第8話 使い捨て
「三人持ってきたよ」
義爛はそう言って手帳を開いた。
黒霧のワープが閉じたばかりの店の中に、三つの影が立っていた。
一人は常軌を逸した体格の男だった。天井に頭がつきそうな背丈で、腕の太さがアルテミスの胴ほどある。片目が潰れていて残った目が笑っていた。
一人は少年だった。少年といっても恐らく自分より年上で、ガスマスクを首から下げ銃を腰に差している。
最後の一人は拘束具だらけだ。
全身を革と金属で締め上げられ、口元には特に厳重な枷がついている。首から上がほとんど見えない。押さえつけられているというより封じられている姿だった。
「順に紹介するよ」
ギランは手帳を見ながら、事務的に読み上げた。
「マスキュラー。個性は『筋繊維増強』。筋肉を体の外まで盛れる。ヒーローを何人か殺して、逃亡生活中だったんだ。」
大男が喉の奥で笑った。
「マスタード君、個性は『ガス』周囲に毒ガスを撒く。銃の扱いもうまい。若いが手は早い」
「よろしく」
防毒面の少年が面倒くさそうに言った。
「で…こっちが」
ギランの声がわずかに低くなった。
「ムーンフィッシュ。個性は『歯刃』。歯が自在に伸びる。刃物みたいにな、死刑囚だったけど逃亡中。」
拘束具の中から意味を成さない音が漏れた。
「……言っておくがこいつは話が通じない。契約も交渉もできない。ただ、殺す。俺は仲介しただけで、扱いについては責任を持てない」
「……わかってる」
死柄木が椅子の上から言った。
「使えりゃいいだろ」
少年はカウンターの端でそれを聞いていた。
メモは取らない、取る必要がなかった。
マスキュラー、筋繊維増強。マスタード、ガス。ムーンフィッシュ、歯刃。
三つとも頭の中に入った。
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拠点の空気が明らかに変わった。
マグネは新入りに飯を出そうとして途中でやめた。マスキュラーが皿を見もせずに床に落としたからだ。
トゥワイスは相変わらず喋っていたが、いつもより口数が少なかった。
スピナーは壁際に寄っていた。
トガだけがいつもどおりの顔で新入りたちを眺めていた。
「ねえねえ…その人たちちょっと怖いね!」
「あいつらに近寄るな」
「え〜なんでぇ?」
「あれはこちらを人だと思っていない」
アルテミスは三人を見ていた。
家にもこういう人間は何人かいた。命令を聞かず、金でも動かず、ただ壊すことしかできない連中だ。
実家ではそういう者は鎖で繋いでおくか、使い道のある場所に投げ込んでそのまま回収しなかった。
――なぜこんなものを拠点に入れる。
死柄木を見た。
男は椅子の上で膝を抱えて、新入りの方を見てもいなかった。
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それは何の前触れもなく起きた。
死柄木が椅子から降りた。
水を取りにカウンターの中へ回ろうとして、肘が引っかかった。ベルトに留めていた手の一つが床に落ちる。
人間の手だ。
店の中でそれを気にする者はいない、もう見慣れていた。
ただ一人を除いて。
拘束具の中から、ぐ…と音がした。
ムーンフィッシュの首が、床の手を向いていた。
「――ぁ」
「にく」
拘束具が軋んだ。
「肉だ」
「肉面……見せて……?」
枷の隙間から白いものが溢れ出した。
歯だった。
伸びた歯は刃の形をして、店の空気を裂きながら四方に広がっていく。カウンターが割れて棚が落ち、壁に亀裂が走った。
悲鳴が上がった。
トガが床に伏せ、スピナーが刀を抜こうとして間に合わず、マグネが体を投げ出してトガの上に覆いかぶさった。
歯の一本が、二人の頭上に迫った。
――射程内。
それを目で追わなかった。
追う必要がなかった。名前はもう頭に入っている。
「この部屋の空気を上に」
「歯刃を下に」
歯が止まった。
伸びる途中で何かに突き当たったように。刃の先端が空中で震え、それ以上一ミリも進まなかった。
下位は上位を押しのけられない。動かせない。
この部屋の空気そのものがその歯より上にある。
「な……」
スピナーが間抜けな声を出した。
止まった刃の先は、マグネの背中まであと二十センチのところだった。
「クラウディオ」
「はい、坊ちゃん」
すでに動いていた。
袖口から走った糸が宙で止まった歯の間を縫って、拘束具の隙間へ潜り込む。何重にも、何十重にも。腕、胴、首、脚。ムーンフィッシュの体が、見えない繭に絡め取られていく。
「ぎ、ぐ……!」
「歯は伸びません。体も動きません」
クラウディオは糸を手元で束ねながら淡々と言った。
「あとはどなたか」
「――承知した」
声が上から降ってきた。
いつの間に移動したのか、コンプレスがカウンターの上に立っていた。芝居がかった仕草でシルクハットのつばに指をかける。
「さて……本日の演目はこれにて幕引きといたしましょう」
指がムーンフィッシュの額に触れると、次の瞬間店の中から拘束具の男が消えて、コンプレスの手のひらに、小さなビー玉が一つ転がっていた。
