カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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45話 再臨祭

 

  

 

 泥花市の手前の河川敷で、黒いものが九人を草の上に吐き出す。

 

「おえっ……くっさぁ……やっぱりこれ全然慣れないのです……!」

 

「くっせぇ!もう毎日でも乗れるぜ!こんなの慣れるわけねぇっつーの!」

 

 トガとトゥワイスの声が朝の土手に響くなかで、起き上がって腕時計を見た。残り一時間五十五分。

 

 土手の上に街が見えた。マンションが並んで、商店街の看板が並んで、遠くに高い塔が一本立っていて、煙も炎もサイレンもない。

 

「……あれが、敵の陣地か」

 

 スピナーが言う。

 

「普通の街じゃねぇか」

 

「普通の街だから、陣地なんだ」

 

 トガが横に並ぶ。腰に提げているのは殻木が作った、血を吸って溜めておくための筒だ。

 

「アルテミスくんの!ちゃんと入ってるよ」

 

 トガが指で叩いた筒の中で赤いものが揺れる。昨夜クラウディオが腕から取ったもので、家は二百年も血を一滴も外に零さなかった。それを今、自分からこの娘の腰に提げさせている。

 

「使い方はお前が決めろ」

 

「うん」

 

 トガはそれ以上何も訊かない。かわりに筒を両手で持って、耳に当てて振り出す。

 

「……何をしている」

 

「音、するかなって」

 

「しない」

 

「しました!ちゃぷって」

 

---

 

 街に入っても人の姿はほとんどない。

 

 商店街のシャッターは半分ほど上がっていて、店先に野菜が並んでいるのに店番がいない。自転車が停まっているのに乗り手がいない。八百屋の値札の大根は一本九十八円で、書き直した跡がない。今朝、普通に店を開けて、普通にいなくなったらしい。

 

 そのかわりに窓だ。二階の窓、三階の窓、マンションのベランダ、どの窓にもカーテンが引いてあって、そのどれもがほんの少しだけ揺れている。風は吹いていない。

 

 窓を数えはじめて途中でやめた。数えるまでもない。この街の家には、全部中に人がいる。

 

「よぉーこそ!」

 

 声が道路の上を滑ってくる。派手なヒーローコスチュームの男が、スケートでもするように地面の上を滑ってくる。足は動いていないのに体だけが前へ進む。

 

「ヴィラン連合の皆さん!お待ちしてましたよぉ!案内役です!」

 

「……ヒーローじゃねぇか」

 

 スピナーが半歩下がる。

 

「表向きはね!」

 

 男が胸のヒーロー登録証を指で弾いてみせる。

 

「ここ泥花市はですね!我々の街なんですよ!表の看板がヒーローでも、警察でも、市役所でも、中身はみーんな同じ!」

 

「いい街じゃん!最悪だな!」

 

「でしょう!?」

 

 トゥワイスと案内役が、なぜか意気投合したように頷き合う。

 

 男の胸の登録証は本物で、この国のヒーローの中にまで向こう側の人間がいて、それがどれだけいるのかわからないことが一番まずい。

 

「今日は再臨祭!皆さんはそのお祭りのぉぉ……主賓!」

 

「……生贄の間違いだろ」

 

 荼毘が言う。

 

「どっちでもいい!」

 

「よくねえだろ」

 

---

 

 商店街の真ん中で男が一人待っていた。

 

 神経質そうな髪の長い男だ。仕立てのいいスーツの襟を指で直しながらこちらを見て、名乗る必要がないという顔をしている。

 

「君が……アルテミス・エル・トローノか」

 

 目の前で足を止めて、上から下まで眺めて、小さく鼻を鳴らす。

 

「データで見るより小さいな」

 

「……」

 

「エル・トローノ……メキシコ北部を拠点とする麻薬組織。当代の当主の弟で失踪中。組織の公式見解は執事による誘拐だが、実際は自発的な逃亡だろう。家の中で何があったのかも、おおよそ把握している」

 

 襟を指で直す。

 

「私の仕事は情報だ……君程度の過去なら、三日もあれば丸裸だ」

 

 男の目がこちらの肩越しに後ろへ流れる。

 

「以前の拠点の電気と水道は、去年の暮れに登記されたばかりの、社員のいない会社の名義に移されていた。向かいのビルの三階は、同じ日に家賃が前払いされている。……あれは君の仕事だろう。悪くない……私が気づくまでに二日かかった」

 

 淡々とした声だった。褒めているのか、首に手をかけているのか、その区別がつかない声。

 

 ここまでは全部正しい。

 

「八斎會からか」

 

 眼鏡の縁で男の指が止まる。

 

「……何の話だ」

 

「裏に落ちた名前を拾うなら……あそこしかない。俺の家名を知っていた裏の人間はあの組だけだ。よく調べてある。出どころが一つしかないのが惜しいだけだ」

 

 男の指が眼鏡から髪へ移った。

 

「惜しい……?」

 

 一度髪を掻く。

 

「惜しいだと……?」

 

