カルテル・デ・ヴィランズ   作:カルキよし

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50話 俺

 

  俺の手がトガちゃんの首にかかっている。

 

 縁側に上がった人形の一体が、寝かされたトガちゃんの細い首を後ろから両手で包んでいる。顔は無精髭のくたびれた男のものだ。毎朝鏡の中にいて、見るたびに目を逸らしてきた顔だ。

 

『渡我被身子は処分しろと指示が出ている』

 

 人形の口が、几帳面に区切って言う。

 

『安心しろ、首なら一瞬だ』

 

 指に力がこもっていく。トガちゃんの喉がかすかに動く。

 

「やめろ」

 

 声が出た。

 

「やめろ、やめろって……!それ俺の手だろ!俺がやってんのか!?俺が……トガちゃんを……!」

 

 違う、あれは人形だ。わかっている。わかっているはずなのに、トガちゃんの首を絞めている顔はどう見ても自分で、首を絞めている手はどう見ても自分の手だ。止めようとして伸ばした腕を、別の自分が掴んで離さない。

 

 どれが止めようとしていて、どれが殺そうとしているのか。

 

 全部俺だ。

 

「ちが……違う……俺はそんな……俺は……!」

 

 

 ――

 

 

 アルテミスは柱を掴んで立つ。

 

 右足が床についた瞬間、膝の下で何かが擦れる。視界が白く飛んで息が止まった。それでも左足で体重を支えて、柱から手を離す。

 

 一歩。

 

 縁側の端から庭へ降りる。降りるというより、落ちるのに近い。左足が土を踏んで、右足は引きずるしかない。

 

 枠は一つ空いている。下に置くものは後でいい。トガを上に置く、それでどうなるか分からないが、やらないよりマシだ。目の前に倒れているトガの名前なら、見間違えようがない。

 

 声が届く距離まで。七メートルの内側へ。

 

 二歩目で後ろから腕が回された。

 

 人形に胸の前で両腕を抱え込まれて、足が地面から浮く。折れた右足が宙で揺れて、喉の奥で声が潰れて出ない。

 

『大人しくしていろ、若』

 

 耳元で、

 

『あなたは生かして連れてこいと言われている。動かないでくれれば何もしない』

 

「トガヒミコを」

 

 口を塞がれた。

 

 乾いた手のひらだ。布と詰め物と、人の皮膚の真似をした何かの匂いが鼻をつく。名前の続きは手のひらの内側で潰れていく。

 

 ……上にまで言えれば。

 

 口を塞いでいる指の一本が唇の端にかかっている。

 

「ガリッ!!」

 

 思いっきり噛んだ。

 

 歯が指に食い込んで皮膚の下で、詰め物がぐしゃりと潰れる感触。人形は痛がらない。ただ手の力が緩んだ。

 

「トガヒ——」

 

『……大人しくしろと』

 

 声が変わる、最初に会った時と同じように。

 

『言っているだろう!?私の指示は明確だ!何度言わせる!動くなと言った!喋るなと言った!それをなぜだ!なぜ!?あなたは生きて掲げられる側の人間だ!その自覚がなぜない!?』

 

 目の前の人形が腕を引いた。見えているのに、抱え込まれた体はどこへも逃げられない。

 

 拳が腹の真ん中に沈んだ。

 

「オ゙……ッッッ!!!!グッ……!?」

 

 体が折れない。後ろから抱え込まれていて、折れる先がないのだ。衝撃が逃げずに全部腹の中に溜まっていく。

 

「……ッッ!あ……う、うぅ……っ……」

 

 息が全部出ていく。吸おうとして吸えない。胸の下に何かが詰まって、肺がそこから先へ膨らまない。喉の奥には酸っぱいものがせり上がってくる。

 

 数えようとしたのに何も出てこない。

 

 揺れた体に引きずられて、折れた右足が宙で跳ねる。視界の端が白くなって、名前の続きはどこかへ消えてしまう。

 

『…………もう折れているんだ』

 

 声は元の温度で几帳面に一音ずつ。

 

『まぁ…………これくらいどうということは無いだろう……うん』

 

 腹の奥で、焼けるものが広がっていく。足の痛みと混ざって、どこが痛いのかわからない。視界の端で、トガの首にかかった指がまた少し沈んだ。

 

 

 ――

 

 

 坊主が腹を殴られて呻く。

 

 トゥワイスはそれを見ているしかない。自分の顔をした誰かが、坊主の腹を殴った。小さい体が震えて目に涙が滲む。

 

 ——あ

 

 見たことがある。

 

 縛られて、動けなくて、目の前で自分の顔が誰かを殴るのを見たことがある。

 

 中学を卒業する頃に家に帰ったら親が死んでたんだ。強盗だ。頼れる親戚は一人もいなかった。

 

