「シャラナ先生!遅かったじゃないですか!」
……今日初めて聞くセリフがこれだ。
僕には、その日初めに耳にした他人の言葉でその日1日の運勢を占うという悪癖があるが…「遅い」か。余り良い予感はしない。今日一日がどんなものになるのか、この時の僕には見当もつかなかった。
「すでに皆さんお揃いですよ。さあ、早く早く」そう促され、早歩きでレーベンの間に向かう。なんだかんだ、ここに来るのは2年半ぶりか。今、僕を先導してくれているこの人もあの頃からずっといる人だ。
変わりなく維持されている体制を目の当たりにすると、昨夜知らされた情報が尚のこと奇妙に感じてくる。
曰く、「災厄が復活しかけている」と。
「こちらです」そう言われ急ぎ中に入ると、彼の言うとおり錚々たるメンバーが列席している事が確認できた。
この施設ー"封災堅牢"の最高監督者たるレタクル=パロラム第3近衛師団長。
神話調合学の権威、ウェストラス=ネルド辺境伯とトロッコ=シーソー侯爵。
皇国の全玄妙戦力(魔導による戦闘行為を実行できる部隊)の統帥権を掌握しているワスロ=カルタ陸戦大臣。
そして、僕と連盟で"神代言語学"を創設した大親友のアプロア=シャルド宮廷魔導官。
この緊急事態に対応するには十分なメンバーたちだ。
「これで、招集された者は全員揃いましたね」レタクル団長はそう言うと。指を打ち鳴らして扉を閉めた。…毎回思うけど、この閉め方かっこいいよな…僕には魔法の才も魔導ガジェットを購入する財力もないから出来ないけれども…
「では、臨時安保評議会を始めます。事態の緊急性及び陛下が本件に関し可及的速やかなる建議をご所望であることに鑑み、前置き等を省略し早急に本題に入らせて頂きます。レタクル団長、ご説明を」
どうやら進行役はワスロ大臣なようだ。
「承知致しました。それではご説明させて頂きます。…ご存知の通り、この施設では3年と一月前まで世界を荒らし周り、神々や真理すら喰らって回ったあの忌まわしき"災厄"の封印維持を至上命題とし、封印により石像化した嘗ての"災厄"を常時監視するとともに想念クリスタルによる映像記録を行っております。これまでの所、封印は一切弛緩せず、石像及びそれを収容せしトライアンフの間も非常に安定しておりました。」
あれから、もう3年か。
僕は思いを馳せた。光に満ちしこの世界を、短期間ながら地獄さながらとし、けしてすぐには消えない深い爪痕を残した"災厄"の忌々しい壮大さにーー
◇◇◇◇◇◇
皇国の叡智を結集し、この世界始まって以来最高の魔導障壁が幾重にも張り巡らされた王宮。その奥の奥、最早誰も見向きせず薄暗く無機質な空間と化した皇国大図書館において、僕は一心不乱に指をインクに浸し神代文字の解読をーー正確には解読しようとする努力をーー進めていた。
何度も何度も、全てを投げ出した方が遥かに楽だと思わせるような絶望が僕の心に闖入してくる。
一体誰が、あの"災厄"を止められるというのだろうか。
本当に、今僕たちが行っていることは有意なのだろうか。
そもそも、神代や古代魔導文明の時代に状況打破のヒントがあるかもしれないなんて、本当にただの空想でしかない。
いや、駄目だ。
こんなことは考えていられない。今この瞬間にも、世界の魂は蒸発を続け、人々は果てしなき苦痛に苛まれている。
そんな中でも、僕の仮説に賛同し、世界各地から神代や古代魔導文明の頃に遺された記録を命懸けで蒐集し僕に送ってくれているあの人達。
僕が諦めれば、少なくとも、彼らを裏切り、愚弄することになる。
それだけは絶対に駄目だ。
そう自分に言い聞かせ、神代文字の解読をひたすらに続ける。
神代や古代魔導文明の時代に、必ずや今回の事象と似たような事例が起きたはず。なんの根拠もない仮説を愚直に信じ、ここまでやってきたんだ。
考えれば考えるほど、この説の無根拠さを痛感する。本当にーー
…いや。心を安定させるため、未完成さではなく、進展に思いを馳せよう。
きっと、こんな状況では寧ろ、未来を想うからこそ陰鬱になるのだ。今わかっていることを丁寧に自分に向けて叙述し、一度心を落ち着かせよう。
神代文字とは神代及び古代魔導文明の時代に用いられていた文字?記号?…の暫定的呼称である。これは物理的に洞窟の壁などに刻まれている訳ではなく、殆どの場合は現在使われている想念クリスタルに酷似したアイテムに魔導的に刻まれている。想念クリスタルとは殆どが携行可能な大きさや重量であるから、世界各地から想念クリスタルを見つけまくりそれを僕などの解読者に送ることで効率よく研究が進められる。
