縫い目が熱い。手の甲から、首筋から、薄く煙が上がる。皮膚の下で何かが焦げている匂いがする。自分の匂いだ。
「二回目だけど、数と密度が違うんだよ。君は僕の氷を何枚溶かした?僕はまだ一枚も本気で作っていない」
「……うるせえな」
炎を噴いて氷が溶ける。また立つ。
「うおおおおおお!!どけどけどけ!!どかなくていい!!どけっつってんだろ!!」
「「「「「「「「荼毘!!!」」」」」」」
通りの向こうから、声が雪崩れ込んでくる。
同じ顔の男たちだ。十人、二十人、数えるのが馬鹿らしくなる数が、氷の壁をよじ登り、乗り越え、滑り落ちて、また登ってくる。
「……は?」
口から、間の抜けた声が出る。
「荼毘ぃ!!いた!見えねぇけど!?いるだろ!!」
一人が肩を掴んで、顔を近づけてくる。素顔だ。泣いた跡がある。
「トガちゃんが首絞められて!でも血ぃ入れた!坊主が足折れて指折れて腹殴られて!俺の腕も折られて!でも消えなかった!増えた!いっぱい増えた!増えてねえ!増えたんだよぉ!!」
その顔を見ていた。
支離滅裂で半分も意味がわからない。わかったのは三つだけだ。トガが死にかけた。坊主が折られて、殴られた。それから、こいつが自分を増やした。
「……チッ」
肩を掴んでいる手を払った。
「じゃあ、あれやっとけ」
「あれ!?どれ!?」
顎で、氷の向こうを指す。
「氷のフード。てかお前ら、何人いんだよ」
「知らねえ!数えた!数えてねえ!いっぱいだ!」
「なら足りんだろ」
同じ顔が、一斉に氷の壁の方を向いて走り出す。
通りの端の崩れた塀に腰を下ろす。ポケットから潰れた箱を出して、一本くわえて指先に小さく火を灯す。縫い目が、それだけでも痛い。
煙を吐く。
氷の壁の向こうで、同じ声が何十も重なって叫んでいる。叫ぶ声が減らない。減ったぶんが増えている。
どうでもいい。
焼けば焼くほどこっちの皮が先にいく。あいつはそれを分かって壁を立てていた。分かって付き合ってやる義理はない。トゥワイスで済むならあれでいい。
煙草の先が、少しずつ短くなる。
外典は眉間に皺を寄せている。
氷の壁を一枚立てる。同じ顔が三人よじ登ってくる。氷の刃を飛ばす。一人が泥になって崩れる。崩れた場所には、もう二人立っている。
「……なんだこれは」
質なら自分のほうが上のはずだ。空気がある限り氷は作れる。作った氷の数で、相手の手数を上回る。それが自分の戦い方で、今まで一度も崩れたことがない。
この男たちは、理屈の外から増えてくる。
「やかましい……黙れ……!黙れと言っているんだ!」
「黙らねえ!分かった!もう喋らねぇ!もっと叫んでやる!」
「……っ」
外典は額に手を当てる。耳障りだ。数で押すことを美しいと思ったことは一度もない。数は密度を持った者が使って初めて意味を持つ。こんなふうに、ただ押し寄せてくるものは、数とは呼ばない。
ただの雑音だ。
雑音の向こうに、青い火が一つ。
壁を焼いていない。塀に腰を下ろした男の、指先の火だ。煙草に火をつけて、それきりだ。
「……逃げたのか」
分身を一人氷漬けにしながら、火のほうへ声を投げる。
「君の火は、僕の氷を一枚も抜けなかった。だからこいつに任せた。そういうことだろう?」
男は煙を吐く。
「質で勝てないから、量に逃げた。それは敗北だよ。君はそこに座って、自分が負けたのを見ている」
もう一枚壁を立てる。立てた壁に、同じ顔が三人登る。
「立ちなよ、壁ならいくらでも作ってやる。溶かしてみせてごらん」
男がこっちを見た、口の端だけで煙草をくわえたまま。
「……お前さ」
煙と一緒に声が来る。
「氷……出しすぎて手ぇ震えてんぞ。……ハッ」
指が止まった。
止まった指の先で、立てたばかりの壁が、根元からずれて傾いた。登っていた三人が落ちて、落ちた三人の下から、五人が走ってくる。
男はもう、こっちを見ていない。塀の上で、煙草の灰を落としている。
「……っ」
外典は額に手を当てた。震えてなどいない。震えてなどいないのに、次の壁が、半分の高さで止まった。
押しているのか削られているのか。
どちらにもまだわからない。
———
塔の根元は、人の波が引いたあとで妙に静かだ。
スピナーは死柄木の隣に立って、塔を見上げている。高い。窓が並んでいて、その一番上のどこかにあの声の男がいる。
「……行くぞ」
死柄木が言いかけたとき、背後で足音がした。
振り返る。
