ひと月で店の中の顔ぶれが変わった。最初に増えたのはヤモリのような鱗を持つ男だ。
「スピナーだ!ステインの……ヒーロー殺しの意志を継ぎに来た!」
両手で大きな刀のようなものを抱え、目を輝かせて宣言したその男にカウンターの端から冷めた声が飛ぶ。
「意志ぃ?」
荼毘だ。
「お前……あの人の何を知ってんだ。テレビ見て興奮しただけだろ」
「なっ……お前こそ何を」
「俺はここが良さそうだから来ただけだ」
スピナーは顔を赤くして言い返そうとしたものの言葉が出ず、刀を抱える腕にだけ力がこもったきりだ。
カウンターの端から眺めながら思う。この男はたぶん使えるだろう。強くはないが旗を立てられる人間で、ステインの名前を掲げれば人を集められるはずだ。そこまで考えてふと気づく。そのあいだ死柄木は一度もスピナーの能力を聞いていない。
「お前……うるせえな」
椅子の上で膝を抱えたまま死柄木はそう言っただけで、追い出しはしない。
「どーもー!トゥワイスです!初めまして!いや前にも会ったかも!会ってねえよ!」
次に来た男は全身継ぎ接ぎのような服に仮面をつけて喋りながら自分で自分に反論している。
「よろしくお願いします!よろしくしねえよ!いやするする!」
「……」
三秒ほど黙ってから、真面目な顔で訊く。
「クスリでもやってるのか……??」
「ぶはっ」
荼毘が吹き出す。
「おいガキ、律儀に聞くなよ」
「ガキじゃない」
「ガキじゃねえか!」
トゥワイスが指をさす。
「なんでこんなとこにガキがいんだ!いや頼りになりそうだな!頼りになんねえよ、ガキだぞ!」
情報が多すぎて頭が追いつかないからこの男の分類は保留だ。
「個性を見せろ」
死柄木がそう言ったのは、その日の夜だった。
おうよと応じたトゥワイスがカウンターのグラスに手を触れると、次の瞬間にはグラスが二つに増えている。
気づけば椅子から立ち上がっていた。
「……もう一度」
「お、なんだよ坊主。気に入ったか?」
調子に乗ったトゥワイスが灰皿にも手を触れればそれも二つになり、栓抜きも触るそばから増えていく。
「人も行けるぜ!でも俺はダメだ!」
「人も」
「でも駄目だ!正確に測らねえと無理なんだよ!身長、体重、肩幅、指の長さ、全部!適当にやると出来損ないが出てくる!いや出てこねえよ!出てくるっつってんだろ!」
その言葉を頭の中で並べ直す。
――測らなければ作れない。
つまりこの個性は、準備さえ済ませておけばいつでも人数を用意できるということだ。
「……お前、自分の価値をわかっているのか」
「え?」
「これは、組織そのものを変える個性だ。人数が要るすべての場面で、お前ひとりが解決策になる」
「お、おう……?」
トゥワイスは仮面の下で戸惑っているらしい。そこまで真っ直ぐに評価されたことがたぶんなかったのだろう。
「つまり便利屋だな!馬鹿にすんな!いや褒められてる!」
「褒めている」
「照れるじゃねえか!」
増えたグラスの片方をトゥワイスがそっと元のグラスの隣に並べ直すと、どちらがどちらだったのかもうわからない。
椅子に戻りかけて足を止めたのは、確認しておかなければならないことがひとつだけあるからだ。
「トゥワイス」
「なんだ坊主」
「俺は……複製するな」
トゥワイスの手の中で栓抜きが止まった。
「……なんでだよ」
「俺の個性は、物と人と名前に、上と下を決める。もし俺がもう一人いたら、その権限を持った人間が二人になる」
自分の手を見下ろす。
「複製された方が、俺と同じ判断をする保証はない。俺自身を下に置かれたら、俺は何もできない」
「……そこまで考えるか、普通」
「考える。約束しろ。俺だけは絶対に増やすな」
トゥワイスはしばらく黙ったままで、仮面の下の表情は見えない。
「……あー」
さっきまでとは声が違う。うるさくもなくふざけてもいない。
「わかるぜ……それ」
「……そうか」
「わかんねえけどな!いやわかる!わかりすぎて困るくらいだよ!」
もういつもの調子に戻っていて、その一瞬の間が何だったのかは掴めないが、承諾は取れたのだからそれでいい。
後ろでクラウディオが小さく息を吐く。
マグネが来たのは、その週の終わりだった。
「あらやだ、子どもがいるじゃないの」
大柄な体で店に入ってくるなり、その人はカウンターの端を見て眉を上げた。
「弔ちゃん、どういうこと?」
「使えるからだ」
「そういう問題じゃないでしょ」
目の前まで来てマグネがしゃがみ込む。
「あんた……いくつ?」
「十三」
「ご飯は」
