「三人持ってきたよ」
義爛がそう言って開いた手帳の後ろで黒霧のワープから出たばかりの影が三つ並ぶ。
一人は天井に頭がつきそうな背丈の常軌を逸した体格の男で、腕の太さはこちらの胴ほどもあり、潰れた片目の隣で残った目が笑っている。
一人はガスマスクを首から下げて腰に銃を差した若い男で、若いといってもせいぜい自分より少し年上くらいだろう。
最後の一人は全身を革と金属の拘束具で締め上げられて口元には特に厳重な枷を嵌められ、首から上はほとんど見えない。押さえつけられているというより封じられているといったほうが近い。
「順に紹介するよ」
手帳を見ながら義爛が事務的に読み上げていく。
「マスキュラー。個性は『筋繊維増強』。筋肉を体の外まで盛れる。ヒーローを何人か殺して、逃亡生活中だったんだ」
大男が喉の奥で笑う。
「マスタード君。個性は『ガス』。周囲に毒ガスを撒く。銃の扱いもうまい。若いが手は早い」
「よろしく」
ガスマスクの男が面倒くさそうに言う。
「で……こっちが」
義爛の声がわずかに低い。
「ムーンフィッシュ。個性は『歯刃』。歯が自在に伸びる。刃物みたいにな。死刑囚だったけど逃亡中」
拘束具の中から意味を成さない音が漏れる。
「……言っておくが、こいつは話が通じない。契約も交渉もできない。ただ、殺す。俺は仲介しただけで、扱いについては責任を持てない」
「……わかってる」
椅子の上から死柄木が言う。
「使えりゃいいだろ」
カウンターの端で聞きながら、メモは取らない。取る必要がない。マスキュラー、筋繊維増強。マスタード、ガス。ムーンフィッシュ、歯刃。三つとも、もう忘れない。
拠点の空気が明らかに変わった。
マグネが新入りに飯を出そうとして途中でやめたのは、マスキュラーが皿を見もせずに床に落としたからだ。トゥワイスは相変わらず喋っているのにいつもより口数が少なく、スピナーは壁際に寄ったきり動かない。トガだけがいつもどおりの顔で新入りたちを眺めている。
「ねえねえ……その人たちちょっと怖いね!」
「あいつらに近寄るな」
「え〜なんでぇ?」
「あれは、こちらを人だと思っていない」
家にもこういう人間は何人かいた。命令を聞かず金でも動かず、ただ壊すことしかできない連中だ。家ではそういう者は鎖で繋いでおくか、使い道のある場所に投げ込んでそのまま回収しなかった。
――なぜ、こんなものを拠点に入れる。
死柄木は椅子の上で膝を抱えたまま、新入りの方を見てもいない。
それは何の前触れもなく起きた。
死柄木が椅子から降りて水を取りにカウンターの中へ回ろうとしたとき、肘が引っかかってベルトに留めていた手の一つが床に落ちる。人間の手だ。店の中でそれを気にする者はもういない。見慣れたものだ。
ただ一人を除いて。
拘束具の中でぐ……と音がして、ムーンフィッシュの首が床の手を向いている。
「――ぁ」
「にく」
拘束具が軋む。
「肉だ」
「肉面……見せて……?」
枷の隙間から白いものが溢れ出す。歯だ。刃の形に伸びた歯が店の空気を裂きながら四方に広がって、カウンターが割れて、棚が落ち壁に亀裂が走る。
悲鳴のなかで床に伏せたトガの上にマグネが体を投げ出して覆いかぶさり、スピナーは刀を抜こうとして間に合わない。歯の一本が二人の頭上に迫る。
――射程内。
目では追わない。追う必要もない。名前ならさっき聞いた。
「この部屋の空気を上に」
「歯刃を下に」
歯が止まった。
伸びる途中で何かに突き当たったように刃の先端が空中で震えて、それ以上一ミリも進まない。下位は上位を押しのけられない。この部屋の空気そのものが、その歯より上にあるのだから。
「な……」
スピナーが間抜けな声を出す。止まった刃の先はマグネの背中まであと二十センチしかない。
「クラウディオ」
「はい、坊ちゃん」
返事より先に袖口から走った糸が、宙で止まった歯の間を縫って拘束具の隙間へ潜り込んでいく。何重にも何十重にも腕から胴、首、脚まで巻きついて、ムーンフィッシュの体が、見えない繭に絡め取られていく。
「ぎ、ぐ……!」
「歯は伸びません。体も動きません」
糸を手元で束ねながらクラウディオが淡々と言う。
「あとはどなたか」
「――承知した」
声の主はいつの間に移動したのか、カウンターの上にいて、芝居がかった仕草で、シルクハットのつばに指をかけながら、仮面の奥で笑っている。
「さて……本日の演目は、これにて幕引きといたしましょう」
指がムーンフィッシュの額に触れた次の瞬間には拘束具の男が消えて、手のひらに小さなビー玉が一つ残るだけだ。
「収まりました」
止まったままの歯が空中に何本も浮かんでいて、付与を外すと支えを失ってばらばらと床へ落ちていく。
見上げた先の男はシルクハットに仮面、燕尾のような上着で、ビー玉を指先で転がす手つきはさっきから一度も迷っていない。
この男は誰だ?