今のところ、神代や古代魔導文明の記録はごく限定的に伝承や民話としてしか残されていないため、神代文字の解読は唯一、神代や古代魔導文明の正確な姿を窺い知る窓かもしれない。まあ、だからこそ解読のヒントがなく苦戦している訳だが、それでも幾つかのパターンは解析できた。
神代文字は想念クリスタルに記録されていると言ったが、再生すると無機質な音声と、それに符合する視覚的表記と思しき2種類の記号が流れ込んでくる。その2種類の記号とは「-」と「・」であり、音声では前者が長い音で、後者が短い音で表されているように考えられる。
「-」の長さは「・」3つ分に相当し、更にこれらの記号数個分につき「-」1つ分の休みが挟まる。恐らくこれは、文字や意味の区切りを表現しているのだろう。僕たちは便宜上、この休みにより区切られた一つ一つのカタマリを「斧」と呼称している。
そして興味深いことに、同じ記号と音声の配列でできた斧が、世界各地から集めた記録から沢山見つかるのだ。このことから、この文字は神代や古代魔導文明において、世界共通言語だったと考えられる。これは多くの伝承に共通して見られる、その頃は世界統一王朝や政府が存在していたという記述に符合するため、真である蓋然性は高いと考えている。
ただ肝心の、各斧の意味するところの同定が全くできていない。だから解読作業はずっと行き詰まっている。
せめてひとつでも分かれば、連鎖的に分かりそうな気もするのだが、ひとつも分からないのだからどうしようもーああいや、まだまだ奥深いといえる。
…はあ、解読は遅々として進まない。そもそもこの頭の整理だって何回もしたじゃないか。だからこそこれだけスラスラ想起出来るんだけども。
別に、華々しい英雄や勇者は要らない。ましてや、その物語に自分が介入することだなんて全く欲さない。
ただ、世界が救われ、また晴れ晴れとした気持ちで日々を生きられるようになりたい。
寧ろ、何の脈絡もなく唐突に事態が解決することだって大歓迎だ。
それは物語として一見美しくないかもしれないが、何事にも隠れた事情や物語があるものだ。それに想いを馳せることは、僕を大いに楽しませるだろうし、正解を探ることもまた楽しそうだ。
そうだとも、想像力と好奇心こそが僕の武器だ。
◇◇◇◇◇◇
想像力と好奇心か。思えばずっと、このふたつに正直に生きてきたな…
「……先生、シャラナ先生」
アプロアの囁き声で現実に引き戻される。
どうやら皆、想念クリスタルの脳内受信準備を始めたようだ。
何もせず俯く僕を不審に思ったのだろう。
「ああ、すみません…」
"災厄"が幅をきかせていたあの頃は勿論、世界が救われてからも神代文字の研究を続けている僕にとって想念クリスタルの脳内受信準備は朝飯前だ。
他の人を待たせぬよう、素早く操作を終える。
「皆様、受信準備は整いましたかね。それでは、再生します」
レタクル団長が緊張した面持ちでそう言うと、昨夜の様子の映像が脳内に流れ込んできたー
◇◇◇◇◇◇
「アスファロ連邦が災厄に呑まれた…?」
僕はアプロアから聞かされた文字列を、語尾を上げて復唱してしまった。
「あの、豊富な霊脈や魔導資源、人的玄妙資源を有する絶対的な超大国であるかの国がか?」
僕は分かりきったことを質問する。
「その通り。豊富な霊脈や魔導資源、人的玄妙資源を有する絶対的な超大国であるかの国が、だ。」
アプロアは分かりきったことを返答する。
「え、どうするんだよ…いや、うん……最早神に祈る他は無いのか?」
不安と絶望が、とめどなく溢れてくる。
「知らん。ただ、この宮殿に張り巡らされた魔導障壁は、少なくとも時間稼ぎにはなるだろうな。アスファロにも同様の障壁が張られた要塞があって、そこは"災厄"襲来後も半日ほど耐えたらしい。」
…割とどうでもいいことを言ってきた。
まあいいや。もう秒読みは始まってるんだから…
◇◇◇◇◇◇
開始10数秒はなんの異変もない。
然し突如として、石像は神々しい光をー恐らくは"災厄"を包み込み封印しているエネルギーが部分的に除却されたことによる光をー眩く放った。
鼓動が早くなる。
だがその光は素早く収束し、封印がとけ始めたかに思われた石像は元の安定状態を取り戻した。
一応は安心の念が湧いてきたが、1度封印が解けかけたのを見てしまったショックは大きい。それでも何とか平静を取り戻そうとした次の瞬間ーー
石像が再び発光し出した。
本当に、心臓に、悪い。このとき、まだ"災厄"は封印を解こうと抗っているのか…?