「……は?」
「ちゃんと食べてんのかって聞いてんのよ」
答えに詰まった。
その日の夜、店の奥から初めて煮炊きの匂いがする。どこから運び込んだのかマグネが鍋をかけていて、中身は豆と肉を煮込んだ匂いの強い料理だ。
「ほら、食べな」
目の前に置かれた皿を見下ろしたまま動けない。湯気が立っていて匂いも悪くなくて、空腹でもあるのに手が伸びない。
「……どうしたの」
「いや」
皿から目を逸らす。
「……習慣だ」
「習慣?」
答えたのはクラウディオだ。
「坊ちゃんは……これまで一度も、検めていないものを口にされたことがございません」
誰もすぐには口を開かない。
「検めるって、あんた」
「毒見です」
マグネの手が止まる。目を丸くしたトガに珍しく黙ったトゥワイス、荼毘だけがカウンターの端で何も言わずに煙草をくわえている。
「……十三でしょ、あんた」
「四歳からだ」
なんでもないことのように言う。
「席の取り合いが始まってからは、特に厳しかった。俺が倒れれば、次の当主の椅子が空く。実際そういうことをやろうとした家もあった」
マグネはしばらくこちらの顔を見つめてから、何も言わずに皿を取り上げる。
「え」
スプーンを取って自分の口に運び、二口、三口としっかり噛んで飲み込む。
「……はい」
マグネが皿をまた目の前に置き直す。
「これで文句ないでしょ」
皿とマグネを見比べる。
この人は何の得もしていない。自分に恩を売ったところで返せるものなど大してない。血縁でもないし、そもそも今日会ったばかりだ。それなのに他人のために毒を飲む側に回っている。
計算が合わない。
「……いただく」
「はいよ」
スプーンを握る。
味は家で出されていたどの料理とも違った。雑で、濃くて、辛い。
悪くなかった。
「うまい!うますぎる!いやまずい!まずくねえよ!」
数日後に今度は鍋の前に立っているのがクラウディオで、マグネが仕入れの当番で出ていたから代わりに入っただけ、それだけのはずだった。
「んー!おいしい!ねえこれ何入ってるの?」
皿を抱えたトガは目を輝かせっぱなし。
「香辛料を少々と、鶏の骨から出汁を取っております」
「出汁!?え、この短時間で!?」
「仕込みは昨夜から」
「昨夜!?」
トゥワイスがスプーンを振り回しながら叫ぶ。
「おい執事!お前、うちの専属になれ!ならなくていい!いやなれ!」
「主人がおりますので」
「その主人がガキじゃねえか!」
「はい」
クラウディオはまったく否定しない。
少し離れた席からそれを眺めながら思い返しても、この男が台所に立つのを家では一度も見たことがない。屋敷には料理人も給仕もいて、執事はその全体を差配する立場で、鍋を振るのはクラウディオの仕事ではなかったはずなのに当たり前のような顔だ。
「クラウディオ」
「はい」
「料理……できたんだな」
「ひと通りは」
「いつ覚えた」
「協会で」
それ以上は聞かない。
スピナーが皿を追加で差し出し、コンプレスが「これは素晴らしい」と大げさに褒めて、荼毘までが無言で二杯目を取りに来る。うるさい店の中を、しばらくただ眺めている。
夜、物置。
「……なあ」
「はい」
「あいつら、なんでここにいるんだ」
天井の染みを見上げながら言う。
「トゥワイスは、あの個性ならどこでも稼げる。マグネもコンプレスも、一人でやっていける腕はある。スピナーは……まあ、あれはステインだが」
毛布の中で指が一本ずつ折れていく。
「金でもない。思想でもない。ここにいて、得をしている奴が一人もいない。なぜ残る」
洗い終えた皿を布巾で拭く手を止めずに、クラウディオが静かに言う。
「居場所がないからでしょう。あの方々は、外では生きられなかった。まともに働くことも、顔を出して歩くこともできない。ここは、そういう人間が集まる場所です」
「……得がないのに残るのか」
「得がないから残るのです」
何か言おうとして言葉が出てこない。それは自分にも当てはまる話ではないのか。
匿ってもらうために働いている。取引で合理的な判断だと、そう説明してきた。けれど三日で塞げる拠点なら、もっと安全な場所はいくらでもあったはずだ。金はある。頭もある。日本でなくてもよかったし連合でなくてもよかった。
なのに、ここにいる。
「……いや」
寝返りを打つ。
「俺は違う」
「はい」
「取引だ」
「さようでございますか」
クラウディオはそれ以上何も言わない。皿を拭く布の音だけがしばらく続く。
壁の向こうからはまだトゥワイスの笑い声が聞こえていた。