顔も声も知っている。この店でマグネの鍋をつついて、クラウディオの料理を大げさに褒めていた男だ。それなのに、いつからこの店にいたのかがどうしても出てこない。義爛が連れてきた日の記録にも、黒霧が通した日の記録にもなくて、頭の中の帳面のどこを開いても、この男が入ってきた日の頁がない。
「……お前」
「はい?」
「いつからいた」
男はシルクハットを胸に当て、カウンターの上で深々と一礼してから顔を上げて言う。
「最初からいましたとも!」
両腕を大きく広げる。
「開幕のベルが鳴る前から、客席の一番後ろに!皆様がお気づきにならなかっただけのこと。手品師というのは、気づかれないのが仕事でしてね」
「……最初とはいつだ」
「最初は最初ですとも」
「答えになっていない」
「答えをお見せしないのも、手品師の仕事でして」
ビー玉が指の間をくるりと一周して消えて、もう片方の手からまた出てくる。
「Mr.コンプレス。以後、お見知りおきを。……もう何度目かの以後ですがね」
「……はー」
トゥワイスが大きく息を吐く。
「死ぬかと思った!死ななかった!でも死ぬかと思った!あとコンプレスいたのか!いたよ!最初からいたよ!」
「ほら」
コンプレスがトゥワイスを指して肩をすくめる。
頭の中の帳面に一行書き足す。Mr.コンプレス、圧縮。入った日、不明。
不明、と書いたのは、たぶん生まれて初めてだった。
「マグネ」
床に伏せたままの二人に向き直って呼ぶ。
「怪我はないか?」
「……ないよ」
トガを抱えたままマグネが体を起こし、自分の背中の後ろと床に落ちた歯の刃を見て、少しの間黙り込む。
「……あんた……今」
「間に合った」
マグネは何か言いかけてやめて、代わりにこちらの頭を乱暴に撫でる。
「……やめろ」
「うるさいね、生意気な子だよ……でもありがとう」
---
「……死柄木」
その夜、カウンターの残骸の前に立つ。
「あれを組織に入れるな」
割れたカウンターの上で、死柄木がコンプレスから預かったビー玉を指で転がす。
「なんでだよ」
「話が通じない。指示も聞かない。今日は止まったが、次は誰か死ぬ」
「あれは……止まっただろ」
「止めたんだ」
一歩前に出て言う。
「たまたま俺が射程にいて、たまたま名前を知っていて、たまたま枠が空いていた。三つのうち一つでも欠けていたら、マグネもトガも死んでいる」
「……死なねえよ」
「根拠は」
「お前がいるからだろ」
言葉に詰まった。
「……それは……根拠じゃない」
「……うるせえな」
死柄木がビー玉を親指で弾いて受け止める。
「あれは使い捨てだ」
「……なんだと」
「あんなの、最初から置いとくつもりなんかねえよ」
この男はマグネにもトゥワイスにもスピナーにも能力を聞かなかった。使えるかどうかではなく、気に入るかどうかで選んだ。その同じ男が今日入れた三人については最初から捨てる前提でしか数えていない。
「……線を引いているのか」
「は?」
「お前の中には……仲間と駒の線がある」
「知るかよ」
死柄木が面倒くさそうに首を掻く。
「あいつらは使うだけ。それだけだろ」
それ以上は聞かない。ただ、昼間床に落ちた干からびた手を見る。あの男は結局あれを拾って何事もなかったように、ベルトに戻していて、誰の手なのかは聞いたことがない。聞いてはいけないもののような気がして、いつも目を逸らしてきた。
作戦が固まったのは、その数日後だった。
「雄英の一年が、山で合宿をやる」
割れていないほうのテーブルに広げた地図を死柄木の指が叩く。
「場所は特定済み。行くのは、荼毘、トガ、マグネ、コンプレス、スピナー、トゥワイス。それに今日の三人と、脳無を何体か」
「目的は」
「ガキを一人攫う」
死柄木が放ってよこした写真に写っているのは険しい顔をした金髪の男子だ。
「爆豪勝己……雄英の生徒だ。こいつを連合に引き入れる」
写真から目を上げずに言う。
「……勧誘か」
「素質がある。俺達と同じ側に来られる」
穴はいくつか見つかる。場所が特定されているなら警備もそれなりに厚いはずで、攫うだけにしては人数が多すぎるし、攫ったあとどう説得するかの計画もない。
口に出そうとしてやめた。前にこの男は自分で答えを見つけようとしていた。ステインに問われて、初めて自分の欲しいものを考えた男の、これはその続きなのだろう。だとしたら穴の話ではない。
「お前は留守番な」
「……わかってる」
素直に頷く。
「山なら人目はないが、ヒーローが来る。記録も残る。俺が記録されれば、そこで終わりだ」
「わかってんなら……いい」
死柄木が地図を丸める。
「拠点の方は任せる」
「ああ」
交わしたのはそれだけだ。
出発の夜、十人近くが一度に消えた店はひどく広くて、割れたカウンターも落ちた棚も修繕の途中で放り出された壁もやけに目につく。
「……静かだな」
「はい」
「うるさいのがいなくなると」
「……そうでございますね」
クラウディオが割れたグラスの破片を拾い集める音だけが、しばらく続く。
トゥワイスの馬鹿笑いも、トガの甲高い声も、マグネの小言もない。それを悪くないと感じるはずだった。家では静かなのが当たり前だったのに、今は妙に落ち着かない。
「クラウディオ」
「はい」
「……あいつら、無事に帰ってくるか」
破片を拾う手が止まる。
「坊ちゃんがご心配なさるのは……珍しゅうございますね」
「……心配などしていない。戦力の話だ。何人か欠けたら、拠点の運営に影響が出る」
「さようでございますか」
「……そうだ」
クラウディオはそれ以上何も言わない。
誰も座っていないカウンターの席を、しばらく眺めていた。