「収まりました」
店の中が静まり返る、止まったままの歯が空中に何本も浮かんでいる。少年が付与を外すと、それらは支えを失ってばらばらと床に落ちた。
「……はー」
トゥワイスが大きく息を吐いた。
「死ぬかと思った! 死ななかった! でも死ぬかと思った!」
「マグネ」
床に伏せたままの二人に声をかけた。
「怪我はないか?」
「……ないよ」
マグネはトガを抱えたまま体を起こした。
それから、自分の背中の後ろを見て、床に落ちた歯の刃を見て、少しの間黙った。
「……あんた…今」
「間に合った」
少年はそれだけ言った。マグネは何か言いかけて…辞めた。そして代わりに少年の頭を乱暴に撫でた。
「……やめろ」
「うるさいね、生意気な子だよ…でもありがとう」
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「……死柄木」
その夜少年はカウンターの残骸の前に立った。
「あれを組織に入れるな」
死柄木は割れたカウンターの上に座って、ビー玉を指で転がしていた。コンプレスから預かったものだった。
「なんでだよ」
「話が通じない。指示も聞かない。今日は止まったが、次は誰か死ぬ」
「あれは…止まっただろ」
「止めたんだ」
一歩前に出た。
「たまたま俺が射程にいて、たまたま名前を知っていて、たまたま枠が空いていた。三つのうち一つでも欠けていたら、マグネもトガも死んでいる」
「……死なねえよ」
「根拠は」
「お前がいるからだろ」
言葉に詰まった。
「……それは…根拠じゃない」
「……うるせえな」
死柄木はビー玉を親指で弾いて、受け止めた。
「あれは使い捨てだ」
「……なんだと」
「あんなの最初から置いとくつもりなんかねえよ」
死柄木の横顔を見た。
この男は、マグネにもトゥワイスにもスピナーにも、能力を聞かなかった。使えるかどうかで選ばなかった。気に入るかどうかで選んだ。
その同じ男が、今日入れた三人については最初から捨てる前提で数えている。
「……線を引いているのか」
「は?」
「お前の中には…仲間と駒の線がある」
「知るかよ」
死柄木は面倒くさそうに首を掻いた。
「あいつらは使うだけ、それだけだろ」
それ以上聞かなかった。ただ、床に落ちたままの干からびた手を見た。結局あの男はあれを拾って、何事もなかったようにベルトに戻していた。
誰の手なのか、聞いたことはない。
聞いてはいけないもののような気がしては、いつも目を逸らしていた。
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作戦が固まったのはその数日後だった。
「雄英の一年が山で合宿をやる」
地図が割れていないほうのテーブルに広げられた。
「場所は特定済み。行くのは、荼毘、トガ、マグネ、コンプレス、スピナー、トゥワイス。それに今日の三人と、脳無を何体か」
「目的は」
「ガキを一人攫う」
死柄木は写真を一枚放った。険しい顔をした、金髪の少年だった。
「爆豪勝己…雄英の生徒だ、こいつを連合に引き入れる」
写真を見下ろした。
「……勧誘か」
「素質がある。俺達と同じ側に来られる」
いくつか穴を見つけた。
場所が特定されているなら、警備もそれなりに厚いはずだ。攫うだけなら人数が多すぎる。攫った後にどう説得するかの計画がない。
それを口に出そうとしてやめた。
前にこの男は自分で答えを見つけようとしていた。ステインに問われて初めて自分の欲しいものを考えた。
今のこれはその続きなのだろう、だとしたら穴の話ではない。
「お前は留守番な」
「……わかってる」
素直に頷いた。
「山なら人目はないが、ヒーローが来る。記録も残る。俺が記録されれば、そこで終わりだ」
「わかってんなら…いい」
死柄木は地図を丸めた。
「拠点の方は任せる」
「ああ」
それだけの短いやり取りだった。
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出発の夜には店は空になった。十人近くが一度に消えるとこの店はひどく広く感じられた。
割れたカウンター。落ちた棚。修繕の途中で放り出された壁。
「……静かだな」
「はい」
「うるさいのがいなくなると」
「……そうでございますね」
クラウディオは割れたグラスの破片を拾い集めていた。
しばらくその音を聞いていた。
トゥワイスの馬鹿笑いも、トガの甲高い声も、マグネの小言もない。それを悪くないと感じるはずだった。家では静かなのが当たり前だった。
なのに今は妙に落ち着かなかった。
「クラウディオ」
「はい」
「……あいつら、無事に帰ってくるか」
破片を拾う手が、止まった。
「坊ちゃんがご心配なさるのは…珍しゅうございますね」
「……心配などしていない」
「戦力の話だ。何人か欠けたら、拠点の運営に影響が出る」
「さようでございますか」
「...そうだ」
クラウディオはそれ以上何も言わなかった。誰も座っていないカウンターの席を、しばらく眺めていた。