マグネがいて、コンプレスがいる。その後ろに、同じ顔の男たちが群れになっている。そして、白い手袋の執事が、小さな体を腕に抱えている。
「……アルテミス?」
スピナーの声が裏返る。
執事の腕の中で、ガキが首を垂れている。右足が膝の下で曲がっている。右手の指が、変な角度を向いている。顔が、紙みたいに白い。
「おい、何だよそれ……!誰に――」
「死柄木ぃ!!スピナー!!」
分身たちが、一斉に喋り出す。
「トガちゃんが!人形が!俺の顔で!首を!坊主が!腹!腕!俺の!でも消えなくて!増えた!増えてねえ!増えたんだよ!!」
「……うるせえな……一人ずつ喋れ」
死柄木が言う。それでも分身たちは止まらない。
「……区画七だ」
執事の腕の中から、かすれた声がする。
ガキが目を開けている。
「記者を名乗る女に……地雷の区画へ誘い込まれた。足と指はそのときだ。トガが俺の血で変身して、その女を倒した。だが脇腹を深くやられた」
声は淡々としている。報告書を読み上げるみたいだ。
「その後、あの男の人形が来た。商店街で、調査に口を出すなと喚いていた男だ。トゥワイスの顔をした人形だ……二十体程度。トガの首を絞めて、トゥワイスの両腕を折った。俺は押さえ込まれて……腹を殴られた」
スピナーは息を呑む。
「トゥワイスがよく分からないが増えて……人形を全部潰した。トガは、トガの複製から輸血している。本物の三人はまだ庭だ。マグネとコンプレスとクラウディオの本物がついている」
ガキは、そこで一度言葉を切る。
「俺は複製だ、本物は足が折れたまま庭にいる」
誰も何も言わない。
スピナーは隣を見ると、死柄木が首を掻いている。
一度。二度……止まらない。三度。四度。皮膚が破れて、指先に赤いものがつく。それでも止まらない。
「……トガと」
死柄木の声は、低い。
「お前と、トゥワイスか」
「ああ」
「三人とも」
「そうだ」
死柄木が壁に手をつくと、五本の指が壁に触れる。
壁にひびが走る。走って、広がって、崩れてそこで止まった。止めたのか、止まったのか、スピナーにはわからない。
「……俺のだ」
死柄木は崩れた入口を見ている。
「わかった」
それから塔の上を見上げる。
「俺達を傷つけるなら……この街ごと全部壊してやるよ……」
声は大きくない。叫んでもいない。
本気だ。
「増やすぞ!!お前ら!」
分身の一人が叫ぶ。
「死柄木も!スピナーも!増やす!増やさねえ!増やすっつってんだろ!測ってある!全員分!」
分身が死柄木の横に立つ。次の瞬間、そこにもう一人の死柄木がいる。首に同じ赤い引っかき傷がある。
分身がスピナーの横に立つ。
もう一人のスピナー。その横にもう一人。もう一人。もう一人。
「お、おい、待て!多い!多いって!」
「多くていい!足りねえ!足りてる!まだまだいくぞ!!」
スピナーが、通りを埋めていく。
壁に貼りつくだけの力。新しい時代に残る価値がない。最初から入っていない。
あの背広の男はそう言った。
「……数に、入ってねえんだってよ」
スピナーの一人が、ぼそっと言う。
「入れてやろうぜ」
別のスピナーが言う。
「全員で」
スピナーの群れが一斉に刀を抜く。それから、あの背広の男が演説をしていた方角へ、走り出す。
本物のスピナーは、その背中を見送っている。
それから、隣の死柄木を見る。
「……俺らは」
「庭だ」
本物の死柄木が言う。
「怪我してんだろ……あっちに行く。上はあいつらに任せる」
複製の死柄木が、こちらを振り返る。同じ顔だ。同じ目つきだ。
「……任された」
複製の死柄木は、塔の崩れた入口へ歩き出す。その後ろに、複製のマグネと、複製のコンプレスと、主を抱えた複製の執事が続く。
「義爛助けてくる!助けねえ!助けるっつってんだろ!あいつがいなかったら、俺ここにいねえんだよ!!」
本物の死柄木とスピナーは、反対の方角へ走り出した。
———
塔の最上階で、リ・デストロは窓の外を見ている。
義爛は椅子に縛られたまま、その背中越しに街を見る。
街が、同じ顔で埋まっていくところだ。
通りという通りを分倍河原が走っている。屋根の上にも、塀の上にも。まだ増えている。別の通りでは、刀を背負ったトカゲたちが、群れになってどこかへ向かっていく。
「……ふむ」
リ・デストロが、小さく息を吐く。
「これは……予定にはなかったね」
扉が叩かれた。いつもより間隔が短い。
「入りたまえ」
スケプティックが入ってきて、眼鏡の位置を直す。襟を直して、髪に触れる。
