鶏小屋の王
――『新世界より』前史・二次創作――『白い猫』続編
俺は、化け物じゃない。
最初に、それだけは言っておく。
俺は、妹を狩りで殺された。十四歳だった。名簿に名前が載っていたという、それだけの理由で。近所の人間たちに、家から引きずり出されて。
俺が守りたかったのは、それだけだ。
二度と、あんなことが起きない場所を。
それを作るのに、何が悪い。
一
御堂蓮。二十一歳。
谷の廃村に子どもたちを集めてから、三年が経った。
今、俺の「国」には、二千人がいる。
谷は、三つに増えた。分校跡は、「宮」と呼ばれるようになった。俺が呼ばせたわけじゃない。気がついたら、そう呼ばれていた。
発現者が、四百人。
それ以外が、千六百人。
発現者は、谷を守る。獣を狩り、山を削り、外から来る連中を追い払う。政府の連中も、狩りをする連中も、ここには手を出せない。四百人の発現者がいる谷に攻め込もうとする馬鹿は、もういない。
それ以外は、谷を支える。畑を耕し、水を運び、飯を作り、服を縫う。
守る者と、支える者。
公平な分担だ。
少なくとも、俺はそう言ってきた。
三年前、灯という女が出ていった夜のことを、時々思い出す。
干し肉を盗んだガキの指を折らせようとして、あの陽性のガキに断られて、あの女に雪を止められた夜。
あの女は言った。誰も壊さないことを、最初の法にしてくれと。
俺は、そうした。
発現者は、発現者を壊さない。
それが、この国の第一の法になった。
二
問題は、第二の法だった。
発現者でない者が、発現者に逆らったら、どうするか。
一年目は、何も決めなかった。二年目に、最初の反乱があった。畑を任されていた十人くらいの連中が、食い物の配分に文句をつけて、宮に押しかけてきた。鍬と鎌を持って。
俺の手下が、そいつらを止めた。
止め方が、まずかった。
三人が死んだ。
発現者の側は、誰も罰を受けなかった。第一の法には、「発現者でない者を壊さない」とは書いていなかったから。
それから、反乱は起きなくなった。
代わりに、誰かが、あの言葉を使い始めた。
鶏。
渋谷のほうから流れてきた言葉だった。力のない者。狐に食われるだけの者。
最初は、陰口だった。
いつの間にか、谷の誰もが、そう呼んでいた。
俺も、止めなかった。
三
久遠を捕まえたのは、冬の初めだった。
短波ラジオの電波を、手下の一人が辿った。奥秩父の、廃業した山小屋。無線機と、書類の束と、痩せこけた四十男がいた。
宮に連れてきたとき、久遠は、ひどく咳き込んでいた。
「あんたが、鍵の研究をしてた男か」
久遠は、答えなかった。俺の顔を、じっと見ていた。
「ラジオで聞いてたよ。ラーマン・クロギウス症候群。鶏小屋の狐。……名付け親なんだってな」
「……何が、目的ですか」
「鍵を作ってくれ」
久遠の目が、細くなった。
「この国の、発現者全員に」
俺は、本気だった。
四百人の発現者。今は、第一の法で縛っている。発現者は、発現者を壊さない。でも、法なんて、ただの言葉だ。俺がいなくなったら。俺より強い奴が出てきたら。誰かが、腹を立てて、一線を越えたら。
四百人が、殺し合う。
山の集落ひとつが、一晩で消える。
外の世界で、そういう話はいくらでも聞いた。渋谷もそうだ。王が三人いて、そのうち二人が死んだ。
俺は、そうなりたくない。
この国を、そうしたくない。
「発現者同士が、絶対に殺し合えないようにしたいんだ。法じゃなく、体で。あんたの鍵なら、できるんだろ」
久遠は、長いこと黙っていた。
それから、かすれた声で言った。
「……発現者同士、だけですか」
俺は、答えなかった。
久遠は、わかっていた。
わかっていて、訊いたんだ。
四
鍵の欠陥のことは、久遠のラジオで、とっくに知っていた。
相手を人間だと認識しているときにしか、鍵はかからない。
防護服で顔を隠した相手には、効かない。化け物だ、道具だ、と教えられた相手には、効かない。
久遠は、それを恐れて、放送で繰り返し警告していた。
俺は、それを聞いて、思ったんだ。
使える、と。
「全員に鍵をかける」
俺は言った。
「発現者は、発現者を、同族として認識するように。……それ以外は、そうじゃないと教え込む」
「それは――」
「鶏を、人間だと思わないように」
久遠の顔から、血の気が引いた。
「そうすれば、発現者同士は絶対に殺し合わない。この国は、何百年でも続く。……鶏は、今までと同じだ。支える者として、生きていける。働いていれば、誰も壊さない」
「働かなければ?」
俺は、答えなかった。
「御堂さん」
久遠は、両手を膝の上で握りしめていた。
「それは、国じゃない。……鶏小屋です」
「断ったら、どうする」
俺は、久遠に訊いた。
久遠は、答えなかった。
俺は、宮の窓から、外を指さした。