 運送会社に入って、真面目に働いたんだよ。荷物を運んで伝票を書いて……それだけでも食っていけた。

 

 人を轢いたら、それが大口の役員だった。会社はすぐにクビになって、前科がついた。それでどこも雇ってくれない。誰も話しかけてこなかった。

 

 …だから増やした……増やしたんだ。

 

 話し相手と仲間も……最初は楽しかったんだ。全員が自分の味方で、全員が自分の言うことをわかってくれた。強盗に入って山分けして笑ってた。

 

「なんでお前がボスなんだ?」

 

 ある夜一人が言った。

 

「俺だって本物だ!」

 

「いや!俺が本物だ!」

 

「いや、俺が!」

 

 椅子に縛られて、自分の顔が自分の手で縄を締めていた。

 

 何日も。

 

 目の前で自分が自分を殴って、刺して、絞めて、殺していった。全員が泣いて、全員が俺が本物だと叫んでいた。最初に死んだのが誰だったのか、もう覚えていない。

 

 最後に残ったのが自分だった。本当にそうだったのか。最初に死んだのが本物で、ここに座っている自分のほうが増やされた側なんじゃないのか。それからずっと、顔を隠して生きてきた。

 

 

 ――

 

 

「……やめろよ」

 

「坊主に触んなよ……トガちゃんに……触んなよ……」

 

『分倍河原仁』

 

 目の前の自分が言う。

 

『君の確保は傷を問わない』

 

 腕を掴まれた。右腕。左腕。左右から、自分の顔をした男たちが自分の腕を押さえ込む。

 

『抵抗されると、渡我の処分が遅れる』

 

 ゆっくりと、腕が逆向きに曲げられていく。

 

「やめ……!」

 

 鳴った。

 

 右腕の中で、木の枝が折れるような音がした。続けて左腕。

 

「ぐああっ!!」

 

 痛い。

 

 痛い痛い痛い。

 

 焼けた鉄を骨の中に流し込まれたみたいだ。息が吸えない。目の前が赤くなって、白くなって、また赤くなる。膝から崩れて額が土につく。両腕がだらりと垂れて動かない。

 

 ——消える。

 

 分身ならここで消える。これだけ壊れれば泥になって崩れて、何も残らない。あの何日かのあいだに、何十回も見てきた。自分の顔がぐしゃっと潰れて、泥になるところを。

 

 消える

 

 ……

 

 消えねぇ

 

 腕は折れて痛みは引かない。土は冷たくて、額にざらざらと当たって、鼻の奥に血の匂いが広がっていく。

 

 自分は……ここにいる。

 

 ……消えてねえな

 

 折れた腕に目を落とす。曲がるはずのない方向に曲がって、皮膚の下が紫に腫れ上がっていく。

 

 泥にならないし崩れない。

 

 痛い。

 

 痛いまま……ここにいる。

 

「……ははっ」

 

 声が漏れた。

 

 ずっと怖かった……大きな怪我をしたら、消えちまうかもしれないだろ。自分が分身だったら。最初に死んだのが本物だったら。大きな傷を負った瞬間に自分は泥になって、本当は最初からいなかったことがわかっちまう。

 

 だから増やせなかった。

 

 でも今俺は消えてねぇんだ。

 

「……俺だ」

 

 顔を上げる。

 

「俺が……分倍河原仁だ……!!」

 

 

 ――

 

 

 アルテミスは人形の腕の中で、それから目を離せない。

 

 腹の痛みで視界が狭い。その狭い視界の真ん中で、両腕を折られた男が土に額をつけたまま笑っている。

 

 庭じゅうに同じ顔が並ぶ。自分の目では、どれがトゥワイスなのか最後まで見分けられなかった。名前を呼ぼうとして、同じ名前しか出てこない。

 

 トゥワイスは見分けた。

 

 目でも名前でもない。折られて、痛んで、それでも消えなかった。それで見分けた。自分の個性は、見えるものと名前のあるものにしか届かない。あの男が今立っているところには、どちらも届かない。

 

 抱え込んでいる腕が、また締まった。

 

 

 ――

 

 

 考えるより先に増えていた。

 

 自分が自分の隣に立つ。その自分がまた自分を増やす。その自分がまた。二人……四人……八人で数えるのをやめる。数える必要がない。

 

 全員が自分だ。全員が、自分を本物だと思っているのだろう。それで構わねぇ……本物はここに一人いる。両腕を折られて消えなかった男が一人だ。それがわかっていれば、何人増えても自分は自分だ。

 

 いつだったか坊主は言った。もう一人いたら、その一人が同じ判断をする保証はないと。

 

 今は保証なんかいらねぇ!!!