「ご報告を」
「どうぞ」
「区画七に送った人形二十体、全損しました。分倍河原仁の異能が変質しています。自身の複製が、さらに複製を生む。現在、街の三分の一が分倍河原仁で埋まっています。数は、計測不能です」
声は、いつもどおり正確だ。数字が並ぶ。経緯が並ぶ。
「渡我被身子は」
「生存しています……処分には至りませんでした……申し訳ありません」
「……そうか」
リ・デストロは、窓の外を見たまま言う。
「若の容体は」
スケプティックの指が、髪の上で止まる。
「……医療班の到着前に、連合の者に回収されました。足と指の骨折以外に、新たな負傷は――」
言葉が、そこで詰まる。
「――確認しておりません」
義爛はスケプティックの顔を見ている。
さっきこの部屋を出ていったときより、髪が乱れている。眼鏡の奥の目が、一度もリ・デストロのほうを向かない。
「そうか」
リ・デストロは、それ以上訊かない。
「私が直接……分倍河原仁と若の確保に向かいます」
早口だ。
「区画七の庭に本体が残っているはずです。人形だけではなく、私が行きます」
「頼んだよ」
スケプティックは頭を下げたまま、それから早足で部屋を出ていく。
扉が閉まる。
「……なあ」
義爛が言う。
「あの眼鏡……何か隠してるぜ」
リ・デストロは、窓の外の行進を見ている。
「彼は誰よりも正確な男だよ。彼の報告に欠けなどない」
少しも疑っていない声だ。
義爛は、それ以上何も言わなかった。
——
スケプティックは、階段を駆け降りている。
――あれは……失敗ではない
若は生かして連れてこいと言われた……生かしている。足は既に折れていた、腹を一度殴っただけだ。折れた骨は増えていない。数字の上では何も変わっていない。
――悪いのは……あのガキだ。
名前を言いかけて、口を塞いだ人形の指を噛んだ。指示に従わなかった。確保される側が確保に抵抗した。だから黙らせた。それの何が問題だ?正しい手順だ!手順を乱したのは向こうだ!
だいたい……リ・デストロが若に甘すぎる所もあるんですよ。傷一つつけるなと。足が折れて地べたに転がっている子どもを、無傷で運べと?そんな条件で動けと言われて、誰が完璧にこなせる……私以外の誰が。
――私だから、ここまでで済んだのだ。
髪を撫でる、一度。二度。三度。
キュリオスの顔が浮かぶ。
彼女の筋書きが狂わなければ、若は今頃医療班の手の中にいた。渡我被身子が若の血を飲まなければ、あの女は死ななかった。分倍河原仁がトラウマを克服しなければ、人形は全部残っていた。全部、私の外で起きたことだ。私の計算の外から、勝手に崩れてきたことだ。
それで気がついたら、人形の拳が動いていた。
――違う……違う違う違う……!
気がついたらではない!判断したのだ!あの場で最も効率のいい手を……私が選んだ!選んだ手は正しい。正しい手が一つ報告から抜けているだけだ。
失敗?何のことだ!?
失敗とは、取り返しのつかないもののことを言う。これは取り返せる。報告書から一行が抜けているだけで、抜けた行は書き足せばいい。書き足す前に若を自分で回収して、痣を確保の過程で生じた負傷として記録し直せばいい。順番が少し入れ替わるだけだ。訂正すればいいんだ……次の手を打てばいい。
不具合は、見つけた者が直せば不具合ではなくなる。
――私は破られない。
一度だけ破られたことがある。人生で!たった一度だけだ!あの日から一度も破られていない。今日もまだ破られていない。誰にも見つかっていないうちは……穴は穴ではない。
二度目などあってはならない。あのガキのせいで二度目になど、なってたまるか。
――だから……私が行く。
誰かが先に若を見つけて、腹の痣が報告に上がる前に。自分の手で確保して、自分の手でその報告を直す。
階段の途中で、下から足音が上がってくる。
大勢の足音だ。乱れて揃っていない。
スケプティックは脇の通路へ身を引く。
階段を同じ顔の男たちが駆け上がっていく。その中に、灰色がかった髪の青年がいる。首に赤い引っかき傷がある。その後ろに大柄な男がいて、帽子の男がいる。
そして、白い手袋の執事が、小さな体を腕に抱えて上がっていく。
執事の腕の中で子どもがこちらを見た気がした。
足音が上へ遠ざかっていく。それから、スケプティックは階段を早足で降りる。髪に触れながら。
上がっていく足音と、降りていく足音が、塔の中ですれ違って離れていった。