 二度、三度と、指の動きがどんどん速くなっていく。

 

「私の調査に欠けなどない!情報源が一つであることは精度の問題ではない、効率の問題だ!最短の経路で最も確度の高い一次情報に到達し、そこから必要十分な推論を組み立てた!それの何が惜しい!?何がだ!?子供が!数字も読めん子供が!私の仕事に!口を!」

 

「うわ!急に怒った」

 

 トガが後ろから顔を出す。

 

「めっちゃ怒ってる!紳士的な人だ!子供にムキになってるぜ!」

 

「なんだあいつ……」

 

 スピナーがもう半歩下がって、マグネの背中にぶつかる。

 

 男の息が荒い。額に乱れて落ちた髪をそのままに、襟を直して、髪を撫でつけて、一つずつ元の形に戻していく。最後に、ずれてもいないカフスを一度だけ指でつまんだ。

 

「……失礼」

 

 声はさっきまでの温度だ。

 

「最高指導者がお望みでなければ、今ここでその口を縫い付けてやるところだ」

 

「そうか」

 

「君は客人だ……あの方がそう決められた。だから私も従う。せいぜい大人しくしていたまえ……今のところはな」

 

 踵を返した男が脇の路地へ早足で消えていく。

 

 頭はいいし情報も正確だ。ただ、自分の仕事に一つでも欠けを指摘されると、それだけで計算が止まってしまう。あの手の人間は家にもいた。帳簿の一行の誤りを誰よりも許せなくて、誰よりもその一行を隠そうとする人間。

 

 覚えておく。

 

 そして、あの男は最後まで名乗らなかった。家名も、過去も、店の名義まで調べ上げた男だ。こちらの個性が何を必要とするかも、知らないはずがない。

 

---

 

 街じゅうのスピーカーが同時に鳴った。電柱の上の防災無線だ。

 

『諸君』

 

 電話で聞いた、あの低くよく通る声。

 

『再臨祭へ……ようこそ』

 

 カーテンの揺れが一斉に止まる。

 

『百年前に我らの祖は、個性の自由を掲げて戦った。そして、この国に負けた。だが我らは、消えなかった。百年、普通の顔をして、この国の中で生き延びてきた』

 

 声が熱を帯びていく。

 

『今日我らは表に出る。その最初の祝いとして、我らの名を汚す者たちを、ここで解体する』

 

 少しだけ間があく。

 

『それから、カルテルの若……君は我らの客人だ。誰も君を傷つけない。ゆっくりと待っていてくれたまえ』

 

 死柄木が首を掻く。

 

「……気持ち悪ぃな」

 

「客人にしてはずいぶんな出迎えだ」

 

 コンプレスが帽子のつばを指で押し上げる。

 

「主賓と生贄と客人……この街は肩書きを配るのが好きらしいね」

 

---

 

 商店街の出口に背広の男が立っている。

 

 口元を片手で覆った、見覚えのある顔だ。テレビの国会中継で何度か映っていた、小さな政党の党首で、演説がうまいと評判の議員だ。

 

 男が口元の手を下ろす。

 

「ヴィラン連合の皆さん!そして、この街の同志の皆さん!」

 

 声が通りを満たしていく。大きな声ではないのに耳の奥に直接入ってきて、通りの両側の家々の中から、何かが息を詰める気配がする。窓の向こうで、誰かがこの声に耳を澄ませているらしい。

 

「私たちは長い間……抑圧されてきました。個性を持って生まれて自由に行使することを、まるで罪のように扱われてきた。使えば罰せられ、目立てば疎まれ、異形に生まれれば、生まれたことそのものを嫌われてきたのです」

 

 スピナーの肩が小さく動く。

 

「それで本当に……自由な社会と言えるのでしょうか?」

 

 男が両手を広げる。

 

「ですが今日!ここに一人の少年がいます」

 

 手のひらがまっすぐこちらを向く。

 

「二百年続いた血の檻を、自らの足で破った少年です!生まれで全てを決められることを拒み、家を捨て、自由を選んだ!彼こそが、私たちの解放の生きた証ではないでしょうか!」

 

 家々の中で何かがざわめく。

 

「……なあ」

 

 スピナーが横で小さく言う。

 

「あいつ……ちょっと、いいこと言ってねぇか」

 

 答えない。壇上に立つ人間のこういう顔を、家で何度も見てきた。議場で、席の取り合いの前に、全員がああいう顔で正しいことを言っていた。

 

「看板なら」

 

 通りのざわめきが引く。

 

「もう一つ背負わされて、逃げてきたところだ」

 

 男の表情がわずかに止まった。

 

「エル・トローノの跡取り。それが一つ目の看板だった。あなたは今、俺に二つ目を背負わせようとしている。解放の証という看板を」

 

「……君は、私たちの理想そのものです。それを看板と呼ぶのは、少し寂しいですね」

 

「その言葉はどこへ行き着く。党首なら……票か」

 

「票」

 

 男が少しだけ笑う。演説のときの笑い方ではなかった。

 