そんな疑念を掘り下げる間もなく、石像から発された光は再び収束した。
もう察しがついた。
"災厄"は、封印を解こうとしだしたのだ。封印から僅か数年で。
仮にそうであるなら、今度こそこの世界に未来はないだろうーーあの奇蹟も再来しない限りは……
◇◇◇◇◇◇
僕は今、"災厄"へと対抗する最前線の地域にいる。皇国の南端部、ソリョ地方だ。
アスファロを呑み込んだ"災厄"は数日かけて……たったの数日で、皇国がアスファロ国境部に敷いた魔導地雷・空雷を悉く無力化するに至り、ついには皇国に侵入を果たした。
僕はそのことを知り、直ぐさま宮殿を抜け出し、今ここにいる。
それは何故だか形容しがたいがーー強いて言えば、せめて見ておきたかったのだろう。自分がどんな存在に今生において連続性を抹消されるのか。……要するに殺されるのか。
一応、ソリョからは兵士以外ほぼ全ての人々が強制退去させられたため、多量の想念クリスタルが僕に郵送されないままで放置されているから、それを回収する目的もあったーーが、そんなことはただの尤もらしい嘘でしかない。
暫く歩いていると、明らかに風が牙を剥いて吹くようになり、空は禍々しい"貪色"となり、大地は唸り始めた。
どうやらそろそろお出ましらしい。
精神状態は完全に平常時のそれでなく、最早どうせなら奴に直接殺してもらおうかとまで考えるようになっていた。
空に幻妙艦隊と対空玄妙部隊が浮かんでいるのが見え始めた。
"災厄"はまだ見えない。
突如、耳を劈く轟音が鳴り響いた。
全戦力が斉射を始めたのだ。
色とりどりの魔導エネルギーを纏った弾頭が炸裂する様はさながら花火のようでーー
炸裂後に各弾頭から展開される、瀑布属性による捕縛フィールドと、集中砲火により舞い上がった噴煙が、辺り一帯を覆う。
恐らくは、これらがなければ僕は"災厄"の姿を目の当たりにしているだろう。
そんなことを考えていると、
明らかに幻妙保護がなされた大型構造物が破壊された時に出る神秘的な光と更なる轟音が僕の認識下に齎され、
僕はなんとなく全てを察した気になった。
次の瞬間、
人智を超えた力というものはあるのだと痛感した。
一瞬にして噴煙や各種魔導フィールドは雲散霧消し、
視界がクリアになり、地獄のような轟音も鳴りやんだ。
そして、前を見ると、
恐らく"災厄"であっただろうそれは、
完全に石像と化していた。
◇◇◇◇◇◇
恐怖は直ぐに困惑に変わった。
石像は封印弛緩による発光と、それの収束による安定化・光の消失を交互に繰り返していた。何度も、何度も。
困惑はすぐに疑問に変わった。
何故こんなことになっているんだ。
本当に、単に封印を解こうと暴れているだけなのか?
疑問は直ぐに好奇心へ転化する。
なにかの作為があるのではないか?
最早恐怖よりも、未知の事象に対する好奇心の方が勝り始めていた。
僕はこれを、どこかで見たことがある。
感じたことがある。この感覚を。
こういう時に限って中々思い出せない。人間の頭は実に不便だ。
僕が唸っている間に、映像再生は終わった。
皆、この誠に奇妙な事象に、恐怖というより困惑を覚えているようだった。
「皆さんに、この映像のタイムテーブルをお渡ししておきます。といっても、起こっていることは発光と消光だけなので、それしか書かれていませんが…」
レタクル団長が指を鳴らすと僕たち一人一人の目の前に冊子が現れた。
中身を見ると、確かにタイムテーブルだ。
にしても本当に指鳴らしで何かしらするのかっこいいな……
思考が止まってしまった。急いで思考を再開する。
「なるほど。」暫くの後、ウェストラス辺境伯が発言した。
「だから神代言語学の権威が、2人も招かれたのですね。」
それはこの場にいる全員の総意だった。
僕とアプロアは協力して、急ぎ明滅パターンを2種の記号に置き換えた。恐らく、既にそうしたものを出さなかったのは、無知ゆえの間違いをーーそしてそれにより万が一にも誤情報が伝わることを嫌ったからだろう。
如何にも厳格なレタクル団長らしい。
そしてそれは出来上がった。
完全にして、不完全な「文字列」が。
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カクヨムでも同じものを投稿しています。良ければこちらもどうぞ。
https://kakuyomu.jp/works/2912051600700354329/episodes/2912051600714130013