 

「行けよ!行くんじゃねぇ!ぶっ潰せ!!!」

 

 自分たちが庭へなだれ込む。

 

 自分の顔をした人形が、自分の顔をした男たちに押し倒されていく。同じ顔が同じ顔を殴って、片方だけが裂けて白い詰め物を撒き散らす。裂けないほうが、また次の人形に飛びかかる。

 

 もう迷わねぇ

 

 裂けるのは人形だ。裂けないのが俺だ。

 

 縁側の上で、トガちゃんの首から指が剥がされた。三人の自分が人形の腕を掴んで引き剥がして、庭の向こうへ放り投げた。

 

 坊主を抱え込んでいた人形に、四人の自分が組みつく。人形の腕がほどけて、坊主の体が地面に落ちる前に、別の自分が受け止めた。

 

『な!?』

 

 どこかの人形の口から、几帳面な声が漏れる。

 

『なんだ、これは……数が………!』

 

 その人形の頭を自分が踏み潰す。声が途切れる。

 

 生け垣の外にも自分がいる。塀の上にも屋根の上にも。さっきまで人形が立っていた場所に立っているのは、全部自分だ。まだ増えている。路地の向こうへ、区画の外へ、自分の行列が溢れ出していく。

 

 泣きながら笑っている男の、終わらない哀しき行進(サッドマンズ・パレード)だ。

 

 

 

 

 トガちゃんの顔は紙より白い。首に指の跡が赤く残っている。息はまだある。さっきよりもっと小さい。

 

「血だ!血が足りねえ!全然足りてねえよぉ!!」

 

「足りてるわバカ!ダメだ!ドバドバ出てる!!!」

 

「足りねえっつってんだろ!!!」

 

 血が要る。トガちゃんと同じ血が。

 

 ——トガちゃんをもう一人。

 

 トガちゃんなら測ってある。連合に来たばかりの頃に、全員分測った。肩幅も、背丈も、指の長さも、頭に入っている。

 

 増やそうとしたけど、形にならない。輪郭が崩れて、泥になって縁側の板にこぼれるだけだ。

 

「なんでだ!合ってる!合ってねえ!なんでだよ!!」

 

 別の自分が、トガちゃんの横にしゃがみ込む。ポケットからメジャーを引き出して、トガちゃんの肩へあてがう。

 

「サイズがちげぇぞ!ピッタリだわ!いや太ってるぞ!トガちゃん!」

 

 数値が違う。覚えている数値より、ほんの少しだけ長い。肩も、腕も、脚も。

 

 でかくなってる。

 

 毎日横にいたのに、気づかなかった。この子はまだ伸びる歳なのだ。

 

「測り直す!測らねえ!測るっつってんだろ!!」

 

 自分たちが三人がかりで、メジャーを当てる。肩幅。腕の長さ。指の一本ずつ。首の細さ。脇腹の傷の上だけは、そっと避けて。

 

 増やした。

 

 縁側の上にトガちゃんがもう一人横たわる。目は閉じたままだ。

 

 別の自分がトガちゃんの腰の筒を外す。ジジイが作った、血を吸って溜めておく機械だ。針をもう一人のトガちゃんの腕に刺すと、筒の中に赤いものが満ちていく。

 

「戻れ……戻れよ……!」

 

 満ちた筒の針を本物のトガちゃんの腕に当てる。いつもは吸うための針だ。今は逆に押し込む。赤いものが管を伝って、細い腕の中へ入っていく。

 

 空になったら、また複製から取ってまた入れる。

 

 トガちゃんの睫毛が動いた。

 

「……じん……くん……」

 

 声というより息だ。

 

「死ぬな!トガちゃん!ご愁傷様だ!いや死ぬんじゃねぇよ!」

 

 泣いている。どの自分が泣いているのかは、わからない。たぶん全員だ。

 自分たちのうちの二人が、トガちゃんを抱え上げる。別の二人が坊主を担いだ。

 

 二人いりゃいいんだ。

 

 さっきそう思ったけど……

 

 二人どころじゃねぇなこれ。

 

 坊主は担がれたまま、ぐったりと首を垂れている。腹を押さえた手の震えが止まらない。それでも目は開いている。

 

 庭じゅうを見ている。同じ顔で埋め尽くされた庭を。泥と詰め物と、立ち上がってはまた走っていく男たちの背中を。

 

 本体の自分が、折れた腕をぶら下げたまま隣に並ぶ。

 

 坊主はしばらく何も言わない。

 

 それからかすれた声で言った。

 

「……全部、お前か」

 




重さが売りの自覚はあるんですが、読んでる側の体感を一度測りたくてアンケートを設定しました。御協力お願いします!

重さについてのアンケートです。体感で構いませんのでご協力どうぞお願いします

  • まだ軽い
  • 重いけど、寧ろそれが好き
  • 普通
  • ちょっと疲れてしまう時もある
  • 正直読むのが辛い
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