「党は器です。あの方の言葉を表に運ぶための、器にすぎない。票が要るなら集めますし、要らなくなれば明日にでも割って捨てます」

 

 口元に指先が触れる。

 

「……私がこの声を授かったのは、あの方の言葉を一人でも多くの耳に届けるためだと、ずっと信じてきましたので」

 

 嘘をついている顔ではない。頭の中の帳簿で、票の一行に線を引く。

 

「それと、その声」

 

 視線を男の口元へ移す。

 

「その声で奮い立った兵は、声が止めば元に戻る。あなたが売っているのは解放じゃない。あなたなしでは立てない兵だ」

 

 誰もすぐには口を開かない。少し後ろで、コンプレスが帽子のつばをさらに押し上げる。

 

「いやはや……政治家の先生は声が大きい。若君は間がいい。どちらも舞台としては上等だ」

 

「でもよ」

 

 スピナーが袖を引く。

 

「言ってることは本当だろ……異形が嫌われてきたのも、個性で罰せられてきたのも」

 

「言葉は本当だ。たぶん、本人も本気だ」

 

「じゃあ」

 

「本気で振るわれる声ほど、止まらない」

 

 スピナーは何も言わない。袖を引いていた指だけがしばらく離れない。

 

 男はしばらくこちらを見て、やがて口元に薄く笑みを浮かべた。演説のときとは違う、温度のない笑い方。

 

「なるほど……君は少々弁が立つらしい」

 

 声が一段低くなる。家々には届かない、こちらにだけ向けた声。

 

「想定の範囲内だ、大義を解さない者に、最初から説得など期待していない。それに……看板を拒む君は、名前で人を縛る個性をお持ちだそうですね」

 

 口元の指が、こちらを指すように少しだけ動く。

 

「背負わされるのを嫌う人間ほど、人に背負わせるのが上手い。君がどう思おうと関係はない。あの方が君を望んでおられる……私の仕事は、あの方の歩む道を整えることだ」

 

 返す言葉を探しているうちに、男がゆっくりと口元に手を当てる。

 

「では!言葉はここまでにしましょう」

 

 この男も名乗らない。テレビで顔は見ていても、名前を覚えるほど、この国の政治に興味を持ったことがなかった。

 

 案内役も情報屋も……今日ここで会った誰一人、名前を置いていかない。

 

 手を下ろしたとき声はもう別物だ。

 

「同志の皆さん!」

 

 通りが揺れる。

 

「今こそ!私たちの自由を証明しようではありませんか!」

 

 通りの両側の家の扉が一斉に開いた。

 

---

 

 扉という扉から人が溢れ出してくる。

 

 エプロン姿の女。部屋着の学生。さっきまで杖をついていたはずの老人。全員の目の色が変わっている。声に背中を押された体から、個性の気配が噴き上がる。前から。後ろから。横の路地から。

 

「散るな!」

 

 死柄木の声が届く前に、人の波が連合の真ん中を割る。誰かに肩を押されて、流れに呑まれた。

 

 左の路地へ、コンプレスとマグネ。磁力が唸って、何人かが宙を舞う。

 

 塔のほうへ、死柄木とスピナー。スピナーの手が死柄木の背中を掴んで離さない。

 

 右の通りで、青い炎が上がる。荼毘だ。その横に白い手袋がちらつく。クラウディオが波に逆らって、こちらへ来ようとしている。二十メートル。それがすぐに二十五になる。

 

「坊ちゃん!」

 

 その声も波に呑まれる。トゥワイスの姿はもうどこにも見えない。

 

 手首を誰かが掴んだ。

 

「アルテミスくん!」

 

 トガだった。小さな手が手首を握ったまま、人の波の隙間を縫って走る。路地に飛び込んで、もう一本、さらに一本。

 

 気がつくと住宅地の真ん中だ。

 

 静かだ。さっきまでの喧騒が遠くで唸っていて、ここには誰もいない。洗濯物が揺れて、郵便受けに新聞が挟まったままだ。

 

「……はぐれちゃったね」

 

 トガが息を切らしながら言う。

 

 周りを見回す。家が並んで、塀が並んで、路地が三本交差していて、どれにも誰もいない。誰もいないことが気に入らない。この街の家は全部中に人がいた。それなのにこの一角だけは、窓のカーテンが一枚も揺れていない。

 

 人の波は自分たちをここへ流した。押し出したのではなく、運んだように。

 

 割られたのだ。戦える者は戦える者同士で潰しにかかって、残ったのは十三歳と女子高生が一人。

 

 護衛が一人だけの若。

 

「アルテミスくん」

 

 トガが腰の筒を両手でぎゅっと握っている。

 

「私!ちゃんと守りますね」

 

---

 

 路地の奥の二階の窓。レースのカーテンの陰で、望遠のレンズが二人を追っている。シャッターが一度だけ切られて、女はカメラを下ろして小さく笑う。

 

「いい絵ね」

 

 窓の下の路地のアスファルトには、彼女が朝のうちに指先で触れて回った跡が、いくつも残っていた。

 

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