。
「そいつは駄目だ」
四人目が帰ったあとで言う。
「強いが、指示を聞かない。自分の判断で動くタイプだ」
「ふうん」
「五人目は使える。個性は地味だが、命令を正確にこなす。安い金で長く働く」
「つまんねえ」
「……は?」
「そいつ……つまんねえだろ」
死柄木が椅子の上で背伸びをする。
「使えるとかどうでもいいんだよ。俺が気に入るかどうかだ」
開けた口を、閉じる。この男はそうで、積み上げた計算を面白いかどうかで蹴り倒す。
「……それで組織が回るのか」
「回んだろ。俺の連合だぞ」
根拠のない断言なのに、反論する言葉がすぐには出てこない。
二人が来たのは、その日の夕方だった。
先に入ってきたのは小柄な少女で、セーラー服のまま、大きな目をきらきらさせて店の中を見回している。
「わー、ほんとにヴィランのアジトだぁ!ねえねえ、ステ様のお仲間って本当?」
次に入ってきたのは痩せた男だ。黒い髪で、肌のあちこちに、ホチキスのようなもので留められた変色した皮膚がある。目だけがやけに冷めている。
「……ずいぶん辛気臭えな。ここが噂の連合か」
頭がいつものように動き始める。
少女。年齢は十代半ば。挙動が不安定で感情の起伏が読みにくい。個性は不明。血の匂いに反応している。制御は――
できない。
どの項目にも収まらない。この女は利益で動いていない。損得の外側にいる。
男の方はもっと悪い。能力は高く、個性も見るからに強い。だがこの男は自分の体を壊しながら生きていて、何かのために燃えている人間は、金でも組織でも止まらない。
「そこの子」
女が、いきなり目の前に来る。
「かわいい顔してるねぇ。血、何型?」
「……は?」
「あっごめんね。あたしトガヒミコ!!よろしくね!」
生まれて初めて、質問の意図が一つも読めなかった。
「おい」
継ぎ接ぎの男が、死柄木に向かって顎をしゃくる。
「なんでこんなとこにガキがいんだよ」
「使えるからだ」
「……へえ」
男の目がこちらに向く。値踏みでも敵意でもなく、ただ面倒なものを見つけた、という目。
「ガキ使って遊んでんのか。連合ってのも大したことねえな」
口を開きかけて、やめる。この男に何を言っても意味がない。
「荼毘だ」
男は名乗って、それきりだ。
「よろしくな、坊ちゃん」
背中越しに、クラウディオの靴底が床を擦る音がした。