谷の畑で、何百人もの鶏が、冬の土を起こしていた。
「あいつらの中から、毎日一人ずつ」
久遠が、俺を見た。
俺は、自分の声が、少しも震えていないことに気づいた。
いつから、こうなったんだろう。
五
久遠は、鍵を作った。
三か月かかった。薬草と、谷の奥で見つけた廃病院の薬品と、久遠の頭の中にある手順と。毎晩、宮の広間で、発現者たちを集めて、久遠が作った「儀式」をやった。
低い声で、何百回も繰り返す言葉。
発現者は、同族である。 同族を傷つけることを、あなたは描けない。 描こうとすれば、あなたが壊れる。
それから、もうひとつの言葉。
鶏は、同族ではない。
最初の試験は、谷の広場でやった。
鍵をかけた発現者を一人、広場の真ん中に立たせた。向かいに、別の発現者を立たせた。
「壊せ」
俺が命じると、そいつは、相手に向けて手を上げた。
次の瞬間、喉を押さえて倒れた。顔が紫色になった。久遠が駆け寄って、耳元で何かを囁いた。絵を消せ、と言っていたんだと思う。そいつは、ひいひい言いながら息を吹き返した。
広場を囲んでいた発現者たちが、息を呑んだ。
効いた。
二つ目の試験を、俺は、自分でやると言った。
「王が鍵をかけずに、国の法が成り立つか」
手下たちは止めた。久遠も、止めた。
俺は、儀式を受けた。一晩中、あの言葉を聞き続けた。
発現者は、同族である。 鶏は、同族ではない。
夜明けに、俺は広場に出た。
広場の真ん中に、手下たちが、一人の鶏を連れてきていた。
十一歳くらいの男の子だった。
指先の爪が、少しだけ硝子みたいな質感をしていた。
どこかで見た顔だった。
干し肉を盗んだガキだ、と気づくのに、少しかかった。三年前、灯って女と一緒に出ていったはずの。北の谷から、どうやって戻ってきたのかは知らない。灯がどこかに消えて、残った連中が散り散りになって、一人でさまよっていたところを、手下が拾ってきたらしい。
ガキは、俺を見上げていた。
怯えていた。
三年前と、同じ目で。
「……小指、一本だけでいい」
久遠の声が、背後から聞こえた。泣いているような声だった。
「試験は、小指一本で、十分です。お願いです」
俺は、ガキの右手を見た。
小指を、描いた。
骨と、関節と、腱と、硝子みたいな爪。
ほんの少しだけ、曲げた。
喉は、締まらなかった。
ガキが、悲鳴を上げた。
小指を抱えて、地面にうずくまった。
広場の発現者たちが、どよめいた。
効いた。
鍵は、完璧に効いた。
同族には、かかる。鶏には、かからない。
俺は、うずくまるガキを見下ろしていた。
胸のどこも、痛まなかった。
――痛まなかった。
六
その夜、俺は、一人で宮の屋根に登った。
谷の畑に、鶏たちの小屋の明かりが、点々と灯っていた。
俺は、澪のことを考えていた。
妹。十四歳。発現者だった。名簿に載っていたから、近所の人間たちに、家から引きずり出された。
あいつらは、澪を、人間だと思っていなかった。
化け物だと思っていた。
だから、殺せた。
俺は、あいつらを憎んだ。三年間、ずっと。澪を人間だと思わなかった、あいつらを。
今日、俺は、あのガキを、人間だと思わなかった。
鍵が、そう教えてくれたから。
だから、壊せた。
胸は、痛まなかった。
俺は、屋根の上で、長いこと、自分の手を見ていた。
鍵が効かなかった場所を、探していた。
何も、なかった。
鍵は、俺の中から、澪を殺した連中と俺との間の、最後の違いを、きれいに削り取っていた。
久遠は、翌朝、宮から消えていた。
見張りの発現者が二人、広間で倒れていた。死んではいなかった。薬で眠らされていた。
追わせなかった。
鍵は、もうできている。儀式の手順は、書き写してある。あの男がいなくても、この国は回る。
それに――
あの男を追えば、俺は、また顔を見なければならない。
同族でも、鶏でもない、あの痩せた男の顔を。
七
春になって、国の全ての発現者に、鍵がかけられた。
発現者同士の喧嘩は、一件もなくなった。
鶏の反乱も、一件もなくなった。
鶏たちは、わかったんだ。この国の発現者は、もう、鶏を傷つけることに、何の痛みも感じないのだと。
谷は、静かになった。
平和だった。
俺が作りたかった国は、これだったのか。
わからない。
宮の広間に、国の法を刻んだ石板を置いた。
久遠が残していった書類の裏に、俺が書いた下書きを、手下の一人が、力で石に刻んだ。
千年後に、これが残るかどうかは知らない。
でも、石は、紙より長くもつ。
一、力を持つ者は、同族である。同族は、同族を傷つけない。
一、力を持たざる者は、同族ではない。
一、力を持たざる者は、力を持つ者を支える。支える者は、守られる。
一、支えぬ者は、守られない。
一、この法を、同族の血に刻む。
――御堂蓮
北の宮にて、建国の年に